養蚕文化の歴史を紡ぎ続ける甘楽町歴史民俗資料館
<群馬県甘楽町②>

kanra02_01信州屋から100mほど歩けば甘楽町歴史民俗資料館(旧甘楽社小幡組倉庫)に着く。ここは、日本遺産「かかあ天下 -群馬の絹物語-」の構成文化財に含まれる施設で、養蚕の最も盛んであった1926(大正15年)に、繭倉庫として造られた建物を活用している。

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入り口横には日本遺産認定記念のかかあ天下像が設置されていた。群馬の絹物語の主役といえる養蚕・機織り・家業を担った女性がイメージされたこの像は、左官職人が壁を塗る鏝(こて)で製作したという。

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中に入ると受付周辺から養蚕関連の資料がギッシリ。チケットを買うと、たまたま他にお客がいないタイミングだったからか、窓口にいた女性がギャラリーに出てきて展示物を親切に解説してくれた。この方は町役場でもお噂を聞かされた名物学芸員。特にお蚕さまに関しての知識と愛情が深く、養蚕文化を楽しく学ばせてくれる。

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例えば、富岡製糸場に収められたレンガの展示では「この煉瓦は瓦職人が焼いたものなんですよ」など、解説を読むよりも言葉で聞くほうがすっと頭に入ってきて、なんだか得した気分になれる。

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もちろんつきっきりの解説がなくても見どころ十分。甘楽で実際に使われていた養蚕器具や神社に奉納された絵馬、蚕の病気予防のポスターなど、この地域の歴史を紡いできた養蚕文化を生々しく感じることができる。

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面白いのは、資料館のあちこちにできている繭。気が付くとたくさんあるのだが、これはみんな蚕が勝手に作ったそう…。「勝手にってどういうことですか?」と尋ねると、この資料館では蚕の生体展示も行っていて、 季節になると入り口横のスペースで飼育するとのコト。そこで育てた蚕が繭をつくってしまうそうだ。「ときには家の裏から桑を持ってくることもあるんです。本当お蚕様かわいいんですよ~。」という名物学芸員さん。飼育したお蚕が資料館内に繭を作って、それをそのまま見せるなんて…これより生きた展示があるだろうか?  蚕の飼育期間中にまた来たくなってしまった。

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富岡製糸場の後に立ち寄る人も多いという甘楽町歴史民俗資料館だが、ここへ来て「養蚕のことが良くわかった」という人も多いそう。外から見てるだけでは分かりづらいが、実際に来てみればその言葉に納得できる。日本遺産「ぐんまの絹物語」を読み解くなら、欠かせないスポットといえるだろう。

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ちなみに2階は立派な鎧など武家関連資料や2,000年以上前の出土品など展示されているのだが、コチラは「ゆっくりご覧になってください」と送り出してくれた。もちろんコレが普通だとわかってはいるのだが…「お蚕愛」とのギャップは「かなり強め」だ。

今も物語がいきづく養蚕農家群の町なみ
<群馬県甘楽町①>

日本遺産(Japan Heritage)」をご存じだろうか?
遺産といっても特定の物を示すのではなく、地域の歴史的魅力や特色を伝える「物語」を文化庁が認定したものが「日本遺産」である。有形無形の文化財群をひとつのストーリーでつなぐことで、訪日観光客を含めた旅人に日本の文化・伝統をより分かりやすく伝えようとする試みなのである。
この連載では、日本遺産に認定されたエリアに注目し、認定された物語以外の魅力も含めて紹介。地域をより深く味わう旅を提案する。まずは日本遺産のひとつ「かかあ天下 -ぐんまの絹物語-」を構成する町「甘楽町」を紹介する。

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群馬県南西部にある甘楽町(かんらまち)は人口1万3千人台ののんびりした町で、大正初期には約7割の世帯が養蚕農家を営んでいたという。町役場から上信越道を南に越えると養蚕農家群の町なみが現れる。

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古くから灌漑用水として使われていた用水路「雄川堰」に沿って、明治中期ごろに建築された養蚕農家が続いているさまは、「邑(むら)ニ養蚕セザルノ家ナク製絲セザルノ婦ナシ(村で養蚕をしていない家はなく、製糸をしていない女はいない)」と刻まれた甘楽社小幡組由来碑の文言を実感させてくれる町なみだ。

kanra01_05日本名水100選にも選定されている雄川堰は、地元の人の生活用水としても使われていたそう。所々に洗い場などが設けられており、蚕の世話、家事・炊事、農作業と、農家の働き手の中心として活躍した天下一の「かかあ」達の姿が目に浮かぶ。

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用水路と農家群のあいだは、車が楽々通れるほどの広い歩道になっていて、ゆったり歩けるのも嬉しい。歩道をしばらく歩くと、明治時代後期に建てられた古民家を改修したお休み処「信州屋」が見えてくる。信州屋は町が用意した無料休憩所で、甘楽の観光案内所も併設。迎え入れてくれた笑顔が素敵なご婦人は、いまでも「かかあ天下の物語」がこの地にいきづいていると思わせてくれる。

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広い間口から中へ入ると、軽食や飲み物を楽しんだり、土産物を購入できる売店になっている。レトロな内装に使われている看板やショーケースなどは、さまざまな物を販売してきた信州屋で使われていたモノ。古い町なみを歩くなら、休憩も雰囲気があるこのような場所で過ごしたいと思う素敵な空間だ。

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また、町の紹介動画やパンフレットが用意された観光案内の一角も設けられており、町を訪れた人への玄関口としても機能している。

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階段をあがって2階へ行くと広々とした板の間のスペース。なかなか気がつく人がいないが、コチラも無料の休憩所になっていて、足を伸ばして休める。軒下から眺める景色は、古い民家に住んだことがなくても、なぜが懐かしさを感じさせるものがある。

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建物の裏へでると庭園と桑畑があり、ここも散策可能。桑畑は養蚕文化の伝承のために新たに拓いたもので、ゆくゆくは養蚕や座繰りの動態展示を企画しているとのこと。これから甘楽を訪れるなら、まず信州屋へ立ち寄ってみると良いだろう。

山手西洋館めぐり#05 ベーリックホール(2F)
〈神奈川県横浜市〉

つぎは2階です。パブリックな使用を兼ねる1階の居室に比べ、2階はほとんどが寝室などの家族のプライベート空間で占められています。その中で、とりわけ女性に高い人気を誇るのが、この子供部屋です。じっさいに部屋に入った瞬間に「かわいい」と声を上げる女性たちをこれまでに何度も目にしました。
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この部屋に入ると、まず最初に目につくのが印象的な「クワットレフォイル(四つ葉型)と呼ばれる小窓」とブルーに塗られた部屋の壁です。クワットレフォイルと言うのは、Quatre=4、Foil=葉 のことで、元を辿ると?どうやらイスラーム建築に行き着くようです。欧米でも、ゴシック建築と呼ばれる教会や大聖堂などの窓の装飾に頻繁に登場する意匠です。このクワットレフォイルのお洒落な窓がこの館には、南側に4つ、北側に2つの合計6つあるそうです。
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青い壁の方は、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」などと同じフレスコ画の技法が用いられています。壁に石灰モルタルを塗った後、乾いていない状態で水でといた顔料を塗ると、石灰と顔料が化学反応をおこして結晶ができ、顔料が閉じ込められて明るく発色する、その習性を利用したものです。この青い壁と小窓の青の窓枠が太陽光を背に浮かび上がる様子は「おしゃれ」と「かわいい」に目がない現代女性たちのハートをいたくくすぐるようです。
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また、この部屋は復元時に小さな男の子の部屋として設定されたため、少年の部屋にふさわしい、クマのぬいぐるみや乗り物のおもちゃなどが置かれています。結果として窓や壁などのおしゃれな内装との相乗効果で可愛さがギュッと凝縮されたような雰囲気の部屋に仕上がっています。
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さらに、この部屋の家具は当時のものが残っていないため、すべてが横浜家具で復元されたそうです。部屋全体を覆うブルーに対して、黄色の優しいクリームカラーで統一された「ベッド」「本棚」「デスク」「引き出し箪笥」「おもちゃ箱」らが置かれています。部屋全体の壁を覆うアズール(緑みがかった青)の深みのある大人色のイメージを薄めて、知育にも良さそうなすっきりとして可愛いらしい子供部屋に落ち着いています。
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2階の各部屋には専用のバス・トイレがそれぞれにつき設置されています。こちらは子供部屋に付属のバスルームです。ベリック氏の子息は、ここが建築された当時すでにベリック商会に勤務する青年であったことが確認されていますので、おそらくこのバスルームの方は(居室と違って)当時使用してたものに近い雰囲気ではないかと想像します。
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子供部屋の隣は、もとは客用寝室でしたが、現在は応接室として展示されています。これまで何度か塗り替えられてきた各室内の内壁も、現在は、創建当初の色に復元されているそうです。全体として、和風住宅では見られないような大胆な色使いが特徴的です。また部屋ごとに異なる基調カラーは、見る部屋ごとにガラリと違う印象を与えます。深い緑の壁紙を使ったこの部屋は、ダークマホガニー(のように見える板材)の赤味がかったキャビネットや、モカブラウンの応接セットを美しく引き立てています。
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応接室にもクワットレフォイルの小窓があります。この個性的な装飾の窓では、一見、他の家具との相性や組み合わせが難しそうに思えますが、じっさいには左隅に置かれているようなクラシカルスタンダードタイプのキャビネットや、修飾的な縁飾りのある華やかで個性的な鏡などともよく調和して、違和感なく溶け込んでいる印象です。

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客室(応接室)専用の浴室にもクワットレフォイルの小窓が使われていました。ブルーの窓枠と呼応するかのように青いタイルで壁面を化粧張りされた、地中海をイメージさせる美しい浴室です。白に黒のスクエアドットをあしらった床面のパターンタイルは3つの浴室ともに共通で、おしゃれ度も高く、魅力的にまとまっていました。
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現在、執務室として展示されているのは、元は主人用の寝室です。共用のバス・トイレは夫妻それぞれの部屋の中間に位置しています。この部屋を夫人部屋と同じ「寝室」ではなく「執務室」のしつらえにしたのは、子供部屋を小さい男の子用に設定したのと同様に、来館者をできるだけ楽しませるための工夫(配慮)なのかもしれません。
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執務室にふさわしい重厚なデスク。佇まいにも味があるアームチェア。
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年代物の古いタイプライターは存在感があり絵になります。
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執務室(旧・主人用寝室)と部屋続きになっている隣が、夫人用の寝室です。こちらは創建当初から夫人用の寝室として使われていました。部屋の基調カラーは、ピンクで、この部屋に一歩入ると、女性なら誰もが安らぎと居心地の良さを覚える、そんな雰囲気の部屋です。
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夫人の部屋には、隣室にはないポーチが付属しています。これは、遠い異国で生活する夫人の気持ちを少しでもなぐさめようとする配慮では?という見方がされています。庭木の緑、温かな陽光、港の景色などの心を和ませる風景がここからは望めました。
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今でもこの場所に立つと、船の汽笛が聞こえます。2F洗面
主人と夫人の共用のバスルームです。こうやって順番に見ていくと、2階の3つのバスルームのうち、客室だけに「四つ葉の小窓」があしらわれていることに気付きました。やはりお客さまは特別という気持ちの表れでしょうか。また、こちらのバスルームのバスタブの色は濃い目のペパーミントグリーンで、クリーム色のタイルとの配色も美しく、この配色の美しさはここに限らず建物全体に強く感じたことでした。

 

写真:乃梨花

山手西洋館めぐり#05 ベーリックホール(1F)
〈神奈川県横浜市〉

エリスマン邸と通りを挟んだところに、山手の丘の中でもひときわ目を引く瀟洒な豪邸「ベーリックホール」があります。この邸はイギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、1930(昭和5)年、アメリカ人建築家J.H.モーガンにより設計されました。山手の西洋館の中でも延床面積約200坪(敷地は600坪)は最大規模で、建設当初はベリック夫妻と当時すでにベリック商会に勤務していた子息の三人で住んでいました。
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建物はスパニッシュスタイルを基調とする木造二階建て・地下一階からなります。外観からは一見、石造りの家のように見えますが、実は木造(注:地下のみ鉄筋コンクリート造)です。外壁は明るいベージュ色のスタッコ仕上げ、四つ葉と方形が組み合わされたクワットレ・フォイルのガラス小窓、瓦屋根をもつ背の高い煙突など、ベリック邸には、このような多彩な装飾が特徴として見られます。
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玄関ポーチのアーチにはレンガ色のスクラッチ・タイルの縁取りが施されており、アーチの開放的な印象がより強められています。
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美しいアイアンワークは、玄関扉、階段手すりや入り口、窓枠など邸の随所に見られます。
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同じスパニッシュスタイルで共通のモーガンによる設計のラフィン邸(山手111番館)と比べると、ラフィン邸のスパニッシュな要素は正面のファサード部分のみに集中し、他の部分にはあまり見受けられないのに対して、ベーリックホールでは、外装と内装を合わせた建物全体にまんべんなくスパニッシュな意匠と装飾が見られます。
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化粧梁の組天井になっている高い天井に暖炉を備えたこの広い居間は、建物の中でもひときわ目を引く空間です。居間とつながるポーチ(パーム・ルーム)には、3連アーチの開口部が設けられ、開放感いっぱいです。またこの居間へは玄関ホールから3段のステップを降りてアプローチする設計になっているため、劇場的な効果も感じられます。ベリック氏がフィンランド領事の仕事をしていた時や、この建物がセント・ジョセフの寄宿舎として使用されていた頃には、この居間でダンスパーティも開かれたそうです。
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居間に付属の「パーム・ルーム」は北側に位置するため、サンルームほど陽は入りませんが、用途は同じものです。建設当初は眼下に広がる港を眺めるのに絶好のロケーションだったようです。また名前のパーム・ルームの意味がPalm(やしの木)Roomであることから考えて、おそらく当時はこの部屋に観葉植物などをいくつも置いて、南国コロニアル風の居心地の良い伸びやかな空間に仕立て、休憩室などに利用していたのでは?などと想像されています。
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この部屋の床にも建物の入り口と揃いの白黒の市松模様のタイルが敷かれており、モダンでリズミカルな印象を視覚的に生み出しています。
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このパーム・ルームには写真のような獅子の噴水口を持つ壁泉がついています。壁泉の壁部分は、当時の石積み風のテクスチャーを再現するために化粧目地や雲母の片を混ぜて復元しています。このサンルームに当たる場所に壁泉があることなどから、ベリック邸は専門家から見ても、かなり本格的なスパニッシュ建築に分類されています。
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下から見上げると化粧梁の組天井の雰囲気がよくわかります。向かって右側に据えられた暖炉と背中合わせに建物の外にも、獅子の噴水口を持つ壁泉が設けられています。
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入ってすぐの玄関ホールにも居間のパーム・ルームの床と揃いの白と黒の市松模様のタイルが敷き詰められています。不思議の国のアリスに出てくる床を連想する人も多いようです。
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階段の手すりの先端部分にはオウム貝のような渦巻型の意匠がほどこされています。手すりへと伸びて続くアイアンワークも渦を巻いて弧を描くもので、揃いの意匠になっています。
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玄関ホールを介して、居間と反対側に位置する客間。現在はこの邸の受付が置かれています。他にも館のミニチュアや案内リーフレットなどが飾られています。
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客間からつながる食堂。食堂からは、配膳室や台所などのパントリーへとつながっています。また、この客間の雰囲気は、同じモーガンによる設計のラフィン邸(山手111番館)のホールや食堂の雰囲気ともよく似ています。ためしに両者を比べて見るのも面白いかもしれません。
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寄木細工のような食堂の床に、窓から差し込む光が織りなす模様。アンティークデザインのフロアスタンドにレースのカーテン、アールデコ柄のカーペットなどで醸し出される落ち着いた品の良い佇まいにしばし時を忘れてぼおっとしてしまいました。
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この邸の水まわり。蛇口やレバーの形状にもアンティーク・テイストが感じられ、どこかエレガントです。
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ボイラー室と倉庫の並ぶ地下へと続く階段。突き当たりは洗面所です。こちらは地下室へと続くので、表の公的な空間を意識した華やかなつくりとは対照的に、家のバックヤードを感じさせる地味な造りになっているのが、印象的でした。(後編へつづく

 

写真:乃梨花

日本最西端の駅に降り立ち、はじめての西欧文化との遭遇に想いを馳せる
<長崎県平戸市>

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世界地図を開けば、日本列島はユーラシア大陸の東端にある島嶼、その東には広大な太平洋が広がるのみ。かつて外来の文化は、ほとんど西からやってきた。日本最西端※の駅として有名な「たびら平戸口駅」は、日本でいちばん西を走るローカル鉄道、松浦鉄道の駅である。(※沖縄都市モノレールは普通鉄道ではないため)

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この平戸は、1977年封切の映画「男はつらいよ」第20作、大竹しのぶがマドンナを演じた「寅次郎頑張れ!」のロケ地である。寅さんシリーズのロケ地は、ほんとうにいい町が多い。

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九州本島である松浦半島の田平と平戸島は、上記の映画ではまだ連絡船で結ばれていたが、いまはこの平戸大橋によって繋がっている。

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映画でも登場した「幸橋(オランダ橋)」は、城と城下町を繋ぐ石造アーチ橋。オランダ商館の建築に従事した石工によって架橋されたという。現在の橋は、1984年に解体・改修復元されたもの。

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平戸のシンボルでもある平戸城は、平戸藩主松浦(まつら)氏の居城で、別名亀岡城とも呼ばれる。現在の天守閣は1962年に復元され、その後櫓などが随時整備されたものというが、町と港と海を見晴らせる望楼からの眺めは絶景というほかない。

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海岸から山間へと続く「春日の棚田」は、長い年月にわたって生活の基盤を守り続けてきた歴史的風景を代表するもののひとつ、国の重要文化的景観に選定されている。

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「平戸ジャンガラ」は、市内9地区に伝承されている念仏踊で、祖先供養・五穀豊穣祈願などの意味をもつといわれる。“じゃんがら”といえば福島県のいわきを中心とした地域に伝わる民俗芸能も有名だが、ずいぶん離れた土地で同じ呼び名があるのは面白い。死者の霊を慰める盂蘭盆会の行事と、空也や一遍を起源とする念仏踊のようなものが、どこかで融合したのかもしれないし、一般の盆踊りとルーツは同じなのかもしれない。民俗芸能は資料が少なく、起源などははっきりしないようだが、日本文化の奥深さを感じさせる。

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さて、ここ平戸は、約四百年ほど前、日本で最初の西洋貿易港となった地。幕府により商館が長崎の出島へ移転されるまで、1609年より33年間、平戸は日本唯一のオランダ貿易港であり、はじめてヨーロッパ文明に本格的に触れた土地である。写真の「平戸オランダ商館」は、1639年建造のオランダ商館倉庫を忠実に復元した資料館。また、かつての商館跡には、塀、井戸、埠頭、石垣などの遺構が現存し、はじめて西欧世界と接した西端の町の歴史を彷彿とさせられる。

 

そして、いまもその歴史をもっとも色濃く残しているのは、数多くのキリスト教教会であろう。現在も人口の約1/10がキリスト教を信仰し、14のカトリック教会がある。わが国への最初のキリスト教伝来は、1549年鹿児島に上陸したフランシスコ・ザビエルによる布教とされているが、実は鹿児島での布教はうまくいかず、翌年ザビエルは平戸へ来ている。そして武器の輸入など貿易に有利に働くこともあって、当時の領主・松浦隆信が宣教師に好意的に接したため、この地でキリスト教が広まることになったようだ。

 

そして、ちょうど仏教組織と対立していた織田信長が、キリスト教を保護するようになったことで、信徒は全国に広がった。ところが、豊臣秀吉が宣教師追放令を発布、その後、徳川家康が切支丹の禁令を発布して、明治になるまでキリスト教禁制がつづく。1645年、平戸でも長崎奉行所より借り受けて踏絵がはじめられたという。それでも禁制下ひそかに信仰を守ってきた信徒、潜伏キリシタンはかなりの数に上ったといわれる。平戸では、“納戸神信仰”といって、表向きは神棚と仏壇を祀るが、奥の納戸にキリシタン祭具を隠し、また小さな集落単位で秘密組織をつくって、祈祷文「オラショ」を唱えて信仰を続けたといわれる。明治以降に禁教令が解かれて潜伏する必要がなくなっても、江戸時代の秘教形態を守る信者も多かったといわれる。

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市街地の丘の上に高くそびえる尖塔が象徴的な「平戸ザビエル記念教会」。平戸を代表する風景となっている。

紐差教会

「カトリック紐差教会」は、外部は東洋屈指ともいわれるロマネスク様式、内部は美しいアーチとステンドグラス、柱の少ない大きな内部空間が荘厳な雰囲気を醸し出している。

田平天主堂

大正7年、信者たちの手によって建設されたという「田平天主堂」。ロマネスク様式の赤レンガづくりが、歴史と威厳を感じさせる。教会堂棟梁・鉄川与助の代表作といわれ、国の重要文化財に指定されている。

宝亀教会

1898年に建造された「カトリック宝亀教会」は、平戸で最も古い教会。正面から見ると重厚なレンガ造りだが、建物自体は木造瓦葺の平屋である。大きくはないが美しい教会、なによりここから眺める海の景観がまた素晴らしい。

中野教会

「カトリック中野教会」は、1952年念願の教会堂として建てられたもの。この地区の信徒は、250年間潜伏し続けたのち、ようやくカトリック信仰を表明したという。

 

写真提供:長崎県観光連盟

 

※教会の写真撮影・掲載に当たっては大司教区の許可をいただいております。

※教会は、大切な祈りの場であり観光施設ではありません。見学の際はマナーをお守りください。入口の注意事項を一読の上、脱帽して静かにお入り頂き、カメラ撮影・飲食・喫煙等はしないようお願いいたします。

 

※平戸市内の公共交通はかなり不便です。鉄道で行かれる場合は、レンタカーまたはタクシーがおすすめです。

山手西洋館めぐり#04 エリスマン邸
〈神奈川県横浜市〉

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エリスマン邸は、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅として、1925年から1926年にかけて山手町127番地に建てられました。設計は、日本の建築界に大きな影響を与え、「現代建築の父」とも呼ばれたチェコ出身の建築家アントニン・レーモンドによるものです。

 

レーモンドは1919年、旧帝国ホテル設計助手として、世界的建築家のフランク・ロイド・ライトとともに来日し、第二次大戦中を除き40年以上を日本に滞在しながら、計400点以上もの設計をしました。このエリスマン邸設計当時のレーモンドは、ライトのもとから独立して間もない時期のため、細部などにはまだライトの強い影響が見られ、のちにモダニズム建築の最先端と呼ばれる自身の建築スタイルを確立する前段階の移行期的作品という見方がされています。
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もとは木造2階建て、和館付きで建築面積は約81坪。屋根はスレート葺、階上は下見板張り、階下は竪羽目張りの白亜の洋館でした。1982年にマンション建築のために解体され、その後横浜市が当時の所有者から譲り受けて、1990年に今の場所(81番地)に再建されました。その際に、併設されていた和館をなくした洋館だけのシンプルな建屋構造になりました。煙突、ベランダ、屋根窓、上げ下げ窓、鎧戸といった異人館的要素をもちながら、軒の水平線が低い位置で強調されているあたりなどには、まだ師のF・L・ライトの影響が見られます。
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こちら1階の応接室にもライトの影響が感じられます。とくに暖炉は、意匠こそレーモンドの独創性が光りますが、この部屋の中でひときわ存在感を放っているのもまた暖炉、というあたりから、F・L・ライトの内装設計の中でひじょうに重要な位置を占めていた暖炉というものに対しての思想哲学が、レーモンドにも引き継がれた、という穿った見方もできます。
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レーモンドと同様にライトに師事した建築家の遠藤楽は、「家を建てる時は必ず暖炉を作れ。暖炉は建築家にとって詩情豊かな友だ」と師匠が繰り返し話したと書き残しています。また、「一流の暖炉が設えられない建築家は一流の建築家とは言えない」の言葉はレーモンドに対してのもので、それほどの暖炉に対する強いこだわりをフランク・ロイド・ライトが持っていたという話は有名です。
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このテーブルも暖炉と同じく個性的ですが、このような多角形を用いた造形の家具もF・L・ライトの建築作品の内装設計などにも見られるものでした。この椅子とテーブルはレーモンドが過去に他の家のために設計したものを復元したもので、大谷石を化粧張りしたマントルピースとよく調和しています。
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応接室と居間兼食堂の両方につながっている陽あたりの良いサンルーム。周囲を緑に囲まれた眺めは最高で、読書にも向きそうな落ち着いた空間でした。
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玄関を入ってすぐの正面に当たる位置にある食堂兼居間です。奥のサンルームへと続くため空間的な広がりを感じさせます。向かって右からは応接室にも入れます。
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上の食堂兼居間のゴールデンウィーク中の仕様です。窓の側に鎧兜甲冑の人形が置かれ、端午の節句をテーマにしたテーブルセッティングで飾られていました。IMG_0069
居間の照明。華美すぎず、シックで上品なつくりです。
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サンルームの照明。クラシカルな中にもモダンテイストが光ります。
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応接室の暖炉上部の照明。シンメトリーでアールデコとも思える幾何学的な造形が施されており目を引きます。照明の下の多角形的な切り込みも個性的で、大谷石を加工したマントルピースのミニマルな造形とは大きな対比を見せています。レイモンドが独自性を模索しているようにも感じられる箇所です。
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バスルームにはノスタルジックな雰囲気が漂っていました。
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居間兼食堂の窓側のコーナーに置かれた「楽譜入れ」。年季を感じさせる風合いです。
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2階は現在は資料などの展示室に当てられています。
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アンティークのドアノブと名物(?)の公衆電話。
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邸内に併設されているお店「しょうゆ・きゃふぇ」にも寄りました。ここの名物はなんといっても!生プリン。カラメルソースとムースと卵黄をかる〜く混ぜて分離したままのを食べる、このとろとろプリンの味と食感はたまりません。
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カフェの店内。緑に囲まれ、贅沢な時間をゆったり過ごすのにふさわしいロケーションです。
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外から見たところ。1階のちょうど張り出したところがカフェです。高台に位置しているので、窓からの眺めも抜群でした。

 

写真:乃梨花

京都モダンと紅しだれ桜、昔も今も女子はおしゃれ好き?〈京都府京都市〉

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伏見稲荷駅から祇園四条駅までを電車で移動し、祇園の街並みを散策。そろそろお腹も空いてきたので、このあたりで朝ごはんかな?と岡崎公園内にある京都モダンテラスに行ってきました。
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京都モダンテラスは1960年に、日本モダニズム建築の第一人者の前川國男氏によって建てられた京都会館内にあり、今年1月10日(日)「ロームシアター京都」に当時の面影を残しながらリニューアルオープンしたばかり。同行の友人が「来てみたかった」場所で、じっさいに来てみると、天井などの各所デザインが和モダンで落ち着いた雰囲気の心地良い空間でした。
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天気が穏やかだったのでテラス席に。モーニングメニューは和食と洋食があり、和食には「モダンテラスの朝御膳」や「薩摩赤鶏の玉子かけご飯」などの食欲をそそるメニューも。悩んだ末、吉田パン工房のパンと自家製ハムに惹かれた私は「吉田パン工房のパンと自家製ハムのブレークファースト」。友人は「3種のフルーツオープンサンド アボガドとトマトのサラダ添え」を注文。もっちりと美味しいパンでみるみる幸せ気分に。洋とはいえポタージュは京味噌が使用され、和の地元食材ががしっかり使われていた点にも感心しました。
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お腹も満たされ、つぎは、八重紅枝垂桜(やえべにしだれざくら)が見頃という平安神宮へ。平安神宮の社殿は桓武天皇が開いた当時の平安京の正庁、朝堂院が8分の5の規模で再現されているのだそうです。昭和54年にはそれまでの増改築や大修理、災禍による被害の復興を終え、現在のような壮麗な社頭が整ったそう。今から1200年前の京都が生まれたばかりの風景を体感すれば?当時の朝廷に仕えた貴族である大宮人(おおみやびと)の気持ちが少しは想像できるかな?と、応天門(重文)をくぐり、左の白虎楼(重文)から入場料600円を払って、八重紅枝垂桜の名所でもある神苑へと向かいました。
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神苑(庭園)の八重紅枝垂桜の数は、約150本。他にも染井吉野・彼岸桜・山桜・里桜・寒緋桜・鬱金桜などが約20種類、総本数300本もの桜が植えられているそうで、ピンク色が華やかです。
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尚美館(貴賓館)は、明治44年2月3日から東神苑の造営がまずはじめられ、明治45年5月からは御所にあった京都博覧会の中堂の移築に進みます。そして大正2年に平安神宮貴賓館として完成し、尚美館と名付けられ、現在に至りました。桜の時期には夜に野外コンサートのライトアップも行われ、幻想的な風景が楽しめると多くの人が訪れるそうです。
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青銅の鳳凰(ほうおう)が絵になる橋殿。京都御所にあった京都博覧会の建物を移築したものだそうです。
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帰りは境内の授与所で平安神宮限定の八橋「紅の雲」と桜みくじを購入。桜みくじだけあって、「大吉」の代わりに「満開」などと書いてあるのがなんとも雅です。私は「咲き初め(小吉かな?)」ということで心身の健康、平和をお願いしながら「おみくじ結び所」に結んで奉納してきました。それにしても結ぶほど桜が咲いたようにみえるこの眺めもとても素敵で、アイデアは誰が考えたのだろう?と友人とここでも感心することしきりでした。OLYMPUS DIGITAL CAMERA
観光客でいっぱいな知恩院。
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筍の炭火焼きが屋台で売っているのが京都らしいです。
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八坂神社を通り抜け、お茶タイムに向かったのは長楽館。目当てはもちろんアフタヌーンティー。じつはここ=長楽館といえば?アフタヌーンティーと言われるほどの人気だそうです。「ここも一度行ってみたかった」友人が予約をしてくれました(2名以上要予約です)。この建物は明治42年に“煙草王”と呼ばれた実業家の村井吉兵衛により、国内外の賓客をもてなすための迎賓館として建築されました。なんと、すでに100年以上(!)もの歴史が詰まっている館なんですね。
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素敵なエントランスをくぐりぬけて中へ。
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設計者はジェームズ・マクドナルド・ガーディナーというアメリカ人の建築家です。美術史を学んだ人だったそうで、この建物の外観はルネッサンス、入って右の応接室はロココ、食堂ルシェーヌはネオ・クラシック、ステンドグラスや窓はアール・ヌーヴォー。さらに、梅、菊、蘭、竹の四君子の水墨画のある中国風の部屋があり、三階には書院造りの和室があり、また内部に張り出すバルコニーは、大胆でアメリカ的と言われています。この英、米、仏、中、日の趣を折中した世界の建築様式の見本市?とも言えるような建物に私は、すなおに「面白っ!」と思いました。
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かつては応接室として使われていたロココ様式の「迎賓の間」も、現在はアフタヌーンティー専用のティールームとして利用されています。隣のテーブルの若い女性の三人組が可愛いらしワンピースで着飾って来ていたのにも思わず納得!その乙女な贅沢空間にはあらゆる女子をうっとりさせる要素が目一杯につまってる感じです。

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英国式アフタヌーンティースタンドにはスコーンやサンドウィッチ、ケーキが並び、スイーツ好きにはうっとりな楽園です。しかも、食前酒としてスパークリングワインやシャンパンも選べるのがうれしいところ。お茶もファーストフラッシュ(春摘み)のダージリンをはじめ、高級茶葉が豊富に揃っておりました。もちろん、違う種類の葉でおかわりも出来るので思わずにんまり。優雅な京都の午後のひとときを過ごせました。

 

写真:もちすず

石積みまでも美しい国宝の城
<長野県松本市>

安曇野サイクリングの翌日は、五重六階の天守を持つ国宝「松本城」にも足を運びました。

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matsumoto_02城跡は松本城公園になっていて自由に入ることができます。西側から天守閣を望むと、堀底から石垣が積み上がっていて、まるで水面に浮いているよう。どの角度から見ても美しいお城です。長い年月を感じさせてくれる苔むした石垣そのものも味わい深いです。

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matsumoto_04内堀のなか、本丸へと続く黒門から内側は有料観覧。4月初旬の訪問時は、黒門を入ったところにある立派な枝垂桜が見頃でした。

matsumoto_05amatsumoto_05城内の石垣は400年前に積まれたものが現存しているそう。大小の石が不均一に積み上げられながら、しっかりと平らな壁面や角を作り上げています。技術力の高さはもちろんですが、見た目の美しさへのこだわりも素敵です。

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天守閣は黒塗りの板で囲った渋い外観。天守内は絵図や古文書などの資料や武具などが展示されていて、しっかり見て回るなら1時間以上の時間をとった方がよさそうです。複雑に入り組んだ城内は歩いているだけでも楽しいのですが、上の階に行くにつれ階段の勾配が急に…。特に降りるときは足を踏み外しそうでちょっと怖いです。私はビビりすぎて変に力を入れたため、翌日筋肉痛になってしまいました。

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とはいえ、最上階からの眺めは必見。窓の外を金網で覆ったりしていないので、眺望を遮られません。美しい山並み、城下町など、松本城ならではの景色を見渡せますので、少しくらい階段が急でも登る価値はあると思います。

爽やかでいいカモ! アルプスと桜を見ながら駆け抜ける早春のあずみの
<長野県安曇野市>

北アルプスの名峰を見上げる安曇野は、長野県中央部に広がる松本盆地の一角。山々から流れ出る水が、いくつもの美しい水の流れや湧水を創りだしています。そのため、この地域ではわさび栽培が盛んで、日本最大規模のわさび園「大王わさび農場」は観光スポットとしても人気です。

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大王わさび農場までは穂高駅からあづみ野周遊バスに乗り約10分ほどですが、どうやら4月後半からの運行のよう。私が訪れた4月初旬はまだ運行前でした。そのため駅前のレンタサイクル店でママチャリを借りることに…お店のおじさんがくれたサイクリングコースのマップを頼りに「大王わさび農場」を目指します。

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バスはまだ運行前でしたが、川沿いの桜並木はちょうど満開。まだ雪を被った山々と澄み切った青空を背景に、薄いピンクの桜がとっても綺麗に見えました。途中からはわさび畑も見え始め、のどかな風景に癒されます。

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写真内の前方つきあたりが目的地。先ほどまでののんびり走行から一転、ほぼ直線コースを思う存分ママチャリ全力疾走。これが予想以上に気分爽快! お天気にも恵まれ、絶好のサイクリング日和でした。

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穂高駅から15分ほどで「大王わさび農場」に到着。広大な敷地に広がるわさび畑。畝の間にはきれいな水が流れています。

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農場内にある水車小屋は黒澤映画「夢」に使われたそう。素人が撮っても絵になる風景です。古き良き日本の風景がウケるのか、外国人観光客の記念撮影スポットになっていました。また、わさび畑の一角には流水に触れることのできるコーナーも。水はちょっとひんやり、そのまま飲めそうなくらいの透明度です。

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農場内の桜並木も満開でした。都内は見頃を終えた時期だったので、少し得した気分です。バスは運行してなくても、気持ち良く走れる自転車もありますので、早春の安曇野は意外といいカモです。

上品でふくよかな都の酒、「伏見」の酒蔵めぐり
<京都府京都市>

酒造りは古来からさまざまな変遷を経てきたようだが、現在わたしたちが飲んでいる日本酒の醸造法の原型ができたのは、室町時代から桃山時代にかけてといわれている。当地は秀吉の伏見城築城とともに大きく栄え、酒造家が急増したといわれる。もちろん酒造りに欠かせないのは、良質な水である。伏見は、かつて“伏水”とも書かれたらしいが、豊富な伏流水は、カリウム・カルシウムなどをバランスよく含んだ質の高い中硬水である。江戸時代の後期には、灘の“淡麗・辛口”が江戸で評判となり、その勢いを伸ばしたが、明治に入ってからは都の洗練された“淡麗・うま口”の伏見酒が人気となり全国へ出荷されるようになったという。口に含んだときの上品で芳醇な甘い香りは、辛口酒にはないふくよかな味わいである。

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♪カッパッパールンパッパー♪というTVCMのフレーズは、一定の年代以上の人であればまず耳に残っているはず。「黄桜カッパカントリー」では、日本酒はもとより、昨今のクラフトビールブームの先駆けともいえる京都初という地ビールも出来たてで味わえる。また、黄桜の歴史や酒造りの工程などが紹介されている「黄桜記念館」ほか、河童の起源や歴史、各地の伝承資料などが展示されている「河童資料館」が面白い。敷地内では、伏見の名水が誰でも汲めるようになっているので、ペットボトル持参で水を持ち帰る人も多い。

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1919年(大正8年)に建てられた「伏見夢百衆」の建物は、かつては月桂冠の旧本店社屋だが、いまは喫茶・利酒処としてカフェになっている。利き酒セットはもちろん人気だが、仕込み水で淹れた珈琲や紅茶、スイーツも充実しているので、呑めない人でも楽しめる。大正ロマンあふれるシックな店内で、ゆったりとくつろげるのがうれしい。ちなみに写真のように石段を上がって店へ入る構造なのだが、建物自体が周囲よりかなり嵩上げされているのは、水害の多かった土地ならではの工夫なのだそうだ。

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このあたり一帯、随所に建ち並ぶ酒蔵の風景は、町歩きには絶好のロケーションだが、わけても目を引くこの長大な板壁が続くのが、寛永14年(1637)創業という月桂冠。「月桂冠大蔵記念館」では、古い酒造用具などが約400点、酒造工程にしたがって展示されており、酒造りの歴史を実感的に見ることができる。もちろん利酒処もあるので、呑みたい人もご心配は無用。記念館となっている酒蔵は、1909年(明治42年)の建造というが、そのほかの施設および酒造用具をふくめ、月桂冠では6件が経済産業省の選定する近代化産業遺産になっている。

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すこしお腹が減ったら、ここ「鳥せい本店」はどうだろうか。「神聖」の酒蔵を改装した店内は、どっしりした風格の蔵座敷。雰囲気もいいし、なによりとても美味しい鳥料理が、けっこうリーズナブルに味わえるのが魅力。

ふじおか

さて場所はすこし離れるけれど、大きな酒蔵とは打って変わって、こじんまりとした蔵だが、オリジナルな酒造りで注目されているのが「藤岡酒造」。平成6年に蔵元の急死でやむなく一旦蔵を閉じたが、平成14年に五代目蔵元・藤岡正章氏が、新しい酒蔵を建築し、蔵元自らが杜氏となって酒蔵の再生をはたした。銘柄は「蒼空(そうくう)」と名付けられ、すべてが純米酒。米と米麹そして水だけで仕込むのだという。

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店へ入ると、売り場とレジがあり、その左、座敷の向こうに瀟洒なカウンターのある酒蔵bar「えん」がある。ガラス越しに蔵のなかの貯蔵タンクを眺めながら、数種類の蒼空をいただくことができる(有料)。さすが伏見の名水で仕込んだ純米酒。とても口当たりの良い滑らかな味わい、しかも米のコクと香りがしっかり感じられる。日本酒独特の癖がないから呑みやすく、爽やかでふくよかな味わいだ。いわゆる辛口好みの日本酒党には、評価が分かれるかもしれないが、味の好みは世につれ変わるもの、個人的には上品でとても美味しいと思う。女性や若い人におすすめのお酒である。写真のグラスは、幻の米・愛山を使ったという濁りのある酒“おりがらみ”。わずかに発砲性があり、まさにシルキーな味わいが際立っている。小皿は“山うに豆腐”、酒のあてにベストマッチの逸品であった。

あぶら

この界隈には、他にもたくさんの酒蔵があるが、すべてを回るわけにはいかないし、どこでも見学や試飲ができるわけでもない。そこで、伏見の酒をいろいろ試してみたいという人におススメなのが、この「吟醸酒房 油長(あぶらちょう)」。大きなアーケードのある伏見大手筋商店街のなかにある酒屋さんである。伏見にある19の蔵元の酒を常に80種類以上揃えており、豊富な品ぞろえのなかから好きなものをチョイスして、利き酒用の蛇の目猪口ですこしずつ楽しむことができる。もちろん酒屋さんなので、気に入った酒が見つかったら買って帰ることができる(発送もしてもらえる)。

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写真に見える突出しは、ふきのとう味噌と豆腐。多種の酒を呑み比べる合間に水で口をすすぐ人がいるが、店長の説明によると、水を飲みながらだと酒の味が水っぽくなるので、豆腐で口の中を清めるのがよいのだそうだ。酒屋の中のカウンターだが、いわゆる角打ちとはちがって、明るい開放的な雰囲気でゆったり座って楽しめるので、なかなか居心地がいい。女性一人のお客さんもちらほら見かける。油長だけで扱う限定酒や瓶で買うには勇気のいる高い酒や珍しい酒など、いろんなものが猪口でいただけるのはとても楽しい。ちなみに、写真の「英勲:一吟」は四合瓶で五千円、とても旨いのだが買うにはハードルが高い。また、いくつかのつまみもメニューにあり、これがまたけっこう美味しいので嬉しくなる。あれもこれもと頼んでいると、猪口酒とはいえ、つい飲みすぎてしまうから要注意。こういうお店で、酔って乱れたりするのは、ゲスの極み。ほどよく呑んだら、心地良い夜風に吹かれながら、またふらふらと町歩きもよし、あるいはちょっと電車に揺られて木屋町あたりでじっくりというのもいいかな。