豊かな自然と文化施設、そしてお酒も楽しめる! 東京の酒蔵見学
<東京都青梅市>

都心から2時間かからずに豊かな自然が満喫できる御岳渓谷。ハイキングや渓谷歩き、カヌーなどが楽しめる人気のエリアだが、実は酒好きにとってもオススメのスポットだ。

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酒好きの目的地は、東京の地酒ブランド「澤乃井」を生産している小澤酒造。多摩川と並走して走る青梅線に乗って沢井駅で降り、川の方へと降りればすぐに到着。ちなみに、駅から北側に少し登ると奥多摩新四国霊場八十八ヶ所のひとつである曹洞宗寺院の雲慶院がある。特徴である大きな茅葺屋根は駅からも見える。

坂を下ると青梅街道沿いに「小澤酒造」、道の反対側に軽食・きき酒処・土産屋を備えた庭園「澤乃井園」がお目見え。すぐに呑みはじめたいという心も否定するものではないが、あまりにがっつくのも格好がよろしくない。せっかく自然が豊かな渓谷にきたので、まずは川沿いを散策することに…(澤乃井園内から多摩川の川辺に下りる道は岩だらけの部分もあったので、呑む前で正解だった)。日本名水百選に指定されたという美しい清流を目前にすると、これから呑む酒の期待度がグンと引き上げられる。


川辺から見える吊り橋を渡ると、昭和初期の小澤酒造当主の協力により建立されたという寒山寺があり、自由につける鐘がある鐘楼からは、なかなかの景色がおがめる。また、寒山寺の少し先には、小澤酒造が運営する「櫛かんざし美術館」もある。櫛とかんざしを中心に4000点に達する工芸品のコレクションが鑑賞できる。老舗の酒屋はその土地の文化・芸術を支援していることも多い。あわせて訪れると、ただの酒飲みにも文化の匂いを纏わせることができるのでオススメだ。


吊り橋に戻ると、川釣りを楽しむ人もチラホラ見えた。美しい清流での釣りも楽しそうだ。私は釣りはしないが「釣った魚を肴に一杯」というシチュエーションには憧れを抱いている。「自分で釣った魚は旨いに違いない」というイメージが頭から離れなくなってきた。そろそろ限界だ。


しかし予約した酒蔵見学の時間はまだ少し先。なので、気持ちの良いテラス席で呑める澤乃井園へ行き、とりあえず地ビール(さわびー:黒スタウト)でウォーミングアップ。コクがあってとてもおいしい。昼間から呑む酒がうまいのはナゼだろう?  ついでに湯葉そばを食べて腹も落ち着かせ準備万端。


古文書によると1702(元禄15)年には酒造業を営んでいたという小澤酒造。蔵の入り口にかけられた「澤乃井」ブランドの看板からは、300年を超える歴史の誇りが感じられた。酒蔵見学は1日4回実施され、社員の方が一緒に歩きながら日本酒の造り方を説明してくれるスタイル。見学の最後には好きなだけ呑める「澤乃井のきき酒」も準備されている。基本的にネットか電話で予約が必要だが、1名からでも予約可能。参加費は無料だ。

酒造りは「敬虔な神事」というポリシーを持つ澤乃井の酒造り。蔵に祀られた神棚をみると、酒を造るという行為に歴史と伝統の重みを感じた。

蔵見学のあとは「きき酒処」へ。ここでは10種類程度の酒が用意されており、それぞれ数百円で酒との出合いを楽しむことができる。気に入った酒に出合えたらもちろん購入も可能だ。今回私が選んだのは、創業時のレシピを再現したという「澤乃井 元禄」。90%という精米歩合のためか、うっすらと琥珀色をしたビジュアルで、口に含むとしっかりした味がガツンとくる。持ち帰った澤乃井のロゴ(沢蟹?)が入ったきき酒処のおちょこは、10個集めると非売品の赤猪口と交換できるらしい。赤猪口を手に入れたらさりげなく紹介したいと考えている。

来年(2017)開園100周年!地元目線の井の頭案内(井の頭恩賜公園)
〈東京都三鷹市/武蔵野市〉

井の頭恩賜公園は、大正6年(1917年)に日本最初の郊外公園として開園しました。公園の中央に位置する井の頭池は、春にはおおぜいの花見客が訪れる「サクラの名所」としても、いまやすっかりおなじみ。毎年の住みたい街ランキングで、吉祥寺がつねに上位ランクに選ばれる理由にも、この井の頭の公園の存在は欠かせません。今回はそんな井の頭恩賜公園の魅力を生まれも育ちも浜っ子ならぬジョージっ子(?)な目線で紹介したいと思います。
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まずは、この池の中央にかかる七井橋から見てみましょう。そこから見える「いつもの景色」と言えば、この地域の人々にとっては、対岸に見える3棟の白い高層マンション群だったりもします。1968年の竣工当時には、景観を壊すとの理由で反対の声も上がったそうですが、いまでは逆に「そこになければ井の頭公園とはいえない?」ほどのランドマークになりました。余談ですが、女優の小泉今日子や宮沢りえが演じた「グーグーだって猫である」の原作者であり主人公のモデルでもある漫画家の大島弓子がグーグーとはじめに暮らしていたのもこのマンションでした。
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この七井橋の中ほどに、休日にはいつも賑わう人気のボート乗り場があります。ボートの種類は現在、スワン・手漕ぎ・サイクルの3種類がありますが、やはり人気はスワンです。ちなみに吉祥寺を舞台にした昭和の懐かしのドラマ「俺たちの旅」でもこの池のボートが映る場面がありますが、この時代にはまだ公園のボートは、手漕ぎボート“だけ”でした。
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女性や子ども達に人気の高いスワンボート。休日には、もちろん全機がフル出動です。このスワンボートの中に1基だけ「男の子(男前)」が含まれているのをご存知ですか?ラッキーアイテムなので、じつはヒソカな人気です。(顔で見分けがつくので、ぜひ探してみてください。)
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いっぽう、歴史ファンにとっては何をおいても?この公園では「弁財天」です。その歴史は古く、縁起によると天慶年間(938~946)の創建と伝えられており、源頼朝が戦の時にはここで戦勝を祈願したとも言い伝えられています。その後焼失しましたが、三代将軍家光の命により寛永13年(1636)に再建されたといいます。「井の頭」の名称も家光が辛夷(こぶし)の木に小刀で井頭と刻んだことに由来するという内容が現在も石碑で残っています。
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そもそも井の頭池は、古くから涸れることのない豊かな湧水で知られ、江戸に入った徳川家康の命により、江戸城内の飲料水のための上水道「神田上水」の取水口となりました。その神田上水源の水神であり、音楽や芸能の守護神でもある弁財天は江戸町人に盛んに信仰されて、参詣者は江戸市中から絶え間なくやって来ていた、と言われています。IMG_8058r
弁財天といえば、銭洗い弁財天を連想する人も多いかもしれません。鎌倉や江ノ島のに比べると、かなりこじんまりとしていますが、本堂の裏にありますので、ぜひお試しを。一般的には、お金を洗うと財産が増えると言われています。
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弁財天から少し離れたところにある【お茶の水の由来】の立て札です。「その昔、当地方へ狩に来た徳川家康がこの湧き水の良質を愛してよくお茶をたてました。以来この水はお茶の水と呼ばれています。」と書かれています。
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お茶の水の湧き水口だった石井筒には、現在でも豊富な量の水が流れ出ていますが、これは残念ながら現在は湧き水ではなく人工的に流している水とのことです。50年ほど前までには自然の湧き水がまだ豊富に湧き出て飲むことも出来た井の頭の湧き水も、都市化により地下水位が下がるなどして渇水状態となってしまいました。現在は地下水をポンプで汲み上げて流しています。
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公園内にある茶店(ちゃみせ)です。公園内には全部で4つの茶店(ちゃみせ)がありますが、その中でも一番古い「井泉亭」の創業は、なんと江戸幕末の頃。広重の「名所雪月花・井の頭の池 弁財天の社雪の景」が描かれた時にはすでにこの場所にあったという話ですから驚きです。この店には当時三鷹に住んでいた太宰治もよく訪れ、甘酒を好んで飲んでいたそうです。
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井泉亭のほかにも公園内には「明水亭(昭和初期創業)」「松月(昭和18年創業)」「水月(大正6年創業)」の3つの茶店があります。こちらの「おでん定食」は松月のもの。井泉亭や他と同じく、こちらも変わらない味(肩のこらないふつうの味)と親しみやすい雰囲気(短パンにサンダルでも入れそう?)で、ホッと息をつけるところが変わらぬ人気の理由かもしれません。
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この公園の池はエリアによって、井の頭池、弁天池、御茶の水池の3つに分かれており、上は弁財天の方角に向かって御茶の水池を眺めたところです。井の頭の池は、昭和62年以来に大ぜいのボランティアの力を借りて始めた「かいぼり」が今年やっと終了したところです。池の水がきれいになって、早くも地底に残っていた種子から水草が生えてきたのがわかります。
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対岸からの景色。「かいぼり効果」で水がきれいになったせいか、眺めもこれまでより美しくなりました。
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お茶の水の立て札のすぐ後ろにある橋。一見、石を積み上げて作った橋にも見えますが、最近になってから表だけを石積みふうに化粧したものです。風情が増して良い感じになりました。
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公園は一周が約1.6km。のんびり歩いても飽きずに疲れない、ちょうど良い長さです。
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歩いていると、こんな風景にも出会います。ひっそりとした東屋(あずまや)ふうの離れ。
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この公園は、池のまわりにベンチが多いので使い勝手が良いのも人気の理由です。ゆっくりと池を眺めたり、読書をしたり、ピクニックにと思い思いに過ごせます。
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公園の北側のベンチは、周回路からやや離れているため、読書などを落ち着いてするには、最適のエリア。じっさいに読書をしている人をよく見かけます。
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公園口に近い、もう1つの公園の名所といえば、野外ステージ前広場です。少女漫画の傑作「ガラスの仮面」や薬師丸ひろ子出演の映画「Wの悲劇」にもこの野外ステージが登場しています。条例(騒音など)の取り締まりがまだユルい時代には、ステージ上では多くのパフォーマンスやライブが自由奔放に繰り広げられていたという目撃談も数多くあります。
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公園の鴨も人慣れしているせいか?まったく動じず逃げません。
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3つの池の残りの1つ。弁天池にかかる弁天橋から弁財天を望んだ風景です。この橋を渡りきった所からも、自然文化園の水生物園へ入れます。週末ならば、こちらの池面にはボートはなく静かなので、落ち着いて過ごしたい人にとっては、こちらがおすすめです。

 

写真:乃梨花

400品種150万本が勢ぞろい!舟巡りも楽しい水郷佐原のあやめ祭り
〈千葉県香取市〉

千葉県香取市にある「水生植物園」は、水郷筑波国定公園内に位置した、広さ約8ヘクタールの水生植物園。園内には島や橋、池などが配置され、水面に小舟が行き交う様子はどこか昔懐かしい景色。5月28日〜6月26日に開催中のあやめ祭りでは、江戸・肥後・伊勢系など400品種150万本のハナショウブが咲き乱れ、紫・青・赤紫・ピンク・白などの美しいカラーが園内を彩ります。
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水面を吹き抜ける爽やかな初夏の風が心地よい6月上旬の水生植物園。例年「あやめ祭り」が終わったあとの7月には「はす祭り」が開催されるため、水面にはすでにハスの葉もたくさん見えます。
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ここでは、サッパ舟と呼ばれる小舟で園内の水路を巡りながらハナショウブを観賞するのも人気です。
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この舟のことを「サッパ舟」と呼ぶのは、舟の形がササの葉に似ていることから「ササッパ(笹の葉)」が縮まって「サッパ舟」と呼ばれるようになったという話です。
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今年(2016年)の6月10日の時点では、園内のハナショウブはまだ5分咲きでした。
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花には種類が分かるように、それぞれ系統と名前が書かれた立て札がついています。
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こちらの立て札には、江戸系の「潮来」とあります。
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ハナショウブは強い日光に当たると花弁がただれてハリが失われてしまうので、花びらにハリのある美しい状態を見たい場合には、天候や時間帯など見るタイミングを計った方がよさそうです。
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差し色(効き色)の白が他の色の列に挟まれて、より美しく見える工夫もされています。
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株の並びは、同系色ごとに一列ずつというパターンが多く見られました。
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園内の広さ(約8ヘクタール)は一周するのにも、ちょうど良い広さです。
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サッパ舟の船頭さんのいでたちも江戸ふうで粋です。女性らしく赤が可愛い。
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こちらは男性の船頭さん。女性に比べると、渋めです。
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サッパ舟で園内の水路を一周するには、約10分かかります。
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水郷佐原水生植物園と大きく名前の入ったこのサインボードは、団体さんの記念撮影の時に「タイトル」のように下に入れると、集合観光写真が絵になります。(を見て、なるほどと感心しました。)
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入口付近には土産物屋もたくさん並んでいます。
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芋アイスと人気を2分していたピーナッツアイス。ピーナッツの味がちゃんとして美味しい。
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「はす祭り」に向けて、美しいハスの花も咲き始めています。
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交通はやや不便ですが「小江戸さわらの町並み」とセットで巡れば、1日フルに楽しむことができるので、充実したプランを組みたい人には良いかもしれません。

 

写真:乃梨花

信仰の山・比叡山麓で、神と仏の出逢いを想像する
<滋賀県大津市②>

安土桃山時代から江戸時代にかけて、比叡山で修行をする僧が高齢となると、天台座主から山麓に隠居所として里坊を賜った。それらが「日吉大社」の参道を中心に、いまも50以上あり、昔日を偲ばせる伝統的景観をつくりだしている。「坂本」というのは、比叡山の坂の下という意味だそうだが、古くから延暦寺・日吉大社の門前町として栄えた町だ。京阪坂本駅を降り左手へ、大きな看板のある日吉そばをすぎると、日吉大社の二の鳥居をくぐる。そこから両側に里房が並ぶ広い参道がつづき、やがて日吉大社の赤い鳥居が見える。

この鳥居をくぐると森閑とした空気が漂いはじめ、清水が流れる大宮川に架かる石橋を渡ると山王鳥居が見えてくる。この鳥居、すこし変わった形をしている。ふつうの鳥居の上に三角形の合掌組と束がついている。神道と仏教が結びついて生まれた、山王神道の教義を形にしたものなのだそうだ。ここ日吉大社は、全国各地に3,800余りある山王権現の総本宮。平安時代に本地垂迹説によって、神には権現という称号が与えられ、天台宗の寺院には鎮守として必ず山王社が建てられたため、山王信仰は天台宗の興隆とともに全国に広まったのだという。延暦寺と日吉大社の結びつきは、まさに神仏習合思想の歴史に裏打ちされている。日本古来の神が外来の仏教思想によって根拠を与えられたというのは、日本の神にとっては忸怩たる想いだったのだろうか、あるいは仏教とうまく融和した神のしたたかさと見るべきだろうか、双方向に考えられるのが歴史のおもしろさだ。いずれにせよ、神も仏も排除し合うことがないこの思想風土は、もっと世界に誇っていいものではないかと思う。

日吉大社の歴史は、およそ2100年遡ることができるのだとされている。境内には、国宝に指定されている東本宮・西本宮の本殿はじめ、重要文化財である大宮川に架かる三つの石橋、猿の彫刻がある西本宮楼門、7基の神輿など貴重な歴史遺産が多数ある。傾斜地にある境内には山からの湧水だろうか、いたるところにきれいな水が流れており、点在する建造物はいずれも見事である。

また、この地は平安京の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除け・災難除けを祈る社であり、その象徴となったのが神様のお使いである「神猿(まさる)」さん。比叡山に猿がたくさん生息していたことと関係していたのか、何時頃からか「まさる」は、“魔が去る”“勝る”に通じる縁起の良いものとして大切にされてきたのだという。境内の神猿舎にはケージのなかにお猿さんがいる。

さて日吉大社の参道を戻って、日吉そばを右へ折れると、旧街道の風情がたっぷりの町筋へ入る。すぐ右手に見えてくるのが「鶴喜そば」本店。すこしお腹も減ったので、昼食をとることに。店に入って、とろろそばを注文した。と、「今年は創業三百周年なので、記念にそばつゆをプレゼントしています」とおっしゃる。へえ~、三百周年!ですか。なるほど京都あたりで百年やそこらで老舗というと冷笑されるともいうが、時間のスケールがちょっと違う。享保初年(1716年)に開業し、いまは八代目と九代目が切り盛りされているのだそう。蕎麦が美味しいことはもちろんだが、ただの味覚としては表現できない何ものかがある、そう感じた。

「鶴喜そば」さんを出て右手へ向かうと、古い商家の連なる見事な町並みが続いている。虫籠窓(むしこまど)のある大きな瓦屋根が、昔日の面影を色濃く残している。このあたり一帯は、重伝建地区に指定されている。

石畳はおそらく近年整備されたものと思われるが、側溝の蓋にも石材が施され、景観に配慮しているのがよくわかる。

下り坂を眺めると、手前に京阪の踏切、遠くにJR湖西線、その向こうに広大な琵琶湖が見える。道を右へ入ると上りになり、左へ入ると下りになる。坂本の町というのが、比叡山麓が琵琶湖へ落ち込む際の傾斜地にあることがよくわかる。

傾斜地にある坂本はまた、石積みの町でもある。建物を造るには必ず盛土が必要なので、神社や寺院などはもちろん、町中のいたるところに石垣が積まれている。写真(右下)のものは、道沿いに百メートル以上も続いているだろうか。京阪電車の坂本から二つ目に穴太(あのう)という駅があるが、このあたり“穴太衆”と呼ばれる石工集団を生んだ土地である。彼らが積んだ石積みは「穴太積み」と呼ばれ、いわゆる野面積みの一種で、自然石を組み合わせてつくる石垣である。一見粗野にも見えるのだが、積石の比重の設計が巧みで、小石を上手く利用した排水の工夫など、穴太衆秘伝の技法が駆使されており、その堅牢さには定評がある。なんでも織田信長が安土城を建てたとき、穴太衆が石垣の造営にかかわり、その技術の素晴らしさが各地へ伝わった、そういう伝説も残っている。

地蔵堂の前に「坂本一丁目」の表示、「庄之辻」ともある。この庄ノ辻から山手に向かい、裳立山の中腹を巻いて無動寺へ行く道は、回峯行の道なのだという。

「公人(くにん)屋敷」は、延暦寺の諸事運営などをする公人が住んでいた住居。数多く残るこのような屋敷も、ほとんどは内部が大幅に改装されているが、この旧岡本邸は原型をよくとどめているため、大津市指定文化財として保存されている。主屋の奥に、米蔵と馬屋があり、主屋は江戸末期の建築とされ、往時の公人の生活がうかがえる貴重な遺産となっている。

樹齢200年ともいう大きな楠がある「日吉御田神社」ほか、町を歩いているといくつもの鳥居があり小さな祠があり、あるいは地蔵や御堂などもたくさん目につく。古来より信仰に培われてきた土地だということだろう。

紅葉の名所である日吉大社は、秋にはかなりの観光客でにぎわうが、普段はそれほど人出は多くない。シーズンともなれば人ごみを見に行くかのような京都とちがって、ゆったりと歴史空間を味わうことができる。もし比叡山へ上る機会があるなら、ぜひ坂本へ立ち寄ってみることをおすすめする。

琵琶湖舟運の拠点~滋賀の都~を歩く
<滋賀県大津市①>

天智天皇は、667年に都を大津に移したが、わずか5年でこの世を去り、都はまた飛鳥へ戻されてしまった。残念ながら大津京は、現在の市街地の下にあたるので発掘が難しく全容はわかっていないが、5年とはいえここには都があったのだ。もちろん“津”という名称のとおり、大津は古くから琵琶湖舟運の拠点として栄えた港町。江戸時代中期に北前船の西廻り航路が開発されるまで、北国から都への物流は敦賀で荷揚げされ、いったん陸路を経て塩津などへ、そして琵琶湖を経由して、また大津から陸路を辿って京都へというルートが主流であったといわれる。

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鉄道での大津への入口はJRなら膳所駅だろうが、やはりここは京阪京津線で行くのが魅力的だ。写真は浜大津の駅を出て、左に大きくカーブし京都方面へ向かう800系。これは京都地下鉄東西線への乗り入れに伴って新造された車両で、急勾配や急カーブまた一部は路面並走という複雑な軌道を走る京津線、それと京都市営地下鉄との直通運転をするために、多機能な車両とするため多くの最新機器を搭載しているのだという。なんでも車両1mあたりの価格は、新幹線に匹敵するほど高価なのだそうだ。

浜大津の駅を降りると、芝生の公園のむこうに遊覧船乗り場やヨットハーバーがあり、はるかに琵琶湖が広がっている。ちょっと面白いと思ったのが“外来魚回収BOX”なるもの。ブラックバスやブルーギルはリリース禁止、この箱へ入れましょうとある。生態系を維持するには地道な努力が必要なのだろう。

さて町中へ足を踏み入れると、趣のある民家や商家がまだたくさん残っている。板塀の続く路地を抜け、小さな寺院が点在する町筋、アーケードの商店街。ふらふらと町を歩いていると、京都ほど観光化されていないので、昭和の町がまだそのままそこにあるような光景がつづく。

こちらの民家には国の登録有形文化財のプレートがついていた。もちろん現役のお住まいで、観光用の建物ではないので説明版等もないが、こういう住居を大切に使用されているところに、歴史を大事にするというプライドを感じる。

長等のほうへ少し歩くとあるのが「大津絵の店」。大津絵は、かつて東海道を行き来する旅人に人気のあった民画で、発祥は江戸初期といわれる。旅人相手に量産する技術は大津絵独特のもので、素朴かつ大胆な風合いが魅力的である。一時は消滅の危機にあったそうだが、明治にこの店を開いた初代高橋松山以降、いまは四代目松山と五代目信介の二人が、日々制作に励んで伝統を守り続けている。

この写真は、街路沿いに飾られている、大津絵を転写した陶板のひとつ。大津絵のモチーフのひとつ、風刺画であるが、なかなかウィットが効いていて面白い。画題は「猫と鼠の酒盛り」。酒を呑んでいる猫に、鼠が唐辛子を肴に差し出している。「聖人の教えを聞かず終に身を滅ぼす人のしわざなりけり」と詞書が添えられる。猫は酒の享楽に蠱惑され鼠を捕る仕事をせず、鼠は猫におべっかを使っているがいつ喰われるかわからない。ひょっとして、この唐辛子というのは鼠の悪知恵なのだろうか?なかなか考えさせられる絵だ。

「大津絵の店」から通りの奥を望むと、石造りの鳥居のむこうに「長等神社」の大きな朱塗りの楼門が見える。長等神社は、天智天皇による近江大津宮への遷都にともない、都の鎮護として須佐之男命を祀ったのが始まりといわれる。

神社の前には大津絵民芸房があり、町の風景としてもよい佇まいを見せている。

神社を出て左手の方へたどってゆくと、琵琶湖疏水が長等山トンネルへ入る場所に出逢う。明治維新の東京遷都による衰退を懸念して、京都の産業振興のため、自然の高低差を利用して琵琶湖から京都へ水を運ぶ水路である。この付近の標高は、およそ平安神宮の鳥居の高さと同じなのだという。長等山トンネルは疏水の工事のなかでも最大の難関だったそうで、日本ではじめて竪抗から両方へ掘り進むという工法が採用されたのだという。京都側の南禅寺の水路閣やインクラインなどは有名だが、山を越えて京都まで流れているのだという実感は、ここへこないとわからない。

これを山の方へ行くと、三井寺「長等山園城寺」の入口がある。境内でもひときわ威容を誇る国宝・金堂は、1599年豊臣秀吉の正室・北政所によって再建されたもので、桃山時代を代表する建築といわれる。

一切経蔵は室町初期の建築とされ、堂内には高麗版一切経を納める回転式の八角輪蔵があり、荘厳な空間をつくりだしている。また唐院潅頂堂とならぶ三重塔は、1601年に徳川家康が寄進したもので奈良より移築されたものという。広い境内には、その他中世から江戸へかけての建築物、仏像、絵画、工芸品など、多くの国宝や重要文化財が保存されている。この日は平日の午前だったせいもあるが、境内にはほとんど人影もなく、木立の中では鶯はじめたくさんの鳥の鳴き声が響き森閑とした空気を存分に味わうことができた。

さて坂本へ向かうため京阪電車の駅へ歩いていたら、600形「響け!ユーフォニアム」のラッピング電車に行き会った。こういうかわいらしいラッピング電車やイベント列車などが、ローカルな石山坂本線を盛り上げている。

山手西洋館めぐり#07 ブラフ18番館
〈神奈川県横浜市〉

ブラフ18番館は、関東大震災後に山手町45番地に建てられた外国人住宅です。その後、1993年に横浜市によって現在の山手イタリア山庭園の一画に移築復元されました。
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建物の設計者や竣工年などは不明ですが、経緯などから、オーストラリア人貿易商のR.C.バウデン邸として建てられたと言われています。1991年に解体調査が行われた際に、この建物が震災により倒壊や火災を免れた部材を再利用して、再建されたものであることが判明しました。
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バウデン氏が館を手放した1925年以降は、何人かの所有者の手を経て、第二次世界大戦後の1947年からは山手本通りにあるカトリック山手教会の司祭館として長いこと使われてきました。しかし、ついには老朽化によって平成3年(1991)に解体されることになり、その解体された部材の寄付を受けるかたちで、今にち横浜市の所有となっています。
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建物は木造2階建。フランス瓦の屋根、暖炉の煙突、ベイウィンドウ、上げ下げ窓と鎧戸、南側のバルコニーとサンルームなど、震災前の外国人住宅に多く見られる特徴的なつくりとなっています。ただし外壁は震災による被害の経験から、防災を考慮した塗装(モルタルを吹き付けたスタッコ仕上げ)へと変わりました。
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近づいて見るとピーコックグリーンの両開きの鎧戸と窓枠がいっそう美しく感じられます。加えて窓辺の赤い花とアイアンワークがエレガントな彩りを添えていました。
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建物のドアや窓のガラス部分はすべて格子のデザインで統一されています。それでも単調に見えないのは、それぞれの意匠に工夫が凝らされているせいかもしれません。このドアの場合には、中心の大きなマス目と周囲の小さなマス目のうち、四隅のところだけに曇りガラスを嵌めこんで、変化と遊び心のあるデザインになっています。
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1階のサンルームに向かって右側にあるリビングルームです。以前はこの部屋の窓辺のコーナーに旧・バーナード邸のロッキングチェアーが置かれていました。
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このリビングルームの家具は横浜家具です。横浜家具とは横浜で製作された西洋家具を言いますが、その歴史は古く、幕末に横浜が開港し、海外からの居留者が横浜に増えるに従い、持ち込まれた家具の修理を地元の木工職人が請け負うようになったのが、そもそもの始まりです。それまで和の木工のみを専門としていた職人たちが西欧風の家具の修理をするうちにその形状を知り、それを元に独自の作り方で西欧風の家具を製造するようになりました。
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こちらも同じく横浜家具で、ライティングビューローです。横浜家具の特徴として、釘をほとんど使わずに接合部がうまく噛み合うように特殊な細工を材木に施し、それを組み合わせて作っていることなどが上げられます。
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年代物の暖炉。この木炭ブラックな色とツヤ消しマット感の風合いがいい感じです。室内が明るいせいもあり、渋さがよけいに際立っています。この暖炉に中世の甲冑のごとく厳かな風格を与えているのは、暖炉の前に置かれている「ファイアーセット」によるところが大きいのではないでしょうか?これもやはり旧・バーナード邸から借り受けたひとつです。
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単体で絵になる帆船。ずっと見ていても飽きのこない魅力があります。
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サンルームは庭の木立に囲まれて、夏はとっても涼しげです。
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このコーナーから眺めると180度ワイドなパノラマ・ビューが楽しめます。
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リビングルームからサンルームを伝ってサロンに入ります。この部屋の調度も横浜家具です。
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アームや背の曲線が見事なチェア。暖炉に置かれたアンティークの置き時計。その上に飾られている額縁の中の世界地図など、ひじょうに美術的な空間を構成しています。
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サンルームの戸口から見た玄関方向。玄関の扉のチェッカーガラスから滲んで見える外の景色。
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アンティークのアップライトピアノからは温かな肌触りが感じられます。
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ダイニングルームです。このブラフ18番館では、英国人E.V.バーナード夫妻の新居として、昭和初期に建築された西洋館「旧バーナード邸」から横浜市が一時的に預かった家具などをいくつか展示していますが、もっとも多くの家具が集まっている部屋でもあります。
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この長く大きなダイニングテーブルとスペイン風チェアも旧バーナード邸からのものです。テーブルは1937年、椅子は1920年に横浜元町で作成されました。どちらもバーナード氏自身のデザインによるものです。椅子の布張りの色に合わせてテーブルクロス、カーテンがピンクベージュの同系色に揃えられ、全体に抑えたトーンでシックにまとめられています。
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アンティークカットの飾りワイングラス。赤いワインが注がれたらより素敵に見えそうです。
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同じく旧バーナード邸のチャイナキャビネット。1960〜70年頃に台湾で製作されました。
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天井ライトも、部屋の基調カラーと同系色です。
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階段を上がって、つぎは2階へ。
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寝室の家具は、大正初期に造られたもので、木造平屋建ての洋風住宅、通称「唐沢26番館(横浜市南区)」で使用されていたものです。平成26年の同館の取り壊しにあたり、山手西洋館へ寄贈を受けました。寝台、ナイトテーブル、洋服箪笥は統一された個性的な意匠となっています。アールデコとロシアの構成主義をミックスしたような強いデザインで、とくに寝台は、直線的な構成にエジプト風のレリーフが美しく、優れたデザインです。(以上部屋の展示パネルより)
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材料のラワン材は当時「フィリピン・マホガニー」と呼ばれ、家具材としては珍しく、その輸入時期から、大正10年から昭和の初めころに製造された家具だと考えられます。製造地については不明ですが、ラワン材の輸入を扱う業者がいたと思われることから、横浜の可能性が高いと考えられます。(以上部屋の展示パネルより)
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寝室の天井照明です。閲覧室と談話室にもこれと同じ照明が使われています。
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閲覧室には館の模型も展示されています。
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廊下の突き当たりには、可愛らしいティーテーブルとアイアンチェアが置かれています。
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談話室には、資料や説明用のモニターなどが置かれています。窓が多く、さらには出入り用のドアもあるため、こちらも明るく開放感たっぷりの部屋です。
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光の加減では、壁色も微妙にトーンを変えます。
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(最後に)ここが「ブラフ18番館」という名前になったのは、この場所の旧地名が「山手居留地18番」だったことに加え、山手がまだ外国人居留地だった頃、この高台が「Bluff(ブラフ)=切り立った岬」と呼ばれていたことに由来するそうです。ちなみにポーカーでハッタリをかけることを言うブラフ(Bluff)も同じ語なのが、なんだか面白いですね。

 

写真:乃梨花

山手西洋館めぐり#06 外交官の家
〈神奈川県横浜市〉

山手地区にある洋館の中で、唯一国の重要文化財に指定されているのが、山手イタリア山庭園にある「外交官の家」です。ご覧のように庭園のアプローチから目にする館は、まるで「丘の上の館」のイメージそのもの。この丘の上に建つモニュメンタルな館は、すでに山手地区のランドマークにもなっています。
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この家は、ニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などをつとめた明治政府の外交官・内田定槌(さだつち)の邸宅として、明治43(1910)年に東京の渋谷区南平台に建てられました。当時の渋谷は谷が入り組んだ坂や斜面の多いまちで、旧内田邸をはじめ明治末期の日本人邸宅は、こうした土地の形状をうまく利用して屋敷をつくっていました。この頃はまだ、江戸時代の大名下屋敷の作り方が土台になっていました。
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現在ここにあるのは、平成9(1997)年に内田定槌氏の孫にあたる宮入氏から同館の寄贈を受けた横浜市が、この場所に移築復元したものです。アメリカン・ヴィクトリアン様式を取りいれた華やかな装飾が特徴で、室内はアール・ヌーボー調の家具や調度などが可能な限り再現され、当時の外交官の暮らしの雰囲気をいまにつたえています。
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設計者はジェームズ・マクドナルド・ガーディナー。アメリカ人で明治13年に米国ミッションから派遣され、立教学校(現在の立教大学)の初代校長まで務める一方で、建築家としても才能を発揮しました。設計した40棟ほどの建物のうち、現存している建物はわずか10棟ほどですが、その多くは文化財などに指定されています。代表作には京都聖ヨハネ教会堂などがあり、建物に淡麗な表情を与える才に優れていたそうです。
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移築前に住居として使用していた頃には、こちらの正面玄関を使用していました。この建物の特色は和館が並置されていたことです。日本の洋館はもとは接客用で、日常生活は日本家屋で行うのが中心でしたが、明治末期より洋館を日常の場とするスタイルが一般の住宅にも普及していきます。旧内田邸も洋館が生活の中心で、日本家屋は使用人部屋や台所からなる付属屋的なものでした。令嬢の部屋が日本家屋にあった理由は、あくまで親心で、洋式生活がまだ一般的ではない当時、嫁ぎ先で困らないようにという優しい心遣いだったそうです。
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建物からは、遠くにみなとみらいの町と美しく手入れされた西洋庭園がのぞめます。
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邸内です。わかりやすく、家の玄関扉から順番に見ていきます。玄関と玄関ホールを仕切るのは、アール・ヌーボー風ステンドグラスの両扉です。この洋館の優美なステンドグラスはすべて100年前のものだそうです。
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家の玄関ドアには、すりガラスに内田家の家紋「丸に剣三つ柏」があしらわれています。
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正面玄関を入ってすぐ左手には、賓客の供の人が主人の用事が終わるのを待つための小部屋(供待室)があります。現在この部屋の暖炉上に掛かっているのは、設計者であるガーディナー氏の写真です。京都にある「長楽館」の設計も同氏によるものです。
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ステンドグラスの両開きドアから玄関ホールに入ると、左側に階段、右側に大客間、そのまままっすぐ進んだ突き当たりには食堂室があります。
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大客間です。大切なお客を通した応接空間で、ピアノが置かれていた時期もあったそうです。
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小客間です。晩餐会の際、ここで食事の用意を待ったり、食後のお茶を楽しんだりしていたそうです。家族でいる時は、食後の団欒や憩いのひと時に用いられ、そのほか気軽な応接間兼居間として使用されていたということです。IMG_1191r
小客間の造り付けの暖炉型ストーブの横にはアールヌーヴォー調のペイズリー模様があしらわれたチェアが控え目に置かれていました。逸品の持つ上質さがじわっと伝わってきます。

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サンルームです。この建物は、南平台から移築するさいに、南平台と同様に「地形に対応した配置」を軸に移築されました。そのさい、塔屋と谷との地形の関係で元の建物と方位が90度変わってしまっています。その影響で各部屋と日照の関係が変化し、本来の日照ではないものの、開放感のある明るいサンルームという印象を受けました。当時は家族の憩いの場だったそうです。
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玄関ホールと小客間から通じる食堂は、家族の日常的な食事のほか、賓客を招いての晩餐会も行われていました。定槌(さだつち)の日記によれば、たとえば、彼がスウェーデン在勤の時は、毎週のように自邸で晩餐会が開かれており、来賓は外務大臣や各国公使を混じえ、主従併せて20人近く。宴は夕方から深夜にまで及んだようです。
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食堂にある英国製のマジョリカタイルでしつらえた暖炉型ストーブは、蒔型のブロックにガスの火が映り込んで、蒔が燃えているように見えるしかけです。
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階段の中段にある段違いに3つ続く窓は、ユーモラスで楽しく感じられます。
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2階の書斎です。2階はおもに内田家の人々のプライベートな空間でした。この書斎は、外交官らしく書棚に囲まれた部屋で、定槌がひとりの時間を過ごしたといいます。造りつけ書棚の中に納められているのは、定槌の和洋の蔵書の一部です。上部の磨りガラスの窓は隣接するクローゼットの明かり取りと空気抜きになっています。また、部屋のつくりは、アーチ型の入り口や柱など、随所にさりげない装飾がみられます。
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書斎のデスクです。この外交官の家は、当時の住空間の再現をテーマとしているため、洋館の室内では出来る限り家具と調度を再現し、濃厚な生活空間の復元を試みているそうです。この書斎のデスクとチェアもそのような趣旨でなければ、ふだんなかなか目にすることがないような上質のものでした。
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邸内の照明も、他と等しく型や意匠はできるだけ当時のものに復元されています。また照度(明るさ)についても、“すぐそこで生活が営まれているような臨場感”を見学者が体感できるように住宅本来の照度に設定されているため、公共施設としては暗めの室内となっています。
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主寝室です。夫妻の寝室だったこの部屋は、広々として開口部が多く、1階に比べて色調も明るめ。かつて広い芝が広がっていた方角にはベランダがついており、広いクローゼットもついています。
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窓際にはくつろぎのスペースが。夫妻の仲むつまじい姿が今にも見えてきそうです。
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寝室から続く八角形の小部屋(サンルーム)は、陽子夫人がプライベートルームとして使っており、特に晩年はこの部屋を好んで使用していたといいます。白い暖炉型ストーブのあとがあり、壁には呼び出し鈴の押しボタンが取り付けられています。
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建物の接続部などには、まだ和館の名残りが残っています。和館の再現も見たかった、と思うのはやはり欲張りでしょうね?

 

写真:乃梨花

 

雲海に浮かぶ山城、武家屋敷、赤瓦の鉱山町・・・美しい歴史の町「備中高梁」
<岡山県高梁市>

歴史を色濃く残した町が醸し出す美しさは、現代の都市空間が見せる斬新な美とは、まるで質が異なっている。どちらがよいかという比較には意味がない。長い時間によって育まれた文化景観には、新しいものがけっして持つことのできない威厳と気品が漂っているからだ。備中高梁には、現存する山城では日本一高いところにある備中松山城をはじめ、武家屋敷や社寺のある町並み、ベンガラの産地として繁栄した鉱山町など、貴重な歴史的景観がよく保存されている。山河に囲まれたとても美しい町である。

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いままで映画「男はつらいよ」のロケ地に2回取り上げられているのも、風情のある町である証。昭和46年池内淳子がマドンナを演じた“寅次郎恋歌”、そして昭和58年竹下景子がマドンナを演じた“口笛を吹く寅次郎”である。物語では、さくらの亭主・諏訪博の郷里という設定であった。

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まず伯備線・備中高梁の駅を降りたら、「紺屋川(こうやがわ)美観地区」へ向かってみよう。藩政期には松山城の外堀でもあったという紺屋川畔は、桜や柳の並木が続いており散策には絶好のロケーションである。

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天柱山 頼久寺(らいきゅうじ)」は、1339年に足利尊氏が安国寺として建立した禅寺である。とくに小堀遠州の築庭といわれる蓬莱式枯山水庭園は、江戸初期の庭園としてはわが国を代表するものの一つとされる。遠くに見える愛宕山(あたごやま)を借景として、海洋を表す砂の波紋に鶴亀の二島が配され「鶴亀の庭」とも呼ばれる。また大海の波を表すという遠州独特のサツキの大刈り込みも見事で、庭園ファンには見逃せない庭である。

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石火矢町(いしびやちょう)ふるさと村」は、約250mに渡って格式ある門構えの武家屋敷が建ち並び、白壁の長屋門や土壁が続いていて、かつての武家屋敷町の景観がよく保存されている。

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また旧折井家と旧埴原家は一般に公開されており、武家の住まいの様子や武具の展示などを見ることができる。(写真は旧折井家)

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また「高梁市商家資料館」として公開されている池上邸は、享保年間に当地で小間物屋をはじめ、のち両替商や高瀬舟の船主等を経て醤油製造で財をなしたという豪商の家。建物は1843年に建てられ、一部大正時代に改築されたものというが、江戸から続く商家の豪壮な屋敷に触れると、全盛を誇った当時の様子が彷彿とさせられる。

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さて高梁の象徴でもある「備中松山城」、現存する12の天守では唯一の山城であり、もっとも高い位置にある城。それだけにけっこうな距離を歩いて上らなければならないが、高さ10m以上の切り立った岩壁、急傾斜を利用して複雑に構成された石垣など、“難攻不落の名城”といわれた姿を見ることができる。天守、二重櫓、土塀の一部が現存しており、また平成6年度から本丸の復元整備も行われており、往時の様子が忠実に再現されている。雲海に浮かぶ幻想的な姿は、備中松山城展望台から眺めるのがよい。時期は秋から冬にかけて、晴れて昼夜の寒暖差が大きい日、早朝に朝霧が発生しやすい。霧の発生していないときでも、展望台から眺めると山城の特徴がよくわかるので、一見の価値はある。

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市街地からは離れるが、ぜひ見ておきたいのが「吹屋ふるさと村」とその周辺だ。備中吹屋は、江戸初期より銅山として、また江戸後期からは良質のベンガラの産地として繁栄した町である。ベンガラとは、絵の具、染織り、陶磁器、漆器などに用いられる顔料で、化学顔料が開発されるまでは吹屋のベンガラが独占状態であったという。繁栄を極め巨万の富を築いた吹屋の商人は、各々の屋敷の豪華さを競うことなく、旦那衆が相談の上で石州(島根県)から職人を招いて、町全体を統一されたコンセプトで設計したのだという。当時としては驚くべき先進的な思想だ。赤銅色の石州瓦とベンガラ色の外観で統一された町並みはたいへん見事であり、江戸末期から明治にかけて当地の長者達が残した貴重な文化遺産である。昭和52年に重要伝統的建造物群保存地区に認定されている。

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豊かな自然に恵まれている宇治町は、農村型リゾート「備中宇治彩りの山里」として、自然歩道・史跡・農村公園などが整備されている。「元仲田邸くらやしき」は、明治中期の建造とされる酒蔵を改修したもので、いまでは貴重となった「いろり」のある宿泊施設。敷地内には、数寄屋風の長屋門、研修室になっている書院造りの母家、資料館となっている土蔵などがあり、江戸期の庄屋屋敷の面影が残っている。のどかな農山村の雰囲気を満喫し、心身ともにリラックスしたい人にはおすすめである。

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現存する日本最古の木造校舎といわれるのが「高梁市立旧吹屋小学校」。明治6年に拡智小学校として開校、後に吹屋小学校、吹屋町立尋常高等小学校となった。東校舎・西校舎等が明治33年、本館が明治42年の建築だという。2012年で廃校となったが、文化財としての保存が決まり、現在は保存修理工事中で、残念ながら仮囲い・覆屋がしてある(平成32年3月末までの予定)。年に数回、内部の特別公開があるという。

 

歴史の町・高梁は、いわゆる観光としても見どころ満載であるが、なにより伝統を大切にし土地固有の文化を育もうという誇り高い風土が最大の魅力だと思える。

 

写真提供:岡山県観光連盟

アレもコレもこんにゃくか!? 不思議な感覚を味わえるこんにゃくパークの無料試食
<群馬県甘楽町⑥>

kanra06_01民放主要局でもCMを流しているのでご存じの方も多い「こんにゃくパーク」は、甘楽町役場のすぐ裏にあり、甘楽町で最大の集客力を誇る施設。世界最大級のこんにゃく製品生産量を誇る工場の見学やこんにゃく料理のバイキングなどが無料で楽しめるため、平日でも観光バスが連なる人気スポットだ。

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kanra06_03工場見学やバイキングを楽しむのに必要なのは、受付で名前・住所などを記入するだけでOK。受付横の階段を登ると約330mの工場見学ルートがある。

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kanra06_05カラフルな通路はアチコチがガラス張りになっており、工場内を見下ろす感じで歩いて見学する。作業がどの工程かはガラス面に書かれているうえ、上部のモニターでも詳しい解説が流れているので、動作を見るだけでなく内容もよく理解できる。数多くの工程を見ているうちに、こんにゃく製品の製造工程がわかる仕組みだ。

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さらに、こんにゃくやゼリーの歴史や雑学なども展示されているのだが、アニメや実写動画を使用したものが多いのが特徴。小さな子供から大人まで楽しめる工夫が随所に施されていた。

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kanra06_08b工場見学のあとは、お楽しみの無料バイキング。こんにゃくを使ったアレンジ料理が10数種類並んでおり、なかには「これがこんにゃく!?」とびっくりしてしまう「レバ刺し風」や「こんにゃくラーメン」なんてモノも!

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豊富な見た目と味のバリエーションを出せる「こんにゃくの持つポテンシャル」を、存分に味わえる。ラーメンや人参に見えても食感はこんにゃく…この不思議な感覚はぜひ体験してみて欲しい。

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バイキングで食べられる料理のほとんどが、となりのショップでも購入可能。まあ、おみやげコーナーなのであるが、ここでしか見たことがない商品が数多くあり、人によっては一番面白いかもしれない。

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驚くのはたいていの商品にこんにゃくが使われていること。ゼリー・プリン・葛きりなど、プルプル系のスイーツは、こんにゃくと似たようなモノなので納得できる。

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ラーメン・そば・うどん(焼きそば?)などの麺類や、粒こんにゃくのお粥など、炭水化物系の疑似商品はまだかろうじて理解できるが…。

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カステラやこんにゃく繊維を揚げたというチップスに至っては、あまりの徹底ぶりにいろいろツッコミを入れたくなってしまう。数多くある「フェイクこんにゃく食品」を見て歩くだけでも楽しいが、お土産に買って帰り知らない人に食べさせたら面白いリアクションが見られるのではないだろうか?

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館外へでると、アジアンテイストでまとめられた無料の足湯コーナーも用意されている。ここで使われているお湯は、甘楽町が誇る雄川堰(名水百選)の地下水を、工場から出る蒸気で沸かしているとのコト。湯につかりリフレッシュしながら、甘楽の旅に想いを巡らしてはいかがだろう?

自然と触れあいながら地域と親しめる甘楽ふるさと農園
<群馬県甘楽町⑤>

「牧歌的なものと共存していく価値観」を観光資源として提供していきたいという甘楽町。そのアイデアを具体化しているのが甘楽ふるさと農園だ。

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ここは農地を借りて有機農業体験ができる施設なのだが、ただ土地を貸すだけではなく「地元の人やオーナー間の交流を楽しめる」というコンセプトが特徴。一度だけ来て去ってゆく観光ではなく、度々来て地域と触れ合いを持つ新しい観光スタイルを提案している。100区画以上ある農地のうち、だいたい50%強を東京近郊の方が、残りを地元の方が借りていて、週末は結構な賑わいを見せるそうだ。

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kanra05_02b人気の理由は富岡インターから8分というアクセスの良さに加え、晴れていれば赤城・榛名・妙義の上毛三山、浅間山などをぐるりと一望できるという開放的な立地、なによりハード・ソフト両面の設備が充実していることがあげられる。

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まず、ハード面であげられるのは立派なクラブハウス。なかに入ると高い天井にガラス張りのラウンジやシャワールームなど、まるでスポーツ施設のような設備が充実。受付前の一角で野菜の種を売っていなければ、農作業用の施設とは思えない。

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また、クラブハウスとは別棟のガレージには、様々なアイテムが取り揃えられており、たいていの農具は無料で貸し出ししてくれるとのコト。町内から厳選した肥料など必要な消費材も園内で買うことができるので、買い出しの手間も少なくて済む。

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そして、一番の魅力はソフト面。農業経験豊富な管理人さんが常駐しているので、農作業をしたことがなくても安心して挑戦することができる。管理人のひとり田中さん(左側)からは「初心者大歓迎」と頼りがいのあるお言葉をいただいた。管理人さん以外の地元の方々もいろいろアドバイスをしてくれるそうなので、農業体験をしているうちに自然と地域との関係を深めることが可能。農作業だけではなく、甘楽や周辺情報にも詳しくなれるはずだ。さらに、収穫感謝祭や農園づくりコンテストなどの交流イベントも豊富。道具のレンタルもあるため、最近はバーベキューだけを楽しみにくる方もいるとのこと。

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kanra05_06bそれから、忘れちゃいけないのは丘の斜面にある羊公園。放牧に近い感じで点在する羊たちは、見ているだけでも癒される可愛らしさ。もし近くでみたり餌をあげたくなったら…管理人さんにお願いすれば、呼び寄せてくれるかも?

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畑で汗を流してからシャワーを浴び、丘の上で山々を眺めながらバーベキュー。甘楽ふるさと農園で過ごす一日は、健康的な「人間らしさ」を味わうことができる。