琵琶湖に浮かぶ神の島「竹生島」でパワーを充填する
<滋賀県長浜市>

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夕暮れの琵琶湖に浮かぶ竹生島、まさに神の宿る島だ。
( ↑ 写真提供:(公社)びわこビジターズビューロー)

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「われは湖(うみ)の子 さすらひの」と唄いだされ、「今日は今津か長濱か」「古い傳への竹生島」と琵琶湖の風景が綴られていく『琵琶湖周航の歌』、旧第三高等学校(現京大)の学生が作詞したとてもロマンチックな歌だ。

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長浜港から船に乗って、その竹生島へ向かった。船尾に立つと航跡のむこうに、修験の山としても知られる伊吹山、旧東海道の難所鈴鹿山が見える。

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竹生島は古くから信仰を集めた島。近年は、島まるごとパワースポットとして脚光を浴びている。なんでも富士山頂と出雲大社とを東西一直線に結ぶ日本の「レイライン」上にあるという。う~ん、なんだか神秘的!?

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船を下りると、何軒かの店があり、そこから“祈りの階段”と呼ばれる165段の石段が続いている。かなりの急こう配なので、調子よく登ると膝が笑う。

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登りきったところにあるのが宝厳寺(ほうごんじ)。724年に行基によって開かれたと伝わり、西国三十三所観音霊場の第三十番札所、日本三大弁才天の一つとしても有名。

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本堂に入ると、この「弁天様の幸せ願いダルマ」が目を引く。小さくて可愛いダルマに願い事の紙を収め、本堂に奉納するという願掛けである。ひとつずつ職人さんが手作りしたダルマは、二つとして同じ顔はないそうだ。

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平成12年に復元された美しい三重の塔を過ぎると、国宝・宝厳寺唐門にでる。これは家康により徹底的に破壊された大阪城の唯一現在に残る遺構である。これを奥へ行くと、秀吉の御座船「日本丸」の骨組みを利用して建てられたと言われる宝厳寺船廊下へ出る。急斜面に掛けられた廊下は、高い柱によって支えられ、あたかも清水の舞台のような構造になっている。

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船廊下を抜けると、都久夫須麻(つくぶすま)神社(竹生島神社)で、拝殿はこれも国宝である。
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すぐ前にある竜神拝所は、竹生島で一番の絶景といわれ、石鳥居のむこうに遥か湖面が見渡せる。丸い小さな皿に、一枚には名前、もう一枚には願い事を書いて、この鳥居に向かって投げると、願い事が成就するという「かわらけ投げ」ができる。

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強力なパワースポットで十分に気運を充填し、すこし小腹も減ったので、船着き場の「たつや」さんで「しじみご飯」をいただいた。ご主人のたつやさんは、なかなか有名人のようで店内にいろいろ写真が貼ってある。うん、これがなかなか旨い。とても素朴な味わい。観光地の料理として、一つのあるべき姿だと思った。

売店で売ってる「ルーメソ」ってナニ!? 寄り道も楽しい大山からの下山
<神奈川県伊勢原市>

ooyama_43帰りは登ってきた表参道ではなく、見晴台を経由する雷ノ峰尾根(いかづちのみねおね)経由で下社まで降りました。

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このルートは、不動尻分岐から東丹沢七沢温泉郷へ、見晴台の分岐から716(霊亀2)年開山・国指定重要文化財を本尊にする日向薬師へと降りることもできます。

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残念なことに、見晴台からの景観は山頂に及びませんでした。ただし、さっきまで登っていた大山がよく見えます。

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下社近くまでくると、大山詣りのならわしである「滝垢離」ができそうな場所もありました。夏場ならやってもいいかな。

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下社そばにある売店まで戻ると・・・ルーメソ? 何のことか分かりますか? 気になったので店内へ。

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なかからみたら・・・「ラーメン」。左右の模様で気が付くべきでした(笑)。ちなみに、ココでも冷奴や湯豆腐など、大山名物である豆腐を食べられますよ。

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一息ついたあとは、下社と麓の間にある「大山寺」へ。江戸時代は現在の阿夫利神社下社の位置にあり、ご本尊の「鉄造不動明王及び二童子像(国指定重要文化財)」への参拝は、大山詣りの目的の一つ。また、はるばる担いできた木太刀の奉納先でもあります。

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本殿内(撮影自粛)に足を踏み入れると、いまでも奉納された酒や食料品がぎっしり並んでいてビックリ。ここまで大山詣りはレジャーの面が強くなっていると感じたけど、信仰儀式としての意味も根強く続いていることに気がつくことができました。

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本殿からでると、目の前の階段の向こうに伊勢原の町が見えました。ここは紅葉の名所として有名ですが、夕焼けに染まりゆく景色もなかなか。

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麓でお土産屋を覗くと、すみの方で小さな木太刀が売ってました。なんで観光地には木刀がお土産として置いてあるのか長年疑問だったのですが、もしかしたら「大山詣り」の木太刀奉納が関係しているのかもしれませんね!?

運動不足も解消できる!? 軽登山を楽しみながら本社と絶景が待つ山頂へ
<神奈川県伊勢原市>

ooyama_17前回阿夫利神社下社まで紹介しましたが「下社」というところが気になりませんでしたか? そう、阿夫利神社の本社は大山の山頂近くにあり、下社から山道を約90分登った所にあるんです。

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拝殿横にある案内通りに進むと、祓麻(はらいあさ)が準備された社があるので、ここでお祓いをします。通常の登山の場合、入山届を記入する場所があるのですが、参拝なので様式がことなるようです。

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すぐ先にある立派な門が登山道の入り口。ここをくぐるとすぐに階段があり、これがなかなかの急傾斜。一番キツイ場所かもしれませんが、それほど長く続かないので安心してください。

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階段のあとは山道が続きますが、昔から多くの人が歩いているためかしっかりとコースができています。よほど変なことをしなければ迷う心配はありません。写真に写っているくらいの小さな子供さんも結構登っていました。

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途中には富士山が綺麗に見られるスポットも何カ所かあります。日本人はもちろん、外国の方にも人気の富士山。撮影する人が多くちょっと渋滞しますが、あわてずひと休みしてみてはいかがでしょう。

ooyama_47鳥居から先は神社の境内。奥に見える建物は前社です。ここまでくれば頂上まであと一息。

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阿夫利神社本社に到着。登山の恰好をした人が多いのが特徴的ですね。本社は下社に比べると簡素ですが、山の頂上にこれだけのモノを建てるのは、篤い信仰が無くてはできないはず。それだけに、お参り時はなおさらありがたみを感じます。

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本社の隣には社務所と売店があり、お守りや飲食物などを買うこともできますが大混雑でした。

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標高1247mにある本社からは、下社よりもはるかに壮大な景観が望めます。軽登山と参拝が同時にできて、なんだか一石二鳥感あり!

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ちなみに大山山頂の票も少し先にあり、こちらは1251.7m。ケーブルカーを降りてから約600m登ってきましたが、山道にしては歩きやすいので、個人的には数字より楽でした。「阿夫利神社からの眺望」がミシュラン・グリーンガイド2つ星を得ていることは別の記事で述べましたが、本社がある「大山山頂」は「かながわの景勝50選」にも選ばれています。周辺は景色を楽しみながら昼ごはんを食べている人で埋め尽くされ、座る場所がなかなか見つからないほど。平坦な場所が少ないのでむしろ下社より人が多いように感じます。

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ありがたいことに山にしては珍しい立派なトイレがありますが、こちらも混んでいました。

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本社周辺はあきらめ20mほど見晴らし台方面へ降りる道を行くと、写真のように開けた視界が得られる場所にでます。小さな広場のようになっていて、いくつかウッドテーブルもあるので、お弁当を食べるならコチラがオススメ。ガスは晴れませんでしたが、緑の山々、人が暮らす平地、青い空のグラデーションは、結構長い間眺めていられました。気候条件が良ければ海や都内の高層ビルまで見えるそうなので、さらに素晴らしい景観が拝めるはず。いまほど娯楽が多くない江戸時代の人々は、どんな思いで下界を見下ろしていたのでしょうね。

 

次の記事へ続きます。

日本遺産認定の 「大山詣り」は現代でも人気のコンテンツ
<神奈川県伊勢原市>

社内のデスクで原稿を作るには勿体ない天気。というわけで、行ってみました「大山詣り」。紅葉が始まるトップシーズンの少し前、2016年11月前半の訪問記です。

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小田急線伊勢原駅の北口をでると「大山ケーブル行」のバスを待つ人々が大勢。「大山詣り」盛り上がってます。列は30mくらいありましたが、臨時便も出ているようで待ち時間10分ほどで乗車できました。

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20分ほど揺られると大山詣りの宿坊などが見えてきて、だんだん伝統色の強い風景に。終点で降りると参道は目前。外国人ツーリストのための案内所も設けられ、多くの人が立ち寄ってから出発しています。

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ooyama_06「こま参道」と名付けられたゆるい階段の両側には、みやげ物屋や茶店そして宿坊が並び、江戸とはいかないまでも昭和時代の懐かしい雰囲気はたっぷり。あちらこちらに日本遺産の幟(のぼり)がかけられ、地域一体となって「大山詣り」を盛り上げている感じがイイです。

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こま参道の362段を登るとケーブルカーのりば。江戸時代の人々は歩いて登ったのでしょうが、現代っ子の私はケーブルカーに乗りました。最初に開通したのは1931(昭和6)年。戦争中に廃止になるも1965(昭和40)年に再開し、2015年になり初代ケーブルカーは引退になったそう。

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で、入れ替わりで新型ケーブルカーが就役。これも日本遺産に認定されたことと関係あるのかな? 緩やかな曲面の下側とシャープに切れ落ちた上側でまったく異なる表情を見せる車体は、2016年のグッドデザイン賞受賞。

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阿夫利神社駅で降りるとすでに神社の境内。50メートルほど先は階段との合流地点になり…

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数軒の茶店が激しく呼び込み合戦してました。どちらもお茶は無料でふるまってくれますし、目立たないところに喫煙スペースもありました。ケーブルカーに乗ってきただけなのにとりあえず一休み。 片方の店で2個1パック300円のオニギリを買ったところ、むすびは手作り感満点なのに、海苔は食べる直前に巻くパリパリスタイル。コンビニおにぎりの影響なんでしょうかね。意外なところで時代の変化を感じてみたり。

ooyama_13茶店からは階段であと一息。上に見える鳥居の先が大山阿夫利神社の下社です。

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階段を上って振り返れば、はるか遠くまで見渡せる景色が拝めます。この日はすこしガスっていましたが、空気が澄んでいる日は相模湾に浮かぶ江ノ島、条件が良ければ房総半島・伊豆半島まで見えるそう。東京タワーもスカイツリーもない時代に、このような景観を得られることも人気の理由だったのかも。今も昔もみんな高い所が好きってことなんですね。

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阿夫利神社下社が建つのは、江戸時代は木太刀を収める大山寺の本堂があった場所で、「大山詣り」の目的地のひとつ。訪問時も結構な数の参拝客がいたが、売店の方に聞くと「今日は全然少ない」とのこと。江戸時代の御師さん達が作り上げた大山詣りは、時代とともに多少の変化を見せながらも、かなり長いスパンの人気コンテンツになっていました。

 

 

と、これで終わりそうなもんですが…「大山詣り」の魅力はまだまだあるってことで、次回へ続きます。

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江戸庶民の信仰と行楽の地
~巨大な木太刀を担いで「大山詣り」~
<神奈川県伊勢原市>

iseharasi001古くからその山容の美しさが人々を惹きつけた大山(おおやま)は、奈良時代以降、霊山寺大山寺阿夫利神社などの寺社が開かれ、信仰の地としての姿が整えられていった。戦国時代末期に多くの修験者や僧侶が徳川家康により追放されてしまうのだが、追放された人々は大山中腹で神殿を備えた宿坊を営む御師(おし)となり、年間100日以上も関東一円を廻り熱心に布教。その結果、他に例を見ない庶民参拝「大山詣り」が江戸を中心に普及していった。

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参拝者たちは、源頼朝に由来するという納め太刀を担ぎ、要所にたてられた石造りの道標をたどりながら大山を目指し、中腹で滝垢離(たきごり)をしてから登拝するという小旅行を楽しんだのである。厳しい修行や戒律を伴わない気軽な信仰に加え、行楽の要素を兼ね備えた大山詣りは、江戸の人口が100万人であった頃、年間20万人もの参拝者が訪れたという。

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歌舞伎や浄瑠璃、落語、川柳などにも取り上げられた「大山詣り」は今も脈々と引き継がれ、行衣(ぎょうい)という白装束に身を包んだ大山講の一行や様々な祭事を目の当たりにすることができる。豊かな自然とふれあいながら歴史を巡り、大山にあこがれた先人たちの思いと体験をぜひ再現してほしい。

 

大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)

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平安時代にまとめられた「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」にも掲載されている「阿夫利神社」は、山頂に石尊大権現を祀る神社で、大山参りの目的のひとつでもあった。写真の下社は明治に入ってから大山寺の跡地に建立されたもの。下社近くまではケーブルカーで行けるが、大山山頂にある本社まではいまでも山を歩いて(コースタイム約90分)向かう。どちらの境内からも素晴らしい眺望が望め、ミシュラン・グリーンガイドでも「阿夫利神社からの眺望」に二つ星がつけられるなど、古今の日本人だけでなく外国からの評価も高い行楽地でもある。

 

日向山 霊山寺(ひなたさん りょうぜんじ)  (国指定重要文化財〈本堂・建造物〉)

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716(霊亀2)年に行基により創建されたと伝わる1300年の歴史を持つ寺。もともとは多数の坊からなる寺であったが、明治3年の神仏分離を機に宝城坊(ほうじょうぼう)だけが寺として残り、日向薬師(ひなたやくし)と称するようになった。ご本尊の鉈彫薬師三尊像をはじめ、等身大の寄木造り十二神将像など、数多くの国指定重要文化財が収蔵されている。単層茅葺屋根(かやぶきやね)で創られた薬師堂(本堂)は、7年にわたる修復を経て今年(2016年)落慶。ふたたび重厚で美しい姿が拝めるようになった。

 

水垢離の滝

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歌舞伎や浮世絵の題材にもなり、江戸時代の人々の興味を喚起した滝垢離は、大山詣りのならわしのひとつ。登拝前に身を清めたという数箇所の滝は今でも山内で臨むことができる。写真は左上が良弁滝(ろうべんだき)、右上が元滝(もとだき)、下が愛宕滝(あたごだき)。

 

参道沿いに建てられた宿坊

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江戸時代に「大山詣り」を普及させた御師(現在の先導師)の自宅を兼ねた宿屋で、屋内に阿夫利神社の分霊を祀る神殿が設けられているのが特徴。脈々と引き継がれている大山講の講中の宿泊はもちろん、一般の来訪者にも食事や宿泊サービスを提供している宿坊も多い。

 

豆腐料理

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もともとは大山講中から寄進された大豆を利用した精進料理だったが、現在では現代風な調理を取り入れた地元の名物として定着。「大山といえば豆腐」と言われ、毎年3月の中ごろには「大山とうふまつり」なる祭りも開催されている。参道にも美味しい豆腐料理をだすお店が多数あるので、大山参りに訪れた際にも食べることができる。

 

画像提供ならびに記事作成協力:伊勢原市教育委員会文化財課

いまはなき江戸の昔を偲ばせる蔵造りの商家の町並み
〈埼玉県川越市①〉

東京ではすでに失われてしまった「江戸」の景観をいまに伝える町として近年人気が増し、大ぜいの観光客が訪れるようになった川越。重厚な蔵造りの建物が並ぶ川越一番街の風景はメディアにも登場して、よく知られている。
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しかし、そんな川越に蔵造りの建物が建てられたのは、明治の半ば。明治26(1893年)の川越大火で街の中心部が焼失し、川越商人の財力で江戸東京の大工、左官職人を呼び寄せ、つくらせた耐火建築の建物群が今日に至る「蔵造りの町並み」だ。
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この川越の蔵造りの町並みは、壁が「黒い」のが特徴。これは「江戸黒(えどぐろ)」と呼ばれる色で、武家の象徴だった「白壁」に対して、江戸商人たちが示した遠慮のかたちだという。ただし見た目は地味に見える黒だが、商人たちの「財の証し」といわれるほど、左官には財力を要した。
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ここ「陶舗(とうほ)やまわ」と「町勘(まちかん)刃物店=写真中央」「深善美術表具店」が立ち並ぶ一角が、川越「蔵造りの町並み」中で最大の見どころとなっている。大棟を箱形に覆った箱棟や屋根の両端に丸く盛り上がったかげ盛、大きな鬼瓦と観音開きの扉などが、重厚さに風格をあたえている。
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寛永年間(1624〜44)に川越藩主だった酒井忠勝によって創建されたと伝わる「時の鐘」。川越のシンボルとされ、地元では鐘撞堂(かねつきどう)の愛称でも知られる。木造の3層のやぐら構造で高さは約16m。耐震工事でしばらく鐘が隠れていたが、ようやく外に顔を出した。
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江戸時代初頭から城下の町に時を告げ、約390年もの間、ずっとこの場所で庶民に親しまれてきた時計台。現存の鐘楼は、明治時代の川越大火の直後に再建されたもので4代目とされる。
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川越の蔵造り通りは、和風建築の商家に混ざって大正から昭和初期に建てられた西洋建築が点在しているのも目に愉しい。この石造りの洋館、旧田中家住宅もその中の一つ。大正4年に建てられ、竣工当初は輸入自転車の販売を行っていた。(現在はカフェエレバート)
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寛政4年(1792)に建造された大沢家住宅(左)は、明治26年(1893)の大火をまぬがれて現存する川越でもっとも古い商家であり重要文化財。平成に入り伝統工法によって建てられた蔵造りの家(右)が路地を挟んで横に並ぶが、外観からでは築年数の差がそうとはわからないほど、美麗に修繕がほどこされているのがわかる。
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煙草卸商を営んでいた豪商・4代目の小山文造の旧宅(屋号「万文」)を改装した「蔵造り資料館」。ここ旧小山邸は、川越大火のあと、資力を背景にいち早くこの蔵造りの建物を完成させたという。(※蔵造り資料館は、2016年現在、耐震化工事のため休館中)
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もとは昭和3年に武州銀行川越支店として建てられた川越商工会議所。資生堂本社なども手がけた設計者・前田健二郎によるもの。外観のギリシャ神殿を思わせるドリス式円柱や玄関上部のメダリオンと称される円形装飾により、まさにパレス(!)な迫力ある佇まい。
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天明3年(1783)創業の川越藩御用達の歴史を持つ老舗和菓子店「龜屋」。川越土産の定番で徳川家にも献上されていたという伝統の銘菓「亀の最中」は、老舗の代表菓子なうえに、買い求めしやすい(1コ90円)のも魅力だ。
(②へつづく)

 

写真:乃梨花

国宝「彦根城」そして木之本宿へ
<滋賀県彦根市・長浜市>

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彦根城」は近世の現存する12の天守のうちでも、とりわけ価値が高いとされ、犬山松本、姫路、松江とならんで国宝となっている。かつて解体の危機にあったこの城は、北陸巡幸の明治天皇が、保存するように大命を下され残ったといわれる。はるか琵琶湖を臨む彦根山に立つその美しい姿は、まさに名城というにふさわしい。築城410年祭として、2017年はさまざまなイベントが計画されているそうだ。

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彦根城の天守は長方形になっているので、東・西から見ると細身の端正な姿を、北・南から見ると幅広のどっしりとした姿を表す。

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犬山や松本の天守と比べると内部はかなり余裕をもった空間になっており、戦闘用というよりは居住性を考慮して造られたように見える。

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それにしても、こんな巨大な岩を、いったいどこからどうやってここへ据え付けたのか?

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4代藩主直興により造営されたとう玄宮園から望む天守。歴代の井伊家の人々は、この庭園に客を招き、こんな風景を眺めながら暮らしていたのだろうか。

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さて、いまどきは、「ひこにゃん」である。だいたいは毎日3回登場するのだそうだ。で、約30分ほどパフォーマンスを披露してくれる。だが、まあ、これが、なんともユルい。ユルユルである。安易に手を振ったりしない。つまりユルユルを演じているわけで、さすが元祖、芸としてとても洗練されていると感心した。

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さて、湖北といえば、やや地味ながら、まだ観光化されない素朴さが魅力の木之本はどうだろう?JRの駅は“木ノ本”だが、町の表記は“木之本”である。暮方の旧北国街道沿いに佇むと、人の姿はまばらで、かつての宿場の雰囲気を彷彿とさせる情感が漂っている。

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木之本宿は、北国街道と北国脇往還の分岐点で、かつては本陣、脇本陣、問屋が一軒ずつ置かれ、旅篭、伝馬所、高札場などが点在し、町の中央を柳並木のある小川が流れる、そういう風情豊かな宿場町だったという。

dsc_0103軒下に古い薬の看板がかかっているのが、本陣跡の建物。のちに薬屋さんとなり、いまも隣地の店で営業されている。その名も本陣薬局、なんでも薬剤師の日本第一号だったという。

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若き北大路魯山人が愛したという酒「七本槍」を、いまも江戸期に建てられた蔵で造っている富田酒造。創業はなんと天文年間(16世紀半ば)、新しい感覚も取り入れながら頑張っていらっしゃる現在の蔵元は、15代目だという。とても心地よくおもてなしをしていただけるので、左党の方はぜひ立ち寄ってみてほしい。

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※ ↑ 写真提供:(公社)びわこビジターズビューロー
宿場からは少し離れるが、鶏足寺は紅葉の名所。境内には約200本もの古木の紅葉があり、落ちた葉が地面に降り積もるころ、あたりいちめんが深い赤やエンジに染まるさまは、まさに絶景である。

※以外の写真は、町旅編集部

北総四都市江戸紀行・江戸を感じる北総の町並み〜佐倉藩、最後の藩主の「旧堀田邸」
〈千葉県佐倉市①〉

旧堀田邸は最後の佐倉藩・藩主であった堀田正倫(ほったまさとも)が明治維新後に華族として暮らしていた東京から、旧封地の佐倉に戻るさいに庭園とともに新しく建築した純和風木造の邸宅です。
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建物は、江戸期に見られる大名屋敷の伝統的な造りを踏襲しています。また明治期に建築された旧大名家の邸宅(現存するもの)は全国に3つだけ、とたいへん貴重なことから、国の重要文化財にも指定されています。玄関はむくりと呼ばれる丸みを帯びた上品な屋根で、柔かな表情が特徴的です。
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主屋は、座敷棟、居間棟、玄関棟、書斎棟、湯殿からなり、それぞれ身分や格式に応じた仕様で分かれています。なかでも座敷棟は来賓をもてなすためもっとも格式高く造られており、襖紙には金箔を使った「松くわえ鶴」が描かれ、床の間の床柱には鉄刀木(たがやさん)という3大銘木の1つが使われるなど、武家らしく質素を基本としながら、細部まで徹底して上質を貫くこだわりが感じとれます。
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そんな座敷棟から眺める庭の眺めは、日本の伝統的な借景をとりいれ、まるで一幅の絵のよう。庭園内のみならず、借景(庭園外の山や樹木、竹林などの自然や地形を利用し背景として取り込む)により前景と背景が融合した迫力のある景観で訪れた者の目を愉しませてくれます。
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書斎棟に向かう渡り廊下に一歩入れば、なんと視界の左半分は外の景色。内と外を隔てる壁(または障子)との間に、このように外とつながる内部の空間があるならば当時もいまも自然や四季がより身近に感じられるはずです。
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家族が使用していた居間棟の最奧には「入らないでください」の札が。じつはここが正倫が自室として使用していた部屋なのです。ふすまには、和室には珍しいインド更紗が大胆に使用されており、当主の既存の枠組に縛られずに新しいものも果敢に取り込もうとする人となりが感じられます。
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居住空間以外でも重要文化財に指定されているのがこの土蔵(と他には門番所)。建物の木目や木の肌の風合い、蔵の戸板の年月を経た自然な退色などが、精緻な瓦屋根の波打つ縞目模様などと相まって、えもいわれぬ味わいを見せています。
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母屋と同じ明治23年の竣工とみられる堀田邸の冠木門(かぶきもん)。さすが大名家と言われる武家の門らしく、堂々として立派です。

 

写真:乃梨花

黄金町(こがねちょう)から懐かしの映画館を巡るのんびり散歩②
〈神奈川県横浜市〉

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京急日の出町駅をでて目の前の橋は「長者橋」といい、橋から伊勢佐木町方面の町名は「長者町」。縁起の良い名前の宝くじ売場で運だめしもいいですね。

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ロシア料理店ミーフバーでランチ。店内にはマトリョーシカや民族衣装、ロシア酒の瓶がたくさん飾られていて雰囲気があります。ランチメニュー(日替わり)は平日の昼のみなので、横浜在住東京勤務の私はめったに行けないのが悔しい!

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今日のメインはロシア風ハンバーグ。これにサラダ、スープ、デザート、ドリンクがついて千円! これ以外にビーフストロガノフ、ペリメニ(水餃子に似ている)も食べたことがありますが、どれもすごく美味しいです。

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これはテイクアウトの黒パン。お腹も膨れ、お土産も手に入れて大満足。これから伊勢佐木町モールへ向かいます。

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伊勢佐木町通りの1本向こうにあるミニシアター「シネマリン」。1954年に“横浜花月劇場”という館名でオープンした長い歴史を持つ映画館で、運営会社が変わったり、一度は閉館…そこからの復活という歴史を積み重ねています。このときはちょっとお化粧直し中。

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シネマリンの隣にあるのは昭和32年創業の「喫茶あづま」。内装もメニューもしっかりレトロで、どこか懐かしい気持ちになります。 シネマリンの常連さんのなかには、上映時間までをここでゆっくり過ごす方も。

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関内方面まで足を延ばすと、昭和30年に「テアトル横浜」としてオープンした「横浜ニューテアトル」があります。ここは個性的なプログラムも魅力で、ときどき社会派映画を上映してメディアの注目を浴びたりする映画館です。トイレが場内にあるのも、いまでは珍しいですよね。

 

※横浜ニューテアトルは2018年6月1日に惜しまれつつ閉館しました。長い間楽しませていただきありがとうございました。

黄金町(こがねちょう)から懐かしの映画館を巡るのんびり散歩①
〈神奈川県横浜市〉

古くは関東屈指の映画街として、約40もの映画館があった伊勢佐木町。最近はシネコンブームといわれ個性的な映画館が少なくなってきていますが、伊勢佐木町にはいまでも当時の面影を残す個性的な映画館があります。

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京浜急行黄金町駅から、大岡川と伊勢佐木町通りに挟まれた道沿いを日の出町方面へ5分歩いたところにある映画館が「シネマ・ジャック&ベティ」。前身の「横浜名画座」として開館したのは1952(昭和27)年で、1991年に今の名前となりました。96席のジャックと115席のベティは、最近新しい椅子になりました。売店では25th記念のトートバッグや軽食、近所のパン屋「カメヤ」さんの調理パン、本牧ポップコーンランドのポップコーン各種もあって映画+アルファが楽しい。館内には昔の映画ポスターも貼ってあり、映画ファンを楽しませてくれています。

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そのまま日の出町駅方面へ進むと、京急の高架下に「アートブック&バザールギャラリー」があります。その名の通りアート本がぎっしり。明るい店内は本が陽なたぼっこしてるみたいで、静かな時間が流れていました。黄金町は「アートによるまちづくり」をすすめていて、季節ごとにイベントも開催されています。

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なので、アーティストによるこんな自費出版コミックもあります。

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川沿いの散歩道は桜並木です。春には花のトンネルに、夏はほどよく日陰になります。

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途中には「日の出湧水」という湧水があります。水源は野毛山といわれ、明治のはじめごろから地域の生活用水として利用されていたようです。

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日ノ出町駅から徒歩1分くらいのところに桟橋があります。

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きれいなゴンドラが停泊していました。たまに人を乗せているところを見かけます。

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そして子どもたちがのったボートも賑やかに通り過ぎて行きます。

 

②につづきます。