ワイン王が愛した稲毛海岸「旧神谷伝兵衛稲毛別荘」
<千葉県千葉市>

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京成稲毛駅から徒歩約7分の場所に位置する洋館。ここは東京浅草「神谷バー」や茨城県牛久「シャトーカミヤ」を経営した神谷伝兵衛の別荘である。伝兵衛は明治・大正時代に、フランスワインの醸造技術を導入したことでも有名で「ワイン王」と呼ばれた実業家だ。かつて稲毛海岸は、眼下に海が広がる風光明媚なリゾート地だったため、多くの富裕層が好んだ。伝兵衛もその一人で、晩年の4年間をこの別荘で過ごした。1997(平成9年)年、国登録有形文化財に指定されている。

 

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海外のリゾートホテルをイメージさせるバルコニー。床にはモダンな市松模様のタイルが敷かれている。当時の伝兵衛は、目の前に広がる海を眺めながら、豪華な朝食でも食べていたのだろうか。

 

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1階は本格的な洋風建築となっている。玄関に吊るされているシャンデリアには、付け根部分に葡萄のレリーフが施されている。ワイン王と呼ばれた伝兵衛らしいこだわりである。

 

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この洋間は改築されているらしく、全てがオリジナルではないそうだ。床は寄木が張られており、繊細かつ豪華な造りとなっている。個人的に気に入ったのが椅子である。一見派手に思えるが、周りとのバランスが取れており印象的であった。

 

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2階へとつづく階段は、ゆるやかな曲線がとても美しく、白い壁とワイン色の床も相性が良い。洋の空間と和の空間をつなぐ役割を、充分に果たしている階段だ。

 

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2階は一転して、驚くほど純和風な空間だ。到底、同じ建物内とは思えない。しかし、このギャップが伝兵衛別荘の魅力なのかもしれない。主となる12畳の和室は、畳敷きの廊下に囲まれており、障子を隔てて穏やかな空間が確保されている。南側から差し込む日光が心地よい。

 

 

約3000もの「講」を従える、霊験あらたかな神社の『ご神徳』を生み出す力とは?
〈埼玉県秩父市〉

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先にご紹介した『三ツ鳥居』『お犬さま(ご眷属の狼)』のほかにも、この三峯神社にはもう一つの人気アイテムが存在する。その名も『ご神木』。
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拝殿をはさむようにして石段の左右に立つ、樹齢八百年の巨大な杉の木は、「坂東武士の鑑」と謳われた鎌倉初期の武将・畠山重忠から寄進された杉だという。いつの頃からか、この木には癒しの力があるといわれ『ご神木』と呼ばれるようになった。ご神木が放つ「気」に集うため、標高1100メートルもの地に回を重ねて足を向ける人々もいるという。さらに、この神社そのものが「ご神域」で、この地を踏むだけで「ご神徳」にあずかれるという話まである。
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「関東最大級のパワースポット」の呼び名でメディアでも報じられることのある三峯神社。その拝殿は、平成13年から16年にかけての修繕で、日光東照宮の陽明門を思わせる華麗な極彩色をまとい甦った。
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専門の職工により極彩色の漆塗り仕上げを施された彫刻の数々は、じっくり見ていると日が暮れてしまいそうなことから『日暮らし○』の呼び名を持つ・・は、『日暮らし門』の別名でも知られる日光東照宮『陽明門』からの引用だが、そっくりそのまま三峯神社『拝殿』にも使えそうだ。
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拝殿の脇では、この神社最大のミステリーも見られる。敷石に水をかけると浮かびあがってくるのは、長さ50センチほどの龍の頭。2012年の辰年のある日、突如として敷石に浮かびあがってきたのだという。黒く長細い頭に二つの赤い目が、まさに龍の頭そのものに見える。御眷属の狼のイメージがある三峯神社だが、調べてみると、じつは龍ともかな〜り関係が深いのがわかった。
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1.三峰の山中には龍洞と呼ばれる深い井戸があり、ここには昔から竜神が住んでいるとされている。2.三峰とは、雲取山・白岩山・妙法ヶ岳の三山をいうが、この3つの峰がつくる美しい形は「進龍」とよばれる。3.風水によれば、三峰山は富士山から東京へ連なる強力な龍脈(エネルギーの通り道)上にあるという。
それらにより、この三峯神社は、龍穴(山々の霊気・神気が流れ込み、溢れて噴出する場)と呼ばれる場所にあたるという。
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拝殿の横へ廻ると、後ろに鎮座する本殿も見られる。が、その手前、拝殿の横袖の彫刻に目が止まる。絵柄から題材は、中国の故事『竹林の七賢人』とわかるのだが、なぜか3人しかいない。もしや?と思い反対側の袖を覗くと、やはりこちらに4人いた(対で合計7人が揃う)。日光東照宮「陽明門」にも刻まれている『竹林の七賢人』は、中国の故事や逸話を好む「家康公」に由縁があるようだが、三峯神社の場合には、果たしてどんな由来があるのだろう?と気になった。
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『日本神話』に登場する神・国常立尊(クニタチトコノミコト)が奉られている国常立神社。『日本神話』での根源神(最初に現れた神)で、日本の国土を形成した神として知られる。
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境内の中にある小さな神社である摂末社には、摂社と末社の23社があり、三峯神社にゆかりの深い神様を奉っている。なかには、諏訪大社、大神神社(おおみわじんじゃ)などのよく知る名前もみえる。
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妙法ヶ岳に鎮座する奥宮の遥拝所である『遥拝殿』からは、奥宮のほかにも秩父市をはじめ日光連山など素晴らしい景観が一望できる。入り口には鳥居があり、鳥居へつづく階段途中には森幻黄斉作の神犬像も見られる。
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ここ遥拝殿も三峯神社の境内のなかで、とくに強いパワースポットの一角と言われている場所だ。なるほど、たしかに「(龍穴にあたる三峯神社で)山々から霊気・神気が流れ込み、溢れて噴出する場」という先に掲げた風水を体感できる場として、ここは打ってつけかもしれない。訪れた際には、また忘れずに立ち寄りたい場所だ。

 

写真:乃梨花

職人の系譜を垣間見る伝統工芸の町
<福島県二本松市>

nihonmatsu_6_0酒造とともに二本松の産業として有名なのが二本松伝統家具。二本松藩初代藩主・丹羽光重が城の大改装を行った際に、数多くの建具や調度品も作らせたことが始まりとされ、約300年の伝統を持つといわれている。

 

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昭和期にはおよそ50店もの家具屋があり、そのうちの20数店が二本松城の東南に位置するまっすぐな坂道「竹田坂」にあったそう。全盛期から店舗数は減ってしまったが、いまでも家具の町といわれ伝統を守り続けている地域だ。

 

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その竹田坂でひときわ大きな間口を構えているのが、1891(明治24)年創業の鈴木木工所。設計・製造・塗装をすべて自社にて行い、職人の心と技が途切れることなく息づいている家具屋である。shigi_12_0525b

 

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案内してくれた社長の鈴木文子さんも自ら木材の買い付けに行き、家具の設計図をひかれるそう。ちょっと早口が特徴の語り口で、二本松伝統家具や嫁がれてきたころのことなど愛嬌たっぷりで教えてくれた。

 

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店内に足を踏み入れるとまず目にとまるのが、国内産の材料を職人の手作業で組みあげた二本松民芸階段箪笥。ふくしま特産品コンクールで大賞を受賞し、数々のメディアにも掲載されている作品だ。

 

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撮影を始めると文子社長が引き出しを抜き出して、鈴木木工所が誇る技術「ほぞ組み剣先止め」や使っている木材(この作品は狂いがでにくい栓〈せん〉という木を使用)について説明をしてくれた。さらに、設計者として使用者の使い勝手を考えた工夫や伝統的な隠し棚などは、実演しながら解説。そのすべての言動が、伝統家具に対する愛情と誇りに満ちており、聞かなければわからない価値に気づかせてくれる。

 

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広い店内の1階はほぼ伝統家具で占められており、鈴木木工所の主力が職人による手作り家具ということがわかる。2階には洋風家具も置いてあるが、全体の比率をみても伝統家具の方が多い。ノボリに書かれている『二本松城家箪笥(にほんまつしろやたんす)』とは、二本松木工家具協同組合の共通ブランド。伝統を守り発展させるべく、現代的な要素を取り入れて今どきの生活にあうよう洗練された家具がラインナップされている。

 

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店舗のうらに抜けると伝統家具展示蔵と工房があり、まず蔵の方を案内してもらった。

 

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中に入るとさまざまな一品造りの家具が並べられ、手書きの説明が添付されている。見ると明治期につくられたものや賞を受賞した工芸品に加え、鈴木家で代々使用されてきた家具なども展示されていた。

 

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現社長の文子さんは、嫁入り後しばらくはこの蔵に住んだそうで、さまざまな逸話も聞かせてくれた。なかでも印象に残ったのは、姑さんから「蔵には常に水を置いておけ」と言われていたという話で、近所で火事があったとき、初めてその意味や重要性が分かったというもの。伝統とは、技術のみでなく生活様式や生き方も含めて受け継がれていくものなのだろう。

 

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ちなみに、カイドの鴫原(しぎはら)さんは、震災復興を祈り108体もの仏像を彫りあげており、木に関しての知識も豊富。文子社長との「木材トーク」も盛り上がっていた。このように、鈴木木工所では直接商いにつながらないことでもいろいろ教えてくれるので、仕事の邪魔にならない程度で色々聞いてみるのもアリ。

 

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蔵のあとは隣にある職人さんたちの工房へ。古い箪笥や棚が置いてあるのは、家具の修理や補修も受け付けているから。「良いものは長く使える」という言葉は、使用者に愛着が湧くのはもちろんのこと、作品に対する製造者側の誇りや愛情があって成立するのかもしれない。

 

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鈴木木工所が最もその技能を発揮するのが一品造りと呼ぶフルオーダーメイド。素材・形・サイズ・色など、お客の要望にあわせて社長が設計図をひき、家具一級技能士の小林英治さん・本田真一さんを筆頭とする数名の職人で、家具作りのすべての作業が完結可能。この世に一つだけとなる一品造りは、婚礼時や家屋の新築時に注文される方が多いそうだ。

 

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伝統として守り続けていることは何かと聞くと「作り方はもちろんだけど、とにかく作ること。職人は作らなきゃダメ」という言葉が帰ってきた。おそらく鈴木木工所で代々言い続けられてきたであろうその言葉からは、伝統工芸とは日々の作業の積み重ねであるという重みを感じた。 絶え間なく磨き続けられる技術は、ぜひ実物を見て確認してほしい。

 

つづく

 

取材協力:二本松市役所観光課

ほとんどの商品が試飲可能!常に革新を続ける「奥の松」の酒造ギャラリー
<福島県二本松市>

蔵カフェ「千の花」で郷土料理の昼ご飯を食べていると、自然と酒の話が出てきた。二本松市内には4つの蔵元(大七酒造奥の松酒造人気酒造檜物屋酒造)があり、酒どころとしても有名。ガイドの鴫原(しぎはら)さんにオススメを聞いてみると…。

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そんな訳で、奥の松酒造へ向かうことに。1716(享保元)年創業の奥の松酒造は、300年の歴史で培われた「伝統の技」と「最新の技術」を融合させた酒作りをする蔵元で、国内外の鑑評会で金賞を受賞した酒も数多くある。

 

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車に乗り奥州街道を郡山方面へ5~6㎞走ると街道沿いに大きな看板がみえ、 中へ入ると安達太良山を背景に本社ビルと倉庫がどんと構えていた。鴫原さんが別の場所にある酒蔵見学をお願いしてくれたのだが、残念ながら酒造りは3月までで、取材時は瓶詰などの出荷作業の時期とのこと。倉庫と思っていたうちの一つは工場でもあったので瓶詰工程を見学。

 

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工場の一番奥には酒蔵で作られた原酒が入ったタンクがズラリ。大きいものは一升瓶で約1万3千本にあたる23キロリットルほどの容量を持っているそう。このタンクから様々な調整を経て製品化されていくのだ。

 

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製品化のラインには、0~70℃の水温で瓶詰め後殺菌を行う「パストライザー」や高速でラベルを貼る「ロータリーラベラー」などの機械で、作業の多くは自動化されているが…一部では機械に頼らず人の目による確認作業もされている。次々と流れてくる製品(このときはワンカップ)を一つ一つ素早くチェックする様は職人っぽく最も興味深かった。ちなみに、高価格の製品や受注生産品は機械のラインには乗せず、ラベル貼りまで手作業で行うそうだ。

 

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工場見学のあとは、本社ビルのなかにある酒造ギャラリーへ。ここはお客とのコミュニケーションスペースと位置付けられ、蔵元ならではのサービスが提供されている。日本酒が好きな方はぜひ旅の行程に組み込むべき。

 

nihonmatsu_5_04ギャラリーと名付けられるだけあって、ここには奥の松酒造でつくられる酒のほぼ全商品がラインナップされている。しかも、そのほとんどが無料で試飲可能! スタッフの方と語らいながら、味を確かめて好みの酒を探すことができる。

 

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ラインナップのなかには、梅酒や果実を使ったリキュールなどもあるので、日本酒が苦手な方でもOK。ちなみに、鴫原さんがいつの間にか甘いお酒を買っていたので「それも燗して飲むんですか?」と聞いてみると…

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とのこと。自分が飲みたい酒ばかり目がいき、そのパターンは思い浮かびませんでした。見習いたいものです。

 

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ほかにも、洋食にあう日本酒「エイト」や、蜂蜜と水と酵母菌だけでつくられた「ミード酒(商品名:ハニール)」といった珍しいお酒もある。このような挑戦的新製品を次々送り出しているのも奥の松酒造の特徴で、伝統を受け継ぎながら常に進化を指向する姿勢のあらわれだろう。300年を超える歴史は、日々の革新の積み重ねがあってこそ到達できる時間なのかもしれない。

 

つづく

 

取材協力:二本松市役所観光課

「ざくざく」を食べたことありますか? 伝統料理を気軽にお洒落に楽しめる「蔵カフェ 千の花」
<福島県二本松市>

nihonmatsu_4_11見どころたっぷりの二本松城を歩いていると、あっという間に昼飯時。地元の伝統料理を楽しめる飲食店を探していると、江戸期より200年以上続く味噌・醤油蔵が始めたカフェがあると教えてもらった。場所は二本松城から約1㎞ほどで、歩いて15分・車なら5分かからない距離。城散策のあとにピッタリだ。

 

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店の前に着くと、旧御徒士町と刻まれた石碑を発見。

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いわゆる庶民の町で200年以上も愛され続けてきた味噌・醤油とくれば、これ以上ない郷土の味である。せっかく観光に訪れたなら、ぜひこのような店で食を楽しみたい。

 

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風情ある紅殻格子(べんがらごうし)の店が、1777(安永6)年ごろに創業したという国田屋醸造。そして、敷地内に見える黄色い蔵が蔵カフェ 千の花

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「昔ながらの味」にこだわる国田屋醸造は、国産大豆を使用した味噌・醤油を丁寧に手作り。また、米・豆を持ち込めばオリジナルの味噌に加工してくれるそうだ。売り場はそれほど広くないので、品物を選びながら色々とお話を聞けるのも楽しい。日本人なら誰もが口にする醤油の知識を深めるのもいいだろう。

 

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敷地内に入ると築100年の味噌蔵を改装したという「蔵カフェ 千の花」。店長の大松佳子さんにお話を伺うと、東日本大震災で壊れてしまった蔵を改装し、味噌・醤油をPRする場としてカフェを始めたそうだ。懐かしさを残しながらもお洒落なルックスに生まれ変わった味噌蔵は、老若男女を問わず気軽に入りやすい。

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店長さんが「家内制手工業でやっている感じ」というアットホームな雰囲気が、ついつい長居したくなる居心地の良さを醸造。スタッフのみなさんも親切で、料理の説明だけでなく地域の魅力や見どころを聞いてもこころよい対応がかえってくる。

 

nihonmatsu_4_05bc中へ入ると蔵の中とは思えないオシャレな雰囲気。明るいキッチンでスタッフさんが作業しているところが見られ、手作りされている料理への期待も膨らむ。

 

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2階にあがるとログハウス風のカフェスペースが展開。突き当りは吹き抜けになっており、体感的な広さと明るさを生み出している。「千の花」という店名のとおり、ところどころに花や花の絵が飾られ、華やかさと安らぎも感じさせてくれる。

 

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ランチメニューは「おにぎりセット」「おんせんたまごかけご飯セット」「タイカレーセット」の3種類でどれも1500円。いずれもたくさんの小鉢と汁物、さらにミニスウィーツとドリンクまでついていて、「いろいろ食べたい派」も「腹いっぱい食べたい派」も満足できる御馳走だ。

 

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小鉢の内容は季節によって変わることもあるそうだが、福島の郷土料理「いか人参」や、常連客から無くさないで欲しいと頼まれるという「鶏手羽元の煮物」は、基本的に入れるようにしているとのこと。汁物は二本松の伝統料理「ざくざく」で決まり。ざくざくとはたくさんの具材(主に野菜)をザクザク1cm程度のさいの目切りにして作られる汁物で、家庭や地域によって様々なバリエーションがあるそう。千の花のざくざくは自慢の醤油で野菜のうまみを引き出した優しい味であった。

 

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千の花の料理には必ず味噌や醤油が使われている(タイカレーにも味噌が使われている!)そう。気に入った料理があったなら、レシピを聞いてみると良い。きっと親切に教えてくれるはず。もし忠実に再現したくなったら、必要な味噌・醤油、自家製つゆなどはカフェの1階でも買うことができる。

 

つづく

 

取材協力:二本松市役所観光課

深山に霊気が集まる、関東有数の神域、奥秩父「三峯神社」
〈埼玉県秩父市〉

標高約1100メートルの三峰山山頂に鎮座する三峯神社は、現代では「関東最大級のパワースポット」として、また、古くからは神気、霊気の集まる名だたる霊山として知られている。
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縁起は古く、約1900年前の景行天皇(『古事記』『日本書紀』で第12代と伝えられる天皇)の時代にまで遡る。景行天皇より国の平定のため東国に遣わされた皇子・日本武尊(ヤマトタケルノミコト)がこの山の清く美しい風景に強く心を打たれ、社を建立してイザナギ・イザナミの二神を祀り、国の平和を祈ったのが始まりとされる。
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日本に約8万5千の神社がある中で、全国でわずか7つしかない珍しい「三ツ鳥居」を持つ三峯神社(みつみねじんじゃ)。天空近い奥秩父の高所に位置するため「古代の秘境」と称されることもある。じっさいに辿り着くのになかなか骨の折れる、人里離れた山奥にあるためか、古代からの神秘的な雰囲気がよく保たれ、神気が宿るという言葉が肌で感じられるような場所だ。
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一般的には、神社の参道や社殿の前に『魔除けのため』に配置される狛犬だが、三峯神社の「お犬様」は犬ではなく、なんと「狼」のことをいう。しかも、御眷属(ごけんぞく)といわれる『神様のお使い』だ。さらには「お犬様(狼)」は護符の『御神札(おふだ)』としても配られ、信仰の対象そのものでもある。魔除けの狛犬とはそもそも格の違う「お犬様(狼)」だったのだ。
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深い木立の中にひっそりと佇ずむ随身門。明治のはじめに神仏判然令が発令されるまでは、ここ三峯は、天台・真言・修験の三宗を奉じる神仏混淆の山だった。随身門は、かつての仁王門である。つまり仁王像は、仏教アイテムであるため、廃仏毀釈により置くことが許されなくなったのだ。そのときの仁王像は、いまは鴻巣市の古刹・勝願寺へ移されているという。
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元禄4(1691)年に建立され、寛政4(1792)年に再建された随身門は、昭和40年(1965年)春に改修された。扁額は増山雪齋の筆。記録によれば、当初は拝殿正面の青銅鳥居付近に建立されていたという。平成16(2004)年に本殿、拝殿、随身門とともに漆塗りで塗り替えられ、現在のような絢爛たる美観を得た。
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山のなかで道に迷った日本武尊を道案内したとされる狼は山の神「大口の真神」とも呼ばれる。三峯山では、この御眷属を「お神犬」「お犬様(狼)」と呼んだ。この御眷属たちの姿は、境内のいたるところで見られる。すべて崇敬者による寄進だという。雰囲気も表情も個性豊かなため、それぞれのお犬様(狼)たちを見比べながら探索するのも一興だ。
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随身門をくぐり抜けて200mほど行った先に、いよいよ拝殿・本殿へと続く石段があらわれる。石段の頂上には、青銅鳥居が鎮座し、手前にはここにも「お犬様(狼)」の姿が。こちらのお犬様は、エジプト神話に登場する犬の姿をした神・アヌビス像を連想させる神秘的な雰囲気だ。
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弘化二年(1845)に建立された青銅鳥居は、江戸木場堅川講により奉納されたもの。「講」とは同じ信仰を持つ人々の集まりで「講社」ともいう。三峯神社の場合は「三峯講」と呼ばれ、遠隔地にも多くの崇敬者の集団を持つ。最古の講は江戸中期にまで期限を遡るが、商店街などで組織される小さな講まで含めると、大小あわせて全国に約3000件の講があるというから驚きだ。
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嘉永6(1853)年に4年をかけて建立された手水舍(てみずしゃ)は、青銅鳥居と同じく江戸木場堅川講の奉納により建立された。精巧で美しい彫刻で全体が美しく彩られている。
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じっくりと鑑賞する価値のある美しい手水舍の彫刻。そのまま通りすぎてしまうには、あまりに惜しい。
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青銅鳥居を挟んで、手水舍の向かいに建つ八棟灯籠にも、手水舍同様の精緻な彫刻が施されている。いずれも高い芸術性を感じさせる見事な作品だ。
(つづく)

 

写真:乃梨花

石の記録から想起するかつての人々の物語
<福島県二本松市>

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二本松城の本丸は標高345メートル。箕輪門からは100m以上を登っていくのだが、ガイドの鴫原(しぎはら)さんから、見せたいものがあるので一度車に戻ろうと提案があり、庭園内をゆっくり降りることに。城内は名前がつけられていない場所も美しく整備され、ただ散策するだけでも豊かな気分になれる。

 

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駐車場に戻り移動の準備、城周辺の駐車場は誘導の方がいるので安心。しかも無料。

 

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観光案内所の方に挨拶をして出発。観光案内所では、園内や市内の観光パンフレット類を貰えるのはもちろん、日本百名城スタンプが押せたり、市内各所にある桜の開花状況なども知ることができる。所員の方もとても親切なので、行きかえりに立ち寄るといいだろう。

 

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走り始めて束の間、すぐ隣にある駐車場で停車。ここは藩士の通用門があった場所で、巨大な石が鎮座している。この大石は「旧二本松藩戒石銘碑」といい、二本松城より約70年も早く国に指定された史跡とのこと。

 

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近寄って見ると以下のような文字が(縦書きで)刻まれていた。

———————

爾俸爾禄

民膏民脂

下民易虐

上天難欺

寛延己巳之
年春三月

———————

この4句16字(赤字部)は「お前の俸給は、民があぶらして働いたたまものより得ているのである。お前は民に感謝し、いたわらねばならない。この気持ちを忘れて弱い民達を虐げたりすると、きっと天罰があろうぞ。」と解釈され、二本松藩士の行動規範を示したもの。5代藩主丹羽高寛公が藩士の戒めとするため刻ませたそうだ。戊辰戦争で多くの藩士が地域のために殉じたのも、この教えがあったからなのだろう。

 

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ふたたび車に乗り城の東側にある舗装路を走る。尾根あたりまでくると鴫原さんから未舗装路に入るように言われ細い道をいくと、なんと本丸すぐそばの駐車場に到着。園内マップには乙森という地名と駐車場のマークが書かれているが、知らなければなかなか入りづらい一車線の道であった。

 

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ただし、駐車場はきちんと整備されており広さも十分。歩きで坂を登るのがツラいという方や、時間がないけど本丸に来たいという方にオススメ。

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室町時代中期に築城されてから江戸時代まで度重なる改修がされている二本松城は、各時代の石垣の遺構が検出されている。

 

nihonmatsu_3_08垂直に近い角度でそびえ立つ姿は、威圧感がありながらも美しい。天守付近は慶長期の「穴太(あのう)積み」が多い。

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一角には、石積みの様式や年代・修復方針が展示されているので、城好き・石垣好きにとってはたまらないスポット。本丸と周辺の石垣は15の面に区別され、平成になってから修築・復元が行われたのだが、さらに当時の状態の石垣も一部を移築保存されており、様々なバリエーションを比較してみることが可能。パンフレットでは「石垣博物館」という言い回しも使われていた。

 

nihonmatsu_3_11残念ながら天守閣は無いが、広々とした天守台は360度の視界が開ける絶景ポイント。

 

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二本松の市内や阿武隈山地…

 

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そして地元では山容から乳首山(ちちくびやま)と呼ぶ人が多いという安達太良山(あだたらやま)も視界に収めることができる。中世城館から近世城郭への変貌のなかで、天守周辺はあまり使われなくなっていったそうだが、この地形と視界の良さが戦国期には重要であったはず。二本松城に訪れた数多の有名武将も、同じ風景を眺めていたのだろうか。

 

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天守台のほぼ中央には、戊辰戦争の落城時に上級藩士が切腹したと伝わる場所がある。美しい景観を眺めたのちは、この地に立った人々と物語におもいを巡らせてみてはいかがだろう。

 

つづく

 

取材協力:二本松市役所観光課

藩主が愛した庭園で優雅な回遊を楽しむ
<福島県二本松市>

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三の丸から上へ向かうと、初代二本松藩主光重公から5代高寛公にかけて整備された回遊式庭園が広がる。

 

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新緑の頃も美しいが、ガイドの鴫原(しぎはら)さんのオススメは紅葉時期。池の周りに植えられたカエデが色づき作り出す鮮やかな景色は、何度見ても感動するとのこと。また、10月中旬から11月下旬に園内で実施される「二本松の菊人形」では、一本の茎から千輪以上の花がさく菊や、菊の花で作った衣装を着た菊人形なども展示され、さらに見どころが増える。

 

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池を見下ろす場所に位置している木造茅葺き・寄棟平屋造りの洗心亭は、城内に唯一残る江戸期の建造物で福島県指定重要文化財。創建は1600年代なかばと考えられ、当時は「墨絵の御茶屋」と呼ばれ藩主に愛用されたそうだ。

 

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鴫原さんの解説によると、洗心亭の軒下にある柵は床下に忍び込まれないためのものだという。藩主が使う茶屋なので、万が一にも会話の内容等が漏れないように設置されたそうだ。

 

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桜まつり期間中は、訪問者をもてなす洗心亭「桜の茶屋」として活動し、抹茶セット(菓子付)を500円で提供してくれる。二本松は和菓子の有名どころでもある。上級武士だけが口にできた江戸時代から続く伝統的銘菓を、殿様と同じ場所から庭園を眺めて楽しむ…最高の贅沢を体験できるまたとない機会だ。

 

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奥に飾られた屏風は市内の小学生が制作した作品とのこと。良く見ると二本松の様々な名所が描かれており、お茶を喫しながらボランティアの方々に話を聞けば、旅がさらに味わい深いものになる。

 

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洗心亭からさらに坂をあがると、樹齢300年を越すといわれる「霞ヶ城の傘マツ」が見えてくる。鴫原さんによると「二本松の地名の由来といわれる『旅人の目印となった二本の松(鶴松・亀松)』のうちのひとつ」という説もあるとのこと。確かに、これほど特徴的な形をした松ならば目印として申し分ない気がした。

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下から覗き込むと、これだけの樹冠を支える太い幹が見える。もともと初代藩主の丹羽光重公の命で植えられたといわれるアカマツは、現在に至るまで城のシンボル的存在として大切にされている。

 

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ちなみにこちらは鶴松があったといわれる場所に植えられたという若い松。とくに案内などは見つけられなかったので、鴫原さんが教えてくれなければまったく分からなかっただろう。 場所は傘松から数メートルあがったところ。いまは見るからに若いが、300年のあとには平成期に植えられた鶴松として文化財になっているかもしれない。

 

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庭園内には滝や池が豊富にあるので水源を尋ねてみると、待ってましたとばかりに解説してくれたのが二合田用水の伝承。城にとって命ともいえる水の確保は、初代藩主の命により幕府には届け出ず敷設。無許可のため作業は夜間のみ。測量は提灯や線香を用いて行い、秘密を守るために「逃げた罪人を探すため山狩りをしている」という噂を流したりもしたそうである。

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証拠を残さない為だったのか、当時の資料はほとんど残っていないそうだが、二合田用水を発案した山岡権右衛門(やまおかごんうえもん)は、幕府に発見された場合を考え藩士の身分を辞して計画を進めたと伝わっている。多くの苦労をしてつないだ安達太良山中腹から18㎞に及ぶ水路は、所々を改修しながら今も二本松の各所を潤している。

 

つづく

 

 

取材協力:二本松市役所観光課

戊辰戦争の激戦地に刻まれる武威の証しの「×」印
<福島県二本松市>

東京から北へ約250㎞、車で約3時間、新幹線を使えば2時間ていどでたどり着く二本松市。この町には、安達太良山や阿武隈川が織りなす豊かな自然景観、二本松城とその城下町が育む歴史・文化、そして酒蔵や伝統工芸の木工など、歴史町歩きの題材が溢れており、趣味や嗜好にあわせた訪問先が選べる。市としても観光に力を入れており、時間もコースも指定できる無料のガイドさんまで準備(要予約)してくれている。

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今回はそんな二本松観光ボランティアガイドのひとり鴫原(しぎはら)さんに二本松市の見どころを案内していただいた。鴫原さんは郵便局を定年まで勤めたあと二本松市のボランティアに参加し、ガイドとしてもすでに11年のキャリアを持つ大ベテラン。地元の言葉と標準語を自在に使い分けたガイドは、知識を得られるだけでなく、つねに笑いがあふれる楽しさだ。取材中にも町の人が何人も声をかけてきた有名人でもある。

 

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まず最初に訪れたのは日本100名城のひとつでもある国指定史跡二本松城跡。二本松城は、1414(応永21)年に畠山氏によって創建されたといわれ、戦国時代から江戸時代初期にかけてたびたび領主が変わったものの、1643(寛永20)年から1868(明治元)年までの225年間は二本松藩・丹羽家の居城として使われた。その間に整備された城下町が、現在の二本松市の町割りや文化のベースとなり、地域の文化にも大きく影響している。

 

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現在は県立霞ヶ城公園として整備され、二本松を訪れる人のほとんどが立ち寄るという観光スポットになっている。広い園内には想像以上に多くの見どころがあり、訪問時は半日くらいの時間をとっておきたい。

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二本松は戊辰戦争の激戦地でもあり、城の前には12~18歳の少年隊士で構成された部隊の銅像「二本松少年隊群像」が設置されている。22歳の隊長・木村銃太郎のほか、少年隊士62名のうち14名が戦死。板垣退助率いる西軍に対して圧倒的不利な状況のなか、二本松を守るために志願した覚悟の部隊であったそうだ。二本松少年隊という名前もかなりあとになってつけられたもので、当時は隊としての正式名称もなかったとのこと。急いでいるとつい見過ごしてしまいそうな像にも様々な物語・理由がある。こういったお話を地元ガイドの方から聞くと、ほんの数世代前のこととして実感でき旅の味わいがより深まる。

 

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少年隊士の肩口に刻まれた×印は、二本松藩・丹羽家の家紋である「直違紋(すじかいもん)」。鴫原さんによると織田四天王のひとりであった丹羽長秀が、合戦後に刀をぬぐった時の血のり跡が「×」になり、それを見た豊臣秀吉から家紋にするよう薦められたとのこと。その他にも説はあるようだが、いずれも武威を誇る逸話であり、シンプルながら力強さを示す「×」紋となっている。そんな二本松藩の武家に生まれた子供達は、負けると分かっている戦いでも背を向けることができなかったのだろう。

 

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少年隊の像から少しだけ離れた場所には、この紋を縫い付けたであろう母親の銅像が隠れるように佇んでいた。

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二本松城の正門である丹羽家初代藩主光重公が建造した櫓門(やぐらもん)。主柱として使われた樫の巨木を領内の箕輪村から持ってきたことから「箕輪門(みのわもん)」と名づけられた。戊辰戦争により破壊されてしまったが昭和後期になって再建され、美しく堂々とした姿をみせてくれる。ここでも門幕に丹羽家の直違紋が印されている。

 

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門をくぐると迎えてくれるのが5本の古木群「箕輪門のアカマツ」。1657(明暦3)年の石垣修理の記録などから樹齢350年以上と考えられ、二本松城の石垣とともに見事な景観をつくりだしている市指定天然記念物である。江戸時代に丹羽家がこの地に来たころから、各時代の人々が目にしてきたことを思うと感慨深い。

 

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箕輪門のアカマツを一周するようにあがったところが三ノ丸下段になる。ここは大きな広場になっていて、2,000本以上の桜が咲き誇る霞ヶ城公園の人気お花見スポット。取材時はすでに飲食店やトイレなども準備され、あとは桜の開花待ちの状態だった。ちなみに秋に行われるイベント「二本松の菊人形」の会場としても使われている。shigi_03d

 

 

 

 

 

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4月上旬から5月上旬に行われる「霞ヶ城公園さくら祭り」の期間は、庭園のライトアップも行なわれているので、夜に出直してくれば昼とは変わった美しさを見ることができるそう。まだ花が咲いておらず残念であったが、園内は日本さくら名所100選のひとつにもなっているのだ。

 

つづく

 

 

取材協力:二本松市役所観光課

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写真:乃梨花