日本のシルクロードと桜を巡る南東北の旅
<福島~山形>

明治から昭和にかけて日本の近代化を支えた絹産業、養蚕~製糸~機織などの絹産業はその当時全国各地に広がっていました。その絹産業の盛んだったエリアのうち、今回は福島~山形を巡る旅をご紹介します。
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東北新幹線の郡山からスタートして二本松・福島(宿泊)、山形新幹線で米沢・山形・蔵王(宿泊)、そして仙山線で山寺を経て仙台へというルート、2泊3日を想定します。四季折々それぞれの魅力があるエリアですが、桜を巡る旅はまた格別です。

 

モデルコースのご案内

<1日目>

スライド1

 

<2日目>

スライド2

 

<3日目>

スライド3

 

■関連記事リンク


■二本松の記事:        

■福島の記事 : 
 
■米沢の記事 :

 

■山形の記事 :
 

 

※行程表の所要時間は乗車時間の目安です。また、この行程で各記事に記載された場所をすべて回れるわけではありません。

 

 

 

 

 

絹産業の中心地だった福島、春の花見山はまさに桃源郷
<福島県福島市>

福島市一帯は、旧信夫郡と旧伊達郡にまたがるので信達(しんたつ)地方と呼ばれる。小倉百人一首の「陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに」という歌の“しのぶ”は、この信夫という地名と忍ぶ恋をかけてある。文知摺(もちずり)とは、乱れ紋様をつくる染色技法で、当時の都人は遠い陸奥の風物に遥かなロマンを感じていたのではないだろうか。
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信達地方は、幕末から養蚕が盛んになり、戦前は福島盆地全体に桑畑が広がっていたという。いまや東北有数の桜の名所となった「花見山公園」も、もとは養蚕農家が副業として花を栽培したことに始まる。公園と呼ばれてはいるが、ここはいまも花卉園芸の畑(私有地)であり、地主の厚意により公開されているものである。畑なので、花の種類が多様で手入れも行き届いており、春にはまさに“桃源郷”と呼ぶにふさわしい。
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福島盆地は全国でも珍しく、盆地のまん中に、小山「信夫山」がぽっこり浮かんでいる。盆地が陥没したときの残丘だそうだが、この中腹にあるのが「岩谷観音」。平安末期~鎌倉時代に起源がある磨崖仏群である。
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信夫山の上には、ねこ神社こと「西坂稲荷」がある。昔ここに住んでいた悪さをする狐の伝説と、ネズミからカイコを守る養蚕の守り神=ねこが、いつしか結びついて「ねこ稲荷」と言われるようになったそうだ。いまは“ねこを幸せにする稲荷”として親しまれているので、ねこファンの人はぜひ訪れてみたい。
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ここ福島は、東北初の日本銀行出張所(のちに支店)が開設されたところ。それはここが、絹産業の中心地として、物資やカネが集積するとろだったからだ。その日銀支店長の役宅として昭和2年に建てられたのが、この「御倉邸」。かつての日本建築の雰囲気を楽しむことができる。
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養蚕王国だった福島は、戦後の絹産業衰退にともない、桑から果樹への転作が進み、いまは果樹王国といってもいい。なかでも桃は、山梨に次いで生産量が全国2位。桃といえば福島、当地を代表する名産品である。
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では、ちょっとローカル線の旅を楽しもう。ということで、福島交通の飯坂電車「いい電」に乗る。終点の二つ手前が「医王寺前」駅。「医王寺」は、当地を治めた佐藤氏の菩提寺で、安置される薬師如来は空海の作と伝わる。また、奥の細道の途次で「笈も太刀も五月にかざれ紙幟」と、芭蕉がここで詠んだ句の碑もある。笈(僧が背負う木製の箱)は弁慶のもの、太刀は義経のものとして寺に伝わったもので、笈はいまも宝物殿に展示されている。
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「いい電」の終点は、「飯坂温泉」。温泉の起源は縄文まで遡るといわれ、ヤマトタケルがこの湯で癒されたという伝説もある。ほかにも、芭蕉はじめ、西行、正岡子規、与謝野晶子、ヘレンケラーなど、多くの文化人・有名人が訪れている。古くから東北を代表する温泉といっていいだろう。山中の秘湯も魅力があるが、こういう歴史的由緒のある温泉で、先人の業に想いを馳せてみるのもすばらしい。

上杉の城下町として発展した米沢、素晴らしい文化の魅力
<山形県米沢市>

イザベラ・バードが「日本奥地紀行」で、“アジアのアルカディア”と絶賛した豊かで美しい平野、その南の中心が米沢である。
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長井・伊達・蒲生・直江と城主がかわり、その後は上杉の城下町として発展してきた。城址は、いまは松が岬公園として開放されている。
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春には約200本の桜が咲き乱れる花の名所として市民に親しまれている。
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その公園の中央にあるのが、上杉謙信・鷹山を祭神として明治9年に建立された上杉神社。境内に上杉氏ゆかりの文化財を収蔵する稽照殿があり、隣には上杉博物館もある。
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財政の逼迫していた米沢藩を救った名君といえば上杉鷹山。鷹山は、まず「大検約令」によりムダを省くことから藩政改革を進めるが、それだけなら誰でも思いつくことで、その後の目覚ましい産業振興が歴史に名を残した理由だ。とくに「養蚕手引」を発行して、養蚕・絹織物を産業化した手腕は特筆に値する。
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濠を挟んで元二の丸跡にあるのが「旧上杉伯爵邸」。明治29年に建てられ、その後火災で焼失して、大正14年に再建された邸宅。その豪壮なつくりは一見価値がある。見学だけでなく、「かてもの」を受け継いだという当地の郷土料理がいただけるのがうれしい。「かてもの」とは、凶作の備えとして鷹山がつくった食のガイドブック。山野の草木・果実約80種の食法や栽培方法などが詳しく書かれており、飢饉の際に大きく役立ったという。
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市内に見られるこの「うこぎの生垣」も、その鷹山の知恵が生んだといわれる。うこぎは、春から初夏にかけての新芽を、おしたしや天ぷらにして食べることができる。いざという時の備えとして、生垣にも食材をという、鷹山の周到な発想力に脱帽!
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城址を背にして東へ向かうと、瀟洒な洋風の建物が見えてくる。「九里(くのり)学園高等学校」の校舎で、昭和10年の建造、いまも現役だそうだ。学園の創設者は、九里とみ。裁縫を教える塾が評判となり、明治34年県内でもっとも古い私立学校として開校された。「校舎はただの箱ではない、こういう教育をしたいというメッセージ」そう語る現校長の言葉に、米沢の深い文化を感じる。
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さらに東へ向かうと、「米沢織物歴史資料館」や「米澤民藝館」などがあり、その先にあるのが「東光の酒蔵」。銘柄「東光」を造る小嶋総本店は、慶長2年(1597年)創業、“禁酒令”が出されても酒造りが許された数少ない造り酒屋のひとつだったそうだ。東北一といわれる140坪の大きな土蔵に展示された、昔ながらの酒造りの道具などを見ることができる。
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さてこんどは少し西へ行くが、国史跡の上杉家廟所はぜひ見ておきたい場所。森閑とした杉木立のなかに、越後より移されたという謙信公から十二代藩主までの廟屋が整然と並んでいる。
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廟所の近くにある「染織工房わくわく舘」では、米沢織と紅花染めの体験ができる。
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直江兼続がはじめ、その後上杉鷹山が本格的な産業として確立した「米沢織」。養蚕や紅花栽培を奨励し、京都から織物師を招いて研究するなど、養蚕から染色・機織まで当地で一貫生産する伝統が培われた。ちなみに“日本で初めて”人工絹糸(レーヨン)を開発した帝人株式会社は、ここ米沢で産声を上げた会社。米沢は、古いものを大事にし、同時に新しいものをも生む、伝統文化の厚みが蓄積されたまちである。

さくらんぼの国・山形を散策、そして蔵王、山寺へ
<山形県山形市>

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城郭が霞で隠れて見えなかったので、「霞ケ城」あるいは「霞城(かじょう)」と呼ばれたという山形城。現在は二の丸など一部が残っているが、往時には全国でも有数の大きな城で、日本百名城にも選定され、国の史跡になっている。
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春には約1,500本の桜が咲き誇り、堀に覆いかぶさる姿は江戸城・千鳥ヶ淵のような美しさ、山形を代表する花の名所である。
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「文翔館」は、大正5年に県庁・県会議事堂として建てられた、大正期の洋風建築を代表する煉瓦造りの建物。国の重要文化財であり、現在は山形県郷土館として一般公開されている。
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さて山形といえば、いちばんに思い浮かべるのは“さくらんぼ”だろう。もちろん県別生産量では、山形が全国1位。横綱は佐藤錦だろうが、紅秀峰はじめたくさんの種類が栽培されており、現地で食べ比べてみれば、お気に入りの一品が見つかるかもしれない。
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餅の食べ方は、全国各地さまざまな特徴があるが、この「納豆餅」はかなり個性的だろう。つきたての餅に、納豆とネギとしょうゆだれ。シンプルだが、モチモチとネバネバの絶妙の組み合わせ。口中がヌル・モチ・ネバの食感で満たされる幸せ。
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某テレビ番組でも有名になった「冷やしラーメン」、発祥は市内のラーメン店・栄屋本店で、夏はラーメンも冷たいのがいいという客の要望で開発されたのだという。いわゆる“冷し中華”や“冷麺”とはまるでちがうもの。まさにラーメンの冷たいやつ。スープの脂が固まらないようにするのに苦労したのだそうだ。
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開湯は1900年前という由緒ある「蔵王温泉」、川のせせらぎを聴きながらゆったり浸かれる写真の「蔵王大露天風呂」はじめ、3つの共同浴場、3つの足湯、5つの日帰り温泉施設がある。風情のある温泉街を散策するのも楽しい。
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標高約1,660mに鎮座する「蔵王地蔵尊」は、37年かけて1775年に造立されたといわれ、それから遭難者が減ったので“災難よけ地蔵”と呼ばれるようになった。いまでも災難よけ祈願のために訪れる人が後を絶たないそうだ。
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蔵王を象徴するこの「御釜」、荒涼とした火口に湛えられた水が、とても神秘的。水温は10数mの深度で2℃まで下がるが、それより深くなると温度が上がるという、世界でも稀な湖。太陽光の変化によって、さまざまに色を変えるのも、また不思議。
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スノーモンスター「樹氷」、寒い山ならどこでも見れるわけではない。日本海から吹く水蒸気を含んだ風は、まず西側の朝日連峰に雪を降らせ、山形盆地をわたって蔵王連峰を上昇する。そのとき雲は0℃以下でも凍らない過冷却水滴というものを含む。それがアオモリトドマツにぶつかって凍りつく。そこへ雪がつく、また水滴が凍りつく、その繰り返しで固ってゆくのだという。昨今は夜にライトアップもされる。とっても幻想的な世界。
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さて、山形駅から仙山線に乗って15分ほど、山寺の駅を降りると「立石寺」。「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」芭蕉がこの名句を残したところ。奥の院へむかう参道は、いくつもの堂塔を巡るように杉木立のなかを登る石段がつづき、時が止まったような静寂に支配されている。そして、まるで天空へ昇るかのように、奇岩の山肌に建つ開山堂の景観は、まさに絶景としかいいようがない。

日本の近代化を支えた絹産業のまち、シルクタウン鶴岡の魅力
<山形県鶴岡市>

1鶴岡公園の桜
鶴岡という名は、1601年庄内を攻略した最上義光が、大宝寺城を鶴ヶ岡城と改名した事に由来する。現在、城跡は鶴岡公園となっており、春には桜が咲き乱れる花の名所となっている。

2加茂水族館
加茂水族館は、50種類以上が展示されている世界一のクラゲ水族館。深く透明なブルーの水中に、約2千ものミズクラゲがゆらゆらと漂う「クラゲドリームシアター」。じっと眺めていると、心が日常から解き放たれ、別世界へと誘われていく。疲れている人も、そうでない人も、ヒーリング効果はばっちり。
3羽黒山五重塔
当地で、もっとも知名度が高いのは、即身仏で有名な出羽三山だろう。羽黒山、月山、湯殿山、明治以前は神仏習合の権現(ごんげん)を祀る修験の山だったところ。平将門の創建と伝えられる羽黒山五重塔は、約600年前に再建された東北最古の塔で国宝に指定されている。
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さて鶴岡といえば、藤沢周平を思い浮かべる人も多いのでは?庄内藩ならぬ海坂藩を舞台に、丁寧かつ情緒豊かに物語を紡ぐ筆致は、たんなる歴史小説を超えたリアルな人間模様を活き活きと映しだし、読者の心をつかんで離さない。その藤沢も愛したという「孟宗汁」は、庄内の春を告げる郷土料理。最北のタケノコともいわれ、柔らかいなかに、しっかりした歯ごたえと、独特の風味があるのが特徴。
5民田ナス
藤沢の作品にもしばしば登場するが、松尾芭蕉が句に読んだのもこれだと言われる「民田(みんでん)なす」。皮が堅くて身がしまっており、パリッとした食感が持ち味。浅漬、からし漬、こうじ漬、醤油漬など、鶴岡の夏を代表する野菜。
6だたちゃ
いまや「だだちゃ豆」は、ずいぶん有名になって東京でも売られているが、元は庄内の特産。その昔、枝豆の好きな殿様が、毎日献上される枝豆に、「今日はどこの“だだちゃ”のじゃ?」と尋ねたのが、名前の由来だとか。「だだちゃ」とは、庄内方言で「お父さん」のことだそうだ。
7黒川能(水焔の能)
黒川能は、鎮守春日神社の氏子によって500年以上伝承されてきた伝統芸能。観世流などの五流派とはちがって、独特のかたちで古形を残しているといわれる。
8大宝館
1915年大正天皇の即位記念として建てられた大宝館は、バロックやルネッサンスなどの様式を取り入れた擬洋風建築。現在は鶴岡の偉大な先人たちの業績を展示する「郷土ゆかりの人物資料館」となっている。
9庄内藩校致道館
武士の質実剛健な気風と優秀な人材の育成のため設けられた、庄内の藩校「致道館」。現存する藩校建築として東北唯一とされ、国の史跡に指定されている。
10多層民家
致道博物館の敷地へ移築された「旧渋谷家住宅」は、1822年の建築で国の重要文化財。鶴岡市田麦俣地区に特徴的な、多層民家と呼ばれる建築様式がおもしろい。豪雪時の出入の確保、山間地の狭い敷地の有効活用などの理由で、このような多層式の茅葺になったといわれる。元は湯殿山への参拝客を宿泊させたそうだが、養蚕が盛んになるにつれ蚕室として使用されるようになったのだという。
11松ヶ岡開墾記念館
戊辰戦争では最後まで戦い抜いた強者・庄内藩も、不幸にも賊軍となってしまったのだが、その汚名をそそぎ国に貢献すべく、明治5年、旧藩士たちが刀を鍬に持ち替え原生林を開墾した。その土地が「松ヶ岡」。そこに広大な桑畑と、三階建ての巨大な蚕室が10棟建設され、当時外貨獲得のための輸出品として急成長していた絹産業で、日本の近代化に大きく貢献した。現在は、「松ヶ岡開墾場」として国の史跡になっており、現存する5棟の建物には、養蚕や開墾の記念館、映画の資料館、ショップや食事処などがあり、歴史を知りつつ楽しめる施設になっている。

 

残念ながら日本の絹産業はいま、生産量が最盛期の1%にも満たない。ここ鶴岡は、養蚕から製糸・縫製まで、絹関連の産業がいまも息づく希少な土地である。当市では平成21年より「鶴岡シルクタウン・プロジェクト」を始動し、地域活性化とともに、貴重な日本の伝統産業を未来へ継承する取組に力が入っている。

おっ、弥次さん!喜多さん!?旧東海道の宿場町「関宿」
<三重県・亀山市>

東海道五十三次、その宿場の風情を今に残す関宿。耳を澄ますと、江戸と京を行き来した大勢の旅人たちの賑わいが聴こえるようだ。

関宿 01

お江戸・日本橋を出発して東海道を上ると、関は四七番目の宿場町である。ここから鈴鹿の山を越えると近江に入り、京・三条まではもうすこし。往時は、これから峠を越える人、下りた人で、たいへんな賑わいであったそうだ。いまもその当時の風景をよく伝えている町並みであり、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。

いまは東海道線や名神高速道路が関ケ原を抜けるルートなので、そっちが東海道のように思いがちだが、関ケ原を通るルートは旧中山道であり、旧東海道およびそれを踏襲した国道1号線はこの関宿を通る鈴鹿越えである。現在は、鈴鹿越えの新名神高速道路が開通しているので、自動車でのルートはまた旧ルートへ戻ったともいえる。

関宿 02

さて、JR関駅を降りると、徒歩約10分で宿場のど真ん中の中町に至る。江戸時代後期から明治時代にかけて建てられた町家が200棟以上も現存し、宿場の東の入口にあたる東追分から、西の入口、西追分までは約一・八キロメートルもある。この間に木崎、中町、北裏、新所の四地区があり、それぞれ特徴的な歴史的景観を形成している。街道沿いの伝統的建造物は長年、地道に修復がなされたおかげで、整然とした町並み景観を創出している。

関宿 03

宿場の中心に当たる中町には、かつて川北本陣と伊藤本陣の二軒の本陣があったが、現在は伊藤本陣の格子をそなえた店の間部分の建物が残っている。復元された旅(はたご) 籠「玉屋」は歴史資料館として公開されており、一階の開口部はオープンスペース的に使用されている。

江戸期からの両替商であった橋爪家住宅は、関宿でも珍しい切(きり) 妻(づま) 造りの建物。他にも、関宿を代表する旅籠「会津屋」、二階の洋風の意の窓が特徴的な「洋館屋」など、伝統的建造物がリズミカルに並んでいる。

関宿 04

旧東海道を軸として家並みが連なるようすは、まさに江戸時代そのもの。宿場の四方を見渡せば、まるで弥次さん・喜多さんになった気分である。

写真/米山淳一

ラーメン、蕎麦、酒/蔵の町「喜多方」の楽しみ方
<福島県喜多方市>

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“喜多方といえばラーメン”というイメージだが、そもそも蕎麦の産地であることを忘れてはいけない。山間部を中心に蕎麦の作付面積は全国6位、秋のはじめには、いちめんの真っ白い蕎麦の花を楽しむことができる。盆地特有の寒暖差など、風味のよい蕎麦が育つ条件がそろっており、遠くから訪れる蕎麦ファンも多い。
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もちろん食べるだけではなくて、蕎麦打ちの体験はおすすめだ。地元の名人に指導していただき、十割蕎麦を打つ。そば粉を、こね、伸ばし、打って、切り、茹でて、そして、いよいよ試食。自ら打った蕎麦を食する、まさに至福の瞬間である。ここ喜多方には、上質の伏流水で仕込んだ酒造りの蔵元が10もあり、旨い蕎麦と酒、“いやあ~日本人でよかったなあ”と思える絶妙の組み合わせが楽しめるのだ。
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喜多方ラーメンの発祥は大正時代、中国から来た青年が屋台で売り歩いたのが始まりだそうだ。なにはともあれ、そのいちばんの特徴は、「平打ち熟成多加水麺」という太めの平たい縮れ麺。コシが強くモチモチしていて、一度食べたらやみつきに。なにせ人口5万人ほどの町に100軒以上のラーメン店があるというから驚き。とくにスープは店ごとに個性豊かな工夫を凝らしているので、お気に入りの一杯を探しにいくのも醍醐味だろう。
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さて、腹も落ち着いて散策してみるなら、四千棟余りあるといわれる蔵めぐりがよい。表通りはもちろん、裏路地から郊外集落まで、バリエーション豊かな蔵が見られるのが喜多方の特長。白壁、黒漆喰、粗壁、レンガなど、種類が多いということは、それだけ用途も多様だということ。こんなに蔵がたくさんある理由としては、明治の大火で蔵の耐火性が注目されたのも大きいが、「四十代で蔵もないのは男の恥」といわれるような喜多方文化の男のロマンが大きく影響しているようだ。
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町の中心からは離れるが、全ての屋敷に煉瓦蔵が建っているという三津谷集落も見逃せない。若菜家には、明治~大正の煉瓦蔵が4棟あり、3階建や蔵座敷もあり、農作業蔵は内部が見学もできる。
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また、「新宮熊野神社」の「長床」も、ぜひとも訪れてみたいスポット。拝殿として平安末期に建立されたものといわれ、44本の柱が支える壁のない吹き抜けの構造が面白い。樹齢800年の大イチョウが真っ黄に色づくころには、拝殿との見事なコラボレーションを見せてくれる。

重伝建、世界遺産、歴史的風致保存の先駆け「萩」の魅力
<山口県萩市>

1伊勢屋横町
萩市は、4つの重伝建地区、そして世界遺産「明治日本の産業革命遺産」のうちの5資産を有する歴史の町。歴史的風致の保存については先進地であり、高い建物で歴史景観を邪魔しない配慮が行き届いており、毛利の城下町として発展してきた様子が、いまも色濃く残っている。
2平安古鍵曲
武家屋敷の多い地区では、どこまでも続く長い土塀、そして長屋門や土蔵などが、かつて藩政期の佇まいをよく残している。敵の侵入を防御するため路を鍵の手に曲げた構造は、全国にまだ多く残っているが、この萩の鍵曲(かいまがり)は、往時の様子をとてもよく保存していて貴重だ。
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これは武器を収納した倉で、石積みの上に建つ建物は天井が高く、見張り台を兼ねたので物見矢倉と呼ばれたそうだ。
4松下村塾
もちろん萩といえば、幕末から明治にかけて活躍した偉人たちを多数輩出した土地。吉田松陰の私塾であったこの松下村塾は、木造瓦葺きの小さな平屋だが、ここから近代日本を造った風雲児たちが巣立ったかと思うと、なかなか感慨深いものがある。
5高杉晋作誕生地
高杉晋作の誕生地は、半分が公開されていて、産湯に使ったと伝えられる井戸もある。ほかにも、伊藤博文、久坂玄瑞、木戸孝充、山県有朋など、教科書に登場するような有名人に所縁の場所が随所に残っているので、歴史好きにはたまらない魅力だ。
6夏みかん
さて、萩といえば、夏みかん。栽培が奨励されたのは、維新により職を失った士族を救済するためだったとか。いまも、こんなふうに土塀の上からのぞく黄色い大きな夏みかんが、萩らしさを演出している。
7萩焼体験
もうひとつ、萩を代表するものといえば萩焼。窯元や小売店が100軒ほどもあり、観賞・購入するのもよいが、制作作業を体験できるところもあるので、オリジナルの作品づくりに挑戦してみるのもおすすめである。
8瀬つきあじ
なにはともあれ旅の醍醐味は、地元の旨い食べものを堪能すること。これがなければ、旅の魅力は半減する。山口県の日本海側で獲れる「瀬付きあじ」は、瀬に居ついて豊富なエサを食べ、おいしく育った特別なあじなのでこう呼ばれるそうだ。
9ケンサキイカ
その美味しさには折り紙つきの剣先イカ。須佐地区で水揚げされるものは、「須佐男命いか」と呼ばれるブランド品である。白イカと同じ種類で、刺身でいただくと、とろっした食感と甘味のある濃い味が口いっぱいに広がり、えもいわれぬ至福感に包まれる。歴史あり、自然あり、そして旨いものあり、萩の魅力は尽きることがないといえる。

吟醸酒のふるさと、東広島の魅力 ~酒造りに賭けた男たちの物語~
<広島県東広島市>

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クセのない口当たり、フルーティーかつ辛口、すっきりした味わい、そして後に残らぬ酔い心地。昨今人気の旨い日本酒といえば、大吟醸あるいは吟醸などと呼ばれる酒が多い。この吟醸酒が生まれるのには、東広島が大きく貢献したということをご存知だろうか?
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“吟醸酒の父”とも呼ばれる「三浦仙三郎」(↑安芸津・榊山八幡神社の銅像)は、現在の東広島市安芸津町の出身である。酒造業は殖産興業とともに明治期に大きく発展したが、広島には酒造家にとって不利な条件があった。それは、広島の水が、酒造りには適さない軟水であったことだ。軟水には酵母の栄養分となるミネラル分が少なく、通常の醸造法ではうまく発酵が進まなかったのだ。この不利な条件を逆手にとって、仙三郎は「軟水醸造法」という画期的な製法を確立し、ふくよかでキメ細かな酒を造りだしたのである。

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また吟醸酒誕生に大きく貢献した人物として、現・東広島市西条町出身の「佐竹利市」を忘れるわけにはいかない。日本初の動力式精米機(↑写真)を完成させ、佐竹機械製作所を創立して、金剛砥石を使用した画期的な精米機「竪型金剛砂精米機」を開発したのだ。ちなみに、精米歩合60%以下が吟醸、50%以下が大吟醸なのだが、50%以下にするには機械精米で2昼夜もかかるのだという。つまり重労働かつ非効率な足踏み式精米機では、とてもじゃないが不可能だったわけだ。

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東広島を中心とした酒造りの歴史に貢献したのは、三浦や佐竹というイノベーターだけではなかった。国の醸造技師として試験場に赴任してから、終生広島を離れずに杜氏の育成や酒質の向上に尽力した「橋爪陽」、賀茂鶴酒造の創業者であり酒造学校を造って「軟水醸造法」を世に広める努力をした「木村静彦」など、この地にかかわる多数の人たちの工夫と努力があったからこそなのだ。

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東広島市西条が日本三大銘醸地のひとつを謳っているのは、こういう歴史に根拠があるのだ。現在も西条には多数の酒蔵が操業しており、大きな蔵の甍が連なりレンガ煙突の立ち並ぶ眺めは、まさに酒造りの都と呼ぶにふさわしい。もちろん良い酒造りは、水と米。町に湧き出る竜王山の伏流水、広島を代表する酒米「八反錦」、そのルーツである「八反草」、盆地ならではの寒暖差など、ここが銘醸地として名を馳せるに至った条件はたくさんある。
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これら良い酒造りに欠かせない条件は、まさに豊かな自然環境ということでもある。海側の安芸津は、生産量日本一を誇る広島の牡蠣を養殖する拠点であり、その旨さは折り紙つき。

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同じ安芸津の赤い粘土質の畑で採れる赤ジャガイモは、でんぷん質が多くとてもホクホクしていて甘い。コロッケにすると絶品である。

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西条のグルメといえば、この美酒鍋。味付けはとてもシンプルで、たっぷりのお酒と塩・胡椒のみ。それだけに素材そのものの旨みを酒が引き出し、あっさりしたなかに奥深い味わいが楽しめる。

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ここでは紹介しきれない東広島の魅力はまだまだあるが、最後に「酒まつり」を紹介しよう。毎年10月初旬の土日に催され、とにかくもう町中が酒一色、人出が20万人を超えるというから、ちょっと他所にはない規模である。二日間しこたま呑めるということで、酒好きにはたまらないイベントである。左党の方はもとより、そうでない方も、ぜひ一度訪れてみてほしい。酒はただの飲み物ではない、文化なのだ。連綿と続く酒造りの伝統を大切にし、この町に誇りを持つ地元の方々の意気込みと熱い想いが伝わってくる、それこそが「酒まつり」の本領だと思う。

北野異人館街、そして坂のある裏通りを歩く
<兵庫県神戸市>

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重伝建というとつい土蔵造りや武家屋敷のような日本的町並みを思い浮かべるが、ここ北野異人館街は函館と同様に洋館が中心の重伝建地区である。昨今、文化財は“いかに残すか?”から“どう活用するか?”へ課題が移りつつあるが、この建物、写真ではわかりにくいが、じつは内部がスターバックスになっている。1907年の建築で、震災被害により取り壊し予定だったものを、現在地へ移築・再建されたのものという。日本各地に町屋カフェなどがたくさん出来るようになったが、スタバというのは時代の変化を感じさせる。

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北野通りの中心で目立っているのが、この「ベンの家」。英国貴族の旧邸といい、「白頭鷲」「イッカク」「ヌー」など珍しい生き物の剥製が館内にずらりと並ぶのが見ものである。

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ちょうど向かいの細い坂道を登っていゆくのが、おすすめのコース。坂の上からは、洋館の向こうに神戸の町が遥かに望める。

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風見鶏の館」はドイツの貿易商が自邸として建てたもので、レンガ造りはこの地区で唯一。名称の由来である尖塔の風見鶏は、北野異人館街の象徴といってもいい。

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館内はドイツ様式のなかにアール・ヌーヴォーを感じさせ、重厚な雰囲気がいかにもヨーロッパを思わせる。

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二階のサンルームから神戸の街が見渡せる「萌黄の館」は、アメリカ総領事の邸宅であったといい、対照的に明るい雰囲気である。先の震災で屋根から落下した3本の煙突のひとつが、モニュメントとして庭に保存されていた。

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さて異人館エリアと三宮駅を行き来するには、北野坂が定番コースだが、ちょっと裏道を散策してみよう。北野通りを英国館の手前から脇へ入り、なかなか風情のある細い坂道を下る。やがて見えてくるのが「神戸パブテスト教会」である。尖塔のある白壁の教会堂と棕櫚の木の組み合わせが、異国情緒を醸し出していて印象的である。

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さらに下って左の路地へ入ると、「神戸ハリストス正教会」が見える。大きな建物ではないが、細い坂道と周囲の住宅地にしっくり馴染んでいて、この土地の歴史と伝統を感じさせる。

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そのすぐ下手には「一宮神社」がある。神戸には、生田神社を囲むように一宮から八宮まで「生田裔神八社(いくたえいしんはちしゃ)」と呼ばれる神社があり、数字の順にめぐると厄除けの御利益があるといわれる。一から八まで順番がついたのは、神功皇后(じんぐうこうごう)が巡拝された時とも伝わるのだそうだ。

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もう少し下ると、この風景。どうだろう?ありきたりの景色にも見えるが、どことなく神戸らしさを感じないだろうか?細い坂道と、向こうに迫った山と、なんとなくエキゾチックな匂いと、そしてこのオバチャン。神戸の町は、どこへ行っても、こういう匂いの一角がある。まさに町の歴史が発散する雰囲気なのだろう。観光整備された異人館街も素敵なのだが、こういうなにげない路地を巡ると、神戸の町歩きはさらに奥深くなると思う。