道後温泉、日光東照宮、そして「子宝湯」?千と千尋『油屋』の造形にヒントを与えた昭和の銭湯を見に行く。
〈東京都小金井市〉

小金井公園内にある『東京たてもの園』には、見ごたえのある昭和レトロな建築が多く存在する。なかでも人気は、ここを見るのを目的に園を訪れる人も多いといわれる昭和の銭湯建築『子宝湯』。映画『千と千尋の神隠し』の『油屋』の造形にも影響したといわれる昭和初期の宮型造り銭湯で、この映画の美術監督によれば、『道後温泉』『日光東照宮』そしてここを造形上のヒントにしたと言われている。
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子宝湯は東京・足立区の千住元町に1929年(昭和4年)に建てられた。映画『ALWAYS三丁目の夕日』のように、昭和世代が郷愁をそそられる雰囲気をたたえた正統派の日本の銭湯にも思える。ところが、宮型造り銭湯と言われるこの神社のような造りの外観はそれまでになく、関東大震災(1923年=大正12年)の復興以降にはじめて姿を現したという。
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理由として、震災復興のために日本中から大勢の職人たちが東京を中心とする関東に集まっていた当時の状況と関連が深い。もともと江戸には銭湯建築に金をかけるというような文化はなかったのだが、この時、全国から集まった職人たちは洒落た銭湯を好み、彼らの趣向がこのような贅沢な宮型造り銭湯をうみだしたという。
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子宝湯の玄関から中へ入ってみる。左右上部の擦りガラスの欄間にある「男湯」「女湯」の文字が目に心地よく飛び込んでくる。さらに視線を惹きつけるのが、中央正面のタイル画。絵には「章仙」のサインが見える。描かれているのは、能で知られる「高砂」で、婚礼にもあるように縁起のよいものとして知られる一つだ。
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両湯を隔てるタイル壁にも章仙の絵が。男湯には「義経と弁慶の五条大橋の風景」「那須与一」、女湯には「猿蟹合戦」「雀のお宿」のタイル画がそれぞれ描かれている。たしかに難解なテーマや高尚なモチーフより、こうした親しみのある昔話などの題材の絵の方が、銭湯とは相性がいいようだ。
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たてもの園の資料によれば、現在営業中の銭湯でもまだ450軒ほどはペンキ絵が残っているという。しかもそのうちの約9割が富士山を画題にしているそう。この話からも風呂の壁絵に富士山モチーフは、銭湯界の『鉄板』であることが証明された。
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富士山背景は男湯側。女湯の背景は左とつながりながらも、雰囲気は桃源郷のような夢幻の味わいが加味されている。これはどうしたものだろう?(謎は深まるばかり・・)
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現在のように『ロッカー』式の脱衣所になる前は、脱衣籠を使っていた。ズシリと重そうな真鍮製か鉄製かの見分けのつかない体重計も今では骨董品の魅力を放っている。
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脱衣籠を置く籠置き場もシンプルに木材を組み合わせただけ。よぶんな装飾は見当たらず、格子に組まれた高い天井や、明かりとりの天窓から差し込む光だけが空間に表情を与えており、すっきり清々しい。
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脱衣所の壁や間仕切りの壁の上には、昭和三十年代のレトロな広告が飾られたまま。タイル画、広告、そして風呂上りに飲むジュースや牛乳瓶のラベルなど・・当時の雰囲気を想像すると、視覚的にもなんとも楽しげだ。銭湯は昔の人にとって、ささやかな娯楽施設だったのかもしれない。

 

 

写真:乃梨花

いよいよ見頃!今年も行こう!亀戸天神社「藤まつり」
〈東京都江東区〉

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学問の神様である菅原道真を祀る亀戸天神社は、『東京一』といわれる藤の名所として、毎年多くの人が訪れます。また、古くには、西の総本宮である九州の太宰府天満宮に対して、東の宰府「東宰府天満宮」と呼ばれていた時期もあります。
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そんな亀戸天神社で、今年も開かれている春恒例の『藤まつり』。藤棚からこぼれ落ちるように咲く藤の花は、4月の下旬頃からゴールデンウィークにかけて見頃を迎えます。
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ここ亀戸天神社の境内は、九州の太宰府天満宮にならって、大きな池に3つの橋がかかっています。手前から、太鼓橋(男橋)、平橋、太鼓橋(女橋)の順番で、それぞれの橋は、過去・現在・未来をあらわし、橋を渡るごとに心が清められていくそうです。心が清められた状態で、神前に進む準備が整うわけですね。
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手水舍(てみずしゃ)は、大鳥居をくぐって、三つの橋を渡りきった本堂の手前右にあります。本物の亀にそっくりな甲羅を持つ石の亀から水が湧き出ていますが、これは、亀戸という地名や土地柄に加え、ここの池にじっさいに亀が多く生息することにも関係がありそうです。
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さまざまな条件に恵まれ、ボリュームいっぱいに咲き誇った藤の花は、小ぶりの蘭にも劣らないゴージャス感さえ漂わせます。
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東京スカイツリーが真正面に見える絶好のポジションにある藤棚。スカイツリーが登場してからは、この場所もすっかり人気の撮影スポットになりました。
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天気が良ければ朱色の欄干の太鼓橋が心字池に映り込み、ま〜るい円が完成。左右の藤棚が橋を挟むここからの眺めは、花が咲き頃を迎えた時には『太鼓橋』『藤』『心字池』と江戸時代から浮世絵にも描かれてきた3つの“役者”が顔を揃えます。
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初春の梅にはじまって、桜、牡丹、藤、つつじ、あやめ、蓮、菊など‥。日本人は古くから季節の花を愛で、四季を大切に味わってきました。ここ亀戸天神社でも初春には梅、春には藤と、広重の浮世絵にも描かれた江戸時代からの花を愛でる伝統が今に続いています。
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人の背丈より高い太鼓橋の上からは、眼下に藤棚を見ることもできます。期間中の夜には幻想的なライトアップが施されるので、ぜひ太鼓橋の上からもチェックしたいですね。
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天候や見る時間帯によって、情趣が変わるのも花鳥風月の面白さです。(写真は薄曇日)
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帰りには、亀戸天神社から蔵前橋通りに出て、左に折れたすぐの所にある甘味処「船橋屋」へ。江戸時代に創業のこちらのお店は2017年末にリニューアル。馴染みの通い客も多いこの店の改装は、顧客に愛され続けてきた伝統の佇まいを大切に守り続けていくかたちです。
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今回の改装で喫茶室には新しく中庭席も。3席しかないため、混んでる時にはなかなか座れませんが、それでも春から初夏にかけての戸外が心地良い日には、おすすめです。新しいメニューでは、復活した『豆くず餅』が人気。北海道産エンドウ豆の塩気がくず餅と黒蜜の甘さをより引き立て、クセになる美味しさと早くも評判です。(注・写真は『クリームみつまめ』です)

 

写真:乃梨花

日本近代化の礎・鉄道遺産をめぐる 長浜~敦賀~今庄
<滋賀県長浜市、福井県敦賀市・南越前町>

日本で初めて開業した鉄道が、「♪汽笛一声新橋を・・・」と鉄道唱歌に唄われた新橋~横浜であることは、教科書にも出てくるのでほとんどの人が知っているだろう。でも、この後はどうだったのか?となると、案外知っている人は少ない。

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(↑敦賀の全景/写真提供:福井県観光連盟)
外圧の危機に目覚めた明治政府にとって、富国強兵・殖産興業政策の急務のひとつが鉄道の敷設事業。明治2年の日本初の鉄道計画は、幹線/東京~京都、支線/東京~横浜・京都~神戸・琵琶湖畔~敦賀の計4路線であった。江戸と京を結ぶ大動脈・東海道が最優先であることはすぐわかるが、さて残りの3つの支線が優先された理由は、現在ではちょっと分りにくい。横浜・神戸・敦賀といえば港、そういえば少し納得するが、でもまだ敦賀はちょっとピンとこないのではないか?当時の敦賀は、日本海側(つまり大陸側)へ開けた玄関口である。流通や貿易拠点としても、対ロシア・中国の軍事上の戦略としても、とても重要な港であった。
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(↑琵琶湖空撮/写真提供:(公社)びわこビジターズビューロー)
また現代人にとってピンとこない理由のひとつが、当時物流の中心はまだ水運であったこともあげられる。なぜ琵琶湖畔~敦賀が急がれたかといえば、湖上は船で運べるが、陸路はそうはいかないからである。日本海からの荷物は、琵琶湖まで運べば湖を船で運べる。北前船のルートがいきるのである。新橋~横浜が明治5年、神戸~大阪が明治7年、大阪~大津が明治13年、長浜~敦賀が明治15年(柳ケ瀬トンネル完成で全通したのは明治17年)に開通しているので、港への路線が重視されたのがわかるだろう。ちなみに明治22年に東海道全線(新橋~神戸)が開通するまで、長浜~大津をおよそ3時間半で結ぶ鉄道連絡船が、長浜駅舎すぐ横の桟橋から発着していたという。

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この明治15年開業当時の駅舎が保存されているのが、日本最古の鉄道駅舎「長浜鉄道スクエア」である。旧駅舎は、木骨構造の石灰コンクリート造で、四隅に花崗岩の切石を積み、窓枠と出入口がレンガ造となっている。
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旧駅舎の隣に新設された館内には、鉄道ジオラマはじめ、さまざまな鉄道関連の資料が展示されており、鉄道ファンならずともかつての鉄道風景を懐かしむことができる。わけても目を引くのは、静態保存されている「D51形793号蒸気機関車」と「ED70形1号機交流電気機関車」だろう。
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D51はデゴイチの愛称とともに一般にも親しまれているが、昭和32年製ED70形は、北陸線の交流電化で導入された日本初の交流電気機関車の1号機で、国内唯一の保存車両。赤い車体色は、交流機関車であることを表す。

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(↑写真提供:(公社)びわこビジターズビューロー)
ちなみに、よい季節の休日には、観光列車「SL北びわこ号」が米原~木ノ本間を走るので、SLファンの人は運行情報をチェックしてみてほしい。今回は新快速に乗って、北陸線を北上してみることに。

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(↑写真提供:(公社)びわこビジターズビューロー)
湖北ののどかな風景を楽しみながら木ノ本をすぎると、線路は左へ大きくカーブして余呉駅へ着く。ここから見る余呉湖は、また格別である。三方を山で囲まれた断層盆地にある余呉湖は、琵琶湖との水面落差が49m近くあり、その神秘的な静謐さは別名“鏡湖”とも呼ばれ、琵琶湖の趣とはまったくちがっている。

余呉の次は近江塩津、湖西線との接続駅である。ここから線路は、日本海へ向けて一気に高い峠を越える。現在は、全長約5キロの単線トンネル、上りは深坂トンネル、下りは新深坂トンネルによって山地を貫通している。トンネルが開通する以前は、現在北陸自動車道が通る柳ヶ瀬経由の急勾配を列車が行き来していた。

トンネルをでると新疋田駅。ここからは港・敦賀へ向かって、約100m近い高低差を約4キロほどで駆け下りなければならない。単純計算でもわかるが、1000分の25の急勾配である。登るのが不可能な勾配ではないが、以前は貨物輸送の動脈であることを考慮し、海側から坂を登る上り線だけがループ線とされた。通称・鳩原(はつはら)ループ線と呼ばれるが、スイッチバックとともに、いまでは貴重になった峠越えの鉄道遺産といえる。

敦賀は、北陸道総鎮守・越前國一之宮である「氣比神宮(けひじんぐう)」を中心とする歴史の古い町であるとともに、日本海航路の要衝として、また近代以降は港と鉄道で栄えた都市である。
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(↑写真提供:福井県観光連盟)
「敦賀鉄道資料館」は、旧敦賀港駅舎を再現したものだが、かつてはこの駅を「欧亜国際連絡列車」が発着していた。明治45年から新橋~金ヶ崎(後に敦賀港駅と改称)間で運行されていた列車で、ウラジオストク直行の船に連絡し、そこからはシベリア鉄道を経由してヨーロッパへと通じていた。航空路のない時代、日本からヨーロッパへは船だと1ヶ月かかったが、シベリア鉄道を利用すると東京~パリが17日間だったという。いまではちょっと想像できないが、敦賀が海外への玄関口だったことがよくわかる。

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(↑写真提供:福井県観光連盟)
「敦賀赤レンガ倉庫」は、1905年に石油貯蔵倉庫として建設され、その後は軍の備品倉庫や昆布貯蔵庫ともなった福井県内有数のレンガ建築物。
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(↑写真提供:福井県観光連盟)
現在は、オシャレなレストランとともに、かつての港と鉄道を再現した大規模なジオラマがあるので、ぜひ立ち寄ってみてほしい。

さて北陸本線は、さらに北へ向かうが、こんどは南条山地を越えなければ福井平野(越前平野)へ出ることができない。昭和37年に全長13,870mの北陸トンネルが開通するまで、列車は25‰の急勾配と12のトンネルが続く難所を越えていたのだ。SLの時代には、最後尾にも機関車を増結し、大量の黒煙を吐きながら喘ぐように坂を登ったといわれる。
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この明治29年開通の旧北陸本線跡が、いまも道路として残っており、敦賀~今庄間を車で走ると、在りし日の鉄道遺産をたっぷり堪能することができる。芦谷トンネルは、レンガと切石積を組み合わせた構造、全長223mの直線で向こう側の出口が見えている。
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山中トンネルの今庄側出口にある山中信号所(スイッチバック)跡。写真右が本線で敦賀側へ抜けるトンネル、左側は待避線でトンネルの奥は行止まり。また写真では見えないが、手前・今庄側にも待避線がある。今庄から登ってきた列車は、いったん左の待避線に入り、対抗列車の通過を待った後、本線に戻ると急勾配で発進が困難になるので、今度は右後ろにある待避線へ入って、それから本線トンネルへ向かって進行した。

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写真で、本線トンネルの上部が欠損しているのがわかっただろうか。じつはここにあった石額は、現在「長浜鉄道スクエア」で保存・展示されている。

山中トンネルは海抜265mの最高地点。ここから一気に列車は今庄めがけて駆け下りていく。地元では、鉄道開通120周年ということもあり、ウォークツアーやバスツアーなどを企画して、鉄道遺産の観光を盛り上げようとしている。鉄道の歴史は、日本近代の歴史だといっても過言ではない。鉄道ファンの人はもとより、そうでない人も、鉄道遺産をめぐる旅は、近代史を再認識する旅でもあると思う。

※クレジットのない写真は町旅編集部

南房総が誇る最古のお寺さん「石堂寺」
<千葉県南房総市>

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726年(神亀3年)行基により開創されたと伝わる石堂寺(いしどうじ)かつては石塔寺と呼ばれ、滋賀県の石塔寺、群馬県の石塔寺とともに日本三塔寺に数えられたとのこと。多数の文化財を保有し、「房総の魅力500選」に選ばれている南房総最古のお寺である。

 

■本堂

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もの静かな空間に佇む本堂。建立は室町時代の1513(永正10)年と伝わっており、禅宗様式を主とした造りだ。本尊である十一面観世音菩薩立像・厨子(ずし)とともに国の重要文化財に指定されている。また、県下最大の国指定重要文化財木造建築でもある。

 

■多宝塔

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同じく室町時代に造られたとされる多宝塔。関東には江戸時代以前の多宝塔が少なく貴重とされている。内部に祀られている「千手観音」は慶派によるもので県指定文化財に認定されている。慶派とは平安時代末期から江戸時代に活躍した仏師の一派であり、運慶、快慶などが有名だ。

 

■波の伊八

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日本が誇る浮世絵師「葛飾北斎」。その北斎に影響を与えたと言われている彫刻師がいた。江戸末期の名彫刻師「武志伊八郎信由(たけしいはちろうのぶよし)」別名「波の伊八」。「波を彫らせたら天下一品」といわれ、彫刻師の間では、「関東に行ったら波を彫るな」と言われたほどの人物だ。有料(300円)ではあるが一般の方も見学ができるので、ぜひ、天下一品の波を拝見してもらいたい。

 

■旧尾形家住宅

旧尾形家住宅は、かつて旧丸山町の名主であった尾形家の住宅。主屋と土間が別に建てられている。分棟型と呼ばれる形式で、納戸が非常に大きいため居間がL字型になっているのが特徴。千葉県内では、このような例が少なく国の重要文化財に指定されている。1971(昭和46)年に石堂寺の本堂裏へ改修移築された。

春らんまん。ローカル列車「いすみ鉄道」に乗って城を見に行こう!
〈千葉県夷隅郡〉

房総半島中央部を太平洋側から内陸部まで全14駅でつなぐいすみ鉄道は、こんもりした里山とのどかな田圃がひろがる風景の中をのんびり走るローカル列車。春になると、地元ボランティアの協力で植えられた菜の花が黄色の絨毯のように沿線を埋めつくす。さらに桜の花が開けば、そこはピンクと黄色に彩られた優しい春色の風景。まるで『ムーミン谷』の物語の世界に迷い込んだかのようだ。
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このいすみ鉄道で目下人気の車両は、黄色い車両に『ムーミン』キャラクターがペイントされた「ムーミン列車」。『菜の花列車』の愛称もあるいすみ鉄道の中で、イメージキャラクター的存在だ。しかし、個人的には上の「キハ20-1303」が好み。老朽化が進んで土休日の運行のみになったが、それでも国内で唯一運行可能なキハとして知られ、ファンも多いキハ52とキハ28の代わりに平日も走るキハとして投入された。この新型車両には、昭和の懐かしい国鉄一般色に塗装が施されて、キハ20という形式がつけられた。
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JR大原駅から、いすみ鉄道へアクセスするときに悩むのが、乗り換えの待ち時間をどうするか。カフェに入ってお茶する時もあるが、今回はせっかくなので、この時間を利用して近辺を散策してみた。すると、あっと驚く桜の絶景ポイントに遭遇!
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大原から乗って車窓の景色を楽しんでいると、あっという間に目的の大多喜駅に着く。パステルミントの色で塗られた木造の駅舎のせいか、おおたきの文字までが可愛く見えてくる。
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大多喜駅から歩いて10分で行ける大多喜城は、徳川四天王として勇名を馳せた戦国の猛将・本多忠勝によって築かれた。当時の城は、西から東に張り出す丘陵を利用し、本丸・二の丸・三の丸を配置し、西は屋根を切る空堀、南は夷隅川に落込む急崖、東と北は水堀という堅固な要害に守られていたという。現在の城は大多喜城の本丸跡に1970年(昭和50)に建てられた城郭様式の建物。内部は千葉県中央博物館・大多喜城分館として、房総の城、武家社会と城下町の文化と暮らしをテーマに、武器・防具から歴史資料までを並べ、わかりやすく展示している。
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大多喜城の本丸跡に残っている大多喜城内建造物唯一の遺構である『漢医門』を見に、案内板に従って城の裏斜面を降りていくと、とつぜん大多喜高校の敷地の中に出るので、知らない人は面喰らうだろう。なんと『漢医門』がある場所は、高校の中だった。
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本多忠勝が十万石でこの地に封ぜられた慶長年間(1596〜1614)にでき上がった城は、天保十四年(1843)に焼失し、本丸跡の周囲にはかろうじて土塁が残っているが、当時の石垣や建物はすでにない。二の丸跡にある県立大多喜高校の一角には、明治の廃藩置県で解体され処分されずに残っていた薬医門が残っている。
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大多喜駅から城へ向かう途中には、二の丸浄水場がある。雄大な渓谷の木々の緑に抱かれるように建つ古びた建物からは、侘び寂びの気配が匂い立つ。
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大多喜駅から見える大手門は、昭和57年に作られた新しいものだが、ここに大手門があると観光客にとっては、この先が大多喜城へ続く道で間違いないことが直観的にわかって便利だ。
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菜の花と桜の競演。桜の開花に合わせてタイミングよく行くと、線路沿いに黄色とピンクの気持ちまでほんわか染まる、なごみの春カラーが並ぶ。
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来年もまたムーミン列車に乗って、菜の花と古い城下町を見に来よう。心からそう思えるローカル線の充実した日帰りのプチ旅でした。

 

写真:乃梨花

産廃問題を乗り越え、輝きのアートアイランドへ
<香川県小豆郡>

■豊島(てしま)

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穏やかな瀬戸内海に浮かぶ豊島は、酪農や福祉が盛んに行われていていることから「ミルクの島」「福祉の島」と呼ばれている。美しい海に囲まれ、豊かな自然を有する豊島は、不本意な過去を持つ。1978年から13年間にもわたり業者が、産業廃棄物を不法投棄、そして野焼きを行った。この事件は全国的にも最大規模の産廃問題となった。しかし豊島はその後、環境の再生に尽力し、今では国内はもちろん、海外からも多くの観光客が訪れるアートアイランドに生まれ変わった。

 

■オリーブ、果実

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小豆島といえばオリーブ。国内におけるオリーブ栽培面積の5割以上を占め、最高級品として市場に出荷される。ここ豊島でも盛んに行われており、収穫されたオリーブは小豆島で加工されている。温暖な気候で、日照時間が長いため、みかんやレモンの栽培にも適しており、こちらも一級品として扱われている。

 

■棚田

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豊島各地でひろがる美しい棚田は訪れておきたい観光スポットのひとつ。豊かな地下水に恵まれた豊島は、稲作が盛んである。味わい深いお米とともに楽しみたい風景である。

 

■矢羽積み(やばねづみ)

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矢羽積みとは、石を右斜め、左斜めに45° に傾け、交互に積み上げる方法だ。味気ないコンクリート壁が多い昨今では、珍しく非常に貴重な存在である。

 

■唐櫃の清水(からとのしみず)

清水神社にあるこの泉は「霊泉越水(れいせんえっすい)」と呼ばれ、弘法大師が喉を潤すために地面をほったところ湧き出たと伝えられている。一年中、絶えることなく水が湧いている泉で、かつては人々が井戸端会議を行った場所だ。現在は、田畑用のかんがい用水として大切に保全されている。

堀と伝統建築が織りなす美しい商人の町
<滋賀県近江八幡市>

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新幹線の米原から約20分、京都から約40分、近江盆地のほぼ中央に位置する近江八幡は、豊臣秀吉の甥・秀次が開いた城下町。江戸時代には天領となり、近江商人の本拠地として栄えた商都である。
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近江八幡といえば、まずはこの八幡堀(はちまんぼり)。時代劇のロケ地として有名なので、ドラマで見覚えのある人もいるだろう。秀次が築城の際、城下へ船を入れるために堀と琵琶湖をつないだといわれる。この堀に沿って、江戸の風情がたっぷり楽しめる風景が続く。もちろん船に乗って、水上から町並みを見るのもおすすめ。桜や花菖蒲があるので、花の季節なら、もう極楽の気分だ。

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さて、歴史的建造物がとても良好な状態で保存されている町を散策してみよう。まずは、明治10年に建設された八幡東学校。現在は観光案内所「白雲館」。当時6千円といわれた建設費は、ほとんどが近江商人の寄付だったという。町の先人たちが、町の発展のため教育を大切にしたことがうかがえる。
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白雲館の2階から、町並みを望む。甍の連なる眺めが美しい。
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江戸時代末期の建造といわれる「旧伴家住宅」は、畳表・蚊帳・扇子などを商った豪商の商家。
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この日は雛飾りが多数展示されていたが、とても広大な内部空間は太い梁と柱で構成され、昔日の繁栄ぶりを彷彿とさせる。
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そのすぐ向かいにあるのが、昭和28年にヴォーリズ建築事務所により改築された洋風建築の「郷土資料館」。
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奥には、八幡商人の控え宅であったとされる和風建築があり、往時の生活をしのばせるさまざまな用具等が展示されている。
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旧西川家住宅」は、1706年建造の京風の建物。屋号を大文字屋と称した西川家も、蚊帳や畳表で財を成した豪商である。庭の奥に見える土蔵は、全国でも珍しい三階建てで、造られたのは1681~1683年といわれる。
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通りを歩くと、京風の出格子や各戸に配された見越しの松が続く家並みは、いかにも近江商人の町という風情である。このあたり一帯は、国の重要伝統的建造物群保存地区となっている。

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ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(日本名:一柳米来留)は、明治38年に英語教師として来日、キリスト教の伝道、YMCA活動、メンソレータムの輸入・製造・販売など、そして建築家としては携わった建造物が全国に約1600あるという、近江八幡を拠点として活躍したとにかく多彩な人物。彼にゆかりの建築物を巡るのも、この町の大きな楽しみ。上の写真は、ヴォーリズがはじめて設計したといわれる建築「アンドリュース記念館」。
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そのすぐ隣には、ヴォーリズの設計ではないが、伝道師として深くかかわったといわれる「近江八幡教会」がある。江戸の風情だけではなく、明治以降の近代日本の貴重な痕跡が見られるのもこの町の大きな魅力だ。
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ちょっと面白いと思ったのがこの建物。古い町屋を改築して、現役の医院となっている。内部は見ていないが、相当に手が入っていると思われる。古い町並みで景観を壊さない工夫は各地で見るが、こういう例は珍しいのではないか。
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では最後に、八幡山に登ってみよう。まずは山の麓で、草創が131年と伝えられる「日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)」に参拝。重要文化財である拝殿と神殿が、霊気漂う岩崖を背に鎮座している。そして、すぐ隣の八幡山ロープウェイで山頂へむかう。
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頂上の本丸跡には、昭和36年に京都から移築された瑞龍寺(村雲御所)があるが、とにかく眺望が素晴らしいので、天気がよければぜひ登ってみてほしい。ロープウェイ側からは近江の平野が一望でき、お寺を回り込むように反対側へ回ると、西ノ丸跡および北の丸跡からは湖が見える。溢れんばかりに水をたたえる広大な琵琶湖と、その向こうに冠雪の比良山系を望む景観は絶景である。秀次は秀頼の誕生によって秀吉に疎まれ、非業の死を遂げるが、ここに城を築いた理由は、この眺めを見ればよくわかる。平野と湖が一望に見渡せるのだ。

ひっそりした風情がお好きやったら、上賀茂あたりもよろしおすえ
<京都府京都市>

京都の定番観光コースといえば、銀閣寺~清水寺あるいは嵐山~嵯峨野あたりが有名だが、観光シーズンともなれば人混みでうんざりすることもしばしば。そんな俗っぽさも、生きている町・京都の魅力ではあるが、ひっそりとした雰囲気を求めるなら、上賀茂あたりはどうだろうか?

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通称「上賀茂神社」、正式には「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」は、古代より賀茂氏が守ってきた京都でももっとも古いといわれる神社。

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境内の至るところに清流が流れているが、本流は加茂川から引かれ、御生所川・御手洗川と名を変え、境内を出ると明神川と呼ばれる。また神社の裏にある神山より湧き出る「神山湧水(こうやまゆうすい)」は、上質の湧水でお茶や珈琲を淹れるにも最適。毎年4月の第2日曜には、川を流れる盃が通り過ぎる間に歌人たちが和歌を詠むという、平安貴族を彷彿とさせる雅な賀茂曲水宴(かもきょくすいのえん)がおこなわれる。

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ちょうど結婚式が行われていた。白無垢が日を受けて、ひときわ輝いていた。お幸せに!

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さて神社を出て、明神川と名を変えた流れに沿って、室町時代から神官の屋敷町として形成されてきたのが社家町。川に架かる土橋、川沿いの土塀、社家の門、妻入りの社家、土塀越しの庭の緑など、貴重な歴史的風致は、江戸期にほぼいまのかたちになったといわれる。重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

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そういえば、こんなふうに水路を渡って家に入る構造を、東京では見かけない。なぜだろう?すべてが暗渠になったから・・・かな?たぶん。

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通りのむこうに望まれる比叡山。こういう風景は偶然ではなく、庭の借景のようにちゃんとデザインされたものなのかもしれない。

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このあたりの名産といえば「すぐき」。周辺には住宅の狭間に、すぐきの畑や漬物の作業場が見かけられる。通りにある「なり田」さんは、すぐきの老舗。京都駅の土産物屋等には出ていない。千枚漬やしば漬などと違ってやや癖のある味ながら、とても奥行きの深い伝統の味だといえる。

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かつての社家住宅の外観をよく残しているといわれる「井関家住宅」は、中央にある望楼が町のランドマークにもなっている。現在は和雑貨屋さんとなっており、趣ある店内に色鮮やかな香袋や匂い袋が並んでいる。

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「京料理さくらい」さんは、観光のついでにふらっと立ち寄るような料理屋さんではないが、いつかこんなお店で本格的な京会席をいただいてみたいもの。

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伝建地区の端に位置する藤木社のクスノキ。幹周4.2m、樹高10m、樹齢約500年だという。全国各地に古いクスノキは多いけれど、こんな町中にど~んとあるのは珍しい。町並の風景を、ぎゅっと引き締めている。

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さて、伝統的建造物ではないが、ちょっと気になったのがこれ。新築の建売だが、ちゃんと周囲の景観を壊さないよう配慮されている。

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いかにも昭和レトロな雰囲気を醸すアパート。こういう建物もいずれなくなってしまうだろう。ちゃんと保存したほうがいいのかも。

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地下鉄北山駅へむかってぶらぶらと歩くと、あたりは閑静な住宅地。北山通りや鞍馬街道には、レストランやブティック、雑貨・インテリアなど、ちょっと通好みのおしゃれな店も多い。いわゆる観光客向けの商売ではないので、このへんもポイントかな。

※もちろん、桜の季節や催し物のあるときなどは、上賀茂もそれなりの人出であることはいうまでもありませんのであしからず。

春うらら。猫に惹かれて中山法華経寺まいり
<千葉県市川市>

桜が咲き始めた中山法華経寺へ3月の終わりのある日、暖かい陽気に導かれるようにやってきました。京成中山駅(JR下総中山駅からも行ける)を出て左に折れ、道にかかる黒門と呼ばれる法華経寺(ほけきょうじ)の総門をくぐり、はるか先に小さく見える山門(通称:赤門)へ。まずは、ぐいぐいとゆるい坂道をひたすら上っていくところからスタートです。
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山門(赤門)に着くと、門をくぐった先に見えるのは、桜の季節ならではの期間限定のパステルピンクの背景。それだけなのに、なぜか気持ちが上昇するからふしぎです。
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この日は、参道を散歩する保育園児たちの行列とハチ合わせ。ちっちゃくて可愛いピンク帽たちの行進が、桜と合わさり春色効果も抜群です。
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ここの参道はちょっとばかり谷になっています。つまり両側が土手のように高くなっていて、その高くなった敷地の奥に院坊が並んでいます。ひとつひとつ丹精された庭に囲まれた院坊では、四季折々の花と草木が年間を通して楽しめます。
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境内に近づいてくると、この寺の名物!五重塔も顔を出します。赤い欄干の龍渕橋手前には、昔から長く続く老舗の茶店も。成田山や浅草などの店数の多いにぎやかな参道と比べると、こちらははるかに地味ですが、そのぶん肩肘張らずにのんびりとくつろげる、閑かな雰囲気が魅力です。
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江戸・慶応年間から続く『額堂』は、古井由吉の文学小説(中山坂/『眉雨』)にも登場します。小説にも描かれた中山名物の『きぬかつぎ』は塩味だけで食べる里芋の粘りと風味が癖になる素朴なおいしさ。5代目店主の伊藤悦子さんによれば、東西線の西船橋駅ができる以前は、中山競馬の“オケラ街道”は、この辺りだったため、当時のこの界隈は競馬客でも大にぎわいだったそう。それ以前の中山はここ中山法華経寺の門前町として栄えてきました。
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また、この日蓮宗大本山の法華経寺は、荒行の修行場としても全国的に有名です。毎年11月1日から翌年2月10日まで行われる「寒百日大荒行」では、全国から多くの僧侶が集まり、100日間、世間とは一切断絶したまま、読経と、1日3時間の睡眠、1日7回の水行、一汁一菜の食事という、ハードな修行のメニューをこなします。
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日蓮聖人をお祀りする大堂「祖師堂(重要文化財)」は、鎌倉時代(1325)の創建以来、幾度かの焼失にあい、今日まで再建を重ねてきました。現在の祖師堂は、江戸中期(1678)に上棟されたもの。建物は大規模な七間堂で、屋根を二つ並べたような比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり)の形式を持つのが特徴です。この造りは全国でもたいへん珍しく、他では岡山県にある国宝・吉備津神社本殿のみに見られます。
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ここ法華経寺は、中世に当地を治める千葉氏配下の富木常忍(ときじょうにん)と太田乗明(おおたじょうみょう)が、日蓮に帰依してその有力な檀越(だんおつ)になったことが始まりです。最初にそれぞれ自邸に持仏堂を建てたのが、やがて富木家が法華寺・太田家が本妙寺となり、戦国時代(1545)についに両寺が合体して法華経寺となります。祖師堂以外にも、写真の五重塔や、法華堂、四足門など重要文化財が多いのも特色。日本仏教の中でも枢要な位置を占める名刹の1つです。
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堂の渡り廊下の役目も果たす宝殿門は、周囲の緑も含めた雅な佇まいで参詣者を魅きつけます。下をくぐり抜ければ『国宝』を所蔵する聖教殿へと続く、美しい木立の道があらわれます。
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このタイミングでようやく猫さんに遭遇。じつは、中山法華経寺の境内と参道を含むエリアは猫好きの間では有名な『猫スポット』。写真家の岩合光昭氏の撮影する猫を創刊時から掲載する雑誌『猫びより』でも過去に特集記事がありました。この三毛猫のみぃちゃんも、おそらくここ中山で有名な地域猫※なのかもしれません。(※地域の人が協力して面倒を見ている猫のこと。)
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猫さんに長くかまけていたせいで『国宝』を仕舞っている聖教殿を見るのがすっかり遅くなりました。聖教殿は、日蓮の遺品を所蔵するために建てられた宝物庫で、国宝の『立正安国論』や『勧心本尊抄』をはじめ、国指定の重要文化財となっている日蓮聖人の直筆遺文が収蔵されています。インドの仏塔形式の建築物で、昭和6年(1931)に耐震耐火を考慮し、当時の技術の粋を集めて作られました。設計は、築地本願寺を手がけた建築家・伊東忠太氏によるもの。このいわく言いがたい厳かな空気に触れたとき、この寺の“ただものじゃない感”がじわじわ伝わるしくみです。

 

写真:乃梨花

歩きながら見る桜。大横川は隠れた名所だった
<東京都江東区>

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東西線門前仲町駅から約5分、永代通りの裏手にある大横川。この名前を聞いてすぐに場所がわかる人は多くないだろう。実は、隠れた桜の名所なのである。今年で13年目を迎える「お江戸深川桜祭り」も開催され、盛り上がりを見せている。川沿いの桜を船上から楽しめる「和船体験」や「夜桜ライトアップ」など様々なイベントが開催されている。

 

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川沿いには沢山の桜が立ち並んでいる。この場所は公園などとは違い、座ってくつろげる場所が少ないため、皆、歩きながら花見を楽しんでいる。桜のトンネルを気が済むまで往復する感じだ。土日はビール片手に楽しんでいる人も多い。

 

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こちらはライトアップ。夜になるとサラリーマンやOLの方が多く訪れる。近くのコンビニでお酒とおつまみを買って「歩くお花見」を満喫している。桜だけではなく、提灯の灯りがゆらゆらと映る大横川にも注目してほしい。