山手西洋館めぐり#03 山手234番館
〈神奈川県横浜市〉

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山手234番館は、関東大震災後の1927年頃に建てられた同じ間取りの4つの住居からなる外国人向けのアパートメントハウス(共同住宅)です。関東大震災により横浜を離れた外国人に戻ってきてもらうための復興事業として、この頃、山手では外国人居留者のための住宅がいくつか建てられましたが、これもそのうちの1つです。
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設計は隣の「えの木てい」と同じ朝香吉蔵です。その後は、第2次世界大戦後に一時米軍による接収などを経て、昭和50年代頃までアパートメントとして使用されていましたが、平成元(1989)年に横浜市が歴史的景観の保全を目的に取得しました。その後、平成9(1997)年から保全改修工事に着工し、平成11(1999)年から現在のように一般公開されるようになりました。
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この建物は関東大震災直後の昭和初期に建設された外国人用の共同住宅(アパートメント)として、横浜市内に現存する数少ない遺構の一つとされています。洋風住宅に標準的な設えである上げ下げ窓や鎧戸、煙突なども簡素なかたちで採用しており、これらも震災後の意匠にはよく見られた特徴でした。一軒あたり約100㎡の広さからなる3LDKの間取りは、合理的かつコンパクトで、生活空間としても使いやすく設計されています。
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建物脇の石畳のテラスには、たくさんのチューリップが午前中の陽光に照らされ咲いていました。これはチューリップの球根の産地の新潟で、球根育成のために不要となった花をもらって育てているようです。
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改修前の元の建物では各玄関から、一直線のべつべつの階段が各部屋まで2本伸びている造りでしたが、横浜市が取得した後の一般の施設利用を考慮して、現在のゆるやかな勾配の折り返し階段に改修されました。当初は現在の踊り場の位置で2階の部屋の入り口に達する作りであったことを考慮すると、いまの約2倍の急勾配の階段だったことになります。

 

これはおそらく設計が日本人(朝香吉蔵)であったこととも、関連がありそうです。一見、階段スペースがもったいなくて場所を節約しているかのように思われがちですが、実際には、日本家屋の場合には、柱と柱の間が1間であり、さらに柱の上に梁が載っているのが標準的な構造のため、階段の位置に梁があると2間で上がる階段の場合には、途中の梁が邪魔になってしまい支障が出るわけです。そこで無理やりに1間の間に階段を設置するような建築が多くなったと考えられています。
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玄関ポーチから中へ入り、1階の左手の部屋へ足を踏み入れると、そこには往時の暮らしを彷彿とさせるリビングルームの様子が再現されていました。適度に絞られた照明と、アイボリー・こげ茶・モスグリーンetc..と抑制されたトーンの色調とが相まって、たいへん居心地の良い、リラックスできる空間になっています。
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アームチェアが2脚置かれた窓側の反対側には、8人掛けのダイニングテーブルと壁際に置かれた大きな食器棚がゆったりと配置されています。約20畳という広い客間ならではの贅沢な空間づかいです。優美なフォルムの曲線の天井アーチが広いダイニングスペースの中で、アクセントとして効いています。
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ここでは本物のヴィンテージの逸品たちで構成された居住空間をつかのま味わうこともできます。肘掛椅子の後ろにあるのは、年代物の蓄音機です。今はもう壊れて音が出ないことも予想されますが、それでも居間(客間)に飾っておきたくなるような代物です。さらに肘掛椅子、暖炉、丸テーブル、窓枠、つづら(のように見える洋家具)と選りすぐりのアンティークたちで構成された空間は、なかなかに味わい深い世界です。
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客間と繋がっているキッチンの壁を隔てて、その奥の小部屋には3面鏡とキャビネットが置かれ、夫人専用の個室をイメージしたかのような家具たちで構成されています。さらにこの奥にも、もう一部屋ありますが、現在は簡易ソファーと説明パネルが置かれた休憩室のようになっています。
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この4区画の住居の中心部には、それぞれに窓がある中庭ふうの吹き抜けが設けられています。通気と採光はもちろん、デザイン性にも深く寄与しているようにも感じられました。
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通常は2階の大部分はギャラリーなどの貸し出しスペースになっています。この日も2階では1区画ぶんのスペースを充てて、トールペインティングのようなアート作品の展覧会をやっていました。この洋館の雰囲気にぴったりの作品たちが所狭しと並べられ、これもまた演出?と一瞬錯覚してしまったほど周囲とよく調和していました。
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山手234番館を出ると、右隣には「えの木てい(Enokitei)」という洋菓子店の建物があります。こちらの建物も山手234番館と同じ朝香吉蔵による設計で、もとは外国人向けの住宅で(山手89-6番館)あったことも同じです。
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こちらは一階と庭がカフェになっており、入り口から入るとすぐに洋菓子ショップの2階へと続く階段があります。さっそく上ってみると、山手234番館の「改修前」と同じ「急勾配」の階段のつくりで、当時からの状態のまま、いまも使われているようでした。
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一階のカフェは、当時の建物をそのまま利用しているため、このようにアンティーク。女性にはとくにこの雰囲気が人気なのもあり、平日にもかかわらずこの日も満席でした。
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人気メニューのひとつ「桜のティラミス」とコーヒーのセットです。桜の色と香りだけではなく、朝香氏の西洋館が醸し出すアンティークな匂いにも酔ったひとときでした。

 

写真:乃梨花

早起きは三文の徳?お稲荷さんの総本宮!伏見稲荷大社でしだれ桜とキツネまみれ(参り)〈京都府京都市〉

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「まだ、しだれ桜なら間に合うよ」という友人の誘惑に負け、夜行バスでの弾丸のごとく春の京都を旅してきました。京都駅に着いたのは、薄暗い早朝の5時すぎ。関西に住んでいる友人と6時頃落ち合って、JR奈良線に乗り稲荷駅で下車して伏見稲荷大社に行きました。
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駅を出てすぐのところに、なんともう!最初の鳥居がありました。
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その門の正面に立って「稲荷山からの朝日が見えるよー」と嬉々とした友人の声を聞きながら初参拝な私は心の中で「でか!本当にでか!」と反芻してしまいました。予想はしていたのですが実際の壮大さには驚きで、流石は全国に30,000社あるといわれる「お稲荷さん」の総本宮なんだ、と実感しました。
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表参道を歩き着いた楼門(重要文化財)は、豊臣秀吉が「(秀吉の)母の大政所(おおまんどころ)殿の病悩平癒(びょうのうへいゆ)祈願が成就すれば一万石奉加する」と記したいわゆる“命乞いの願文”が伝来することでも知られており、神社の楼門の規模としては最も大きいものに属するそうです。
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外拝殿(重要文化財)の朱色としだれ桜のピンク色が雅。早朝なこともあり近隣の住人がウォーキングやランニングをしていました。
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千本鳥居(重要文化財)への入り口。友人曰く日中に訪れると観光客でいっぱいで、落ち着いて写真が撮れないそうです。この時はほぼ人はなく、鳥居も撮り放題。何度も来ている友人も興奮気味でカメラのシャッターを押していました。
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異世界に吸い込まれそうな独特の雰囲気は海外からも評価が高く、京都の観光地でもたいへん人気だそうです。この稲荷の鳥居の朱色は、社殿と同じく「稲荷塗(いなりぬり)」といわれ、朱をもって彩色するのが慣習となっているそうです。また、この「あけ」という言葉は、赤・明・茜など、すべてに明るい希望の気持ちをその語感にもち、その色はまた生命・大地・生産の力をもって稲荷大神の“みたま”の働きとする強烈な信仰が宿っています。

 

この数えきれないほど並んでいる鳥居はすべて奉納によるもの。崇敬者が祈りと感謝の念を鳥居の奉納をもって表そうとする信仰は、すでに江戸時代に興り、この風景が作られたそうです。なので昔からあるものと思いきや、意外にも平成になってからのものが多く、中でも一番目立つ大きい鳥居を奉納していたのが大手広告会社だったのには、何かへんに納得してしまいました。
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千本鳥居をぬけ「奥の院」と言われる奥社奉拝所に到着。通称“命婦谷(みょうぶだに)”と言うそうです。ちなみに「命婦」とは古くは平安期の五位以上に叙せられた女官及び五位以上の官人の妻を意味し、現代では稲荷大神の御眷属(ごけんぞく)であるお狐様の異称のことだそうです。

 

右奥に行くといつも行列で待つのが大変というおもかる石を発見。おもかる石がどの部分か?と言うと石灯篭(いしとうろう)の上の空輪(頭)のことだそうです。その石を持ち上げ、そのときに感じる重さが、自分が予想していたよりも軽ければ願い事が叶い、重ければ叶い難いとする試し石。さっそく、持ってみました。ん?軽い。いや、やっぱり重い?どっちつかずだったのですが、きっと軽かったはず(笑)。さらに、目を引いたのが個性的な白狐の絵馬でした。
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ちなみに絵鳥居じゃなく願かけ鳥居もあります。
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標識の案内図も、とってもカラフル。
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境内の各所にはお稲荷さんのお使い狐たちがたくさんいます。髭が目立ってたり目力があったり木造だったりとそれぞれに違うのが面白く、思わずの狐コレクション。実は私、最近までお稲荷さん=狐神=油揚げと連想してたのですが違いました。お稲荷さんの主祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と言う穀物の神様。田の神などを信仰していた秦氏の氏神との習合だそうで、狐は田や畑の害獣であるネズミを食べる在り難い存在であると同時に、農業の守り神として「稲荷大神様」のお使い(眷族)になったとのこと。
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おキツネ様には会えませんでしたがお猫様に出会いました。
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帰る頃には神主さんが朝の巡回祈祷をしていてさらに神聖な気分。外拝殿には某乳製品会社のヨーグルトなどが供えてありました。
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帰りは屋台やお土産物屋さんが並ぶ神幸道(しんこうどう)コースへ進みます。
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「繁栄を願う」参拝の記念品として人気があり「お稲荷さん」でしか買えないお土産品の「総本家いなりや」さんの「稲荷せんべい」を発見!一枚一枚手焼きでその場で焼きたても食べられるんです。さっそく友人と一枚ずつ購入。ちょっと行儀悪いかなと思いながらも、食べ歩きながら駅に向かいました。早朝のため朱印を行っている時間帯には届かず、御記帳できなかったのだけが悔やまれますが、それでも朝一のお稲荷さん参りは清々しくて、大正解でした。

 

写真:もちすず

山手西洋館めぐり#02 山手111番館
〈神奈川県横浜市〉

イギリス館の南側、噴水広場を挟んで立っている赤い瓦の屋根と白い壁が印象に残るスパニッシュスタイルの洋館が、山手111番館です。大正15年、アメリカ人の両替商J・E・ラフィンの住宅として建築されました。
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ここは、ベーリックホールを設計したのと同じ建築家、アメリカ人のJ.H.モーガンによる設計です。どちらも玄関前に3連アーチの同じ意匠が見られますが、こちらは天井ではなくパーゴラ(つたや植物を絡ませて作る棚)であるため、とりわけ新緑の季節などには印象が異なってきます。地階はコンクリート、地上が木造2階建の寄棟作りの建築です。
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建物の中に入ると、まず最初に四角い開放感のある吹き抜けのホールに出ます。2階には回廊がぐるっと一周巡らされています(残念ながら老朽化のため一般の人は現在は入れません)。向かって正面のところには年代物の重厚な木製のマントルピースとタイル貼りの暖炉があり、よく見ると暖炉の上の置時計を中心に部屋がシンメトリーの構造になっていることに気づきます。正面の外観も同じく左右対称なので、設計コンセプトにも関連していそうです。
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頭上を見上げるとうっとりするほど美しいシャンデリアが目に入ります。モーガンの作品は穏健華麗な欧米風の建築様式と表現されますが、穏健華麗というのがこのホールにも当てはまっているので、「言い得て妙」とうなづきました。あたたか味がある華麗さ、と言い換えてもいいかもしれません。
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ホールの奥はダイニングルームです。壁を覆う羽目板と、天井に張りめぐらされた太い格子、またホールと背中合わせに配置された、天井までの高さの重厚な仕立ての暖炉とが合わさって、落ち着いた中にもどっしりとした威容ある佇まいになっています。
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バスルームは、古い映画にでも出てきそうなヌーヴェルバーグ風(?)なおしゃれな雰囲気でした。ここだけはなんとなく?スパニッシュスタイルというよりは、フレンチスタイルを感じさせます。いまにも影から美しい女優さんが画面に登場しそうな、そんな雰囲気でした。
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邸内の照明は、どれもがほんとうに素晴らしいので、ひとつひとつに、つい見入ってしまいます。
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お店でもなかなか見ることのできない、かわいすぎるペンダンドライトを発見!
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これと似たような照明は今もありますが、それらが「レプリカ」に見えてしまうほど、質感がより上品なのが写真からも見てわかるでしょうか?色味の加減も光のやわらかさも、よりなめらかで上質な感じです。
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建物は傾斜地を利用して建てられているため、正面からは2階建に見えますが、背後へ廻ると地階が現れて3階建に変わるのが、一見だまし絵(?)のようです。創建当時は、地階部分にはガレージや使用人部屋を配していたそうですが、いまはテラスが設けられ、バラの季節には正面の「ローズガーデン」が一望できます。また現在は地階はカフェ「えの木てい」も営業しているので、初夏にバラの溢れる庭を眺めながら、お茶を飲んでゆっくり過ごすのもいいかもしれませんね。
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庭に設けられたパティオも素敵です。
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建物正面から裏手に通じる庭の側面の小道にも、パティオが。現在は使われていないようですが、おそらく初めは噴水(獅子の口から水が湧き出て、下に流れ落ちるタイプ)として使用されていただろう「名残り」がうっすらと見受けられます。
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石造りの獅子のレリーフのアップ。風格と味わいがあります。
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古い建築が好きな人には、時代を経てきたレンガの風合いもまた魅力のようです。
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同じく歳月を経てきた木製の緑のドアと石壁。石壁のパテでつけられたアクセントの上に木立が陰影を落とす様子は、日本ではなくどこか遠い外国の避暑地のようです。
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旧ラフィン邸から立ち去り間際にうしろを振り返ると、そこにも美しい景観が見えました。

 

写真:乃梨花

「毒ガスの島」は「ウサギの楽園」に…思わず平和について考える瀬戸内の島
<広島県竹原市>

大久野島は、瀬戸内海に浮かぶ小さな島です。この島がかつて「毒ガス島」「地図に無い島」と呼ばれていたのは、日露戦争から第2次世界大戦まで、化学兵器、特に毒ガスの生産拠点として使用され、その存在が秘密とされていたからです。太平洋戦争終戦後、化学兵器や施設は処分されましたが、今でも廃墟として残っています。

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そんな歴史を持つ大久野島ですが、日本で最初の国立公園に指定された瀬戸内海国立公園の一部。今は700匹以上のウサギが棲息しているため「ウサギの楽園」とも呼ばれ、ウサギ目当ての観光客も多く訪れます。

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大久野島へのアクセスは大三島フェリーのみ。忠海港から出発しているフェリーに乗れば、10分ちょっとで大久野島の桟橋に到着。二番桟橋前からは「休暇村大久野島」への連絡バスもでています。

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桟橋をでるとすぐウサギ達が出迎えてくれます。大久野島のウサギはすべて「アナウサギ」という種類で、島が浄化されたあと地元の小学生たちによって持ち込まれたウサギが増えたと言われています。

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休暇村大久野島は島内唯一の宿泊施設で、朝夕のバイキングは海の幸・山の幸がふんだんに使われた絶品! さらに、自転車やレジャー用品の貸し出しもしてくれます。ちなみに、宿泊以外の飲食やお土産などの買い物ができるのもココだけです。

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休暇村ではウサギ用ペレット(固形飼料)も売られていますが、ウサギたちはそれには飽きてしまっているらしく、生野菜をあげるととても喜ばれます。すべてのウサギを愛でようと意気込んできた私は、東京からキャベツ1玉、人参5本を切って持って行きました。

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休暇村前はヤシの木が並び、一見南国のよう。島内には一般の車が入れないので、安心してサイクリングやウォーキングを楽しむことができます。私は歩いて島を1周してみました。

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宿舎のすぐ近くにある「毒ガス資料館」では、当時の貴重な文書や実際に使われていた資材、写真などが展示されています。

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フェリーが着いた桟橋を少しすぎると、島に残る最も大きい史跡「火力発電所跡」があります。崩落の危険があるため人は中に入ることはできませんが、朽ち果てた建物の中でウサギがのんきに走り回っている様子はかなりシュール。

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北部、中部、南部など、砲台があった跡が島のあちこちに残されています。瀬戸内海の内側にこんなに砲台を備えても仕方なさそうなのに…「戦争ってバカだなぁ」と思いながら見て回りました。

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島の北西部にある巨大な廃墟は、タンクに詰めた毒ガスを並べて保管していた「毒ガス貯蔵庫」跡。かっては危険極まりない場所であったこのあたりでも、ウサギたちは無邪気に遊んでいます。

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島の外周を回った後は、島の中心部へ。小高い丘を登るのはかなり骨が折れますが、瀬戸内海を一望できる展望台があるので、苦労しても行く価値はアリ。ただし、周りには柵や囲いが無いため、転げ落ちたらそのまま海に真っ逆さま(注:個人の感想です)です。ookuno_13

夏には海水浴や釣りも楽しめるウサギの楽園「大久野島」。瀬戸内の海へと沈む夕日を浴びながら、廃墟となった軍事施設と可愛いウサギを交互に眺めていたら、平和について考える瞬間がありました。

山手西洋館めぐり#01 イギリス館
〈神奈川県横浜市〉

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イギリス館は、昭和12(1937)年に上海の大英工部総署の設計により、英国総領事公邸として建てられました。鉄筋コンクリート製の2階建、コロニアルスタイルの建物です。広い敷地と建物の規模から、東アジアにある領事公邸の中でも上位の格付に位置づけされました。
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1階入り口(エントランス)の石造りのアーチは、和風にも洋風にも感じられる独特のカーブの形状をしています。
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主屋の1階は玄関、ホール、書斎、応接間、サンポーチ、食堂、配膳室、台所からなり、その中央に階段が設けられています。写真は1階南側の応接間(客間)です。
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食卓にはみずみずしい果物が飾られていました。シャンパン色のアンティークなガラス皿との配色は上品で、頭上のシャンデリアの色とも共鳴していて、芸術的です。
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1階応接室のシャンデリア。単体で撮影しても絵になるほどの美しさです。
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2階の主寝室です。今回訪れたのが、ちょうど3ヶ月間の改装工事が終わった直後だったので、このリニューアルされた寝室のカーテンと絨毯のま新しいところをたまたま目にすることができました。
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今回新調されたこの絨毯は、それまでの無地のベージュ系の色とは対照的に、なんと赤!ゴージャスでもあり、それでいて華美すぎることもなく、全体的にエレガントでシックな印象です。模様は英国的スタンダードを感じさせる基調タイプのシンプルなもので、この部屋の調度としっくりと馴染んでおり、全体との配色バランスも美しく見事です。
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寝室の照明は控えめで、主張しすぎることもなく、それでいて確実に存在感が光っていました。寝室本来の目的に沿った色合いと絞って調整された光量が、心憎いほど絶妙な加減です。
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この屋敷の特徴を挙げる時、欠かせないのがこの丸窓です。近代に入るまでイギリスの伝統的な建築工法では長らくアーチ型が一般的でした。ところが、技術の進歩により、現代にもつながる画期的なコンクリート工法によって、このような形状の窓も可能になります。意匠については、船で渡航してきた上海に本拠をもつ設計家が、おそらくは船窓の特徴である丸窓をモチーフとして選んだのだろうと言われています。
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2階から階段下を覗き見たところです。階段の手すりの先端のカーブして渦を巻いているように見える部分が、クラシックでありながらも、空間に柔らかみを醸し出し、全体の雰囲気を和らげるのにもひと役買っています。部屋のドアノブにもこれと同じあしらいが見られ、このように細部にまで手を入れる(手を抜かない)ことで、格式・グレードまたは上流感が形成されていくようにも感じます。
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2階は寝室と作りつけの衣装ダンスのある集会室(写真)、衣装室、控室と並びます。この作りつけ衣装ダンスと天井照明と右隅にちょこっと見える暖炉の造りから、この部屋の本来の様子が垣間見えます。
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高級ヴィンテージ感のある木の肌目そしてツヤ、さらに見事な細工のこれもまた美しい鏡台です。上部センターのレリーフのモチーフは百合でしょうか。
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2階の控室の窓から眺めた外の景色です。窓の形状と建物全体から立ちのぼるクラシカルな雰囲気にのまれて、日差しまでがなんだか“格調高く”感じられるようでした。
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1階の厨房(キッチン)から配膳室(パントリー)の食器棚を見たところです。厨房はバックヤードで表には出ない裏方部門な場所であるためか、質実剛健・機能第一で設計された様子です。それでも時代を経たいま、それらを眺めると、シンプルなアンティークの佇まいの中に美しさを見出します。
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歳月を経て古びた壁タイルの退色ぐあいもいい感じです。上部に見えるボタンがついているパネルは各部屋からの呼び出しボタン?(ならば利にかなっていますね。)
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洗面所(Lavatory)に飾ってある絵もさりげなく年代物。このフレームにしてこの絵あり、と言いたくなるほど、よく似合っています。
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入り口の内側から外に向かった眺め。室内の暗さに対して外の陽が明るいため、ガラスドアにシルエットのように浮き彫りになる鉄の装飾模様もきれいでした。図案はトラディショナルな意匠を踏襲しているように見えます。
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最後に背後に廻って庭から見た建物の全景です。シンボリックに1本背の高い(カメラに収まりきらない高さの)ヤシの木が植えてあるなど、南国的伸びやかさが感じられるコロニアル様式の特徴が建物正面に比べ、より出ています。美しく手入れされた庭園と建物の調和した美観とともにいつまでも飽きずに見ていたいと思わせました。

 

写真:乃梨花

江戸川公園と椿山荘で、桜・庭園・史跡・スイーツの欲張り女子散歩
〈東京都文京区〉

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皆さんは今年の花見はどこに行かれましたか?私は今年の花見は、ちょっとシブく、都内では知る人ぞ知る江戸川公園に行ってまいりました。以前訪れた時に明治時代からの桜の名所の一つと知り、都内の人気お花見スポットに比べて地元の人が多く、他より落ち着いてゆっくりと歩きながら桜が見られると思ったからです。結果は休日の天気が曇りだったのもあり、ほどよい人出で静かにお花見と散策の両方ができて大正解でした!

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小雨のせいで落ちた花びらが神田川の川面に浮かぶ姿も情緒的です。ここで、神田川なのに、なぜ(公園名が)江戸川?と当然の疑問が首をもたげませんか?実は、神田川と言う名前になったのは1965年のことで、それまでこの付近は「江戸川」と呼ばれていたそうです。神田川はもともと自然河川ではなく、古くは徳川家康の命により、江戸の飲料水を確保するために整備された人工河川です。その神田上水の堰がこの付近にあって、上水として取水して余った水を流したのがこの川、それがのちに江戸川と呼ばれた由来のようです。

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江戸川公園の桜を楽しみながら川沿いを歩いていくと、ほどなく椿山荘に行き当たります。椿山荘の庭園は無料で一般公開されており、椿や桜など四季折々の植物に囲まれながら史跡をたっぷり鑑賞できるのが魅力です。散策しやすく疲れないほどほどな面積なのも良いです。この庭園には有形文化財に登録されている三重塔(写真)などの歴史的建造物もあり、史跡めぐりを目的とする人もよく訪れます。他にも、十三重の塔、般若寺敷石燈籠、無茶庵、五慶庵、長松亭、残月・・などがあり、見どころ盛り沢山!とてもここでは紹介しきれません。

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木春堂(もくしゅんどう)は、長野県出身で東急電鉄グループの創始者の五島慶太翁が所有していた田舎屋を譲り受け移築したもので、現在は石焼懐石料理店として利用されています。周囲を木立ちに囲まれ、緑に覆われた深い静けさの中で、ここはどこなのか?(都会とは思えない)という感想を漏らす人も多いとか・・。

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史跡以外にも、樹齢500年と言われているご神木も一見の価値ありです。

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余興的な遊びとして、庭園内に散在している七福神の7体の石像を探してみるのはいかがでしょう?7体見つかると、なんとなく、ご利益にあずかれそう?

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お花見とひと通りの散策を終え、女子会のお決まり!スイーツでこの日はいったん終了することに。しかし、そうは言いつつも?今回のスイーツは、ただモノではありません。椿山荘の中でも女性にとくに人気の高いル・ジャルダンの「アフタヌーンティー」セットです。今回は(写真の)期間限定の春のセット。お約束の英国スタイルの3連ワゴンで出てきた瞬間には、知ってはいても「わぁ〜〜」と友人と二人でつい声をあげてしまいました。

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食べきれないぶんのスコーンは、お店の方にお願いすると、きちんとテイクアウト用にしてくれます。残さずに帰れるので、無駄ナシ!少食女子も安心です。

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今回のセットの中で、いちばん華やかで目を楽しませてくれたスイーツグループ。スイーツでもお花見をさせてもらっている気分になり、心もお腹もすっかり春色の幸せ・大満足で半日を過ごせました。

 

写真:もちすず

近代日本の礎。生糸貿易を支えた横浜の汽車道と倉庫群〈神奈川県横浜市〉

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ランドマークタワーから見えるみなとみらいの風景です。安政6(1859)年の開港以来、横浜は日本最大の生糸の輸出港として発展してきました。開港を機に一気呵成(いっきかせい)に国をあげて敷設された鉄道網によって、関東各地から集められた生糸や蚕種、絹織物などがここから船に積まれ、つぎつぎと海外へ輸出されていったのです。結果として、生糸貿易は国に多くの外貨をもたらしました。その外貨によって日本は近代化を成しとげた、と言われています。

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みなとみらいにある象の鼻パークです。横浜でいちばん最初に港ができた場所がこの「象の鼻」に当たる部分で、形が象の鼻に似ていることから、のちにこの名前が付きました。ここから日本の命運を握る生糸貿易が横浜でスタートしたわけです。象の鼻・・名前に似合わず、歴史の上で担ってきた役割は侮れません。
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象の鼻の“すこしくるんと折れ曲がった”先端部分に近づくとこのように見えます。今では横浜港を象徴する名所の1つでもあるため、休日などには多くの人で賑わっています。横浜開港資料館所蔵のペリー横浜上陸図や当時の象の鼻が描かれた浮世絵を見ると、いまと昔でこの辺りの風景が驚くほど変化したことがわかります。

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みなとみらいから少し行った先には汽車道と呼ばれる道があります。じつはこれ、むかし汽車が通っていた廃線跡をそのまま利用して、横浜市が遊歩道として整備したものなんです。そもそも横浜市は、まちづくりのコンセプトの1つに「健康増進や外出意欲の向上に資する歩行空間を整備すること(平成27年度横浜市道路局)」や「歩いて楽しい街」のようなグランドデザインを掲げながら、これまでの都市デザインを行ってきました。ですからこの汽車道も横浜市のグランドデザインの一環とも言えます。

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この汽車道は赤レンガ倉庫の前を通って、さらにその先へと通じています。横浜のシンボルと言われる有名な赤レンガ倉庫は、そもそもは明治後期から大正初期の国の模範倉庫として建てられました。その後、大正12(1923)年に関東大震災で被災するまでは、輸入されて関税をかけられる前の貨物を保管しておく倉庫として、桜木町(横浜)駅とこの「汽車道」を運行する貨物専用線で結ばれ、国の玄関口を支える門番のような倉庫として、大切な役割を果たしてきたのです。2001年に横浜市認定歴史的建造物、2007年には近代化産業遺産(経済産業省)に認定されています。

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赤レンガ倉庫を裏から眺めると特徴的な躯体(くたい)構造に目がいきます。このように背面から見た方が、倉庫であった雰囲気が色濃く伝わってきます。表の鉄道が走る側に対して、こちらの道では馬車が通っていたそうです。当時は、関内に外国人居留地があり、港との間を馬車で往復していたそうです。

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横浜市の市庁舎であり、横浜市認定歴史的建造物でもある横浜第二合同庁舎(よこはまだいにごうどうちょうしゃ)は、以前は旧・生糸検査所だったところです。日本から輸出される生糸の品質向上を目指して、1896年に建てられました。関東大震災で損壊したため、1926年に遠藤於菟(おと)の設計で再建され、特徴ある建物の外観をそのまま引き継いで現在に至っています。元は生糸検査所であったため、長野県上田市の信州大学繊維学部講堂(旧上田蚕糸専門学校)にも見られるような養蚕のモチーフ(蚕の成虫と桑の葉)が、こちらでも柱の上や正面ファサード最上部などにレリーフされています。

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ファサードのメイン部分と、各レンガ柱上部のレリーフが当時のこの建物のシンボルでした。

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こちらは旧横浜生糸検査所附属生糸絹物専用倉庫(通称「旧帝蚕倉庫」)C号です。名前の通り生糸と絹物の専用の倉庫として利用されていました。しかし現在は、A〜Dあった4棟のうちの3棟がすでに取り壊され、写真のC号だけとなっています。このC号ですが、2014年にようやく横浜市認定歴史的建造物になったことで正式に保存が決まり、いったん解体されたあと、事務所棟(旧横浜生糸検査所附属倉庫事務所)の隣に移築されることになりました。この事務所棟と倉庫棟の2棟は、横浜第二合同庁舎や旧三井物産横浜支店倉庫と同じく、遠藤於菟(おと)の設計によるもので、横浜の生糸貿易の歴史を象徴する代表建築群の一角を形成しています。

 

写真:米山淳一

ゆるくないけどかわいらしい! 奈良公園の鹿たちと東大寺の鬼
<奈良県奈良市>

春日大社で厄払い(前の記事)を済ませたあとは、奈良公園内をおさんぽ。かわいい鹿たちに癒されましょう。

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鹿と触れ合えるかなんて心配は無用。奈良公園付近は本当にいたるところに鹿がいてびっくり。鹿注意の標識まであるんです。

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ここらへんの鹿はとても人馴れしており、鹿のほうから近づいてきます。「かわいい~」と喜んでいたら、手に持っていた地図を強奪されました! 奈良の鹿はゆるくありませんね。ぼーっとしているとすぐ盗ろうとしてくるので手荷物要注意。

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公園内にある東大寺参道の売店には鹿専用の水飲み場が設置されていて、そこから水を飲む姿はやっぱりかわいい。場所によっては害獣とみなされてしまう鹿ですが、ここでは地域の方々と共生できているようでほほえましいです。

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せっかくなので東大寺にも寄ってみます。東大寺は8世紀前半に建てられたと言われ、有名な「奈良の大仏」は境内の大仏殿でみることができます。 でも、あまりかわいいとはいえませんね。

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しかし、意外なところでかわいいキャラを発見。それは大仏殿内にある香炉を支える邪鬼。「重いのをこらえて必死に支えている」みたいな顔が面白かったので思わず撮影。

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もう一体同じく香炉の邪鬼です。こちらは対照的な余裕の表情が面白い。個人的には大仏よりこっちがツボでした(笑)。ちなみに、この手の香炉は「邪鬼足外香炉」と言うのだそうです。nara10

でも、やっぱり一番かわいいのは「しかまろくん」。帰りに奈良駅で「しかまろくんストラップ」を購入。しかせんべいを頬張る表情がかわいすぎて癒やされます。

アフターケアも嬉しい! 御初穂料以上の充実感がある春日大社の厄払い
<奈良県奈良市>

みなさん厄払いをしたことってありますか? 厄年なんて関係ないって人も多いと思いますが、私は結構「気にする派」。せっかくなので、全国に約1000社ある春日神社の総本社「春日大社」で厄払いをしてもらい、ついでに可愛い鹿に癒されちゃおうと思い立ち、奈良市へ行ってまいりました。

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JR奈良駅では奈良県の有名キャラクター「せんとくん」がお出迎え。ただし、最近は奈良市のキャラクターである「しかまろくん」が人気なのだそう。

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せっかく奈良にきたので、初日の夜は下見へ。荒池からの興福寺五重塔が日本画っぽくみえました。ちょっとどんよりした天気だったのですが、これはこれでいい感じだと思いませんか?

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日が暮れると五重塔や春日大社の一の鳥居など、何か所かライトアップされています。ただし、人通りがあまり無く怖いので女性の一人歩きはやめた方が無難。声をかけてきた人力車のお兄さんも危ないと言っていました。

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今夜の宿泊は1909年に建造された伝統ある奈良ホテル。と言いたいところですが、今回は撮影のみ。桃山御殿風檜造りの本館はとても風情があり絵になります。いつか泊まりたいです。

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768(神護景雲2)年に創建された春日大社には、国宝の御本殿のほかたくさんの摂社・末社がお祀りされています。写真は摂社の一つ「三十八所(さんじゅうはっしょ)神社」です。広大な神域は1998(平成10)年に世界遺産「古都奈良の文化財」として登録されています。そんな春日大社を参拝するなら、毎日朝9時から誰でも参加可能の「朝拝」がおすすめ。神職の方々とともに祝詞を唱えた後、若宮神社をはじめとする摂社・末社を神主さんの解説付きでお参りでき、最後にはお神酒を頂きました。朝のお参りは人も少なく静かで空気も澄んでいるので気持ちが改まる気がします。

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各種のご祈願も朝9時から受け付けています。私は5000円を納めて厄払いをお願いしたところ、1人ずつ名前を呼ばれてお祈りしていただいたり、破魔矢やおふだを頂いたり内容の満足度が高かったです。追加で500円を納めると1年間ご祈祷していただける絵馬があるとのことでしたので、それもお願いしてきました。
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訪れた日はちょうど奈良の一大行事「若草山焼き」の日で、火の粉で神社が燃えないように放水している様子も見られました。

nara13境内には春日荷茶屋(かすがにないぢゃや)とうお茶屋さんがあり、四季折々の景色を楽しみながらお食事もできます。私が頂いたのは、お粥・柿の葉すし・奈良漬・葛餅など奈良の名物が一つに凝縮された大和名物膳。見た目の美しさと健康的な薄めの味付けが女性には嬉しいところ。名物もいろいろ食べられるのでオススメです。

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誕生日には春日大社のシンボルである「藤の花」があしらわれたデザインのお守りを送ってきてくれました。御祈願の時だけでなく、アフターケアまでしてくれて感動です。そのおかげか、毎日イヤなことがなく過ごせています。

昭和レトロを満喫し、ラビリンスを抜け、目指すは“鬼が島”
<香川県小豆島町ほか>

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小豆島といえば何を思い浮かべるだろうか?明るい陽光、穏やかな海、もしくはオリーブ、あるいは「二十四の瞳」だろうか。すると、大石先生は、高峰秀子?田中裕子?それともTVドラマ版のどれか?誰を思い浮かべるかは、世代によって分かれるだろう。

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思い浮かべる女優の顔はさまざまでも、この物語が長年にわたって愛される理由は、この瀬戸内の島の風景抜きには考えられないだろう。「二十四の瞳映画村」は、二代目の映画(監督:朝間義隆、主演:田中裕子)のロケ用オープンセットを改築したもので、昭和レトロな町並みが再現されている。村のなかには「ギャラリー松竹座」「キネマの庵」「壺井栄文学館」「木造校舎(岬の分教場)」などの施設があり、日本映画の黄金期を彷彿とさせる映像や展示もたくさん揃っている。また各種ショップも充実しているから、映画ファンならずとも、在りし日の懐かしい雰囲気を満喫しながら、たっぷりと時間を楽しむことができる。

 

 

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さて、小豆島の伝統産業を代表するものといえば、400年の歴史があるといわれる醤油づくりである。古来から良質の塩を生産していたことと、活発な船の交通によって大豆や小麦などが九州からもたらされたことが、この島で醤油醸造が発達した背景である。明治以降の近代化によって鉄道が整備されるまで、物流の主軸は船であった。とくに瀬戸内は波が穏やかで、九州と畿内を結ぶ海上交通の大動脈であった。

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醤(ひしお)の郷は、醤油蔵や佃煮屋が軒を連ねる一帯を指す呼び名。いまも多くの企業が操業しており、あたりは醤油の芳ばしい香りで包まれている。マルキン醤油記念館をはじめ、記念館や物産店などもあり、ぶらぶらと町歩きを楽しむにはうってつけ。甘いものが欲しくなったら、「しょうゆソフトクリーム」や「もろみソフトクリーム」など、ここにしかないご当地ソフトをぜひご賞味あれ。いずれも絶妙の味だ。

 

 

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醤油の町を見た後は、日本の棚田百選に選ばれた「中山の棚田」にも、ちょっと立ち寄ってみたい。800枚を超える田んぼが、瀬戸の明るい陽光を受けて煌めく姿はたいへん美しい。

 

 

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さて、土庄町(とのしょうちょう)の中心部に位置する入り組んだ路地、通称「迷路のまち」。カーブが多く見通しのきかない路地には、古い商家や民家が立ち並び、やみくもに右に折れ、左に折れ進んでいくと、すれ違うのが難しいような狭いところを抜け、突然行き止まりになって回れ右させられたり、見知らぬ角を何度も曲がったのに、いつしか同じ場所へ戻っていたり、秘密の鍵を探しにラビリンスをめぐる冒険家になった気分である。この独特な町並みは、海賊から身を守るため、また海風から生活空間を守るために造られたといわれる。いったいどこへ抜けるのか?とワクワクしながら、懐かしい路地をぐるぐるめぐる。町歩きの醍醐味が存分に楽しめる場所だ。

 

 

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最後は、小豆島を離れて、“鬼ヶ島”へ行ってみよう。桃太郎伝説が伝わる土地はいくつかあるが、そのうちのひとつが、ここ香川県。高松市沖合の女木島が、鬼ヶ島だとされている。集落には木造の平屋や二階屋が建ち並び、とても静かでゆったりした島である。しかし、この島の特徴は家並でなくその外側である。船が港に近づくと、家々の高さを超えるほどの石垣が異様な風景をつくりだしているのにびっくりする。冬になると島で“オトシ”と呼ばれる強い季節風が吹く。それによって海沿いの家には、波しぶきとともに霧状になった海水が入り込む。このため屋根の高さほどの石垣を築いて家を守ったのだという。いや、この光景を目の当たりにすると、ここが“鬼ヶ島”だというのもうなずける。昔話では鬼は何も悪事をはたらかない。こどものころ不思議に思った人もいるだろう。陸の政治勢力が海の勢力(海賊)を平定した話だとすれば、なるほど、ではある。とはいえ、それじゃあ、ちょっとファンタジーには欠けるなあ。