「東京たてもの園」にある『小出邸』は、吉田五十八、村野藤吾とともに、戦後モダン数寄屋建築家の巨匠と呼ばれるほど名声を高めた堀口捨己の初期の作品だ。この建物は現存する数少ない堀口捨己作品の1つであると同時に実質的な処女作とも言われている。大正14年(1925)に現在の文京区西片に建てられたものが移設された。

東京帝国大学建築学科を卒業した後、日本最初の近代建築運動である「分離派建築会」を山田守らとともに結成した堀口捨己は、その後、日本の建築家のなかでは早くにヨーロッパへと渡った。オランダではアムステルダム派やデ・ステイル(英:The Style)派の建築に触れ、帰国して間もなく設計したのがこの小出邸。ピラミッド状の宝形屋根と水平な軒の組み合わせが印象的だ。

幾何学的構成のなかに円形開口やレンガなどの組み合わせがユニークな玄関廻り。円形の意匠は焼失してしまった表現主義建築の名作と言われる『紫烟荘(1926年)』にも共通して見られる。

『小出邸』の中で、ひときわ存在感を放つピアノが置かれた応接間。家具はこの部屋に合わせてデザインされたものだという。

縦の直線が伸びた先は天井へとつながり格子を形づくる。幾何学的に区割りされた部屋壁の一部には銀箔の壁紙がほどこされ、三段吊り戸の水平ラインと相まって近未来的なムードを漂わせている。自然と視線がそこへ向かうようなコーナーだ。邸内の部屋の中で、モンドリアンを代表とするデ・ステイル派の影響をもっとも強く感じさせるのがこの応接間だろう。

応接間・食堂を除けば、他はほぼ和室で構成されている『小出邸』。1階の和室は、和室でありながらもタテ・ヨコの線が強調され、マスで仕切られたように面が浮かび上がって見えてくる。

2階の和室は伝統的な書院造りに鮮やかな鶯色の色彩が対比して、大胆ななかにも洗練された美が感じられる。

落ち着いた美しさを見せる曇りガラスと透明ガラスのコンビネーションからなる格子窓。建物全体のタテ・ヨコラインを意識した設計は各和室の窓にも重ねて適用される。

玄関サイドから眺める建物外観は、正面とはまた別の趣き。屋根の三角形と玄関ポーチの丸い覗き窓、窓の四角い形が並び、幾何学図形をモチーフにしたデザインの実験のようにも見える。

玄関ポーチのアクセントはそれぞれの意匠に切り取られた風景。平凡な日常でもこの玄関を覗くたび、ちょっとだけ愉快に感じられそうだ。
写真:乃梨花