地域のコミュニケーションを深める「宵祭りの長持ち」
<長野県下諏訪町>

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長野県のほぼ中央に位置する諏訪湖。その諏訪湖の北側に位置する下諏訪町は、かつての中山道と甲州街道が交わる要衝地であり、宿場町として栄えた地域である。なかでも御柱祭りで有名な諏訪大社下社の春宮・秋宮周辺は当時の名残りが色濃く残り、いまでも神社を中心とした地域社会が残されている。そんな宿場町で生まれ育ったという山田昌宏さんに、下諏訪の名所や見どころを案内していただいた。
(下諏訪町連載第7回)

 


 

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suwa07_03下諏訪町を案内してくれる山田さんも当然のごとく祭り優先。宵祭りで行われるパレードに地元の「湯田長持ち保存会」のみなさんと参加するというので、パレードを見物しながら保存会の方にもお話をうかがった。

 

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下諏訪町近辺の各地区が独特の掛け声をあげながら運ぶ長持ちは、各保存会ごとに木材や長さ・重さが異なる。宵祭りではコンテストも行われているため、他より長く重くという傾向があるそうだ。この夜は、子どもをあわせて31さおの長持ちが町を貫いて諏訪大社下社秋宮へと向かって行き、多くの観客の声援が沿道から飛びかう。

 

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suwa07_09 山田さんが所属する湯田町の長持ちは長さ約7ヒロ(およそ11.3m)。使用される木材は自分たちで山へ行き、伐りだしてきた木を使うという。担ぎ手が少ないため1さおしか出していないのが少々残念だが、山田さんは「イベント化するはるか前からある長持ちはウチ(湯田町)と東山田地区の二つ」と胸を張る由緒正しい長持ちである。

 

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珍しかったのは、この連載でも紹介した佳肴あり井(http://machi-tabi.jp/archives/32163)の店主・有井さんの地区の長持ちで、後端に根っこを残したスタイル。根ごと掘り形を整えるまですべて手作業で行うのは、かなりの重労働だそうだ。理由を聞くと「うちの地区は造成されてまだ50年くらいの新しい地区。だから、 先輩が他の地域がやっていないことを考えて根っこをつけたのではないか」とのこと。

 

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suwa07_19保存会の人たちは全員が杖を持ち、長持ちを囲むように進む。独特のステップで少し進んでは停まり「とこ どっこいどっこいどっこいどっこいな」の掛け声をあげ、担ぎ手を変えて進むを繰り返していく。担ぐポジションは前に2人・後ろが1人で、かなり負担がキツいように見えるが、回りのメンバーが声を出し、ときにはサポートしながら一団となって長持ちを運ぶのである。

 

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それぞれのステップや節回しはお祭りの日にパッと来てできるものではない。若くして保存会会長に任命された青木亮さんにお話を聞くと、約2か月くらい前から練習が必要で、担ぎ手も少なくなるなか伝統を維持していくのは大変な部分もあるという。それでも「会長をやらせていただいてありがたいし、大変なだけでなくもっとみんなが楽しんで参加できるようにしていきたい」と、誇りと責任感がこもった言葉を聞かせてくれた。そして、若い世代が会長に選ばれるということは、伝統を残し続けるためには時代に合わせた変化が必要なのだろうとも感じた。

 

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山田さんいわく「もともとこの地域の長持ちは、諏訪大社の神様が神事に使う道具を運ぶもので、わざと揺らしたりするものではなかった」そうだが、戦後に行われたコンテスト企画の頃から、運び方や見栄えが派手になっていったという。伝統の変化に寛容ではない人もいるというが、話を聞いていると、多くの人々が参加するモチベーションになるならアリなのかもしれないと思った。

 

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宵祭りのあとは会ごとに直会(なおらい)とよばれる宴会が行なわれる。湯田長持ち保存会の直会に同席させてもらうと、老若男女問わず近所の人々が集まって、飲み、食べ、そして様々な話が飛び交っていた。こうしたコミュニケーションのなかで風習が引き継がれていくのであろう。そして、このような地域のまとまりこそが、伝統を受け継いでいくキモなのではないだろうか。

都内ローカル線で行ける幕末志士の神社
<東京都世田谷区>

shouin_01世田谷線は、世田谷区東部の南北をつなぐ路線で、三軒茶屋から下高井戸の間を10駅をつなぐローカル線です。どこか懐かしい雰囲気を醸しだす沿線は親しみやすい町なみが続き、メディアが映し出す高級住宅街イメージとはまた異なる魅力にあふれています。

 

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駅には改札はなく2両分の小さなホームは出入り自由。料金はバスのように車内で払うシステムです。車両も小ぶりなのでちょうど電車とバスの中間をイメージするとイイかもしれません。可愛らしい見た目はもちろん、意外(失礼)と利便性も高いことから、地域の人々にとても愛されているよう。平日の昼間に乗ってもそこそこの乗車率なので、僕はまだ席に座れたことがありません。

 

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そんな世田谷線のなかほどにある松陰神社前駅を降りて徒歩3分。やはりどこか懐かしさを感じさせる商店街を抜けると、幕末の志士のひとり吉田松陰をご祭神と仰ぐ松陰神社があります。ここは、1863(文久3)年に高杉晋作や伊藤博文などによって吉田松陰が改葬された場所で、神社は1882(明治15)年の創建。神社としては歴史は長くありませんが、松陰をはじめとする多くの幕末の英雄との縁があり、多くの人々が訪れます。

 

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1928(昭和3)年に建てられたという現在の社殿は、比較的シンプルな造形です。創建時に伊藤博文・山縣有朋などによって建てられた社殿が、内陣として活用されているそうです。

 

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本殿からすこしそれたところには、松下村塾のレプリカも建てられています。あの有名な塾が思いのほかこじんまりと見えて驚きますが、解説によると内部は10畳間と8畳間になっており、私塾と考えると立派だったのではないでしょうか。目の前にくると、幕末で活躍する人材が集まって話している姿が目に浮かぶようです。

 

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ちなみに、松陰が塾生に教えたのはわずか2年半という期間だったそうですが、そんな短期間であれだけ多くの人材を輩出できたのは、まさに神業と言ったところでしょうか。学問の神として崇敬されているのも納得です。