明治維新に大きな影響を与えた英国外交官“サトウさん“【英国大使館別荘記念公園①】
〈栃木県日光市〉

アーネスト・サトウ(1843-1929)をご存知ですか?幕末から明治にかけて日本と深く関わり、明治維新にも大きな影響を与えた人物と言われています。サトウは、英国外交官として通算25年間に渡り日本に滞在し、日本に関する多くの著述を残しました。その一方で伊藤博文や西郷隆盛ら幕末政局の鍵を握った人びととも交流し、倒幕派・佐幕派の別なく人脈を広げて英国の(今で言うところの)対日情報戦略のキーパーソンとなる働きをして活躍します。
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また、サトウの才能は並外れた語学の能力にとどまりませんでした。22歳の時に無署名で寄稿した「英国策論」では日本の政治体制の転換を提起し、倒幕派の志士たちの思想にも大きな影響を与えています。ちなみにサトウは和名ではなくsatow。音が和名で一般的な佐藤と似ているため、人柄に加え、日本人にとっては親しみやすさを感じさせたようです。IMG_0846r
そのサトウがはじめて日本に赴任したのは、1862年のまだ19歳の時。横浜に英国駐日公使館の通訳生(通訳ではなく通訳となるための見習い)として着任します。ところが、翌年に日本の歴史を揺るがす「生麦事件」に遭遇。その後、薩英戦争、下関攻撃の現場に身を置き、西郷隆盛、小松帯刀、伊藤博文、井上馨、後藤象二郎、勝海舟らと交流し、人脈を広げます。外交官としての情報収集活動のかたわら「明治時代の代表的な日本学者」と評されるほど、多くの著作を残しました。
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そのサトウが愛した奥日光の白根山を望む中禅寺湖のほとりに1896年(明治29)に建てた別荘が、のちに英国大使館別荘として利用され、現在は「英国大使館別荘記念公園」として公開されているのをご存知ですか。この奥日光の中禅寺湖畔は、明治20年代から戦前にかけて国際的避暑地として賑わいました。英国湖水地方やヨーロッパアルプスを思わせる中禅寺湖の美しい風景は、国内外を問わず人々を魅了して止まないようです。
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また、この別荘を建てる時にサトウが相談したのは、明治期に活躍し鹿鳴館の設計でも有名で「日本建築界の父」と呼ばれるジョサイア・コンドル。1896年5月29日のサトウの公使日記には、ボートハウスの位置決めや三段テラスの設置など、コンドルを伴って建築現場に赴いた時のことが記されています。ちなみにこの別荘を建てる前年の1895年には、サトウは本国イギリスでヴィクトリア女王から名誉あるSirの称号を授与されています。
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この建物の面白いのは、たとえば平面構成はベランダコロニアル様式なのに対し、意匠と構造は明治期の和風住宅そのもので、外観からは洋館らしさがあまり感じられない和洋折中住宅になっているところ。これは、建設場所、職人の技術や知識、材料手配、工期などを総合的に判断した結果、地元の日光の大工たちに任せたのだろうと推測されています。日光の大工は、宮大工の流れを汲んで技術が優れているために、当時も全国で引っ張りだこの人気だったようです。
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この平面構成にベランダコロニアル様式の特徴を見ることのできる西洋住宅は、当時では他に長崎のグラバー邸がありました。サトウは長崎湾を一望するグラバー邸を2度訪れており、おそらく感銘を受けて自身の別荘にも同様のスタイルを取り入れたのでは?と言われています。
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開園(2016年7月)からまだ間もないため、週末には多くの観光客が訪れます。1階では「幕末維新の英国外交官アーネスト・サトウ」「サトウが愛した奥日光」をテーマごとに各室で展示しています。
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写真左のライティングデスクと本棚はサトウが、英国留学していた次男の武田久吉博士にプレゼントしたものです。(サトウの二男である武田久吉博士は、著名な植物学者で登山家です。彼は、幼少の頃から父サトウに連れられて自然に親しんだことや毎年日光で過ごしたことをきっかけに植物学の世界に進み、植物学者として多大な功績を残しました。)博士は父に贈られたこれらの品を終生大切にし、太平洋戦争で自宅が空襲に遭ったさいも、池の水で火の粉を消しながら燃えてしまわないように必死で守ったという逸話が久吉の娘の林静枝さんより伝わっています。

 

②へつづく

 

写真:乃梨花

ご近所目線でお伝えする熊本のいま②
セイショコ(加藤清正公)さんが祀られる肥後本妙寺
<熊本県熊本市>

彼(とり坊)のご実家に到着して一息ついたのですが、日中は暑くて出かける気力がわきません。ようやく日が暮れだしたころ、家の近所にある肥後本妙寺にお散歩です。

【とり坊のつぶやき】

地元では通称300段でとおってる本妙寺。昔は近くの高校・大学の部活がトレーニングがてら走ってた。このあたり出身のアスリートは、一度は経験してるんじゃないだろうか。頂上までは結構きつい!昔は走ったけど、今は絶対無理。今も学生たちは走ってるのだろうか?

本妙寺山麓にたつ巨大な「仁王門」は、1919(大正8)年に鉄筋コンクリートで建てられたという本妙寺の総門。遠目には震災の影響は少なく見えましたが、近くによると根元がブルーシートで覆われ、門周辺は立ち入り禁止に…そのためか近所の猫の休憩所になっていました。

仁王門から本堂までは長い参道が続きます。毎年7月23日に行われる「頓写会(とんしゃえ)」があるのですが、今年は震災でによる「仁王門」損壊や安全性の問題で、夜店も出なかったようです。

【とり坊のつぶやき】

普段は静かでいいいところだけど、夏はとにかく蝉がうるさい、とくにクマゼミ!朝の10時くらいになると、いっせいに鳴き出すのだ。テレビの声も聞こえない時がある。東京にいる時は忘れているので、帰ってきたなぁと実感する一瞬だ。歌手の森高千里さんは、この町の出らしい。散歩に出かけるたびに、いつか会えるかな~って思ってしまうのだ。

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参道のわきに並ぶお寺も震災の被害にあってます。

参道の両脇にあったこの像は、右側は無残にも壊れていました。しかし、左側の像はまるで自分で台座から降りたように綺麗に立っています。

参道の途中にある「胸突雁木」と呼ばれる急勾配の176段の石段には、信者から寄進された多数の石灯籠が並んでいたのですが、それも無残に倒れ歩けないようになっていました。

本妙寺はセイショコ(清正公)を祀る浄池廟(じょうちびょう)があることで知られるお寺です。1585(天正13)年に加藤清正が父の冥福を祈るため大阪で開基されたのち、清正が熊本城主になった1588(天正16)年の3年後に熊本へ移ってきた由緒あるお寺ですが、境内も震災の被害にあってしまいました。今回は行けませんでしたが、本堂からさらに石段を上った市内を一望する高台があり、そこでは、高さ約9メートル(台座を含めると約17メートル)加藤清正の銅像が、熊本城を見守っています。残念ながら清正が持ってる槍も、今回の地震で折れてしまいました。

本妙寺から望む「熊本城」です。日をあらためて熊本城にも行ってきました。

 

つづく。

重伝建地区のひとつの完成形、美しい倉敷の町並み
<岡山県倉敷市>

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昭和50年にスタートした文化庁の伝統的建造物群保存地区制度、その3年目・昭和54年に早々と選定されたのがこの倉敷川畔地区である。以来着々と整備がすすめられた町並みは、まるで映画のセットのように美しい。倉敷駅からのアクセスがよいこともあって、いまやたくさんの観光客が訪れるスポットになっている。

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当地は、1584年より新田開発がはじまり、1642年には幕府直轄地のいわゆる天領となった。周辺新田開発の中心地であり、また物資輸送の集散地として繁栄し、人口が急増するとともに有力な商人もあらわれ、本瓦葺塗屋造りの町屋と土蔵造りの蔵などを中心とした町並が形成された。約400年にもおよぶ歴史の町がいまに残るのは、天災や戦災を免れたこともあるが、なによりこの町並の貴重な歴史的価値に早くから注目し、保存の努力を続けてきた地元の方々の町を愛するプライドがあったからだ。

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柳の並木が見事な倉敷川のむこうに見える町並みは、絵に描かれたように美しい。

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保存地区のちょうど中心部、中橋のたもと。とてもよい風情を醸し出している。

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写真左上の中央、コンクリートの小屋のようなのが公衆トイレ。半地下に掘り下げられ、周辺景観を邪魔しない工夫がされている。左下、なまこ壁。瓦を壁に貼り付けて、漆喰を盛り上げてその目地を埋めたもの。一般になまこ壁は、斜線が交差する筋違い目地が多いような気がするが、ここでは垂直・水平線の一文字目地がけっこう使われている。腰板塀のつづく路地も、閑静な雰囲気で素敵だ。

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阿智神社への登り口にある、やきとり高田屋さん。建物の雰囲気がいいのはもとより、リーズナブル!&旨い!という評判の店。

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阿智神社へ登る石段から見る町並みはまた格別。いらかの連なる様は、いまでは貴重な景観でもある。

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倉敷発祥の企業として有名なクラボウやクラレ。ここアイビースクエアは、その倉敷紡績の旧工場を観光施設として再生したもの。ホテルやレストラン、博物館などの文化施設の複合施設である。写真はレンガ造りの児島虎次郎記念館。

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写真左上のオルゴールミュゼでは、アンティークオルゴールの展示およびその音色を楽しむことができる。

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倉敷民藝館の建物は、江戸時代後期に建てられた米倉。外壁は白壁に貼り瓦、屋根は和瓦の本葺きで、この地方の典型的な土蔵作り。火事・風雨・盗難・湿気等から物財を守る工夫が随所に。水害を避けるため建物自体が他の町屋より高い位置にあるが、基礎の石積みも面白い。

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かつて水運で栄えたという河川と白壁のコントラストが見事。

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ほかにも紹介しきれない見所はたくさんある。いわゆる町歩きビギナーの人にも十分楽しめるような観光要素が充実している。制度発足より約40年、重伝建地区のひとつの成功モデルがここにあるといえる。

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ご近所目線でお伝えする熊本のいま①
博多&大牟田経由、電車を乗り継ぎ熊本へ
<福岡県福岡市・大牟田市>

彼(とり坊)の実家がある熊本へ行ってきました。旅のお供はくまモンです。新幹線で往復するので、今回は近畿日本ツーリストのフリープランを利用。新幹線の指定席往復と宿泊が1泊ついて、約32000円。帰着日を延長できるので、その他の宿泊は自由。チケットだけ買うより全然お得です。ただし、2名からなので注意! 一人旅の場合は、同じようなプランがJTBからでていたと思います。

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電車の旅にはやっぱりお弁当&ビール!  準備万端、さぁ出発です。出発早々余談ですが…お弁当の右端に写りこんでるのは、鹿児島県民のアイドル「薩摩剣士 隼人」です。TV放映&ビデオも発売されてます。気になる方は検索してみてください。鹿児島弁なので分からない言葉満載です。あと主題歌が一度聴いたら耳から離れません。気が付くと口ずさんでるはずです。
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8-7 C2初日は博多に一泊なので、地下鉄に乗って天神に行ってきました。福岡県は、JR・西鉄・バスなど、ほとんどの交通期間で suica、PASMOが使えるのでとても便利です。写真は、天神駅ちかくの「警固神社」です。 あとで調べたら、実は人気のパワースポットらしいです。知らない私は、前を通っただけで中に入りませんでした。残念!

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古くからあるアーケード商店街「新天町」。70周年をむかえたこの商店街のシンボル「メルヘンチャイム」は、高さ17メートル×幅25メートルもあるかなり大きな時計台です。ちょうど18時だったので、からくり時計が動くところを見ることができました。時間によって音楽が変わり、18時は「黒田節」です。鐘の音色なので優しい感じでした。ここからすぐそばに、彼が昔よく行っていた角打ちの店「角屋」があるというので行ってみました。ここは昼から飲める立ち飲み店。ですが、今回は約束があったので後ろ髪をひかれながら後にしました。

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日が変わって上熊本駅に向けて出発です。いつもは博多駅から熊本駅まで九州新幹線を利用するのですが、今回は柳川観光列車「水都 (すいと)」に乗ってみました。 西鉄福岡(天神)駅から大牟田駅へ約1時間です。観光列車といっても予約や特別料金は必要ありません。

8-8 A3車内は観光地をアピールするのれんがかけられたり、物産品を展示するディスプレイキャビネットがあり、観光列車らしさを感じました。

大牟田駅で、西鉄からJRに乗り換えです。駅は隣接してます。大牟田には、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成要素である三池炭鉱関連資産があります。この日も凄い暑さ、駅の近辺には人が見当たりません。しかし、毎年7月に行われる「大蛇山」まつりの時は、大勢の人に埋めつくされ、そのなかを大蛇山の山車や「炭坑節」を踊りながら練り歩く光景はかなり感動するそうです。

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8-8 DrJR大牟田駅から、約50分の各駅停車の旅を楽しみながら上熊本駅に向かいます。

 

②へつづく

「江戸三大祭」のひとつと称される「深川八幡祭り」 ~通称 水かけ祭り~〈東京都江東区〉

深川名物、通称「水かけ祭り」は1624年に創建された富岡八幡宮で、毎年8月15日を中心に日程が組まれる祭りだ。各町の神輿が数十基、元気な掛け声とともに町を練り歩く。真夏に行われるため、町内の観客が担ぎ手に水をかけ応援するのが名の由来である。数年に一度の例大祭は、メインとなる永代通りが担ぎ手と観客で埋め尽くされる。
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今年は蔭祭りと呼ばれる年になる。お祭り前夜、永代通りや路地裏には祭りの準備が進められていた。明りがともされた神輿や神棚はとても幻想的だ。周囲では、町内の方々が談笑しながら見守っていた。

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近くに煌々と輝く看板を発見。街の中華屋さんだ。営業時間外であったが、こちらも祭りに備えて忙しそうである。年一度の祭りだからか、町全体が浮き立っているようだ。
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お祭り当日。各町の神輿が「わっしょい!わっしょい!」の大きな掛け声とともに、富岡八幡宮から各町内に向かっていく。小刻みに揺れながら進んでいく神輿が非常に愛らしく、印象的だった。
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最大の見所である担ぎ手への水かけ。沿道には大量の水が用意され、道路脇から思い切り水をかけている。時には観光客も水をかぶることに。これも水かけ祭りの醍醐味だ。
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永代通り周辺では、100店以上の屋台が出ており、多くの観光客が屋台グルメを楽しんでいる。定番の焼きそばや、じゃがバター、串焼き、ベビーカステラなど、何から食べようか迷うほどだ。
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各町内に入ると、囃子が太鼓と笛を響かせながら、ゆっくりと進んでいく。夏祭りを感じさせる一場面だ。後方にはぞくぞくと神輿が連なっている。大通りと違い、間近で見られるのでオススメだ。
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狭い路地には男女の掛け声がより一層響き渡り、担ぎ手の気合いが伝わってくる。かけられた水や汗により、びしょ濡れになったはっぴが祭りの激しさを思わせる。
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祭りも終盤を迎え、担ぎ手にも安堵の様子が伺える。張りつめた空気が徐々に緩和され、やりきったという充実感が伝わってくる。残った水を子供たちに頭からかけて楽しんでいる場面もあった。

 

A・レーモンドの美しい建築と別荘気分が同時に味わえる「イタリア大使館別荘記念公園」
〈栃木県日光市〉

「イタリア大使館別荘記念公園」は中禅寺湖畔の自然に囲まれた景勝地にある公園です。このあたりは、明治中頃から昭和初期にかけて各国の大使やその家族、また多くの外国人のための別荘が集まる避暑地でした。昭和3年にイタリア大使館の別荘として建てられたこの建物は、平成9年まで歴代の大使がじっさいに使用していたもので、現在は一般公開されています。
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別荘の設計者は、チェコ出身の建築家アントニン・レーモンド(1888-1976年)。旧帝国ホテルを設計する際に世界的建築家として知られるフランク・ロイド・ライトの助手として共に来日しました。40年以上にわたり日本に滞在する中で、400点以上もの設計に関わるなど、日本の建築界に大きな影響を与え「現代建築の父」とも呼ばれています。
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別荘「本邸」は二階建ての木造建築で、レーモンドは設計の際に地元の職人たちにどのような建材が適しているかを相談したそうです。結果、外壁の正面部分は地元特産の日光杉を樹皮と薄い板に分けて市松模様にしたモダンで美しい意匠に仕上がっています。
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一階の天井は、全て杉皮を使い、日本の数寄屋建築にも見られる網代に組まれています。食堂を含むリビングと書斎がひと続きの広い空間に収まる室内は、網代の模様でそれぞれの空間を分ける工夫がされており、レーモンドの技とセンスが光ります。
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書斎の窓からは、建物のバックヤードである森の木立と副邸が見えます。木々の梢が落とす緑の影と木漏れ日が、静謐で落ち着きある空間をつくっています。
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中央の居間を挟んで書斎と反対側に位置する食堂エリアには、書斎の暖炉と対をなす石積みの暖炉が対照に配置されています。注目は暖炉の上の網代模様。こちらが市松模様なのに対し、書斎側はひし形。よく見るとそれぞれの部屋の基調のパターンとちょうど互い違いになっています。このような細部にもレーモンドの工夫と遊び心が溢れています。
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低めに位置する広縁から外を眺めると、目の前には風にたなびく水面が光る青く澄んだ湖、その背後には錫ヶ岳や白根山などの緑の山々がそびえます。この美しい景色をぼんやり眺めながら、ソファーに腰かけ、心ゆくまでくつろぐのもおすすめです。
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じっさいに、この中禅寺湖を臨む広縁は、訪れた人が思い思いに好きなだけのんびり過ごせるように居心地よくしつらえてあります。開放感あふれる心地よい空間に身をひたし、体も心も深くリラックスしているうちに、たまった疲れも解けていくようです。
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2階はおもにプライベートな空間に使用されました。この大使が使用していた寝室はまるでアジアンリゾートのゲストハウスのよう。「日常から切り離された癒しの空間」がリゾートの定義の1つだとすると?そのままぴったりと当てはまりますね。
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一方、客用寝室は壁に横板の嵌木を使用しているため、ロッジ風でより開放的な雰囲気。大使の寝室のブルー系(男性イメージ)に対して、こちらはピンク系(女性イメージ)でまとめられており、対比の効果が目に鮮やかです。
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建物裏の玄関を含めた外観部分です。表とはパターンを変えて、杉の板材を均一方向(ボーダー)に並べているのがわかります。光の加減では、象嵌された金細工にも見え、芸術的な色彩を帯びています。
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建物の横に廻ると、内側からは見えない丸石を積んだ暖炉の外側が見られます。安らぎとぬくもりを覚えるのは、英国の湖岸地方に残る石積みの家に見られるような素朴なつくりだからでしょうか。天然石の魅力を十分に引き出しています。
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本邸から少し離れたところにある副邸は、歴代の大使たちの船遊びやフィッシングの様子のビデオが見られる展示室と、往時の別荘の様子などを伝える資料がパネルなどで展示されています。

 

写真:乃梨花

急がば回れ。黒門に近づく秘密は両大師にアリ!
<東京都台東区>

IMGP0503JR鶯谷駅の方から東京国立博物館塀沿いに歩いていくと、大きく黒々とした門がそびえたっている。

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これは国指定重要文化財の寛永寺旧本坊表門(通称:黒門)で、1625(寛永2)年が初建。1866(慶応4)年の上野戦争や大正の関東大震災、昭和の東京大空襲でも大きな被害を免れ、400年近く刻んできた歴史とともに重厚で威厳のある佇まいを見せる。

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黒漆で塗られた落ち着いた黒は、自身の巨大な切妻屋根が作る影で、昼でも門の上部は暗く闇に溶けてしまうほど。江戸時代から人々に「黒門」と呼ばれ親しまれてきたそうだ。2010~2013年にかけて大規模な保存修理がおこなわれ創建当初の姿に復原されたが、上野戦争時の弾痕は歴史の痕跡としてそのまま残されている。近くによれば見ることがきるので、訪れた際は確認してみてはいかがだろう。

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黒門のとなりは、東叡山を開いた慈眼天海僧正をお祀りしている開山堂。幟や看板にある「両大師」の呼び名は、天海僧正が尊崇していたという比叡山延暦寺の中興の祖・慈恵大師良源大僧正もお祀りされているためである。

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境内はまっすぐ本堂へ向かう石畳を中心に、庭園を散策できるようにもなっている。すぐそばで山手線が走っているにも関わらず、静かで落ち着いた空間が心地よい。

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ueno06_07入り口から入って右側に設けられた「阿弥陀堂」では、迫力ある仏像が間近でみることができる。ポーズがそれぞれ異なるうえ、奥行きを利用した配置がなされた三仏は、デザイン的な美しさとともに不思議な世界観を感じさせる。

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また、阿弥陀堂の扉には「厄除角大師」の説明が貼られており、そこに描かれた慈恵大師は角の長い魔物の姿になっている。高僧を魔物の姿で表現しているのも面白いのだが、その絵が平安時代に描かれたことにさらに驚愕。慈恵大師のお弟子が描いたそうだが、平安時代にこのような表現がされていたとは、思いもよらなかった。

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両大師と輪王寺の間の生垣に、幸田露伴旧宅から移築した門がある。この門を抜けると寛永寺輪王殿前の駐車スペースへでる。

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ココは黒門の裏手にあたり、実はコチラからなら黒門まで歩いて行くことができる。門の表側には柵があるので、近くへ行くことは推奨していないと思われるが、真摯な気持ちで向き合いたい方にはこんな行き方もある。

建築家・前川國男さんの家を見に行く〜江戸東京たてもの園〜
〈東京都小金井市〉

ル・コルビュジエの建築作品として先月(2016年7月)「国立西洋美術館」が世界遺産に登録されたばかりですが、協力して完成に導いたのは、前川國男、板倉準三、吉阪隆正の3人の日本の弟子たちでした。その1人、前川國男は、ル・コルビュジエ、アントニン・レーモンドの元で学び、生涯を通じて200を超える建築作品を生み出すとともに、近代日本建築の旗手として戦後の日本建築界をリードしてきた人物としても知られています。(代表作品に「東京文化会館」「京都会館」「神奈川県立図書館・音楽堂」など。)
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その前川國男の自邸を復元したものが<江戸東京たてもの園>に展示されているのをご存知ですか。昭和17年に建てられたこの家は、戦争中の資材不足や、厳しい建築基準の制限(延床面積100㎡以下)があったことを感じさせない、美しい木造のモダニズム建築です。
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この家の外観南側を見ると、切妻屋根の左右に流れる破風板(はふいた)が下に行くほど幅広になっているのがわかるでしょうか。これは(前川氏の事務所の)設計担当者である崎谷氏が、伊勢神宮から着想を得たものと言われています。その屋根に加えて、同様に力強い印象の長さ4.5mの「棟持ち柱(中央に見える棟を支える柱)」にも注目です。この長さの建築資材は、戦時下では調達困難で「電信柱を流用したらしい」と言われていますが、もしその話が本当であれば、当時の大工職人の技術の高さの裏付けにもなるそうです。
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玄関から入ってすぐの吹き抜けのある大きな居間に入ると、天井高が4.5メートルある解放感いっぱいの空間が広がります。前川氏は居間やリビングとは呼ばず、ここを「サロン」と呼びました。食事をしたり、オーディオで音楽を楽しんだり、友人や知人が集って語り合うなど、設計者は融通無碍な空間デザインを意図したようです。前川氏が呼ぶところの「バフラな空間」の要素が感じられます。
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サロンの南側は、天井から床までの一面がすべて窓というつくり。光がたっぷり取り込まれ、明るく解放感にあふれた空間です。イサム・ノグチの和紙の照明がよく映えます。
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サロンの片方の壁に沿うように渡された2階のロフトへと通じる階段は、大きな白い壁に対して斜めに切りこむ角度とエッジの効いたアウトラインがとても美しく、天井までの一面の格子窓と相まって、絵画的な空間を構成しているように見えます。
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壁には前川氏が住んでいた頃の写真がモノクロームで額に入れ、飾られていました。現在とほぼ変わりのないことがわかります。
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玄関を入って、すぐ左のサロンに入る大扉。この大扉も前川邸を構成する大きな特徴の1つです。まず、設計上の工夫では、大きさと重さで開閉の際に“扉がよじれないように”回転軸を端から5分の1のところにずらし、回転軸を中心とした左右の重量が均等になるように、葛(くず)布を張った“ふすま”の部分の中を空洞にして、軽くする工夫がなされています。
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また、この大扉は開き具合で来客を迎える際に演出法も加減できます。たとえば、扉を大きく開けば吹き抜けのサロン全体が一望できる開放的な入り口に。扉を廊下に対し直角にすれば大扉がサロンへの視界を一時的にふさぐため、先に目に入るのは中二階の床を支える根太(ねだ)がひさしのように続く低い天井部分となります。それに続きドアで見えなかった2層吹き抜けの大空間がとつぜん目の前にパッと現れる仕掛け。心理効果も狙った心憎い演出です。
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サロンの北側には、前川氏デザインの天板が「台形」という変わったダイニングテーブルが置かれています。これは「台形のテーブルだと互いの視線がずれることで、なごむ位置関係が生まれる」ことに着目した、いまで言う人間工学をふまえた意匠の家具ですが、作られた当時はまだ珍しかったのではないでしょうか?
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サロンを出て書斎へ。元は来客用の寝室でした。
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建物北側の玄関とアプローチ。前川氏はてらてら光るものを好まず、外壁もペンキ塗りではなく初めは「柿渋」を塗るつもりだったそうです。しかし関東地方では入手が難しいことから、オイルステン仕上げとしたそうです。(オイルステンも当時はまだ珍しいものでした。)
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前川邸のアプローチは道路から、ひと筆描きのように繋がっている点に特徴があります。門扉のない入り口から家の玄関まで景色は移りながら区切りのないひとつづきの流れをつくります。外界である外の世界から、安らぎの場である家の中へと知らず知らず自然に意識が移行していく、体と心の双方に作用する“あわい(間)”を感じる空間です。

 

写真:乃梨花

 

超高級食材を手軽にお試し!マグロ丼&牛玉丼<青森県大間町/岩手県奥州市>

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今月の2・3日に町旅も参加した2016“よい仕事おこし”フェアの飲食物販売コーナーには、東北地方のうまいもんが集合!  1人ではとてもまわりきれないので、町旅もスタッフの力を合わせて食べてみました。今回で最終回です。

 

青森県大間町「大間漁師のマグロ丼」

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マグロと言えばの青森県大間町から、その大間マグロがやってきていました!

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これはぜひとも食べてみなきゃと店舗へいくと、保冷庫の半分は空っぽ…なんでも2千円以上する丼は、注文を受けてから切り分けるそう。そういえば午前中は大きなマグロ捌いていました…あれかー。ココは奮発して切り分けて貰いましょうと思ったのですが、この日はすでに売り切れていました…残念。

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しかし、あきらめきれず漬け丼(メジマグロ)を購入。どうしても「大間のマグロ」食べてみたいんデス。

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丼は小さめですが、マグロは大き目に切り分けられて迫力十分。漬けなので味がついていますが、赤身なのに脂のおいしさも感じます。これで500円なんてお買い得でした! でも、やっぱり切り立てのマグロ食べたかった~。

 

 

岩手県奥州市「前沢牛たま丼」

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普段はあまり牛丼を食べたいと思わないのですが、前沢牛と聞くと食べたくなるから不思議。関連牧場のブランド牛を使っているなんて聞いちゃったら、我慢できなくなっちゃっいました。他のスタッフともシェアするから、いろいろ食べられた方がイイですしね!

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丼を受けとったとたんに、良い香りが漂ってきました。匂いだけでも普段食べる牛丼とは違うことがわかります。これはお肉が前沢牛だからなのか、味付けが上手だからなのか…きっとその両方が理由なんでしょうね。

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ご飯の上に贅沢に敷かれた牛肉の上に、温泉卵と薬味。シンプルながら美しいビジュアルです。食べてみると甘めに味付けされたやわらかい牛肉が溶けるよう。牛丼というより、すき焼きに近い味わいなんです。卵とからめて食べると、さらにすき焼き感が増幅。口の中にお肉の甘みが広がってとてもおいしい。 次は前沢牛の厚いお肉が食べてみたくなりました。

 

 

すべての店舗は紹介できませんでしたが、2016“よい仕事おこし”フェアに出展されていた「東北ご当地グルメ」いかがでしたでしょうか?  今回紹介したグルメの中には、ご当地以外にも支店をお持ちだったり、ネット通販で購入できるものもあります。でも、本当は「ご当地」で食べるのが一番ですよね。食事は旅のなかの大事な要素です。「食べたいな」と思ったら、東北への旅の第一歩を踏み出してますよ!

 

ビールのつまみにもってこい! 2種類の唐揚げと米沢牛コロッケ<福島県三島町/岩手県一関市/山形県飯豊町>

jyou00今月の2・3日に町旅も参加した2016“よい仕事おこし”フェアの飲食物販売コーナーには、東北地方のうまいもんが集合! 1人ではとてもまわりきれないので、町旅もスタッフの力を合わせて食べてみました。第2回です。

 

会津地鶏唐揚げ

jyou09a町旅ブースの視察にきたら「なんか買ってください」って。なんだよメシ食ってきちゃったよ。でも地ビールも売っているし、昼から唐揚げで一杯も悪くない。福島県の方々には仕事でもお世話になっているし、ここは「会津地鶏唐揚げ」をスタッフに喰わせてやろう。

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会津地方にしか生息しないという地鶏の唐揚げは、しっかりした噛みごたえのあと濃厚な鶏肉の味が口に広がる。アツアツの唐揚げをほおばり、冷たいビールを流し込む。こ・れ・だ。今日は良い視察ができたな。

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専務がごちそうしてくれたので、気になっていた唐揚げもいただきました! さすがに1パックは食べきれないと思ったので、みんなでひとつずつシェア。私たちはビールなしだけど、やっぱり美味しい! 衣が薄めなので、肉の味も引き立っているし、油の摂りすぎにもならなそう。味見でひとつだけと思ってましたが、ついつい追加したくなっちゃいます!

 

いわいもも唐揚げ

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専務差し入れの唐揚げ大人気だな、だったら俺も差し入れしよう。ただし、コチラは岩手県一関の「いわいもも唐揚げ」だ。

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ちょっと値は張るが、唐揚げの素材となる奥州いわい鶏は、鶏を育てる環境(森を大切にすることから始めるこだわりが詰まっている。さらに、第7回からあげぐらんぷり金賞も受賞しているので納得。肉の柔らかさ、衣のサクサク感は申し分ないし、しょうゆベースの味付けも後をひくうまさ。一人一個でスタッフが満足するかが心配だ…。

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専務に続いて本部長から唐揚げの差し入れ。思いっきりカブってます。もちろん、唐揚げももうちょっと食べたかったから嬉しいんですけど………

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どうせだったら、隣にある「国技館やきとり」も買って欲しかった~。場所中は一日6万本焼かれるという「国技館やきとりの鶏肉」は、実は「奥州いわい鶏」なんですって! 串打ちまで岩手でやったものを国技館で焼いて提供しているそう。追加で買ってくださいよー!!

 

米沢牛コロッケ

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焼き鳥だと鶏肉ばかりになるし、ここは山形県飯豊町の揚げたて「米沢牛コロッケ」がイイんじゃない。米沢牛にはなかなか手が出せないけど、コロッケなら手軽に買える。腹持ちも良いから、これ以上差し入れしなくても良さそうだしね。

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揚げ物カテゴリーでカブってますよ本部長。でも、いろいろ気をつかってくれてありがとうございます。2人で1個でも文句はありません。ということで半分に…衣がしっかりしているので、割るというより千切る感じで二つにしました。牛肉はちょこちょこ見え隠れしている程度の見た目ながら、食べるとお肉の風味がおイモに染み込んでいて、予想以上にコクがあるしっかりした味付け。ソースなどの調味料をつけなくても、どんどん食べ進められるおいしさです♥

 

あとは地ビールの差し入れがあれば最高なのですが…イベント終わるまで我慢ですね。