
詩人・彫刻家として有名な高村光太郎の詩集「智恵子抄」にある「東京に空がない」「安多多羅山の山の上に毎日でている青い空が智恵子のほんとの空」といった言葉は、教科書に採用されたこともあり多くの人が知っているだろう。それを言ったとされる光太郎の妻・
高村智恵子が生まれ育った場所には、造り酒屋であった「生家」が復元されており、併設された
智恵子記念館とともに観光名所のひとつとなっている。

智恵子の生家の裏手にある「
智恵子の杜公園」は、散策を楽しみながら智恵子と光太郎の足跡に触れることができる。東京での生活に馴染めず、実家と行き来することも多かったといわれる千恵子が安らげる場所だったのだろう。

「稲荷八幡神社」までの階段は5分もかからず登れる。小ぶりだがなかなか味のある拝殿で、牧歌的な周囲の雰囲気に溶け込んでいる。この境内から先には、当時としては珍しい女性洋画家として活動していた智恵子のエピソードが書かれた石板が置かれ、作品の背景などを知ることができる。

神社から先は自然に包まれたなだらかな歩道がつづく。里山を登っていくのだが、良く整備されており歩きやすい。

10分ほど歩くと遊具やトイレなどがある公園がある。そこから奥へ進むと、銅像の彫刻があちらこちらに置かれアートに触れ合うこともできる。「彫刻の丘」と名付けられた一帯は、芸術家であった光太郎と智恵子にちなんでいるのだろう。

さらに10分歩くと「みはらしの広場」へ到着。アーティスティックな建物は展望台で、かなり複雑な構造だ。螺旋階段を登って円柱上部の手すりが付いた場所へ。

上からは智恵子が住んでいた町が一望できる。阿武隈高地の山々をバックに、阿武隈川に沿うように続く町並みを眺めると、人は「自然に沿って生きている」ということを感じる。心労をかかえていたという智恵子は、この景色を見てどのような想いを抱いていたのか。

円柱の内部は天井が無く、そこからは「あだちのほんとの空」が見えるようになっている。「丸く切り抜かれた空」は広がりが無く残念な気がしたが、これほど空だけを見ることは他ではない。智恵子が言ったとされる「ほんとの空」について自然と考えてしまう。

ちなみに、みはらしの広場は自動車でも行くことが可能。駐車場から少し車道を歩くと安達太良山を眺めることができる。その安達太良山の登山道にも「このうえの空がほんとの空です」という柱があるので、機会があれば足を運んでみてはいかが。