ぶらり男の一人旅。四国遍路と大谷焼を齧る。
<徳島県鳴門市>

四国巡礼の始まりである「霊山寺」。JR高徳線「板東駅」下車、約800mのところに位置する。

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ここから約1,400kmの巡礼が始まる。お遍路には「同業二人(どうぎょうににん)」いう言葉がある。これは、お遍路の一人旅ではなく、常に弘法大師と一緒にいる想いで巡礼しているという意味だ。この「同業二人」は巡礼する際の大切な心構えである。

 

■本堂

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堂々とした構えをもつ本堂だが、残念ながら屋根の修理中により、本来の姿を見ることができなかった。お参りすることもできなかったので、何か後ろめたさを感じてしまった。

 

■多宝塔

長宗我部元親による猛攻や明治の火災で、霊山寺のほとんどの堂塔が焼失されたが、本堂と多宝塔は難を逃れた。この多宝塔は、約600年の歴史を持つ貴重な建造物である。この塔には五智如来像(5つの知恵を5体の如来にあてはめたもの)が祀られている。目の前にそびえ立つその姿は、強さと繊細さを併せ持っていた。

 

■総合案内所

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霊山寺の駐車場付近には巡礼に必要な道具、情報などを入手できる案内所がある。極端な話ではあるが、手ぶらで来ても総合案内所で全てが揃えられる。また、巡礼における作法や不明なことがあれば、ここで確認しておこう。

 

■大谷焼

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約230年の歴史を持つ大谷焼は決して派手ではないが、その素朴さが魅力である。1780年文衛門という焼き物職人が、初めてロクロを使用し、庄屋であった森提助が焼いたことに始まるとされている。時代とともに変化を遂げて今に至るが、生活の中に馴染む機能美は変わっていない。2003年9月、国の伝統工芸品に指定されている。

 

■窯元 森陶器

森陶器の窯は、国登録有形文化財に指定されている。大量な陶器や大物を焼成するために作られた窯は登り窯と呼ばれ、大谷焼の登り窯は日本一大きいとされている。こちらでは登窯の中にある「水琴窟」の音色を聴くことができるそうだ(後から知った・・・)。また、体験ギャラリーではオリジナルの陶器が作成できるようで、多くの人が参加していた。

 

■麺喰屋 澤

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板野郡北島町にある「麺喰屋 澤」では東京屈指の名店の味が楽しめる。透き通ったスープが好みであれば、「中華そば(醤油・塩)」。宗田鰹の香りと旨味が凝縮され、魚介の風味を存分に楽しめる一杯。また、こってり系がお好みの方には「鶏白湯ラーメン」。平打ち手揉み麺に、鶏と鰹の類を見ない濃厚スープがよく絡み、一度食べたらクセになる!その他旨みと辛さが絡む担担麺。そして週単位で変わる限定ラーメン。これを楽しみにしているお客さんも多く、今大注目のお店だ。

 

■醤油ラーメン

 

■塩ラーメン

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■白湯ラーメン

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■限定ラーメン

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京都東山ではんなり夜桜見物
<京都府京都市>

毎年桜の咲く季節が巡ってくると、季節限定の夜の特別拝観がスタートする京都の清水寺。昨年の花見見物を紹介します。

お店の照明がいい雰囲気の三年坂(さんねんざか)は産寧坂(さんねいざか)とも呼ばれ、古くからの音羽山清水寺の参道だそうです。石段の途中、左手に幕末の志士たちがしばしば密議を行っていたという明保野亭も見えます。この産寧坂周辺は平安京以前より栄えており、多くの歴史資産を有する地区で伝統的建造物群保存地区にもなっています。

清水坂へと続くためか、いつ通ってもここ三年坂(産寧坂)は人でいっぱい。3月には『東山花灯路』という、この周辺約5kmの散策路と路伝いにある寺社、歴史的建造物をあたたかみのある灯りが思わず歩きたくなる雰囲気づくりを演出、京都の新しい魅力発見にもなっています。

三年坂(産寧坂)に続く清水坂のお店もお祭りムードを盛り上げます。

清水坂をあがるとライトアップされた仁王門が目に入ってきます。夜の拝観を目当てにした観光客などで早くもいっぱいです。

この日は月がみえたので、三重塔(さんじゅうのとう)と地上から上空に放たれたレーザービームの青い光が重なるように一緒に撮ってみました。清水寺の三重塔は古様式に則って昭和62年(1987)に解体修理したもの。総丹塗りとともに、桃山様式を示す極彩色文様を復元しているそうです。しかも高さは、日本最大級の約31メートル。近くでみると大迫力です。

清水寺といえば、清水の舞台(国宝)。遠くに京都タワーも見え、幻想的で神々しい美しさです。この舞台はもともと、御本尊の観音さまに芸能を奉納する場所で、平安時代から雅楽や能、狂言、歌舞伎、相撲など、さまざまな芸能が奉納されているとのこと。現在でも重要な法会には、舞台奉納が行われるそうです。また、この舞台を支える柱は釘を一本も使わずに組み上げた「懸造り」という手法の木造建築で、なんと410枚以上のヒノキ板を敷き詰めているそう。高さはちょうど4階建てのビルにあたり、高層ビル慣れ(?)している現代人の私たちより、平安時代の人はもっと感動したのかもしれません。

ライトアップされた桜もきれいです。

旅の最後は『食』で締めくくり。昼のお茶で足りるかなと思ったのですがはやっぱり小腹が空いてしまいました。そういうことで京都駅八条口の『竈炊き立てごはん土井』のすぐきだし茶漬、茄子の揚げひたし、あつあつだし巻を食べました。この店は本店が京都大原にある志ば漬け屋さん。自然で上品な味が歩きつかれた身体に染み入る美味しさ。友人と大原・嵐山もいいよねと別れ、新幹線の中で「京都だけでも行きたいとこありすぎて困る」としみじみ感じながら帰ってきたのが去年のこと。今年もまた行こうかな?

 

写真:もちすず

文化財→奇岩→黄金像→桜、見どころ盛り沢山の国指定名勝「妙義山」
<群馬県安中市・富岡市・下仁田町>

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群馬県の安中市・富岡市・下仁田町の境界に位置する妙義山は、赤城山・榛名山とともに上毛三山の一角をしめ、群馬を代表する山のひとつである。石門をはじめとする多数の奇岩やギザギザとした鋸状の尾根が生みだす景観は、国の名勝に指定されている。
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そんな妙義山は古くから山岳信仰の対象でもあり、東麓山腹には537(宣化2)年に創建されたという妙義神社がある。境内は上下に分けられ、旧寺域である下部から165段の石段を登ると本殿がある上部神域。取材時はあいにくの天候だったが、タイミングがあえば関東平野の彼方まで見渡せるそうだ。

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境内の建造物は江戸時代初期から中期に建てられ、写真の本殿・幣殿・拝殿のほか総門・唐門などは国指定の重要文化財。その他の建造物もほとんどが県・町指定の文化財となっている。
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いずれもすぐれた彫刻が各所に見られ、細部に至るまで見どころが豊富。峻険な岩山の懐に際立って見える鮮やかな色彩も見事だ。
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妙義神社の南門をでると、妙義山のハイキングコースへつながる。難易度の高さで有名な妙義山だが、ここから中之嶽神社へと向かう中間道は、大半が整備された道になっていて気持ちよく歩ける。
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案内板も頻繁にでてくるので道に迷う心配も少ない。ちなみにこの中間道は環境省の構想に基づく「関東ふれあいの道」の一部で、美しい自然や田園風景、歴史や文化遺産にふれあうことができるようになっている。
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ただし、一部はこんな鎖場があるので、しっかりした準備は必要。
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約2時間ほど歩くと様々な奇岩が集中したエリアに到着。大砲岩をはじめ、様々な名前が付けられた岩が作り出す景観は、さすが日本三大奇勝の一つとうなずいてしまう。
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妙義山が一味違うのは、奇岩群の近くには鎖が設置されていて、これを登ると…
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これらの岩を見るだけでなく、間近まで行けてしまうところ。足場が狭いので注意が必要だが、中腹なのにかなりの高度感とスリルが味わえる人気スポット。ただし滑落事故もあった場所なので不安を感じたら行かないこと。
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もう少し進むと第四石門というアーチ状の大きな岩がある。先ほどの奇岩群もだが、大いなる自然の造形に驚かされる。また、石門の近辺はちょっとした広場と東屋があるので、食事など休憩をとる場所としてもオススメだ。
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広場から40分ほど歩くと中間道の一端になる中之嶽神社に到着。実は奇岩群や石門を見るだけならコチラからスタートするのが一般的(石門巡りというコースがある)。ここは、轟岩という自然石を御神体にしているため本殿を持たない珍しい神社で、拝殿も岩に食い込むように建てられていている。
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妙義神社とおなじく中之嶽神社も長い階段。下の境内には社務所や土産物屋のほか、金色に輝く巨大な像が…。
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正体は高さ20メートル、重量8.5トンという日本一大きな大黒様。大黒様は木槌を持っているのが一般的だが、中之嶽神社の大黒像が持っているのは剣。病や悪霊を祓って福を招いてくれるそうだ。myougi14中之嶽神社をでると群馬県立妙義公園の看板と駐車場(歩きではなく自動車を使えば、最初に紹介した妙義神社から10分程度でこられる)があり、隣接してさくらの里という森林公園もある。47ヘクタールという広い園内ではシルエットも濃淡も異なる様々な桜が咲き乱れ、ほかにはない色合いを作り出している。
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40種類を超える桜を眺められる場所も時間もそう多くはない。さくらの里は桜の開花シーズンにあたる4月1日から5月10日の間は利用時間を延長しているので、中間道を歩いたあとでも十分楽しむことができる。この期間中に訪れて、妙義山をたっぷり堪能してみてはいかが。

会津の悲劇はここにも!妻、母、子全員を一度に失った西郷頼母と家老屋敷(会津武家屋敷)
<福島県会津若松市>

福島県の『会津武家屋敷』には、幕末の会津藩を支えた家老、西郷頼母(たのも)の屋敷が復元されています。西郷家は会津藩松平家譜代の家臣で代々家老職を務め、1700石取りの家柄でした。ただし、西郷家の最後の家老となった頼母の半生は不運と苦難の連続といえます。
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文久2年、幕府から京都守護職就任を要請された藩主・松平容保(かたもり)に対し「火中の栗を拾うようなものだ」と強く辞退を進言したために容保の不興を買い、一時は家老を解任、蟄居(ちっきょ)という処遇にまで落とされました。頼母は将来を見通す高い見識を有していましたが、藩主に建議するも用いられず、その結果、政局は藩にとっていよいよ困難な状況を招きながら、頼母の憂慮が現実となっていきます。
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その頼母の復元された屋敷は、けやき、ひのき、杉材などを用い、和様建築の粋を集めて築造されました。敷地面積2400坪、建築面積280坪にも及ぶ壮大な屋敷です。表門には、腕木門を配置し、藩公や大名などの上級武士はこの表門から迎えたといいます。
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表門をくぐると、屋敷の表玄関があらわれます。少し丸みを帯びた、むくりといわれる屋根がここでもみられます。この表玄関も公式用のもので、玄関幕にならぶ家紋は保科家の家紋である九曜紋です。維新後に頼母は保科姓に改名していますが、もとは西郷家は保科家の分家にあたるため、九曜紋の使用も許されていたそうです。
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表玄関は式台玄関(式台のある玄関)になっており、この屋敷の主人である西郷頼母の妻・千重子をモデルにした人形が出迎えます。千重子は良妻賢母のほまれ高く、会津婦人の鑑と伝わる人物。しかし仮借ない歴史の流れから千重子とその一族は、不本意な末期を強いられます。戊辰戦争が始まり、西軍の城下侵入の際に留守宅を預かる家老の妻として自ら采配をふるい、一族21人と共に自刃し果てました。この時、家老の頼母は城中にいました。胸中いかばかり・・であったかは、想像を絶します。
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番所には甲冑と毛槍(大名行列の威勢を示すために先頭の方で振り歩く、先端に羽毛の飾りをつけた槍)が陳列展示されていました。番所は、屋敷内警備のために人がつねに2〜3人詰めていたと言われる場所。また、同時に、家臣達の出入口としても使用されていたそうです。
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御成の間(おなりのま)は、藩主や上級武士など身分の高い人専用の特別室。中は書院造りで書院壱の間、次の間、茶の間、鎖の間などから構成されています。書院壱の間は、格式の高い部屋であることを示す高麗縁(こうらいへり)が畳のふちに用いられ、ひと目でそれとわかるようになっています。
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現在この御成の間には、従者を従えた藩主・松平容保を迎える頼母と千重子の人形が並び、臨場感あふれる場面を演出しています。おそらく容保が京都守護職を任ぜられる以前の穏やかだった日々の1コマを再現したものでしょう。
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38の部屋の中には、台所・配膳の間・料理の間・土間など、屋敷内の食をつかさどる部屋も見られ、当時の道具や調度が多数展示されています。
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戦争という不条理に抗えず尊い多くの命を失った会津。しずかな悲しみが薄く積もる雪のように今でもこの地を覆っているかのようです。

 

写真:乃梨花、(1番目のみ)福島観光フォトライブラリ(ふくしまの旅)より

「四国遍路 香川県③」 ~結願成就し悟りに至る「涅槃の道場」~
<香川県坂出市>

■第79番札所 天皇寺

八十場(やそば)の泉付近に生えていた木に霊気を感じた弘法大師は、十一面観世音菩薩像を刻んだ。それを本尊とし堂宇を建立した。保元の乱で敗れた崇徳上皇は、讃岐に流罪になった。都への帰還は許されず無念にも讃岐で崩御された。棺は一時、この寺に安置された。

 

■天皇寺 三輪鳥居

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中央の鳥居に、小さな鳥居が左右についている「三輪鳥居」は、非常に珍しく全国でも奈良大神神社など数ヶ所にしか存在しない。鳥居の笠木には瓦が配置されており、中央には崇徳天皇とある。

 

■清水屋

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出演:うどん県副知事/女優 木内晶子

木内晶子オフィシャルブログ http://akikokinouchi.com/

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八十場駅近くにある、創業230年余りを誇る老舗ところてん屋「清水屋」。今でも創業当時と変わらぬ製法で作り続けており、国産天草から造るところてんに拘っている。つるつるとした喉ごし、上品な磯の香り、粘りと腰のあるところてんを、ぜひ味わってほしい。

 

■第80番札所 国分寺

741年(天平3年)に聖武天皇は国家平穏、五穀豊穣を祈願し全国に国分寺を建立した。この寺もその中のひとつである。 戦国時代の兵火にかかる前は、様々なお堂や塔が存在する大寺院だった。現存している本堂は、国の重要文化財に指定されている。

 

■国分寺 金堂跡礎石

敷地内には、旧金堂の礎石が当時のまま残されている。復元すると、奈良の唐招提寺金堂と同じ大きさになるという。また、七重塔の礎石も残っている。こちらは京都東寺の五重塔を上回るとのこと。どちらも国指定の史跡である。

 

■第83番札所 一宮寺

静かな住宅街の中に佇む一宮寺は歴史が深い。飛鳥時代、義淵僧正が大宝院として建てたと伝わっており、その後、行基が一宮寺と改めたとされる。戦国時代には、長宗我部元親の兵火にあったが、僧侶たちの尽力により再興した。

 

■一宮寺 薬師如来祠

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この祠にはユニークな言い伝えがある。意地の悪い人間が頭を入れると抜けなくなるという噂を聞きつけた、おタネ婆さん。この婆さんは近所でも評判の意地悪であった。恐る恐る頭を入れてみると抜けなくなり、泣きながら反省したところ扉が開いたそうだ。これをきっかけに改心し、意地悪をやめたと伝えられている。

 

歴史的景観地区を華やかに彩る「真壁のひなまつり」⑥
<茨城県桜川市>

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ご陣屋前通りを過ぎても古い町並みは続く。商店だけではなく普通の民家もひな飾りを飾っているのが「真壁のひなまつり」の特徴のひとつ。

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道路に面した1階の部屋を開け放しているお宅があったので覗いてみると、ご主人が出てきて色々と説明してくれた。

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綺麗に剥けた蛇の抜け殻を活用した作品を、お金がたまる縁起ものと触らせてくれたり、ひな飾りのプリントをくれたりと大サービス。ここまで開放的なのは少数派だが、ほかにも入り口にひな飾りの案内がでている民家が数多くあった。

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寺院かと思うような立派な門だが、こちらは10代目を数えるという農家の山中家住宅。写真の長屋門は明治初期に建てられたと考えられ、文化財登録されているもの。

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門の一部に「奥の蔵の中にお雛様が飾ってあります」と貼り紙がされている。欅材で豪壮な構えの門をくぐり、現在の住居の前を横切っていくので、一言挨拶をして奥へ。

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門と同様に文化財として登録されている蔵も入口が開け放たれており、ひな飾りの観光に来た人はすんなり中に入ることができる。防犯面に不安はないのであろうか少し心配になるほどだが、おもてなしの心が染みわたる。

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土蔵内には高級感溢れるひな飾りのほか、古くから伝わる書籍や調度品が展示され、長年続く家の歴史に驚かされる。現代日本では薄くなりつつある「血の繋がり」が濃密に見えた。
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真壁伝承館へと続く道へ戻ると、江戸末期には諸川屋という屋号で藩の御用商人をつとめ、現在は6代目という星野家住宅がある。登録文化財である店舗と主屋は何度か改装されており、近年は「和空間」というギャラリーとしても活用。しかし、建物のところどころに「モロカワヤ」の屋号も残されており、世代を超えて続く商家の誇りを感じた。

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店舗内は美しく整えられており、まるで映画のセットのよう。椎茸や海苔の看板が乾物屋らしさを演出している。歴史があるのはもちろんだが、品の良さを感じさせる佇まいだ。

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星野家では、古今雛と呼ばれる約100年前のお雛様や、広いスペースをとり芸術的に飾られたひな飾りが見られるのだが、基本的には撮影が禁止されている。瞳や歯まで精巧に作られているひな人形は、ぜひ足を運んで見て欲しい。

 

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6回にわたり、歴史的建造物や商店を中心に「真壁のひな祭り」を紹介してきたが、実は普通の民家の方々も数多くひな飾りを展示されている。160体以上といわれるひな飾りが集まるイベントは、町民の方々の自主的な参加があってこそ成り立っているのだ。

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むしろ「町全体で来訪者をもてなす」というテーマは、祭りに参加する一般家庭の多さから強く感じられた。160軒もの自主参加があるのは、結構すごいことだと思う。

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道に面した部分に案内板をつけたり、そのまま解放していたり…

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入口が奥にある場合は、こんなメッセージが置かれたりしていた。それぞれの家を訪れればみな異なるひな飾りや物語があるに違いなく、それは訪れたからこそ聞ける話なのだと思う。「真壁のひな祭り」独特の雰囲気は、現地へ足を運んで確認してほしい。

歴史的景観地区を華やかに彩る「真壁のひなまつり」⑤
<茨城県桜川市>

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江戸時代末期に建てられたという川島書店見世蔵。初代は生薬店を営んでいたが4代前からは書店となり、見世蔵も店舗として利用されていたが、現在は近年になって新築された店舗(前回紹介)で営業されている。
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そのためか、ひな祭り期間は蔵の中のいたるところにおひな様が飾られており、ぜひ立ち寄っておきたいところの一つ。江戸時代から昭和までの歴史深いひな飾りが並ぶのも圧巻だが…

makabe4_12それ以外に、平面でありながら立体的に見せている「押し絵雛」など、珍しいひな飾りがあったりmakabe4_12.1
天井の隙間から見えるようなレイアウトがされていたりと、訪問者を楽しませる仕掛けも多数。ほかにも、昔使われていた看板や山岡鉄舟直筆の書など、なにげなく凄いものが置かれているので探してみてはいかがだろう。
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見世蔵をでるとボランティアガイドのお二人が目の前の川島洋品店へ。店内のご婦人と少し話すと店内を通り抜けて裏口から出て行ってしまった。呼ばれてあとへ続くと…

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店舗の奥に登録文化財でもある川島洋品店の土蔵があり、その中でもひな飾りが展示されているとのこと。知らなければなかなか入って行きづらい場所である。

makabe4_15土蔵のなかにはスタンダートなひな飾りもあるが、それ以上に目を引くのが隣にセットされた1場面。
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makabe4_18bここでは毎年テーマを決めて飾り付けをしているそうで、今年のテーマは「水戸黄門」。ひな人形に杖や印籠を持たせたり平伏させたりと、様々なアイディアを実践した新しい次元のひな飾りが展開されている。毎年来てくれる人を楽しませようという、おもてなしの心があふれた蔵なのだ。「店舗を通過するのはハードルが高い」などと考えず、すっと入って一声かけてみよう。みなさんをもてなす為に、これだけの準備をしてくれているのだから。

 

つづく

歴史的景観地区を華やかに彩る「真壁のひなまつり」④
<茨城県桜川市>

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ご陣屋前通りの北側も古くからの商店が集まっており、ひなまつり期間中も多くの人が立ち寄るエリア。

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makabe4_00旧真壁郵便局と同じ並びにある「旅籠ふるかわ」は2階の軒下にひな飾りを並べて展示。歴史ある家屋の外観だからできる見せ方は、その斬新さもあってか多くの人が足をとめる。昼時はそば類や煮込み定食、名物のすいとんなど、いずれも500円で食べられるランチ営業も実施。古民家カフェならぬ古民家食堂として大人気だ。

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旅籠ふるかわの向かいでは、通りに面して開かれたスペースにジオラマ風の手作り雛や石で作られたひな飾りが見られる。

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茅ぶき屋根の家屋に鎮座する男雛と女雛が庭で行われる狐の嫁入りを眺めるといった、遊び心溢れるシチュエーションのひな飾りは手作りの1点物。

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同じ敷地内にはさらに、吊るし雛やウサギのひな飾り…

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石を掘った作られたお雛様などもあり、ここでしか見ることのできないひな飾りがいくつも飾られている。どれも高い技術で作られており、足を運んで見るべき価値がある。

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表に出ている看板も石を彫って作られた看板も、日本有数の石材加工業の町である真壁ならでは。デザインの可愛らしさもさることながら、こんなに鮮やかに彩色された石はなかなか見られないだろう。

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お隣の川島書店は4代前から書店を営んでいるという老舗だが、現在の店舗は近年になって建てられた方。それでも十分懐かしい佇まいをみせている。

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店内へ入ると多数の吊るし雛やひな祭りのタペストリーが吊るされとても華やか。吊るし雛をはじめとしたひな祭り関連グッズは販売もされているので、自分だけのひな飾りを買うこともできる。

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また、ひな飾りとともに地域の歴史を学べる本を並べたり…

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奥へ進むと絵手紙の展覧会が行なわれているなど、川島書店では本を売るだけでなく文化発信の活動も目立つ。出版・書店不況といわれる昨今、他の書店にとっても参考になりそうだ。

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さらに隣には以前の店舗であった川島書店見世蔵があり、こちらでも様々なものが展示されている。次回はこの見世蔵の紹介からはじめたい。

 

 

つづく

歴史的景観地区を華やかに彩る「真壁のひなまつり」③
<茨城県桜川市>

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高久家住宅をでてすぐの十字路の一画を占める潮田家住宅は、江戸末期には呉服屋などを営む豪商として知られ「関東の三越」とも呼ばれたそうだ。

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いずれも明治時代に建築された見世蔵や袖蔵、脇蔵に離れといった建物に加え、敷地の隅には大正のころに作られたといわれる道路元標も健在。昔から真壁の中心地であった御陣屋前通りの角地で、変わらぬ景観を残してくれている。

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そんな歴史ある家で飾られるひな飾りは、江戸・明治・大正・昭和の年代がラインナップ。資料館でもない所で、ここまで年代差のあるひな飾りを見られる所は滅多にないだろう。

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なかには、洋犬を連れた官女がいたり、西洋風の装いをしていたりと変わった人形もいるので、各時代の流行や風俗を想像しながら見るのも楽しい。

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ひな飾り以外にも昔の看板や提灯、火消し衣装など様々な年代物が展示されているので、祭り期間以外でも真壁の町歩きをするときはぜひ立ち寄るべき。

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ご陣屋前通りのちょうど中ほどに町のランドマークとして親しまれた旧真壁郵便局(昭和2年建設)がある。すでに郵便局としては使われていないが、なかに入ると昔の郵便局のみためそのまま。現在はパンフレット類がおかれたりボランティアガイドの方がいるほか訪問者用のトイレも用意され、町並み案内所として活用されている。

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郵便局前は観光客向けのイベントが行われ、タイミングがあえばゆるキャラや花咲爺さんにも遭遇することも。名物おじさんはとてもフレンドリーで、記念撮影にも快く応じてくれる。「いなくなる前に来てくれー」と、町旅読者あてにコメントもくれた。

 

つづく

都心からすぐ行ける!見ごたえたっぷりな名城『小田原城』へゆく
<神奈川小田原市>

小田原城といえば「北条氏」の名前がまっ先に思い浮かぶほど、戦国時代の事実上の幕引きともなった豊臣勢との「小田原合戦」は有名だ。その小田原合戦に備えて城を囲む全長約9kmにも及ぶ総構(そうがまえ)を造らせた北条氏。当時は関東一円に広がる強大な権力を保持していた。ならばその城もさぞかし立派な天守だろう・・と思いきや、じつはこの時には、まだ天守も高い石垣もなかったというから意外だ。
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これは小田原城に限らない。戦国時代の末期には、まだ関東の城には天守も高い石垣もない時代だったという。秀吉の小田原攻めで心理戦に於いて最大の効果を上げたとも伝えられる『一夜城』の出現(じっさいは増築に約80日かかったが、完成すると、周囲の樹木をいっせいに切り払って、まるで一夜にして城が築かれたように見せた)に、小田原勢は戦意を喪失したという。この『一夜城』には、それまで関東の城にはない「天守」があった。そんな城を1日で築いたように思わせたのだから、相手の動揺とショックはいかばかりか・・ガックリと意気消沈する姿が目に浮かぶようだ。
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そんな歴史ロマンを回顧しつつ、小田原城址を順に見て回った。馬出門(うまだしもん※内側から撮影)は、二の丸正面に位置する木造の門。高麗門形式の馬出門と内冠木門(うちかぶきもん)と土塀で周囲を囲む枡形門(ますがたもん)の構造を持つ。馬屋曲輪(うまやくるわ)へ通じる門ということで名付けられたとみられる。
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住吉橋を渡って、水堀をはさんで眺めた馬出門の遠景。今にも主人(あるじ)を背に乗せた馬が姿を現わしそうだ。
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銅門(あかがねもん)は、馬出門から馬屋曲輪を抜け、住吉橋を渡った二の丸の正面の位置にある本丸へと通じる大手筋に設けられた枡形門(※)。渡櫓門の大扉には「銅門」の由来となった銅板の装飾が映える。※枡形門=渡櫓門(わたりやぐらもん)、内仕切門(うちじきりもん)と土塀により枡形に囲んだ門のこと。
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威風堂々という形容がふさわしい銅門。平成9年(1997)に復元された。土・日・祝日限定で内部を公開しているので、機会があればぜひ覗きたい。
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本丸へと続く『本丸東堀跡』の冬枯れの景色。乾いていながらも情景的だ。
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昭和46年(1971)に再建された小田原城本丸の正門にあたる常盤木門(ときわぎもん)。最も大きく堅牢に造られている。2つの多聞櫓(たもんやぐら)と渡櫓門から成る桝形門で、前面に「坂口門」を持つ。門の傍わらの「巨松(おおまつ)」にちなんで名付けられたそうだ。
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平成28年5月に大改修を終えた小田原城天守閣。江戸時代の天守模型(東京国立博物館蔵)をもとに当時の姿に復元された。美しくそびえる雄姿は小田原市のシンボル。
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内部の展示も一新され、美術館のような美しい空間構成になっている。城郭内にいるのを忘れ、まるで美術鑑賞をしに訪れたかのように錯覚するほど!
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二の丸御殿跡。江戸時代の小田原城には、将軍の旅宿専用の「本丸御殿」と、藩主の居館や行政を行う政庁としての役割をもった「二の丸御殿」の二つの御殿があり「二の丸御殿」は、三代将軍家光が上洛のおり小田原城に止宿した寛永年間(1624〜44)の頃が最も壮麗で、能舞台や唐門も備えた立派なものだった。元禄16年(1703)に起きた大地震により「二の丸御殿」も倒壊し炎上。再建され、徐々に増築されたものの、以前の姿には到底及ばなかったという。

 

写真:乃梨花