埼玉県本庄市をご存じだろうか?あれ?群馬県じゃないんだ?とお思いの方もあるかもしれない。位置的にも群馬に近く、聞くところによると、歴史的にも群馬からの移住者によって開かれた土地なのだそうだ。

利根川沿いの河岸段丘上にある町の歴史は古く、交通の要衝であることから宿場町として江戸時代以前より栄えたのだという。近代に入ってからは養蚕・製糸が発展し、まさに絹の町として繁栄した。

その歴史をいまに伝える建物が、児玉町にあるこの「
競進社模範蚕室(きょうしんしゃもはんさんしつ)」。渋沢栄一らとともに日本の絹産業の礎をつくった木村九蔵が考案した養蚕専用の建築物である。屋根に4基の高窓(越屋根)があり、養蚕の建物であることがすぐわかる。

建物にはさまざまな工夫が凝らされており、明治期の蚕室の完成形ともいわれる。競進社とは養蚕の技術改良をする結社であり、その技術を広く伝えるために造られたので模範蚕室といわれる。のちにこの組織は学校となり、いくつかの変遷をへて、現在は県立児玉白楊高校となっている。

「
児玉町旧配水塔」は、配水塔としては小ぶりだが、前面の階段室に縦に並ぶ丸窓がレトロな雰囲気を醸し出しており、ちょっとオシャレでかわいらしい印象。

これは「
高窓の里」と呼ばれている一帯。屋根に換気用の高窓があるので、養蚕農家の建物であることが一目でわかる。絵にかいたような里山の風景である。

この「
間瀬堰堤(まぜえんてい)」は、東日本最古の農業用重力式ダム。白く泡立って落ちる水が美しい。

堰き止められた間瀬湖は、ヘラブナ釣りの名所でもあり、山影を映す水面に釣り人を乗せたボートがいくつも浮かんで、深閑とした時間が移ろいゆく。

さて、本庄の町中へ入ると、本庄駅のすぐ近く、電車からも見えるレンガの建物「
旧大政商店本庄支店」が、まず目を引く。大政商店はかつて化学肥料を扱う卸問屋だったそうだが、両脇の壁やうだつに深谷の堅牢な煉瓦が使われてる。

本庄の町には、迷路のような露地がまだ健在で、いたるところに昭和レトロな雰囲気が漂っている。

明治13年、諸井泉衛が横浜の洋館を手本に建築した「
諸井家住宅」。コロニアル風のベランダが目を引くが、色ガラスやタイル張り、菱組天井など、モダンな意匠がちりばめられた建物は、とても個性的で面白い。

看板に“創業永禄三年”とある「谷戸八商店」。永禄3年といえば1560年。ご当主は、この地での15代目だというから驚きである。店舗の奥には、重厚な蔵が並び、往時の繁栄ぶりを今に伝えている。

現在は
歴史民俗資料館として公開されているこの建物は、明治16年に本庄警察署として建てられたもの。中に展示されているユニークな埴輪、「笑う盾持人物埴輪」は、本庄市のキャラクター「はにぽん」のモデルである。

深谷の煉瓦を使っているという「
旧本庄商業銀行煉瓦倉庫」は、明治の絹産業全盛期に、金融担保の繭を保管する倉庫として建てられた。昭和51年からはローヤル洋菓子店が取得しお菓子屋さんとして市民に親しまれていたが、平成23年からは本庄市の所有となり、平成29年には市民交流の拠点としてオープンすべく現在耐震も含めた大改修が進んでいる。
その他本庄にはまだまだ魅力的な場所・建物がある。レトロな佇まいを楽しむなら、けっこう穴場的な町だと思うので、ぜひ訪れてみてほしい。