小金井公園内にある『東京たてもの園』には、見ごたえのある昭和レトロな建築が多く存在する。なかでも人気は、ここを見るのを目的に園を訪れる人も多いといわれる昭和の銭湯建築『子宝湯』。映画『千と千尋の神隠し』の『油屋』の造形にも影響したといわれる昭和初期の宮型造り銭湯で、この映画の美術監督によれば、『道後温泉』『日光東照宮』そしてここを造形上のヒントにしたと言われている。

子宝湯は東京・足立区の千住元町に1929年(昭和4年)に建てられた。映画『ALWAYS三丁目の夕日』のように、昭和世代が郷愁をそそられる雰囲気をたたえた正統派の日本の銭湯にも思える。ところが、宮型造り銭湯と言われるこの神社のような造りの外観はそれまでになく、関東大震災(1923年=大正12年)の復興以降にはじめて姿を現したという。

理由として、震災復興のために日本中から大勢の職人たちが東京を中心とする関東に集まっていた当時の状況と関連が深い。もともと江戸には銭湯建築に金をかけるというような文化はなかったのだが、この時、全国から集まった職人たちは洒落た銭湯を好み、彼らの趣向がこのような贅沢な宮型造り銭湯をうみだしたという。

子宝湯の玄関から中へ入ってみる。左右上部の擦りガラスの欄間にある「男湯」「女湯」の文字が目に心地よく飛び込んでくる。さらに視線を惹きつけるのが、中央正面のタイル画。絵には「章仙」のサインが見える。描かれているのは、能で知られる「高砂」で、婚礼にもあるように縁起のよいものとして知られる一つだ。

両湯を隔てるタイル壁にも章仙の絵が。男湯には「義経と弁慶の五条大橋の風景」「那須与一」、女湯には「猿蟹合戦」「雀のお宿」のタイル画がそれぞれ描かれている。たしかに難解なテーマや高尚なモチーフより、こうした親しみのある昔話などの題材の絵の方が、銭湯とは相性がいいようだ。

たてもの園の資料によれば、現在営業中の銭湯でもまだ450軒ほどはペンキ絵が残っているという。しかもそのうちの約9割が富士山を画題にしているそう。この話からも風呂の壁絵に富士山モチーフは、銭湯界の『鉄板』であることが証明された。

富士山背景は男湯側。女湯の背景は左とつながりながらも、雰囲気は桃源郷のような夢幻の味わいが加味されている。これはどうしたものだろう?(謎は深まるばかり・・)

現在のように『ロッカー』式の脱衣所になる前は、脱衣籠を使っていた。ズシリと重そうな真鍮製か鉄製かの見分けのつかない体重計も今では骨董品の魅力を放っている。

脱衣籠を置く籠置き場もシンプルに木材を組み合わせただけ。よぶんな装飾は見当たらず、格子に組まれた高い天井や、明かりとりの天窓から差し込む光だけが空間に表情を与えており、すっきり清々しい。

脱衣所の壁や間仕切りの壁の上には、昭和三十年代のレトロな広告が飾られたまま。タイル画、広告、そして風呂上りに飲むジュースや牛乳瓶のラベルなど・・当時の雰囲気を想像すると、視覚的にもなんとも楽しげだ。銭湯は昔の人にとって、ささやかな娯楽施設だったのかもしれない。
写真:乃梨花