23区の北端にある「酉の市」発祥の神社
<東京都足立区>

adachi_tori01東京23区のなかで最も北に位置する足立区。そのなかでも更に最北端に近い場所にある花畑大鷲神社(はなはたおおとりじんじゃ)は「酉の市(とりのいち)」発祥の地といわれ、いまでも11月の酉の日には大勢の人で賑わう。

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近年の酉の市の特徴は、商売繁盛の縁起物である派手な飾り付き熊手が売っていること。普段は静かな参道もこの日は熊手講や飲食物などの出店が隙間なく立ち並び、参拝に向かう人や買い物を楽しむ人でまっすぐ歩くのもままならない。

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人込みをかぎわけながら石の鳥居をいくつかくぐるとようやく本殿がみえてくる。しかし、買い物が先か参拝が先かは人それぞれ(僕は参拝が先派)なので、流れがわかりづらい。いずれにせよなかなか思うようには進めないのだが、祭りで高揚した雰囲気のなかウロウロするのは楽しい。

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酉の市の日は参道横にある蔵が開かれ、12年に1度酉年にのみ渡御(とぎょ)が行なわれる神輿が公開される。人込みを避けるようにきた人たちも絢爛さに驚き足を止めていた。

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参道を突きあたりまで進むと少し高い位置に立派な拝殿がある。境内にある案内によると嘉永7(1854)年上棟で総欅方三間四方唐破風造り。神社自体の創建は平安時代といわれ、酉の日の例祭は応永年間(1394-1428)から行われていたとのこと。長いこと近所に住みながら、そんなに歴史を持つ神社だとは知らず…改めて見ると、なんだか格式が高く思えるから不思議だ。

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酉の市が単なる賑やかな市ではなく神聖な祭礼であることを示すよう、神楽殿(かぐらでん)では和楽器による演奏が行われていた。

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本殿周辺では、商売繁盛のご利益があるといわれる熊手を売っていて、売買が成立したときの「いょ~ぉっっ」という掛け声とともに手締めが行なわれる。このやり取りにもっとも「酉の市らしさ」を感じる人も多いのでは?

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日が落ちてからも続々と参拝客が集まり、参道は人で埋まったまま。しかし、もう一度あの中を逆に進むのは楽しみでもある。昭和時代の郷愁を誘う懐かしい夜店が待っているのだから。

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『珠玉と歩む物語』小松
~時の流れの中で磨き上げた石の文化~
<石川県小松市>

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弥生時代の権力者を魅了した碧玉(へきぎょく)の装飾品加工から、およそ2300年にもわたり石の文化を磨き続ける小松。装飾品ののちには石を建築素材として加工する技術も導入され、生活・文化に密着した石の活用が普及した。

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それを可能にした要因は、石川県小松市全域が銘石を産出する地域であることや、大陸からの技術が入ってきやすい日本海沿岸交易の要地であること…

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そして、なによりそれらを活用しより高いものづくりを目指してきた、この地域の人々の高度な技術とたゆまぬ努力があった。

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先人から脈々と受け継がれてきた「石」の文化は、装飾品・美術品・建造物・信仰の対象など様々なかたちでいまなお残されている。小松を訪れ石に関する文化を見て歩けば、人々の2300年におよぶ足跡を感じることができるだろう。

 

 

小松市埋蔵文化財センター

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小松の石文化に興味を持ったら、ぜひ訪れたいのが「小松市埋蔵文化財センター」。地域の出土品を中心に企画展示されているほか、 古代の技術をそのまま取り入れた「勾玉づくり」や「組み紐」等を無料で体験できるなど、古代のものづくり技術をより身近に感じられる施設である。
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また、はるか弥生時代から時を刻み続けてきた「八日市地方遺跡(ようかいちじかたいせき)出土品(国指定重要文化財)」も、ここで収蔵展示されている。

 

那谷寺(国名勝指定・国指定重要文化財)

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この那谷周辺の地域は管玉(くだたま)の材料である碧玉の産地であり、そのなかにある那谷寺(なたでら)は自然を崇めてきた小松らしく“自然智”の教えを守り受け継いでいる。境内周辺の岩山にある多くの洞窟も、魂がよみがえり清められる聖地として信仰の対象となっている。

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国指定重要文化財である本殿は巨大な岩山の洞窟とつながっており、やはり石との密接な関係を見せてくれる。そして、広大な境内は四季を通して美しく、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンでも一つ星がつけられているほど。来年(2017年)は、泰澄により開創されたと伝えられる養老元(717)年から1300年を数え、那谷寺開創一千三百年大祭が催される。歴史・自然美に加え、貴重な祭礼を目にする好機である。

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また、那谷寺庫裏庭園は、庭石や飛び石に碧玉やメノウ、水晶など地元産の宝石類が使用され、名勝としても指定されている名園。小松の名石を探しながら散策して欲しい。

 

鵜川石切り場

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古代から、江戸時代の小松城石垣にいたるまで、長年にわたり石材を供給していた鵜川石切り場では、地底湖のように水が溜まった幻想的な光景が見られる。また、洞窟の一部を活用したハニベ巌窟院という観光施設もあり、迷路のような洞窟内でおびただしい数の彫塑が地獄風景を展開している。一風変わったスポットとしても有名で、 土産話やSNSのネタを数多く仕入れることが可能だ。

 

小松城本丸やぐら台石垣

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加賀藩前田家三代利常公が改修にこだわりをみせた小松城本丸やぐら台。地元の凝灰岩と金沢の安山岩が、「切り込みハギ工法」により隙間なく積み上げられている。急角度の壁面に浮かび上がる石色のコントラストは、400年の時を経ても色褪せることなく目にすることができる。

 

東酒造(国登録有形文化財)
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酒蔵と住居あわせて12棟が国の登録有形文化財になっている1860年創業の造り酒屋「東酒造」。日本遺産の構成文化財でもある石蔵は、昭和に入ってから地元・小松の観音下(かながそ)石で建てられており、まさに継承する石文化の証ともいえる。毎年5月3日には酒蔵見学ツアーが行われているほか、4~11月の休業日以外なら酒造見学も受け付けている(要事前予約)。蔵見学には試飲も含まれるので、文化財に囲まれながら日本酒ファンの間で名高い「神泉」を味わえる。

 

画像提供ならびに記事作成協力:小松市役所観光交流課

特別名勝「御嶽昇仙峡」のロープウェイに乗って、パワースポットめぐりはいかが!?
<山梨県甲府市>

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昇仙峡まで来たら訪れたいのが、昇仙峡エリアの奥の方にある昇仙峡ロープウェイ。自然の美しさに加え、これでもかと言わんばかりのパワースポットアピールが楽しい。気が付いてほしいのは、入口にかかる看板はロープウェイよりもパワースポットの文字の方が大きいってトコ。これはもう乗るしかないでしょう。

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ロープウェイの駅には、富士山から皇居へと続く「龍脈の流れの図」が掲げられており、12のポイントが掲載されているのだが、なんとそのうち8カ所がこの駅から歩いて数分で行けるのです!

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パノラマ台駅を出ると早速「パワースポット巡り」の案内図が…そしてすぐ現在地がパワースポット「浮富士広場」であるというコトを知ることに。「よし、それなら残り7か所も回ってやる」となりますよね。いや、なってください! 右後方を見れば2つ目にして最大のパワースポットとうたわれる「和合権現」がありますから。

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和合権現は樹齢350年を経た楢の木が祀られたパワースポット。男女の象徴を合わせ持つ御神木は、金運・縁結び・子宝にご利益があるそうで、中に入ると、確かにそのカタチをした木が立てられており納得。ただし、お詣りした人が叩く太鼓の音が響くたび、ニヤリとしてしまうのは止められません。

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和合権現を過ぎ1分も歩けば、3つめのパワースポット「八雲神社」。こちらは1564(永禄7)年建立の神社で、夫婦和・縁結びの神様として古くから近隣住民の信仰が厚くかったそう。拝殿は1968(昭和43)年に再建されたものだが、奥には歴史を感じさせる石の祠があり、ここがパワースポットというのもうなずけます。

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石の祠を過ぎるとすぐに4つめの「約束の丘」に到着。ちょっと無理やり感あり!?

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ここには富士山から発する龍脈があたる「龍の松」があり、龍の腹を目がけてコインを投げるとさらなる幸運が舞い込むとのこと。うまいことコインがザルに入れば嬉しいので、ここはあまり考え込まずにやってください。ちなみに、5つ目の「うぐいす谷」もすぐ近くです。

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この後は、いったん駅まで戻って反対側へ。8つパワースポットのうち「福仙人神社」と「展望台」は徒歩5分圏内。しかし最後の「弥三郎岳」だけはちょっとした山道をあるかなければ着けません。syosenkyo11

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だたし、個人的に一番オススメなのが「弥三郎岳」。山頂近くにある大きな丸い石の上に立つと、富士山をはじめ南アルプスや八ヶ岳連峰、奥多摩山系など雄大がパノラマが拝めます。柵などは一切ないので注意が必要ですが、高度感もあり気分爽快。絶好の撮影スポットだし、大きな石からは確かにパワーを感じられる気がします。

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さて、8カ所のパワースポット(浮富士広場/和合権現/八雲神社/約束の丘/うぐいす谷/福仙人神社/展望台/弥三郎岳)を回ったみなさんは、龍脈の気で満ち溢れているハズ!  しかし、実はもうひとつパワースポットが…。「もういいよ」なんて言わず、せっかくなので行ってみてください。最後の一つはロープウェイ山麓駅を降りたところにある池(黄金池)なので、帰りがてらにサラッと通りかかりますから(笑)。

【隅田川沿いの下町風景④】浅草めぐり<後編>
〈東京都台東区〉

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つぎに『日本最古のゆうえんち』のコピーで知られる「浅草花やしき」へ。開園は、なんとペリー黒船来航の年と同じ(!)1853年。最初は腕利きの造園師が手がけた牡丹や菊を鑑賞する「花屋敷」としてスタートし、明治に入って遊具施設が置かれ今に至るそう。(写真には長年にわたり、花やしきのシンボルだった「Beeタワー」の解体前の姿がぎりぎり写っています。)
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花やしきは外国人にもとても人気です。理由は、やはり、ここだけでしか味わえない独特の魅力や雰囲気があるためでしょうか?
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遊園地といえば、ふつう明るい雰囲気をイメージするものですが、この日どこまでも澄み渡るような青空とまぶしい陽光の下、不気味に笑っているようなスワンと目があった瞬間に、ここにあるのは明るさだけではないことに気づきました。
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さらにこの遊園地は、新しさと古さの両方が組み合わさっていて、色彩もどこか古びて昭和のムード。ノスタルジーも思う存分、堪能できます。
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屋内の施設へ向かう渡り廊下には、キッチュな魅力あふれる展示物がたくさん並び、アヤしい魅力にいちいち目が離せません。
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屋上へ出ると、さらにアヤしさは全開に。最初はタモリさんの像か?と見間違えましたが、こちらは創立者の山田貞一さんの像でした。にしてもまるでコントの時に芸人さんがやる「なりきり銅像」にそっくり。まじめな像にちっとも見えないのは、「過剰な演出」のなせる技(?)でしょうか。
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花やしきをたっぷり堪能したあとは、老舗や伝統ある名店がズラリと名を連ねる「浅草うまいもの会ガイドブック」を見ながら店探し。とくに夜だと高くて庶民には手が出ない「今半」などは、ランチが狙い目です。傑作の呼び声高い「すきやき丼(2,000円)」が売り切れだったために、代わりに頼んだ二段重ですが、すきやき丼とステーキ丼がいっぺんに!しかもどちらも美味しいっ!!と声をあげそうになりました。
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昭和12年から続くお好み焼き屋の老舗「染太郎」も今やすっかり浅草の定番観光スポット。外国人が並ぶ姿まで見かけるようになりました。以前には、江戸川乱歩や、開高健、野坂昭如などの作家たち、また勝新太郎、渥美清などの昭和を代表する俳優たちも来店したそうです。

 

撮影:乃梨花

【隅田川沿いの下町風景④】浅草めぐり<前編>
〈東京都台東区〉

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日本を訪れる外国人の旅行先として人気の高い浅草。そんな浅草を象徴するランドマークの1つがここ「神谷バー」です。電気ブランで有名なこのバーは、日本最初のバーとしても有名。台東区浅草1丁目1番1号という番地の数字でも縁起の良さを感じさせるこのビル(1921年竣工)は、国の登録有形文化財になっています。
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松本零士氏がデザインしたホタルナは宇宙船を思わせる未来型の形状。隅田川の川辺にでて、東京スカイツリーとホタルナが同時に視野に入れば「下町の浅草」とはべつの、未来の顔が覗けます。
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浅草のシンボル雷門。なによりも目立つこの大きな提灯は、見た目よりはるかに重い700kgというから驚き。提灯の反対側には「風雷神門」の正式名が刻まれています。
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雷門をくぐり、仲見世通りへ。ここはまるで一年中がハレの日の祝祭空間。歩くだけで気分が高揚し、元気が出てくる、そんないつ来ても賑やかな場所です。
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仲見世商店街を抜けた先、突き当たりの宝蔵門は『応永縁起』によると平安時代の天慶5年(942)の建立。もとは仁王門と呼ばれていました。これまで火事による焼失と再建を繰り返し、3代目将軍・徳川家光の時代(1649年)に再建された木造のものが(戦災に遭って焼失する1945年までの間)もっとも長くありました。
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浅草寺の隣には「三社様」と呼ばれ、三社祭でも有名な浅草神社があります。社殿は1649年に徳川家光により再建されたものが戦災を免れて現存しています。貴重なことから、国の重要文化財にも指定されています。
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浅草の東西約150mに伸びる伝法院(でんぼういん)通りは、他の通りとは一線を画す趣向が凝らされています。江戸の町並みを模した情緒あふれる商店街には、江戸切子やつげ櫛などの匠の技を誇る店が並びます。それ以外にも、さまざまな発見と遊びに満ちた通りです。
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名物あわぜんざいで有名な梅園は、安政元年(1854)創業の甘味処の老舗です。参拝客は言うまでもなく落語家や文化人にも長く愛されてきた店。あわぜんざいは、餅きびの多少の渋みと、あんの甘味、香りの微妙なバランスが癖になり、リピーターを増やすようです。
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浅草と言ったら、こちらもハズせない浅草演芸ホールは、鈴本演芸場(上野)、新宿末廣亭、池袋演芸場とならぶ、東京の「落語定席」のひとつ。昭和39年(1964)のオープン以来、落語や漫才のほかにも、漫談、コント、マジック、紙切り、曲芸、ものまねなどが楽しめ、遠方からここを目当てに訪れる人もいます。
(後編へつづく)

 

撮影:乃梨花

そうだ!灯台へ行こう〜本州の最東端に立つ犬吠埼灯台〜
〈千葉県銚子市〉

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源義経に置き去りにされた愛犬が7日7晩鳴き続けたという。そんな義経伝説が地名の由来といわれる犬吠埼。埼という字が最後に付く岬もめずらしく、“山がそのまま海に迫り上がった地形を指す”崎に対して、土偏の埼は“草木が生えない荒れ地が突出している地形”のさまをいう。
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この岬に立つ灯台は、美しい白亜の塔で遠くからでもよく目立つ。明治七年に作られたレンガ造りで、2014年には、点灯140周年を迎えた。「日本灯台の父」と呼ばれる英国人R・H・ブラントンが設計。
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2008年まで使用され、その任を終えた灯台付属施設の霧笛舎。明治期に設置された霧笛舎の中でもここ犬吠埼のものは国内で最後の1つとなるまで稼働していた。五里霧中の船舶が頼みにした霧笛も、レーダーやDGPSなどハイテク技術の進歩に取って代わられ、100年の歴史はあえなく幕を閉じた。
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『霧笛』といえば思い出すのは、レイ・ブラッドベリの同名の短編。(短編集「ウは宇宙船のウ」収録)灯台の霧笛を仲間の呼び声と間違え、海を渡りやってきた百万年の眠りから覚めた孤独な恐竜。恐竜の「咆哮」と灯台の「霧笛」が夜のしじまに悲しく響きあう、胸がせつなくなる物語。
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犬吠崎燈台霧信号所内部にある霧笛の動力装置。写真は燃料によるエンジン式のもの。奥には圧縮した空気を蓄えるタンクが置かれている。霧信号(霧笛)は、鳴り方(周期:音を鳴らす時間と止めている時間の組み合わせ)が霧信号所によって異なるため、船舶はどこが発信元かを識別できる。
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犬吠埼灯台は日本を代表する灯台の一つで歴史的文化財的価値も高い。「日本の灯台50選」「世界の灯台100選」にも選ばれ、年間10万人以上もの見学者を集める。高さ31.3mで尻屋埼灯台(青森)に次ぎ国内2位。
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九十九里浜にちなんで作られた99段の石造りの螺旋階段をのぼると、眼前には太平洋を彼方まで見晴らせる眺望がひらける。
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犬吠埼灯台資料展示館内に飾られている犬吠崎燈台の初代レンズ。
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この灯台の構造はレンガの二重円筒構造。建設には、19万3千枚ものレンガが必要だった。ブラントンは品質の良い(しかし高価な)イギリス製を希望。が、日本人技師・中沢孝政はイギリス製に負けない高品質の国産レンガの製造に努め、努力の末に見事に成功させる。その後につづく日本の『モノづくり神話』の原型がなんとここにも!
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灯台からほんの少し離れた海沿いの崖の上に立つ高浜虚子の句碑。「犬吠の今宵の朧待つとせん」と刻まれている。日本探勝会の吟行で、虚子が銚子へ訪れ犬吠埼で一泊した際に詠んだとされるもの。太平洋から湧いた霧がかかって、今宵の月は朧(おぼろ)となろうか・・そんな情景がここに立つとよりはっきりと目に浮かんでくるのは、場の力だろうか。

 

写真:乃梨花

実は競馬場にもなっていた!? いろんな要素が盛り沢山の不忍之池(しのばずのいけ)
<東京都台東区>

ueno10_00穴稲荷・五條天神社前の坂を下りると不忍之池にでる。

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山側からの入り口は、そのまま中之島にある弁天堂への参道へとつながる。ここには屋台が出店していることが多く、池のそばにはベンチもある。池を見ながら一休みするのにちょうどよい。

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短い参道を歩くと、1625(寛永2)年に建立された弁天堂。ご本尊は八臂大辯財天(はっぴだいべんざいてん)で、寛永寺開基の天海が竹生島の宝厳寺から勧請したといわれている。現在のお堂は1958(昭和33)年に再建されたもので、八角形をしているのが特徴だ。

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ちなみに、境内には数多くの石塚があり、これはグルメ漫画のはしりといわれる「包丁人味平」で有名になった(?)包丁塚。また、今年(2016年)9月に人気ゲーム「ポケモンGO」の敷地内遊戯を禁止したことで、メディアの露出が増えたのもこの周辺。創建時は弁天島とよばれる島になっていて、船で参拝するようになっていたのだが、誰でも気軽に参拝できるよう橋がかけられたそう。江戸時代にこんな騒動になるとは考えもしなかっただろう。

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弁天堂を通過すると1931(昭和6)年から続くボート乗り場がある。

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自分が学生だった平成初期のころまでは、手漕ぎボートしかなかったと記憶しているが、いつのまにかスワンやサイクルなどレジャー施設っぽいボートが導入され、レジャー感が増したように思う。これだけビルに囲まれた池も珍しいのではないだろうか。

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ボート乗り場を左に折れ、湯島方面へ進むと「上野水上音楽堂(上野恩賜公園野外ステージ)」。一般にも貸出されているが、ときたまイベントを行っているのを見かけるくらい。ライブなどをやりたい方には穴場かもしれない。

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音楽堂を背にすると、密生した蓮の向こうに弁天堂や上野の山がみえる。2014年には蓮観察デッキが新設され、蓮の花が咲き乱れる夏は人気のスポットになった。

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あまり知られていないが、明治中期の不忍之池では競馬が開催されていたそうだ。ただし、明治天皇はじめ華族、政府高官、財界人など貴族の社交場としての意味合いが強く、馬券販売などは行なわれていない。1884(明治17)年から1892(明治25)年の9年間のみの開催であったが、池を周回した長さ880間(1,600m)・幅12間(21.8m)のコースの面影はいまも残っているように思われる。

【隅田川沿いの下町風景③】蔵前の周辺
〈東京都台東区〉

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台東区南部は古くから続く製造・卸の店が集まるモノづくりの町。なかでも蔵前は、若い職人やクリエイターが集まり、新しいカフェやショップなどがぞくぞくオープンするなど、近頃では話題にこと欠かない地区です。
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原宿の表参道沿いにあった同潤会アパートとどこか似た雰囲気の国際通りのタイガービルは1934年の竣工。以前は高級賃貸アパートでした。戦火をくぐりぬけて現存する昭和モダンの洗練された美しい建築で、国の登録有形文化財になっています。
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国際通りから御徒町方面に曲がって1つ目の角にある「喫茶らい」は、1962年から続く昭和の純喫茶。60年代のポストモダンなセンスを感じさせる居心地のよい店内は、歳月を経て褐色のレトロ空間に。しっとりとして落ち着きます。
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人気急上昇中の「結わえる」のショップでイートインできるのは現在のところ本店のここだけ。おかずや汁を自由に組み合わせた寝かせ玄米のランチが人気です。150ものメディアに取り上げられた「寝かせ玄米」の効能を知らずとも、お手頃価格とおいしさだけで魅力十分に感じられます。
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休日にはいぜんとしてまだ行列の「ダンデライオン・チョコレート」。そのすぐそばにある「NAKAMURA TEA LIFE STORE」。静岡で約100年の歴史を誇るお茶屋問屋の「中村屋」が扱うオーガニックのお茶店は、古いレンガの建物を改修したセンス溢れる造りで目を引きます。
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第六天榊神社は、景行天皇の時代に日本武尊(ヤマトタケル)が東夷征伐の折に創祀したといいます。森のような緑の木々を背景に南側の正面鳥居が凛とたち、殺風景なビル街に一片の清涼感を与えてくれています。
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1876(明治9)年創設で120年を超える歴史を持つ浅草聖ヨハネ教会は、「おもちゃ・文房具」等の活気ある問屋街の真ん中に位置しながら、古くから恵まれない人々に慈善や施しを行う地域のセーフティネットの役割も担っています。
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このあたりは、卸だけではなく中には小売りもしてくれる問屋さんも。写真は「お面」の問屋さんですが、小売りもOK。ちなみに「ひょっとこ」は「おたふく」「キツネ」と並んで定番モチーフらしく?それぞれ10種類以上ものヴァージョン違いを交互に見比べるだけでも楽しめました。

 

写真:乃梨花

見る、食べる、知る!女子のよくばり北海道③
<北海道札幌市>

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夜はサッポロビール園でジンギスカンを楽しみました。いくつかホールがありますが、ケッセルホールをチョイス。巨大なビールの仕込み釜(ケッセル)が置いてあり、開放感にあふれています。ビールが苦手な私がお代わりをしてしまうほど美味しかった。

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マルセイバターサンドで有名な六花亭でスイーツを満喫。マルセイアイスサンドは、ここでしか食べられないそうです。チーズ&チップスは、蜜に漬けたさつまいもチップスに、クリームチーズをのせています。東京にもお店があったら通いたい。

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お次は雪印パーラーへ。この「スノーロイヤル」は、なんと宮内庁より依頼を受け、天皇・皇后両陛下のために作られた特別なアイスクリームです。味はまったりと濃厚で、口に入れたとたんに溶けてしまうような柔らかさ。特別な時に食べたいアイスですね。

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“Boys,Be Ambitious”「少年よ、大志を抱け」の言葉で有名なクラーク博士です。さっぽろ羊ヶ丘展望台にあります。このポーズは「遙か彼方にある永遠の真理」を指し、そこに向かい大志を抱けとの思いが込められているそうです。

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クラークチャペルと呼ばれる小さな教会です。以前はウエディングに使われていたそうです。白い建物に赤い屋根がかわいらしく、印象的でした。

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羊ヶ丘展望台からの絶景。北海道の雄大さを感じさせてくれます。思わず大志を抱きたくなります。

 

 

 

【隅田川沿いの下町風景②】浅草橋界隈
〈東京都台東区〉

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浅草橋を通る日光街道は、浅草寺に続く参詣道と神田川の船運が交わる活況ある場所柄で、江戸時代から参詣土産の人形問屋が並んでいました。今でも大通りには「吉徳」「久月」「秀月」といった老舗人形屋や、文房具・雑貨店などの専門店ほか、多くの問屋が見られます。(写真は、JR・浅草橋駅構内に展示されている「吉徳」人形。)
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また川沿いの「隅田川テラス」に出れば、人々が街中の喧騒を離れてほっとひと息つく姿も。勤め人や地元民の気分転換にもよく利用されているようです。
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駅を降りて右手の浅草橋のたもとには、江戸三十六門(江戸城の警護のため36箇所に設けられた見附)の一つだった浅草見附跡の碑があります。
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JR・浅草橋駅を挟んで南北に「吉徳」「久月」「秀月」といった老舗人形屋が並ぶ大通りの風景も浅草橋名物。写真は駅を降りるとすぐ目に入る「久月」。駅をはさんで反対側の「吉徳」が江戸最古の人形店と言われています。
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「久月」の正面、江戸通りを挟んで向かいの路地の突き当たりに位置する銀杏岡八幡神社。駅の近く、繁華街の一角にありながら、ほっとひと息つける柔かな空気が流れています。
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JR浅草橋駅前の高架下にある安売衣料店。通りの反対側には駅チカには珍しい事務用品の店。高架に沿って一杯飲み屋などが立ち並ぶ風景は昔ながらのものですが、変化といえば?最近は外国人観光客を意識した店も増えてきました。
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浅草橋5丁目の銭湯「鶴の湯」。破風の三角の下に描かれた鶴がトレードマーク。銭湯ファンの間では、よく知られており、わざわざ写真を撮りにくる人も多いそう。
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表通りから一歩中に入れば、古き良き下町風情を残す路地や民家もまだ多く見られる浅草橋(写真は2丁目)。
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浅草橋2丁目にある蕎麦屋「いしくら家」の佇まいには、昭和の古さが良い感じに滲みでています。気のせいか看板の文字まで滲んで見えるような?問屋や中小企業が多いこのあたりの店は、昼食どきにはいつも混み合っています。
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「いしくら家」の並びにある中華料理「大勝軒」も昼はいつも固定客でいっぱい。通い慣れた地元の人には、ほっとできる味と雰囲気が一番なのかも?建物の方も昭和の雰囲気を色濃く残すレトロビル。こちらもたまらない「味」です。
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地元の古い住民ならではのさりげない日常感?が感じられる男性。通り向こうの問屋ふうの商店の佇まいも好ましい。
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江戸時代、備前国(元、佐賀県、長崎県の一部)平戸藩主松浦隆信の別邸だったという蓬莱園跡をしるす碑。(現在の都立忍岡高等学校の敷地はその一部。)
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浅草橋5丁目の大通りに面した角に建つ大正モダンな感じの近代建築。正面上部のレリーフの精緻さが目を引きます。時が経っても色褪せない魅力を放つ建物の一つ。
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下町と都会の繁華街の魅力を兼ね備え、古い伝統と新しい潮流が混在して、またきっと別の何かが生まれてきそう。そんな風に感じられる現在(2016年時点)の浅草橋でした。

 

写真:乃梨花