荘厳な神事に続く熱狂の祭事「信州下諏訪 お舟祭り」
<長野県下諏訪町>

suwa01_01
長野県のほぼ中央に位置する諏訪湖。その諏訪湖の北側に位置する下諏訪町は、かつての中山道と甲州街道が交わる要衝地であり、宿場町として栄えた地域である。なかでも御柱祭りで有名な諏訪大社下社の春宮・秋宮周辺は当時の名残りが色濃く残り、いまでも神社を中心とした地域社会が残されている。そんな宿場町で生まれ育ったという山田昌宏さんに、下諏訪の名所や見どころを案内していただいた。
(下諏訪町連載第8回)

 


 

suwa08_00
suwa08_07諏訪大社下社で毎年8月1日に行われる「お舟祭り」は、御霊代を春宮から秋宮へ遷す神事に続き、翁媼人形を乗せた柴舟を曳行する祭事が行なわれる一大行事。御柱祭ほど全国的な知名度は無いが、地域の人々には生活の一部になっている祭りで、8月1日は下諏訪にある会社はお休みになるところが多いという。盛夏のさなかに行われる非常にアツいお祭りだ。

 

suwa08_11
suwa08_03
自治体の祭り紹介も含め、メディアで紹介されるお舟祭りは春宮を出発する午後からだが、実は朝から様々な行事が行われている。案内人の山田さんと待ち合わせた秋宮では、神官や白装束に身をつつんだ氏子衆が多数集まっており、蝉の鳴き声が響くなか荘厳な神事が粛々とすすめられていた。

 

suwa08_02
suwa08_04c
集まっているのは秋宮にお遷りになる神様をお迎えにいく人々で、目算ではお稚児も含めて200人以上。神様が乗る御神輿をはじめ、旗・槍・薙鎌など、多くの道具を連なって運ぶのである。それぞれが運ぶものは当日の朝に籤(くじ)で決められる。案内人の山田さんは御神輿を引き当て、「重くて大変だら」と言いながらも興奮気味。取材のタイミングで大当たりをひく強運を見せてくれた。これは日ごろの奉仕に対する諏訪の神様のはからいなのだろうか?

 

suwa08_05b
お迎えの行列は旧中山道を通って春宮へ。温泉宿街など昔の情緒が残る町並みを伝統的装束に身を包んだ人々が粛々と歩く様は現代感・現実感が薄く、まるで物語の一部か白昼夢のよう。このお迎え時には観光客もほとんどおらず、見世物ではない伝統や信仰を感じることができる。

 

suwa08_04b
それにしても、炎天下に1km以上の距離を運ぶのはかなりの負担になるはず。しかし、ご奉仕する氏子にとっては、大変な名誉であり誇りであるようだ。このような地域の人々の思想があるからこそ、伝統が守られていくのだろう。そして、諏訪一帯の人々はその思いがとても強い。

 

suwa08_17
お迎えの行列が春宮に着くころにはすでに多くの氏子衆が詰めかけ、それぞれがお舟の回りに陣取っていた。お舟祭りの開始までは時間があるのだが、見物客やメディア、警察官・消防官などのセキュリティ関係者も続々詰めかけ、境内の熱気と興奮はどんどん高まる一方。春宮内は身動きするのも大変な人数に。

 

suwa08_20
suwa08_18
柴舟は長さ10m、重さ5トンという大きさで、御頭郷(おんとうごう)と呼ばれる祭りの担当地区の氏子数百人が中心となって御柱祭さながらに曳行。ただし、担当地区以外の人もお舟からでている長い綱に紐をかけて引っ張ることはできるようで、境内の外まで続いた綱にも多くの人が張り付いていた。パッとみただけで1000人以上の人が、お舟の出発をいまや遅しと待ち構えているのである。

 

suwa08_19
suwa08_12
午後2時近くになると、先ほど秋宮からきて御霊代(みたましろ)をお迎えした行列が、ギャラリーを割るように出発。舟の上に白面の翁媼人形が載せられると、神職が祈りを唱え、周囲に塩をまくといよいよ出発の刻。先行する行列に続いてお舟が動き出すと、いままでの粛々とした雰囲気から熱狂的雰囲気へと一変する。

 

suwa08_07bsuwa08_21
乗っている人はもちろん、取り巻く人々も見事に揃った掛け声をあげ、少しずつ舟は進む。驚いたのはギャラリーと思われる人々のほとんどが掛け声合わせることができることで、まさに地域の人々に浸透しきっているお祭りなのだと感じた。初めて訪れた者には、なんと言っているのかさえ判別が難しいのだが…。

 

suwa08_24
suwa08_26春宮を出た舟は参道である大門通りを南下し、秋宮の参道となる大社通りで東に向きをかえて秋宮へと向かう。距離にして1.7㎞ほどを、誇らしげな掛け声とともに3時間以上かけて曳行するのである。じっくりと見せつけるような超低速で、熱狂をもたらしながら進むのだ。

 

suwa08_28
お舟から前に伸びる綱にはいくつもの紐が結ばれており、数百人という規模の人々がそれを引き曳行を手伝う。重さ5トンを大勢で引っ張る一体感はかなりのものだ。それにしても、柴舟自体は諏訪湖と結びつけて考えられそうだが、翁媼人形を乗せている意味が分かりづらい。聞いてみると、そこらへんは地元の人でも様々な意見があり、決定的な説はないらしい。機会をいただいたので自分も引っ張らせてもらったのだが、なぜ綱ではなくわざわざ紐をつけて引くのかも疑問に感じた。地域の歴史の積み重ねがない身にとっては、なかなか不思議が多い祭りでもある。

 

suwa08_31

それだけに、観光や見物で訪れれば「下諏訪ならでは」のモノや刺激と遭遇できるといえる。山田さんに案内していただいた数日間で、諏訪の名所やそこに住む人々、コミュニティの特異性をはっきりと感じる事ができた。天下の奇祭と名高い「御柱祭」や、今回紹介した「お舟祭り」はもちろん、諏訪大社を中心に据えた生活様式や伝統が日々の生活にまで浸透し、独自の文化を醸成しているのである。旅に日常と異なるものを求めるなら、下諏訪町は足を運んでみるべき地域のひとつだ。

地域のコミュニケーションを深める「宵祭りの長持ち」
<長野県下諏訪町>

suwa01_01
長野県のほぼ中央に位置する諏訪湖。その諏訪湖の北側に位置する下諏訪町は、かつての中山道と甲州街道が交わる要衝地であり、宿場町として栄えた地域である。なかでも御柱祭りで有名な諏訪大社下社の春宮・秋宮周辺は当時の名残りが色濃く残り、いまでも神社を中心とした地域社会が残されている。そんな宿場町で生まれ育ったという山田昌宏さんに、下諏訪の名所や見どころを案内していただいた。
(下諏訪町連載第7回)

 


 

suwa07_01
suwa07_03下諏訪町を案内してくれる山田さんも当然のごとく祭り優先。宵祭りで行われるパレードに地元の「湯田長持ち保存会」のみなさんと参加するというので、パレードを見物しながら保存会の方にもお話をうかがった。

 

suwa07_16
suwa07_21suwa07_17suwa07_15
下諏訪町近辺の各地区が独特の掛け声をあげながら運ぶ長持ちは、各保存会ごとに木材や長さ・重さが異なる。宵祭りではコンテストも行われているため、他より長く重くという傾向があるそうだ。この夜は、子どもをあわせて31さおの長持ちが町を貫いて諏訪大社下社秋宮へと向かって行き、多くの観客の声援が沿道から飛びかう。

 

suwa07_05
suwa07_09 山田さんが所属する湯田町の長持ちは長さ約7ヒロ(およそ11.3m)。使用される木材は自分たちで山へ行き、伐りだしてきた木を使うという。担ぎ手が少ないため1さおしか出していないのが少々残念だが、山田さんは「イベント化するはるか前からある長持ちはウチ(湯田町)と東山田地区の二つ」と胸を張る由緒正しい長持ちである。

 

suwa07_08
珍しかったのは、この連載でも紹介した佳肴あり井(http://machi-tabi.jp/archives/32163)の店主・有井さんの地区の長持ちで、後端に根っこを残したスタイル。根ごと掘り形を整えるまですべて手作業で行うのは、かなりの重労働だそうだ。理由を聞くと「うちの地区は造成されてまだ50年くらいの新しい地区。だから、 先輩が他の地域がやっていないことを考えて根っこをつけたのではないか」とのこと。

 

suwa07_07
suwa07_14
suwa07_19保存会の人たちは全員が杖を持ち、長持ちを囲むように進む。独特のステップで少し進んでは停まり「とこ どっこいどっこいどっこいどっこいな」の掛け声をあげ、担ぎ手を変えて進むを繰り返していく。担ぐポジションは前に2人・後ろが1人で、かなり負担がキツいように見えるが、回りのメンバーが声を出し、ときにはサポートしながら一団となって長持ちを運ぶのである。

 

suwa07_02
それぞれのステップや節回しはお祭りの日にパッと来てできるものではない。若くして保存会会長に任命された青木亮さんにお話を聞くと、約2か月くらい前から練習が必要で、担ぎ手も少なくなるなか伝統を維持していくのは大変な部分もあるという。それでも「会長をやらせていただいてありがたいし、大変なだけでなくもっとみんなが楽しんで参加できるようにしていきたい」と、誇りと責任感がこもった言葉を聞かせてくれた。そして、若い世代が会長に選ばれるということは、伝統を残し続けるためには時代に合わせた変化が必要なのだろうとも感じた。

 

suwa07_13
山田さんいわく「もともとこの地域の長持ちは、諏訪大社の神様が神事に使う道具を運ぶもので、わざと揺らしたりするものではなかった」そうだが、戦後に行われたコンテスト企画の頃から、運び方や見栄えが派手になっていったという。伝統の変化に寛容ではない人もいるというが、話を聞いていると、多くの人々が参加するモチベーションになるならアリなのかもしれないと思った。

 

suwa07_22
宵祭りのあとは会ごとに直会(なおらい)とよばれる宴会が行なわれる。湯田長持ち保存会の直会に同席させてもらうと、老若男女問わず近所の人々が集まって、飲み、食べ、そして様々な話が飛び交っていた。こうしたコミュニケーションのなかで風習が引き継がれていくのであろう。そして、このような地域のまとまりこそが、伝統を受け継いでいくキモなのではないだろうか。

都内ローカル線で行ける幕末志士の神社
<東京都世田谷区>

shouin_01世田谷線は、世田谷区東部の南北をつなぐ路線で、三軒茶屋から下高井戸の間を10駅をつなぐローカル線です。どこか懐かしい雰囲気を醸しだす沿線は親しみやすい町なみが続き、メディアが映し出す高級住宅街イメージとはまた異なる魅力にあふれています。

 

shouin_02
駅には改札はなく2両分の小さなホームは出入り自由。料金はバスのように車内で払うシステムです。車両も小ぶりなのでちょうど電車とバスの中間をイメージするとイイかもしれません。可愛らしい見た目はもちろん、意外(失礼)と利便性も高いことから、地域の人々にとても愛されているよう。平日の昼間に乗ってもそこそこの乗車率なので、僕はまだ席に座れたことがありません。

 

shouin_03
そんな世田谷線のなかほどにある松陰神社前駅を降りて徒歩3分。やはりどこか懐かしさを感じさせる商店街を抜けると、幕末の志士のひとり吉田松陰をご祭神と仰ぐ松陰神社があります。ここは、1863(文久3)年に高杉晋作や伊藤博文などによって吉田松陰が改葬された場所で、神社は1882(明治15)年の創建。神社としては歴史は長くありませんが、松陰をはじめとする多くの幕末の英雄との縁があり、多くの人々が訪れます。

 

shouin_04
1928(昭和3)年に建てられたという現在の社殿は、比較的シンプルな造形です。創建時に伊藤博文・山縣有朋などによって建てられた社殿が、内陣として活用されているそうです。

 

shouin_05
本殿からすこしそれたところには、松下村塾のレプリカも建てられています。あの有名な塾が思いのほかこじんまりと見えて驚きますが、解説によると内部は10畳間と8畳間になっており、私塾と考えると立派だったのではないでしょうか。目の前にくると、幕末で活躍する人材が集まって話している姿が目に浮かぶようです。

 

shouin_07
ちなみに、松陰が塾生に教えたのはわずか2年半という期間だったそうですが、そんな短期間であれだけ多くの人材を輩出できたのは、まさに神業と言ったところでしょうか。学問の神として崇敬されているのも納得です。