見る、食べる、知る!女子のよくばり北海道②
<北海道旭川市>

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待望の旭山動物園です。バスで行くフリープランを利用し、札幌から3時間ほどで到着。動物の自然な姿が見られる「行動展示」を実施して、全国的に有名な動物園となりました。国内はもちろん、海外からも多くの観光客が訪れます。

 

カピバラ。ネズミ目の中では最大の種で、体長は約1メートル程度。寒さに弱いらしく、冬場は展示されていないそうです。その割には、気持ちよさそうに泳いでましたけど。

 

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旭山動物園、最大の特徴である「行動展示」。木やロープが遊び道具として設置してあります。テナガザルが、ものすごいスピードで飛び回る姿は圧巻です。さすが、お猿さん。

 

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ゴリラのデザインをした自動販売機。こんなところにも拘りやサービス精神が感じられます。手の部分は、ゴミ箱になっています。

 

網目状の模様がとても美しいアミメキリン。舌の長さは40㎝もあるそうです。展示方法も特徴的で、床を地上より掘り下げているので、キリンと同じ目線で観察できます。つぶらな瞳に癒されました。

 

他にも、レッサーパンダ、ペンギン、ホッキョククマなど沢山の動物たちを観察できます。動物たちの習性を活かした餌の与え方をしている「もぐもぐタイム」は必見。こちらも動物と同じ目線で観察できるよう、飼育施設内に入れる工夫がされています。

 

 

古代より都の食文化を支えた若狭の中心地・小浜の魅力
<福井県小浜市>

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地図を見れば一目瞭然、東西の半島ですっぽり囲われた小浜湾は、冬の荒れる日本海岸にあっても、波静かな天然の良港である。しかも、まっすぐ南下すれば京そして奈良。小浜は、都から最も近い日本海の玄関ともいえる。

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その絶好の地理条件によって、古くから漁港としても、また朝鮮半島など大陸との交流拠点としても栄えたところである。

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平成27年度に日本遺産に認定されたが、当地は古より奈良・京都の朝廷へ食材を供給した「御食国(みけつくに)」。もちろん豊富でうまい食材がたくさんある。一尾をまるごと豪快に焼いたサバは、若狭の名物。香ばしい表面と、ジューシーな中身が絶妙のハーモニー。

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どこでも刺身が食べられる現在とはちがって、海から遠い都(内陸)にはずっと生魚はなかった。さまざまな海産加工品が工夫された所以だ。防腐作用がある笹の葉で包んだ「小鯛のささ漬け」は、生の触感にもっとも近いまま都へ運ぶという必要から生まれたのだろう。

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ここは京都・出町柳へ繋がる鯖街道の始点であるが、その道は、さらには奈良へも繋がっている。春を告げる伝統行事、東大寺・二月堂の「お水取り」は有名だが、そこで香水を汲む若狭井は、この小浜の鵜の瀬に繋がっているといわれる。写真の「お水送り」は、その奈良・二月堂へと水を送る神事。約100キロの距離をつなぐ、壮大なスケールの物語が神秘的である。

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港町といえば、花街はつきもの。ここ「三丁町」は、紅殻格子や出格子の建物が軒を連ねており、往時の華やぎを残した風情ある町並み。当地の女の子が大阪で落語家を目指すという連続テレビ小説「ちりとてちん」のロケ地でもあった。一帯は「小浜西組」として、重伝建地区に指定されている。

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さて、その「ちりとてちん」主人公の祖父は、塗箸職人であった。若狭塗の歴史は、江戸時代の初期まで遡るそうだが、塗箸の生産量はいまも全国の8割を占めるのだという。

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もちろん若狭の豊かな自然景観も見逃せない。写真は、地元で「かんにゃ」の棚田と呼ばれているところ。かつては500枚以上あったそうだが、現在は約100枚ほど。紺碧の日本海を背にして折り重なる緑の水田は、日本の貴重な原風景である。

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また遊覧船で行く「蘇洞門(そとも)めぐり」も、おすすめの観光コース。日本海の荒波が侵食した奇岩、洞門、洞窟が、6kmにわたって荘厳な風景をつくっている。豊かな自然と、脈々と受け継がれる伝統文化、若狭の魅力はなかなか奥深い。

 

写真提供:公益社団法人福井県観光連盟

見る、食べる、知る!女子のよくばり北海道①
<北海道小樽市、札幌市>

東京から約一時間半、飛行機で北海道へ向かいました。美味しい物が沢山待ち受けているので、食べすぎ注意だけど、せっかくの旅行なので細かいことは気にせず食べる気満々。前日に雨が降り、冷え込んだせいか、想像以上に涼しかったのでびっくりです。

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観光地として人気が高い小樽。なかでも有名なのが小樽運河です。この運河は海運水路として活躍しました。その役目を終えた現在は、散策路や街園が整備され、観光地として多くの人が訪れる場所です。運河の周りには、歴史を感じさせる倉庫が並んでいます。

 

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夜の小樽運河は、ガス灯がやさしい灯りを放ち、河や倉庫をライトアップしています。昼とは違った風景が楽しめます。

 

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札幌に移動です。ランドマークであるさっぽろテレビ塔の展望台は、市内を一望できる絶景スポットです。非公式ながらほぼ公式キャラクターである「テレビ父さん」グッズや展示コーナーが盛り上がりを見せているそうです。

 

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有名なこの札幌市時計台、国指定重要文化財です。実は正式名称があり「旧札幌農学校演武場」と言います。農学校生徒の兵式訓練や入学式・卒業式などを行う中央講堂として1878(明治11)年に建設されました。

 

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「赤れんが庁舎」の愛称で知られる北海道庁旧本庁舎。こちらも国指定重要文化財です。1888年(明治21年)に建てられ、建築様式はアメリカ風ネオ・バロック様式。館内は、一般に無料公開され、北海道の歴史をたどる資料を展示しています。

 

 

 

【隅田川沿いの下町風景①】柳橋あたり
〈東京都台東区〉

神田川が隅田川にそそぐ所にある柳橋とその周辺は、古くから隅田川の船遊び客の船宿が多く並び賑わっていました。この神田川を挟んで手前の台東区と対岸の中央区の区境に架かる橋は、遡ること元禄10年(1697)に木造の橋が架橋されたのを初めに、昭和4年にかけられた現在の鉄橋が3つ目となります。明治20年(1887)に架け替えられた2つ目の橋は、関東大震災で焼失し、橋とともにこの一帯も、当時は焼け野原となりました。
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幕末・明治以降には、柳橋は花街(花柳界)としても名を知られるようになります。交通の便のよい隅田川沿いという要所に位置し、風光明媚な色彩を帯びた街として栄えていきます。最盛期には、料理屋、待合あわせて62軒、芸妓366名の規模を誇りました。その頃の名残りとして橋には「かんざし」のレリーフも飾られています。
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浅草橋に立ち、両国方向に向かうと緑のライトに照える柳橋が見えます。このようにいまでも川沿いには多くの舟宿が並び、夜になると川面に並んだ船に灯りがともって、華やかな色彩を帯びてきます。
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神田川をはさむ柳橋のたもとにあるのが、柳橋名物の二つの『小松屋』。こちらは季節の佃煮を扱う店で、舟宿の『小松屋』の主人の兄弟が昭和28年に開いたという店です。なんでも昔、舟宿は冬の寒い季節にはあまり客がなく、そのため副業として佃煮などを販売していたのが本業に発展したそう。それら商品の佃煮の中では「一と口あなご」がどうやら人気のようです。
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もう一方の『舟宿小松屋』は舟宿の老舗として知られる店。大正のはじめに堀に湧いた魚を釣りに来る人達に田舟を貸すのを生業とし、その後、両国橋の近くの一ノ橋で網船一艘で商売を始め、昭和2年に釣り船、屋根舟、網舟、涼み舟、汐干舟と看板を掲げるようになったそうです。
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もう1つ、柳橋といえば老舗の料亭『亀清楼(かめせいろう)』も忘れてはなりません。創業はなんと安政元年(1854)。現在は上階がマンションの近代的なビルですが、3階建ての木造建築だった明治の頃には井伊直弼や伊藤博文がよく利用した店としても知られています。文学作品では、森鴎外の「青年」や永井荷風の「牡丹の客」、舟橋聖一の「花の生涯」などにも登場する店。また国技館に近いため、古くから横綱審議会も行われています。
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現在では河岸がすっかりコンクリートで覆われてしまった隅田川ですが、昭和24、25年のまだ護岸工事のされていない高い堤もない時代には、料亭の前には張り出し桟橋が大川(隅田川)に突き出る形でかかっていました。客は川岸の料亭に舟で訪れ、川を上ってその足でまた吉原へ繰り出す、などの粋な江戸遊びを楽しんでいたそう。今から見れば、風流の極み。うらやましい限りです。
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亀清楼の老舗懐石料理は、ランチでも堪能できるところが魅力。『両国御膳』(2,100円)の豚角煮は、何度でも通って食べたくなるおいしさ。角煮が盛り付けてある器からも老舗の名店で長く愛用されてきたような風合いが感じとれます。
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ほかにも浅草橋から柳橋の間の神田川沿いには船宿がたくさん並びます。浅草橋駅から一番近いのが、徒歩2分で行ける『三浦屋』。貸切り以外にも、週末だけの乗り合い船もあり、カップルや夫婦で利用できるところも魅力です。
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浅草橋に立ち秋葉原方面を眺めると、三浦屋の船のひときわ鮮やかなピンクやブルーの屋根が目に入ります。
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浅草橋から柳橋にかけて川沿いに建つ『田中屋』。浅草橋のすぐ手前にあります。
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船宿の店先に咲いていたアニソドンティア。洋名にそぐわず和の情緒が感じられる花。
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『あみ春』も昭和漂う川辺の船宿の独特の佇まいで魅力的です。
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向こう岸から見た『あみ春』の屋形船。夜には赤い提灯に灯がともり、川辺を彩ります。
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柳橋から浅草橋方面をのぞむ景色。このあたりも昭和の初め頃までには、風情あふれる川沿いの景色が広がっていました。
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過ぎ去りし時代の絢爛な花街の情景はすっかり影を潜め、殺風景なコンクリートのビル群に変わってしまった柳町。赤い朱塗りの『篠塚稲荷』と黒板塀(閉店した『割烹伝丸』)がかすかな名残りを留めます。
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花柳界の面影を残す民家も。明治期には新橋とともに「柳新二橋」(りゅうしんにきょう)と称され、一流の芸妓(げいぎ)を誇っていました。
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石塚稲荷神社には、鳥居入口の左に「柳橋料亭組合」、右に「柳橋芸妓組合」の文字が歴史の証人のように静かに刻まれています。

 

写真:乃梨花

江戸~川越を結んだ舟運の歴史をいまに残す「福岡河岸記念館」
<埼玉県ふじみ野市>

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いまや小江戸・川越といえば有名観光地だが、その川越と江戸を結んだ舟運ルート・新河岸川を少し下ったところにあるのが、この「福岡河岸記念館」である。

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ふじみ野市福岡は、江戸期から明治にかけて、新河岸川舟運の中継地として栄えたところ。かつての船着き場は、河岸を散策できるように整備されている。

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幕府公認の船問屋であった吉野屋、江戸屋、福田屋が、ここで営業していたというが、現在、記念館として公開されているのは、その福田屋の建物。主屋は明治初期、離れ・台所棟・文庫蔵は明治30年代の建造といわれる。三階建ての離れは、いまでも遠くから望むことができ、当時はずいぶん目立ったランドマークであったと思われる。

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荷主との取引をする帳場。往時は船頭や馬方なども出入りし、たいへんな賑わいであったという。

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最近はもう見かけなくなったガラス戸や建具が、レトロな雰囲気を演出している。

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主屋の二階から望む文庫蔵(上)と主屋の座敷(下)。

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文庫蔵では、歴史資料や生活用具など、興味深い品々が展示されている。

川越の繁栄には、新河岸川の輸送ルートが大きく貢献した。かつての舟運の歴史、その雰囲気や佇まいを残す貴重な歴史遺産である。

※東武東上線「上福岡」駅より徒歩約20分、バスなら同駅より南古谷駅行で「城北埼玉中学・高等学校」下車約3分

生い茂る森が開けた山間の道の向こうには、秘境のような光景が待っていた!
<静岡県下田市>

「やっと着いたー」となりがちな海水浴場への到着は、今年はこの上ない高揚感と共に訪れた。大人だけど我を忘れて駆け出したくなるほどの興奮度。子どもたちを置き去りにしてでも我先にとあのビーチへたどり着きたい。そんなテンションになっている自分を、普段仕事で付きあっている人たちは想像できないだろう…。

 

毎年恒例となっている友人たちとの夏の伊豆旅に一味違うスパイスを加えたくて選んだのは、伊豆半島のさらなる半島、須崎半島・九十浜(クジュッパマ)だ。izu01

絵に描いたように理想的な、山の隙間から眼前に広がる美しい海。この位置から左右どちらへ歩いても、海はまったく見えなくなる。この場所に立っただけで、早くも大きな満足感が感じられた。苦労を重ねて山頂へ到達したときのような…とは言い過ぎだろうか。ボキャブラリー不足で申し訳ないが「伊豆にこんなところがあったとは!」…まさに絶景。

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ビーチへと向かう坂道は、車で下りたら戻って来られないのではないかというぐらいの急勾配で、我を忘れて駆け出していたら大転倒事故になっていたかも。だが、下まで来ると少しゆるやかになり、海が近づいてきた。目の前には真っ白な砂浜が…ずいぶんカラフルに彩られてしまっているようだ。。。

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ビーチは秘境と呼ぶにはだいぶにぎやか。確かに100台以上入る駐車場もほぼ満車だった。ただ、訪れる人にはのんびりした人や家族連れが多いようで、不快な騒がしさにはなっていない。ネット社会の情報拡散度合いには驚くばかりだが、場所取りには苦労することもなく、少しだけプライベートビーチ気分を味わえてホッとした。いよいよあの美しい海はすぐそこだ。

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近づいてみると改めて実感する、青いグラデーションのかかった海の美しいこと。坂の上から見た景色に偽りはなかった。波はほとんどない。入り江なので彼方の景色が水平線だけではなく、それを別の島だと思い込めば海の美しさも相まって南の島の楽園にいるような気分にさえなれる。…そう思い込むには夏のピーク時は少々混雑しすぎているかも知れないが。

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幅数十メートルしかないビーチの左右には磯もある。透明度の高さを実感するならこちら。足元だけでも多くの魚が泳ぎまわり、「魚が見えた!」発言をするのが面倒になるほどだ。磯の脇には道が続いていたので探索がてら数分歩いてみると、ダイビング教室が行われていた。どうやらタツノオトシゴも見られるらしい。

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下ってきた急坂を上るのは体力的にも精神的にも不可能だと判断し、別の帰り方を選択。こちらは森の中を階段で上り下りできるようになっていた。一段ごとに力を振り絞って上りながら、ふと最後に振り返る。生い茂る森を抜けた先にこの光景が広がるところを想像してみた。初めて見る九十浜の景色は、こちらからならまた別の感動が味わえたのかも知れない。ちなみにビーチ横に切り立つ崖の上には、須崎御用邸があるらしい。

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ご静養気分を満喫した後は車で民宿へ。新鮮な刺身を中心に、この後どんどん出てくる料理の数々におなかいっぱい。泊まったのは小さな民宿で、建物自体のセキュリティはおろか部屋の鍵さえ付いていなかった。愕然としそうな事実だが、誰もそんなことは気にも留めず。どこも満室の民宿エリアの夜は平和に流れていた。

 

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翌日はのんびりとした帰路へ。西伊豆の海岸沿いを北上し、戸田(へだ)にて知る人ぞ知る有名な塩を手土産に購入した後、海に別れを告げて土肥(とい)から中伊豆の山に入っていった。

 

昔ながらのドライブインに立ち寄って、お気に入りのわさびジェラートを食す。見た目でわかるほど色はついていないが、どう味わってもわさび。しかもジェラートなのに辛い。伊豆はわさびで有名なのでわさび味のアイスはよく見かけるので、甘口から激辛まで探しまわって食べくらべてみるのも面白そうだ。

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次は修善寺に立ち寄り、名物のそばを堪能。奥に見えているのは「禅寺そば」。丸々一本の生わさびの主張が目立つ。好きにわさびをすりおろしつつ、もりそばも山かけそばも楽しめるお得メニュー。一方、手間を避けてシンプルにいただくのももちろん良し。手前の山かけそば単品だけでもそのおいしさに大満足だ。

 

最後は道の駅「伊豆のへそ」にてお土産を買いあさって今回の伊豆旅は終了。今年も十二分に堪能できた。

 

毎年恒例にしている伊豆旅が飽きることなく続いているのは「東京からだと気軽に行ける距離ながらも、都会の喧騒を忘れられる環境」なのがポイントだ。旅の途中で行きたいところが見つかっても「また次の機会でいいか」と思うことができる距離。「綿密な計画調整に抵抗があって旅行に踏み切れない」などという人には、程よい距離にそんなエリアを見つけておくことをオススメしたい。日常から離れることが目的なのだから、もし雨が降って海に出られなくても、宿泊施設で何もせずのんびりと過ごすだけにするのもまた一興。計画倒れに泣くこともないはずだ。

 

 

【余談】

そういえば2016年ならではとも言える光景があった…。

民宿エリアにあった「ポケストップ」と呼ばれる場所のひとつ。右の像はよくできているが、左は…

 

そこにフラリと偶然現れたポケモンとパシャリ。伊豆の静かな民宿エリアでひそかに豪華共演。思い返せば、平和に流れていた静かな民宿エリアの夜でも、時折声があがって大きな盛り上がりを見せる瞬間が何度かあった。同時期に自分たちの部屋も盛り上がっていたのであまり気にしていなかったが、ああそうか。あれは全部、珍しいポケモンが現れた瞬間だったようだ。

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灯り舞う半島 能登 ~熱狂のキリコ祭り~
〈石川県(七尾市、輪島市、珠洲市、志賀町、穴水町、能登町)〉

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「キリコ」とは切子灯籠(きりことうろう)という灯籠を短縮した呼び方で、漢字では切籠(きりこ)と書く。見た目は形や装飾によりいくつかのパターンがあるが、いずれも大きさや華やかさを競いながら地区ごとに独自の進化を遂げ、神輿の足元を照らすために担ぎ出されている。このキリコが担ぎ出される祭りの総称が「キリコ祭り」である。

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個々の祭りは、それぞれの生活空間に溶け込んだ伝統行事として祈願の内容も規模も様々であり、各地域の個性を存分に発揮した祭礼が繰り広げられる。しかし、能登の夏祭りは「キリコがでる」という共通項で繋がってもいるのである。

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7月から9月に能登を訪れるとかなりの確率でいずれかのキリコ祭りに巡りあえる。神輿を照らすキリコの灯をたどれば、能登半島の神々や原風景そして多くの人々と触れあう旅になるはずだ。

 

 

 

◆あばれ祭/能登町/7月第1金曜日・土曜日

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毎年能登の「キリコ祭り」の口火をきるのが、能登町宇出津地区の「あばれ祭」。県指定無形民俗文化財にも指定されているこの祭礼は、キリコや神輿が激しく暴れ回る豪快さが魅力。40基以上のキリコが火花を散らす柱松明の周りをまわりながら乱舞するさまは、見ているだけでも興奮すること間違いなし。

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さらに、あばれ祭の二日目は神輿も大活躍! 海や川に投げ込まれたり…

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火の中に放り込まれたり、ほかの祭りでは見たことがないほど激しい扱いをうけ、人々と神をつなぐ役割をまっとうする。

 

◆石崎奉燈祭/七尾市/8月第1土曜日

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能登半島国定公園の中心に位置する七尾市で行われる「石崎奉燈祭」。七尾湾に面した漁師町・石崎町のキリコは超弩迫力! 約100人によって担がれる高さ15m・幅3m・重さ2tのキリコが7基も登場し、勇ましく町内を練り歩く様は、一度見たら忘れられない光景となる。

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特に、日が暮れて灯りがともされたキリコが勢ぞろいする幻想的なクライマックスは必見!

 

◆宝立七夕キリコまつり/珠洲市/8月7日

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能登のシンボルとして定番の観光スポット「見附島」がある珠洲市宝立町鵜飼地区。この地域で行われる「宝立七夕キリコまつり」では、沖合の海上にある松明を目指してキリコが海を進んでいく。

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吹き流しや風鈴など涼やかな飾りをつけた高さ14mもあるキリコが海の上を乱舞する様は、勇壮さと美しさが混じりあう幻想的な空間を生みだし、見るものを惹きつける。

 

◆西海祭り/志賀町/8月14日

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漁業が盛んな志賀町西海地区で行われる「西海祭り」は、女性もキリコ担ぎに参加するのが伝統で、他のキリコ祭りとは異なる華やかさがある。

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しかし、祭りの見せ場は、坂を駆け上がったり、神輿とぶつかりあったりと勇壮そのもの。女性だけが担ぐキリコも勇ましく乱舞するさまは、他では味わえない感動をもたらすだろう。

 

◆沖波大漁祭り/穴水町/8月14日~15日

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穴水町沖波地区で開催される「沖波大漁祭り」は、クライマックスの会場が海水浴場。しかも「キリコ祭り」のなかでは珍しく、日中がクライマックスなのである。

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「沖波大漁太鼓」の響きとともに海へと向かい、海中で乱舞するキリコを、海水浴がてら見物することもできる。

 

◆輪島大祭/輪島市/8月22日~25日

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また、大松明の御幣を奪い合う「松明焚き上げ神事」や市の無形文化財にも指定されている「御神事太鼓」など、神事が行なわれるのも特徴。輪島は観光地としての利便性もあるため、初めてキリコ祭りを見物に行くならこの祭りがおすすめだ。

 

 

ここまで紹介した以外にも、夏の能登半島では個性的な灯籠神事があちらこちらで行われる。古からの伝承が色濃く残る「キリコ祭り」は、記録にも記憶にも残すべき無形民俗文化財であり、まさに日本遺産にふさわしい様々な物語がみえてくる。いつかの夏、その物語の登場人物となるべく、能登を訪れてはいかがだろう。

 

 

画像提供ならびに記事作成協力:石川県庁観光企画課

【谷根千さんぽ④】夕暮れが美しい谷中銀座でおさんぽしながらB級グルメ
〈東京都台東区〉

谷中銀座の商店街入り口手前にある『夕焼けだんだん』は、都内有数の夕日が美しく見られる名所としても有名です。今回はそんな眺めをぜひ堪能しようと黄昏どきを狙ってやって来ました。
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期待に違わず、この階段上から見える夕暮れどきの景色は、叙情的でいて、どこか懐かしくもあり、郷愁にも似た気持ちが湧き起こります。なんとなく映画の「Always 3丁目の夕日」を思い出しました。
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その『夕焼けだんだん』へ向かう手前、日暮里駅からほど近い隠れた路地にも昭和のディープな雰囲気を宿すアヤしさ(?)たっぷりな横丁を発見。その名も「初音小路」。哀愁漂う横丁の佇まいには好きな人にはたまらない、穴場的な魅力が感じられます。
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さらに好奇心でもう一歩深く踏み込んでみると、浅草あたりの横丁酒場にも共通する匂い。これは・・と思って調べてみるとその浅草のJRウインズ脇にある藤棚アーケードの横丁の名も偶然にも同じ「初音小路」。雰囲気ばかりか名前まで同じとは・・うむむこれは(!)
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夕陽に照らされた夕焼けだんだんを降りて、いよいよ商店街へと入ってゆきます。
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さてここからは『コバラ満たしモード』全開で行ってみることに。まずは人が行列を作るほどの『人気のメンチカツ』で有名な「肉のすずき」を直撃。個人的には「谷中商店街の肉のすずき v.s. 吉祥寺チェリーナードの肉のサトウ」で東京の東西代表メンチカツ対決は決まり!としたいところです。では肝心のメンチカツのお味は?アツアツ・ジューシー・肉の味がしっかりする・肉が旨いっ・衣がサクサク♪のよいトコ尽くしで言うことナシ!でした。
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続いて、田楽好きにはたまらない!この味噌の焦げた匂い・色ツヤ・照り加減はいかがでしょう。『もう一献!』とお酒を頼んでもいないのに思わずそんな気にさせる、日本酒やビールとの相性もバッチリな『わいわい村』の味噌おでん。こちらは、たったの150円です。
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小腹が少し膨れたせいで、シアワセ気分に包まれながら眺める夕映えの商店街の美しさもひとしお。素養があれば?ぜひここで一句詠みたいところです。
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続いて谷中銀座商店街では、こちらも行列のできる店でよく知られる惣菜屋「いちふじ」。天ぷら・焼き鳥・コロッケ・唐揚げ・ひじき・豚角煮・エビフライなどなど、家族の夕餉をあずかる地元の奥様がどっさりお買い求めになる一方で、かたや私のような不埒な散歩人が『チョイとひとつまみ』と買ったソバから道端でモグモグし始める例まで、十人十色です。(「撮影禁止」で店の写真は掲載できません。)
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さらに日没近くになると、日が沈む彼方の空のあたりから段階的に青・紫・赤紫・オレンジ・黄色と混じり合う色彩とそれぞれの濃淡やさまが刻々と移ろいゆき、変化してゆくのを、この場所からとっくりと鑑賞もできます。とりわけ、よく晴れた日の夕方などには、商店街を包むような翳りある夕闇と商店街のライトに照らし出された鮮やかな色彩が混じり合い、ため息の出るような情景にも出会えそう?
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すっかりお腹も満たされた「つまみ食い散歩」の最後には『越後屋本店』の店先で、ハッピーアワー恒例の日々の泡(?)を頼んでみました。ここの店先にはビールケースを逆さまにした簡易ベンチが並べられ、夕刻ともなれば暮れなずむ風景の中、のんびりとビールを愉しむ酔客たちで溢れかえる光景が日常的にみられます。

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日没後に光る『谷中ぎんざアーチ』もインディゴブルーの薄闇の空に映えてきれいです。ゴールデンタイム(夕暮れ時)の持つ情景力をこれほど引き出す谷中銀座という場所が今回ますます好きになりました。

 

写真:乃梨花

【谷根千さんぽ③】谷中のシンボル!ヒマラヤ杉とカヤバ珈琲
〈東京都台東区〉

いまや谷中1丁目界隈のランドマークとしておなじみの『みかどパン店とヒマラヤ杉』。このY字路まわリの土地の歴史は古く、そのせいかまるで昔から変わらぬゆったりとしたまどろみの空気が辺り一帯を覆っているかのよう。訪れた人の心がつかの間やすらぐどこか懐かしい雰囲気です。
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そもそもこのヒマラヤ杉のある一画は、江戸時代には三方をお寺に囲まれていることから三方地店(さんぽうちだな)と呼ばれていたとか。ヒマラヤ杉を目印に古くからのお店や工房、アトリエなどが並んで、谷中の寺町らしい風情ある景観をかたちづくっていました。
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さらに今では巨木といえるこのヒマラヤ杉も、最初は「みかどパン」の初代店主が戦前に鉢植えで育て始めたものがすっかり成長した姿。と聞くと知らない人はまず驚きますが、当時の写真もしっかり証拠(?)として残されているだけに有無を言わせません。(見たい方はコチラからどうぞ)
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暑い夏の盛りにも巨木がつくる木蔭が、通りを行き交う人々の神経と体温をつかの間しずめてくれます。
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いっぽう同じ谷中のシンボルといえば、カフェでは「カヤバ珈琲」が最有力といえそう。大正5年に建てられた出桁造り(だしげたづくり)の町家が姿を残す昭和の名喫茶と言われるこの店は、70年もの間、谷中町のシンボルとして親しまれてきました。が、店主のカヤバ氏の奥様が亡くなられると閉店に。それを惜しむ人たちの再開を強く希望する声によって現在に至ります。建築家の永山祐子氏による改修設計により、さらに魅力が加わりました。
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トレードマークである昭和ノスタルジー漂う黄色い看板、そしてレタリング調のロゴデザインも、今ではかえって新鮮に感じられます。
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店内はもとの大正建築の古さを活かしながらも、永山氏によるモダンな意匠が加えられており、初めて目にした時は少なからず感動を覚えました。通りに面して連なる窓と入り口のユニークなパターン扉を通しての採光、そして奥の壁は光壁となって薄ぼんやり発光しています。さらに天井の黒ガラスによる映り込みの効果で垂直にも空間的な拡がりが生まれています。全体的にとても居心地の良い空間で、つい長居したくなるほど。
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この店の定番メニューは温かいふかふかの玉子が挟まった玉子サンドイッチ。さすが昔からの看板メニューとあって、ぶれない安定感を感じさせる味わいでした。
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この店のこじんまりした可愛いメニューにはファンも多そう?(かくいう私も・・)
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店の入り口からは見えない奥まった席のコーナーも大正〜昭和なレトロ感たっぷり。なかなかお目にかかれない透かし模様の入った曇りガラスの窓から漏れる光には、ノスタルジーさえ漂います。

 

写真:乃梨花

馬込文士村ガイドの会さんと行く起伏の激しい文士村②
<東京都大田区>

大田区立尾崎士郎記念館。尾崎士郎は、文士村の放送局と言われ「人生劇場」などの作品で知られる作家。この地に初めての家を持ち、以後、10年余りを過ごした。馬込文士村散策の拠点として多くの人々に活用されている。お隣りには、ご子息が住まれている。

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屋内には写真や所縁の品が展示されている。中には長嶋茂雄双葉山と一緒に写っている写真が飾られていた。特に相撲を愛していたそうで、大森源蔵ヶ原へ転居した際には大森相撲協会を結成したり、横綱審議委員会を務めたりもした。

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庭へ入ると大きなケヤキの木があった。尾崎士郎はふんどしを締め、この木に向かって鉄砲(相撲稽古)をしたらしい。決して珍しい光景ではなかったとのこと。試しにやってみたが、軽くやっただけで手が痺れてしまった。

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お次は「大田区立山王草堂記念館」へ。「カタルパの小径(こみち)」の開通により足を運びやすくなったとのこと。記念館は蘇峰公園内にあるので、緑豊かな園内の景色を楽しむこともできる。

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こちらが「大田区立山王草堂記念館」。徳富蘇峰は、明治から昭和にかけて活躍した日本のジャーナリスト、評論家。大正13年にこの地に居宅を建て山王草堂と称し、昭和18年まで起居。記念館内には、山王草堂の一部(2階部分など)と資料が公開されている。

交流のあった人物との手紙や書簡、山王草堂の2階部分が展示されている。徳富蘇峰が使用していた机は馬蹄型だったそうだ。おそらく、膨大な資料を置くのに重宝したのだろう。

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記念館の入口に植えられているカタルパの木は、明治10年代に同志社の創立者新島襄から譲りうけたものの三代目。アメリカ原産の落葉樹で、国内では数が少なく珍しいとのこと。これを目当てに散策する人もいるほどだ。

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山王草堂を出て、北原白秋が住んでいた高台へ。これは少し離れたところに立てられていた解説板。現在、居宅は存在しないが、周辺の風景だけでもと思い、向かった。

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さすが九十九谷(苦重苦)と言われる馬込文士村。階段や坂がかなり急である。散策コースの中盤にもなってくると一段一段がきつい。階段の横にあった滑り台もかなり急だ。60度くらいはあるのでは。滑るというよりは落ちる感じだ。

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北原白秋が住んでいた高台に到着。閑静な住宅街である。高台ということもあり、かなり見晴らしがよい。近所の方も散策に気づいたらしく、居宅の場所、庭や建物の位置などを教えてくれた。

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ここが北原白秋が居宅を建てた場所だ。現在は複数の住宅が並んでいる。大まかではあるが、この位置から突き当りまでが居宅だったらしい。道路の左側が庭で、右側が住居だったとか。かなり広い居宅だったことがわかる。昔の文士は広い庭を持つことがステータスだったのだろうか。

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馬込文士村の散策も終盤に差し掛かり、日も暮れてきた。時間も迫ってきたので、解散場所の西馬込駅に向かう。その途中にあった馬込自然林。地域に残された貴重な自然林として保存されている。ケヤキやクヌギなど様々な樹木が育成している。

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慈眼山 萬福寺」は曹洞宗のお寺だ。この山門は、屋根は茅葺、門はケヤキで作られている。扁額には「慈眼山 勅賜永平卍海書」と書かれている。この山門は、文政年間以前に建造されたものと伝えられている。

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萬福寺には、室生犀星の作品が刻まれている石碑が複数立てれていた。室生犀星はこの寺の近隣に住み、数多くの著作を生み、小学校の校歌作成にも携わった。室生犀星の作品「春の寺」に何度も出てくる「うつくしきみ寺」というのは萬福寺のことだ。