最後のワンピースはドコにある? 世界文化遺産「忍野八海」のリアル底なし池を探せ
<山梨県忍野村>

霊峰富士の伏流水を水源とする忍野八海(おしのはっかい)はその名が示す通り8つの池があり、かっては富士山に登る前に身を清める霊場でもあったそうだ。澄みきった美しい水を称える忍野八海は、1934(昭和9)年に国の天然記念物に指定、2013(平成25)年6月には「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」を構成する資産として世界文化遺産に登録され、現在は海外からの来訪者も多数訪れる観光地として賑わいをみせている。

IMGP6179 忍野八海を見物するルートは決められている訳ではないので、好きな場所から好きなように見てまわれる。オススメは807(大同2)年に創建されたという忍草浅間神社側からのアクセス。神社前には群馬県指定天然記念物である「イチイの群集」やバス停「忍野八海入口」・有料駐車場もあるうえ、最も北側に位置する菖蒲池から廻れるので比較的効率的と思われる。

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osino05q見どころは何と言っても神秘的に透き通った池。特に中心地にある涌池(わくいけ)は深い水底まで青く透きとおり、湧水で底の砂が吹き上がっている様子まで見える。なんだか怖い位の透明度だ。思わず見入ってしまうあまりにも綺麗な水は、神性を帯びているように感じられる。

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IMGP6131かっては沸騰するように湧出したという御釜池(おかまいけ)など、八海のうち6つは徒歩3~4分圏内で見ることができる。さらに、お釜池から約1kmのあたりに出口池があり、8つのうち7つは無料で見学可能だ。

IMGP7725最も人が集まる中池は、中心部が水深が8mもあるのに底まで見通せ、色とりどりの魚が泳ぐさまが美しい。しかし、ここは八海に含まれない個人所有の池。残る1つはただ歩いているだけでは見られない場所にある。

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中池の前には「榛の木林民俗資料館」があり、八海のうち底抜池(そこぬけいけ/そこなしいけ)は入場しないと見ることができない。有料なのでここを素通りする観光客も多いようだが、池以外の見どころもあり意外と面白い。時間があるなら、ぜひ立ち寄ってみるべきだ。

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IMGP7865まず、入って驚くのは資料館入り口の建物が展望台であったというコト。「この高さで展望台とは…」と思いながら試しに階段を登ってみると、思いのほか視界が開け、館内の庭園的な景色を味わえる。天気が良ければ写真の方向に富士山も見えるそうだ。

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IMGP7936IMGP7946奥へ進むと忍野村最古の茅葺き民家:渡辺家が資料館として開放されている。中に入ると開放感のある座敷が広がり、この家に伝わる家具・生活道具や古文書、刀剣類、古銭のコレクションなど様々なモノが展示されている。いずれも使用感が溢れていて、実際に使われていた情景が思い浮かぶようである。

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IMGP7972IMGP7973町旅の熱心な読者なら想像がつくと思うが、2階は養蚕に使われていた部屋。ここでは養蚕や農業に使われた機具が約300点も展示されている。3階にあがれば突き上げ屋根からの風景も楽しめる。むしろ、先ほどの展望台より良い眺めだ。

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IMGP6269a渡辺家を堪能したあとは、いよいよ八海のうち唯一有料鑑賞の池である底抜池(そこぬけいけ/そこなしいけ)がお目見え。樹木に囲まれ静謐な佇まいのこの池は、浅く見えるが底には泥が堆積しているため真の深さは不明とのこと。地底では御釜池とつながっているという説もあるという、伝説的な池であった。静かに佇む池面は、見ていると吸い込まれそうな厳かな気配を醸し出していた。

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「忍野八海」の神秘的な美しさを湛える8つの池は、それぞれ異なる竜王が祀られるなど霊場としても扱われている。近年、増加している外国人観光客の見本となるよう、真摯な心を持って訪れていただきたい。

映画セットのように美しい! 「お・も・て・な・し」対応万全の茅葺集落
<福島県下郷町>

1640年ごろ、会津と日光を結ぶ下野街道の宿場町として整備された大内宿。会津藩主の18回に及ぶ江戸参勤や江戸廻米の輸送中継点として利用された重要な役割をはたしていたが、五街道以外の通行に対する幕府の取り締まりや1683年の地震による山崩れなどの理由から徐々に通行量が減少。外界との往来が少なくなったことで、江戸時代の面影が残る集落となった。

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自動車でのアクセスがメインとなる大内宿では、近年の観光客増加にあわせて広い駐車場が用意されている。ロードサイドにはのぼりが立ち、地元の方々による交通整理も行なわれていて、近くまでいけば迷うことはなさそうだ。また、駐車場内の一部には観光案内所やトイレも併設されており、想像以上に観光対応が充実していることに驚く。
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駐車場から2~3分歩くと、水路に挟まれた大通りの両側に重厚な茅葺屋根の建物が建ち並ぶ時代劇で見たような景色が現れる。茅葺屋根の建物は、そのほとんどが、土産屋や飲食店・宿屋として多くの旅人を迎え入れており、軒先を覗きながら歩くだけで楽しい。ちょっとした装飾や、腰をおろせる場所、喫煙スペースなどもあちこちに設けられ、来訪者にゆっくり過ごしてもらおうという気持ちが感じられる。

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店を覗くと「お茶飲んでいきなよ」「ちょっと味見したら?」など、次々と声がかかる。面白かったのは味噌の味見。この地域では薄く切った大根に味噌を乗せ一緒に食べて味見をするスタイルが主流。シンプルな大根があることで、味噌の味や違いが良くわかる気がした。

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通りの中ほどにある「大内宿町並み展示館」は、会津藩主が参勤交代時に使ったと言われる本陣を復元した建物。なかでは江戸時代に使われた生活用具や茅葺きに関する資料が展示されているので、大内宿の佇まいになにかを感じたなら、ぜひ立ち寄ってみるべき。有料区画のなかは比較的観光客も少なく、ゆっくりと見てまわれる。

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通りのつきあたりにある神社へと続く急な階段を登ると、観光パンフのような町を見下ろす写真が撮れる場所がある。ゆるくカーブした町なみと行きかう人々を収めた写真は、まさに宿場町の雰囲気満点。 ときには撮影の順番待ちが発生するほどの人気スポットというのもうなずける。

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撮影スポットから奥へ進むと小さな祠や石碑があり、表通りと異なる素朴な風景も見られる。

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日が暮れになると灯が点きはじめ、昼とはまた違った風情に。夕方にはほとんどの店舗が閉まるので、観光客もどんどんいなくなり古来の大内宿が現れてくるようだ。宿場町「大内宿」を深く味わうなら、地域内の宿に泊まるべきなのだろう。

近代文学の名品・小説「津軽」をめぐる旅
<青森県五所川原市ほか>

小説「津軽」の序編にはこうある。津軽の詳細を知りたければ、専門の研究家に聞けと前置きして、『私には、また別の専門科目があるのだ。世人は仮りにその科目を愛と呼んでゐる。人の心と人の心の触れ合ひを研究する科目である。』と書いている。こういう言い回しをキザだと感じるかどうかで、太宰への好嫌は決まるのかもしれない。でも、この作品をはじめ「富嶽百景」「右大臣実朝」など、戦中に書かれた彼の文章は、過剰な自意識への拘泥が影をひそめ、いちばん洗練されていると思う。

トゲクリガニ
さて旅のはじめ、蟹田での夜にこういう描写がある。『N君の小柄でハキハキした奥さんは、私が蟹の山を眺めて楽しんでゐるばかりで一向に手を出さないのを見てとり、これは蟹をむいてたべるのを大儀がつてゐるのに違ひないとお思ひになつた様子で、ご自分でせつせと蟹を器用にむいて、その白い美しい肉をそれぞれの蟹の甲羅につめて、フルウツ何とかといふ、あの、果物の原形を保持したままの香り高い涼しげな水菓子みたいな体裁にして、いくつもいくつも私にすすめた。おそらくは、けさ、この蟹田浜からあがつたばかりの蟹なのであらう。もぎたての果実のやうに新鮮な軽い味である。私は、食べ物に無関心たれといふ自戒を平気で破つて、三つも四つも食べた。』
かつてこれを読んだとき、いくら蟹が好物とはいえ、三つも四つも食えるものか?ついタラバガニのようなものを想像してそう思ったが、この蟹はたぶんトゲクリガニだったのだろう。毛ガニよりも小さい。なるほど。

蟹田からは、陸路で竜飛へ向かう。そのとき宿泊した奥谷旅館は、いまは「龍飛岬観光案内所 龍飛館」として公開されている。太宰は、竜飛の風景を“凄愴”だと形容しているが、本州の北の最果て、一度は見てみたいところだ。

楠美家住宅
さて、津軽平野の中心地・五所川原は、小説では経由するのみだが、すこし散策してみよう。まずは、明治25年頃に建てられたという「楠美家(くすみけ)住宅」。茅葺・寄棟造りの民家で、外観・間取りともに建築当時の様子がよく残っている。秋田地方の建築様式が取り入れられているのも珍しいそうだ。

旧平山家
また、重要文化財に指定されている「旧平山家住宅」は、二百数十年前に建築された津軽最古の建造物。母屋は茅葺・寄棟造り、間口約33メートル、奥行き約13メートルで、7間の作業部、7間の居住部、3間の座敷という広さ。江戸末には大庄屋だったそうだが、当時の有力者の暮らしぶりがしのばれる。

ここから、津軽鉄道に乗って金木町へ。現在は「斜陽館」呼ばれる太宰の生家は、彼の父が明治40年に建てた豪邸で、和洋折衷の入母屋造り、明治期の重厚な木造建築として重要文化財に指定されている。

「斜陽館」

『黄昏のころ私は叔母と並んで門口に立つてゐた。』幼年期の記憶について書かれた初期作品「思い出」の書き出しである。「津軽」で描かれるたけへの思慕は、じつはこの叔母への思慕を投影しているのではという指摘もある。幼年期の記憶というのは、だれにとっても自分自身の核を形成した大切な秘密として、抜き差しならぬものに感じられる。座敷の奥にあるこの大きな仏壇を見ると、おなじ「思い出」に語られる父の臨終の場面を彷彿とさせられる。

太宰が暮らした疎開の家

「斜陽館」ほど訪れる人は多くはないが、すぐ近くにある太宰治疎開の家「旧津島家新座敷」はおすすめである。というのも現在の所有者である白川公視さんの案内をぜひ聞いてほしい。この家を一般公開するようになってから太宰について学んだそうだが、訥々とした津軽訛りで語られる太宰のエピソードが想像力を刺激し、ファンならずとも思わず引き入れられる。

岩木山麓:菜の花畑
『「や! 富士。いいなあ。」と私は叫んだ。富士ではなかつた。津軽富士と呼ばれてゐる一千六百二十五メートルの岩木山が、満目の水田の尽きるところに、ふはりと浮んでゐる。実際、軽く浮んでゐる感じなのである。したたるほど真蒼で、富士山よりもつと女らしく、十二単衣の裾を、銀杏の葉をさかさに立てたやうにぱらりとひらいて左右の均斉も正しく、静かに青空に浮んでゐる。』金木近くの小山へ遊びに行く途中で見た岩木山を、太宰はこう描写している。「富嶽百景」にもつうじる見事な風景描写だと思う。(写真は、鰺ヶ沢の菜の花畑から望む岩木山)

芦野公園
津軽鉄道の金木のつぎは、芦野公園という小さな駅。『金木の町長が東京からの帰りに上野で芦野公園の切符を求め、そんな駅は無いと言はれ憤然と』したと、こう小説に書かれている駅である。

十三湖
『浅い真珠貝に水を盛つたやうな、気品はあるがはかない感じの湖である。波一つない。船も浮んでゐない。ひつそりしてゐて、さうして、なかなかひろい。人に捨てられた孤独の水たまりである。流れる雲も飛ぶ鳥の影も、この湖の面には写らぬといふやうな感じだ。』小説でこう描写されている十三湖。

小学校の運動会でたけと出会う有名なラストは、見事な演出がなされている。小屋掛けのなかで、二人とも無言のまま並んで運動会を眺める。『まるで、もう、安心してしまつてゐる。足を投げ出して、ぼんやり運動会を見て、胸中に、一つも思ふ事が無かつた。もう、何がどうなつてもいいんだ、といふやうな全く無憂無風の情態である。平和とは、こんな気持の事を言ふのであらうか。もし、さうなら、私はこの時、生れてはじめて心の平和を体験したと言つてもよい。』そう書かれている。このシーンを表した銅像がきっかけとなってできた“小説「津軽」の像記念館”では、後年「タケ」が太宰との思い出を語る映像も見られる。

小説「津軽」の像記念館

実際には、このとき太宰には同行者もあり、たけとの出逢いは、小説とはずいぶんちがっていたらしい。最後に太宰は『私は虚飾を行はなかつた。読者をだましはしなかつた。』とわざわざ断っている。これは心の触れ合いについて書いたと、序編でも宣言した。紀行文のような体裁をとっているが、これは“小説”なのだと、またつい念を押したくなったのだろうか。あるいは真実と事実はちがうということだろうか。

・写真提供:青森県
・『  』で表示した小説「津軽」「思い出」からの引用は青空文庫より

かつて鉱山で栄えた町は「近代化遺産」活用で先駆ける
〈秋田県鹿角郡〉

小坂町は東北屈指の鉱山町である。鉱山町は全国にあるが、小坂町はちょっと先を行っている。町を挙げて鉱山関連の歴史的建造物群を、近代化遺産として文化財に位置付け、小坂らしい町づくりに生かしているからだ。つまり文化遺産を積極的に観光資源として活用している先進地なのだ。「近代化遺産」とは、「我が国の近代化に貢献した産業、交通、土木遺産」の意味で、小坂町はまさにその宝庫でもある。そして、小坂鉄道も当然この近代化遺産の範疇に入る。小坂町は、鉱山ゆかりの歴史的建造物群と小坂鉄道をセットで保存・活用することで、町に長く続く発展と賑わいがもたらされると考えたのだ。

02 ヨーロッパの町並みを思わせる明治100年通り 大

町の顔になっているのが「明治百年通り」だ。毎回、訪れるたびに欧州の町並みを歩いているような錯覚にとらわれるほど、歴史的建造物、植栽、ニセアカシヤ等の並木が作り出す、整然とした美しさに感動してしまう。鉱山町が持つ公害のイメージを払拭して造られた通りはいつも華やいでいる。

05 現役の劇場 康楽館(国重要文化財)

14 康楽館(国重要文k財)の内部。産業観光フォーラムの会場に使用

通りの中心になっているのが、1910(明治43)年に建てられた国重要文化財の演劇場「康楽館」や、1905(明治38)年に建てられたルネッサンス様式の小坂鉱山事務所(国重要文化財)だ。いずれも、移築され修理後に再活用されている。康楽館は年間を通じて寄席、演劇等で賑わっている。

03 鉱山事務所(国重要文化財)

13 ライトアップされた小坂鉱山事務所(国重要文化財)

また、小坂鉱山事務所威風堂々とした立派な姿は、町の品格を高めている小坂町のシンボルである。内部は、鉱山資料館やレストラン、物産販売のほか、明治時代のレンタル衣装に着替えて、館内での撮影を自由に楽しめる「モダン衣装室」がある。

明治百年通りにはこのほかにも、1932(昭和7)年建造の保育園「天使館」(後の聖園マリア園)や1908(明治41)年建造の旧小坂鉱山病院記念棟といった国登録有形文化財が並び、歴史的景観をたかめている。12 木骨レンガ造りの観光案内所

また、平成26年10月、木骨レンガ造が珍しい旧小坂鉱山工作課原動室が移築復元された。1904(明治37)年に建てられたこの建物は「赤煉瓦にぎわい館」と命名され、観光案内所として活用されている。愛してやまない「明治百年通り」の歴史的町並み景観がより一層充実した。

01 廃線跡を行くレールパーク(最初)
09 旧国鉄の保線車両

そして長年の構想、計画を経て「小坂鉄道レールパーク」が平成26年6月にめでたくオープンした。小坂駅や構内全体を丸ごと文化観光施設として再利用している。動態保存されているDD13形を始めとした機関車は4両、他に元国鉄のラッセル車や保線用車両など顔ぶれは多彩だ。他に体験乗車では、ディーゼル機関車の運転体験が人気を呼んでいる。約600mに及ぶ路線が数本ある広い構内で本物の機関車を運転できるのであるから実に魅力的だ。また、駅構内から大館方面に伸びた軌道ではレールバイクの運転が盛んで子供たちの歓声が響く。06 復元された小坂駅舎

歴史的建造物群だけではなく鉄道をも近代化遺産として活用したことが決め手となり、小坂町は再び輝きを増し始めている。地方創生の方策を模索している自治体は多いが、地域の特性や地域遺産の価値を見出すことがその出発点であることを小坂町は教えてくれる。″小坂町ダイナミズム〟に敬意を表したい。

 

写真:米山淳一

歴史と文化が交差する、キリシタン大名が治めた城下町
〈大分県臼杵市〉

03 臼杵城址は町のシンボル
臼杵と言えば歴史の町。戦国時代に、キリシタン大名・大友宗麟が丹生島に臼杵城(当時は丹生島城)を築城し、江戸期には稲葉氏が統治した城下町である。

04 城下町らしい鍵の手状の道に擬洋風建築の医院と旧後藤家長屋門がコラボ交流拠点として設けられた臼杵市観光交流プラザが町歩きの起点だ。見事な石積みや大門櫓などが保存されている臼杵城址を見上げながら、辻界隈から歩き始めた。鍵の手状の道や路地が続く道がいかにも城下町らしい。十分に修復整備された旧稲葉家長屋門や土蔵は休憩施設を兼ねており、この地区のランドマーク的存在である。

05 旧稲葉家長屋門から二王座を見るこの先は寺院が続く寺町で二王座界隈である。「二王座歴史の道」と名づけられた道沿いには、寺院の山門、本堂、町屋、白壁土蔵が並ぶ。少し先は石畳の坂道で、一段と道幅が狭く、緩やかに弧を描きながら迫った切通しの陰に消えて行く。折しも雨上がり、しっとりと潤いを感じさせる空間がなんとも心地よい。

06 切通しが生む味わい深い二王座の景観
臼杵の城下町ここにありといった光景が展開している。ヒューマンスケールのこの切通しが気に入って何度も行ったり来たりした。

07 二王座の坂道の途中に立派な石段と門出現。旧片切家武家屋敷である坂道の中ごろに位置する急な石段がまた渋い味を出している。まさに歴史に裏打ちされた景観こそが本物であることを教えられた思いである。09 二王座から甚吉坂へ。坂の途中に井戸を発見「金毘羅水」だ
坂道だから当然サミットはある。越えて下ってわかったのであるが、この地点での坂の名は、「甚吉坂」とあった。近くに「金毘羅水」と称する水場があり少し難所的な感じを得た。大友宗麟の時代から使われていた街道の名残のようにも思えてくる。なお、切通しは他所にもあり、この辺りの地盤は阿蘇山噴火による火山灰が溶結した凝灰岩質である。

11 堂々たる龍原寺の三重塔
九州では2例しかない木造の三重塔(安政5年)がある龍原寺や臼杵川沿いの大橋寺に参拝し、町屋筋に向かう。

12 江戸期からの町家筋、「八町大通」と南蛮貿易ゆかりの石敢塔鍵の手状のクランクを抜けると八町大路である。真っ直ぐな町屋筋で中央商店街と呼ばれ地域で親しまれている。活気のある通りの商家や町屋は修理が進み、伝統的意匠を大切にしながら商いを行っているため、町並み景観はすこぶる整っている。地域の皆さまや観光客も買い物が楽しくなること請け合いである。

15 ヤリイカとカマス焼きが酒の伴16 カマス焼きゆるりと町歩きをしていたらいつしか辺りは、薄暮に包まれた。そうなると足が自ずと酒処に向く。臼杵は海産物が旨い。6人ほどのカウンターだけの店は、まさに願ってもない空間だ。「旬はヤリイカ」のとおり、透明感のある奴が出てきた。酒器がまたふるっている。昭和30年代のガラス製の徳利と猪口だ。薄手の華奢な出来がなんとも美しいから酒が進む。

 

写真:米山淳一

仙台藩主が子を授かったと言われる湯もアリ! 江戸時代に開かれた湯治場は路地裏に注目
〈宮城県大崎市〉

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東北新幹線古川駅から陸羽東線に乗り換えると、東京から3時間以内で到着できる鳴子御殿湯。鳴子御殿湯駅は1952(昭和27)年に地元民の国鉄への陳情が実ってできた駅で、今も歴史を受け継ぎ、地元温泉組合がJR東日本から運営管理をまかされている。naruko_02

御殿湯とはいかにも由緒ありそうな名である。共同浴場から孫の手を引いて出てこられた地元の方に聞くと「汽車の線路の山側に伊達の殿さまが浸かった湯がある」と教えてくださった。かつては、石巻や気仙沼、女川あたりから多くの漁業や農家の皆さんが仕事を終えた晩秋の時期を中心に、定期的に湯治にやって来たそうだ。だから、温泉宿ばかりか酒屋、衣料品、食堂、パン屋等商店街が大賑わいだった。07 裏通りの配管

温泉場は表通りだけではなく路地や裏道が面白い。表は格好つけた意匠になっている旅館建築だが、裏手はスッピンだ。そこには、生活感あふれるもうひとつの顔がある。面白いのは増築に増築を重ねた建物で、木造に鉄筋がひっついていたり、バラックの様な継ぎ足しがあったり、かなり大胆。

08 配管はデザインされている
御殿湯での傑作は、配管だ。温泉や水道、上下水の大小の配管がタコ足のようにめぐらされている。配管職人の腕の見せ所でもある。労作が芸術作品のように見えてくるから不思議である。歌手ミッチー・三橋美智也の謡う「古城」ではないが、廃墟になってしまった旅館だって増築や配管から当時の栄華を偲ぶことはできるのだ。

11 渋い個室温泉

 

03 薄暮の温泉街(大)
大規模な温泉ホテルが建ち並ぶお隣の鳴子温泉に比べ、鄙びた感じが良く残っている鳴子御殿湯。薄暮に街灯がぼんやりと灯りはじめ、どことなく色っぽさを増した町並みが心地よい。

 

写真:米山淳一

北前船の時代には交通の要衝として栄え、いまも貴重な伝統を継承する奥能登
<石川県輪島市>

百姓は農民、私たちはなんとなくそう思い込んでいる。しかし、それは史実ではないという、とても刺激的な論稿を残した歴史学者・網野義彦。日本は古くからの農業国であるという教科書的な歴史像に異を唱えた氏が、その独特の歴史像をつくるきっかけとなったのが、ここ奥能登の時国家の史料研究だったという。いわゆる水呑のことを能登では頭振(あたまふり)と呼ぶが、公式の資料では人口の過半が頭振=水呑とされ、田畑の少ない能登は貧しい地域だったというのが一般の歴史解釈であった。ところが時国家に残された文書史料を詳しく読み込むと、頭振=水呑と分類された人々のうち多くの人たちが、廻船業や商業に携わっていて巨額の利益をあげていただろうことがわかってきたという。つまり水呑=頭振は、耕地を持たないので貧しいのではなく、そもそも耕地を必要としない人を含んでいたというのだ。さまざまな異論があるようだが、とても面白い歴史観である。

上時国家

代々大庄屋を務めた上時国家の豪壮な建物は、農家建築様式の中に書院造りの手法を採り入れた江戸末期のものといわれる。鎌倉風の池泉回遊式庭園は、背後の山を借景に組み込んだ素朴かつ力強い巧みな造りである。

下時国家

江戸時代初期に分家された下時国家の建物は、上時国家より質素で農家的な特徴が多く、国の重要文化財に指定されている。

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海岸沿いの249号線を輪島市街へ向かうと、世界農業遺産に認定された千枚田がある。幾何学模様を描いて幾層にも重なる小さな田が、日本海をバックに広がる風景はとても美しい。

網野氏いわく、「これまで、能登は後進地帯だから古い単位が遅くまで使われ続けると説明されてきました。私はそうは思いません。確かに、能登の人々は、田地や畠について古い伝統を大切にしています。だから、“あえのこと”のようなものが残るわけですが、これを保守的・後進的と理解したのでは、能登のほんの一面しか捉えていないことになります。能登の人々の生活は、田畠にはあまり依存せずに、むしろ非農業的な、海や山の生業に力を入れて、それで貨幣収入を得ていたのです。」(【海民と日本社会】網野善彦・新人物文庫より)

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能登では古くから製塩が盛んであった。それは廻船に積まれ遠く秋田あたりまで運ばれたという。“揚げ浜式製塩”と呼ばれる伝統の技法が、いまも受け継がれているのは驚きだ。海水を砂の塩田に撒き、塩分を濃縮させ、漉し、大釜でじっくり煮詰める。職人の手作業で作りだされる塩は、とてもまろやかな味がする。

あえのこと

能登地域の農家に古くから伝わる農耕儀礼「あえのこと」は、“田の神様”に感謝を捧げる祭り。奥座敷に種もみの俵を据えて神座を設け、2股の大根2本と栗の木の箸2膳分を並べる。開放的な祭りではなく、口伝は家の主しか伝えられないなど、ひっそりと続いてきたものなので、各家によって異なる儀式は公開されないものも多い。ちなみに、「あえ」は「もてなし」、「こと」は「祭り」を意味するらしい。他の地方では消えてしまって久しい儀礼なのかもしれない。

輪島屋善仁 塗師の家

さて、輪島の伝統工芸といえば輪島塗。「輪島屋善仁 塗師の家」は、江戸後期から明治終期にかけての建築で、輪島塗の塗師文化を残す唯一の建造物。イナセな職人たちが作り出す輪島塗のような優れた文化が発展したのは、輪島がかつて廻船により全国各地と交流し、多彩な文化と接していた都市であった証拠だろう。

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では、最後にめぐるのは輪島市「黒島地区」。集落の成立は16世紀前半といわれ、この地で最初に廻船業を始めた番匠屋善右衛門が加賀一向一揆の兵糧米を運んだ記録もあるという。藩政期には、北前船の寄港地として多くの船問屋があり、天領として大いに繁栄した。日本海に面した浜辺に沿って、黒い屋根瓦と板壁の家々が連なる町は、いまも明治初期の地割がよく残っており、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。

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黒島の代表的な廻船問屋であった角海家住宅(かどみけじゅうたく)は、往時は七艘の北前船を所有し栄華を極めたという。能登半島地震で全壊したが2011年に復元され、それ以降一般公開されていて、昔日の繁栄ぶりを偲ばせる収蔵品が多数展示されている。

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写真提供:石川県観光連盟

魅力的な商店街が次々と出現! 気づくと深入りしている飽きない迷路
〈静岡県伊東市〉

IMGP6168IMGP6171東海館から駅までは多くの商店街があり、いずれもギッシリ商店が詰まっていて楽しい町歩きができます。まずは駅への近道と書いてあるアーケード「キネマ通りアーケード街」に突入。18時では閉まっている店も多かったのですが、立ち飲み屋などもあり地元らしき方々がチラホラ。

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「ふれあい通りアーケード街」と交差する中ごろには「福招きのお手湯」が設置されていて、おもてなしの心を感じます。「お手湯」ってあまり見ませんよね。でも、足湯より手軽に温泉を体験できるので、ちょっと手を入れてみようと思いませんか? ちなみに温度はまあまあ高く、冷えた手を入れると一瞬「あつっ」、もう一度入れると「あったけー」という感じでした。

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IMGP6183キネマ通りのお次は「湯の花通り」。ここからは飲食店やお土産屋など少し旅人に寄った商店が増えてきます。気になったのは昭和10年創業という「松田椿油店」と「おかずのあんどう」。

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IMGP6182特にあんどうの前に看板がでている「ちんちん揚げ」は、伊東の郷土料理のひとつ。その特徴的な品名が、商店街のあちこちの居酒屋メニューに書かれていたので、気になって仕方ありません。ここでは食べ歩きできるスタイルでも提供しているので、ぜひ食うべしと思ったのですが…18時ごろでは売り切れで残念ながら結局食べられませんでした。

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湯の花通りを抜け、少し右手に歩くとJR伊東駅に到着。待機しているハトヤの送迎バスを見た途端「伊東に行くならハ・ト・ヤっ♪」のフレーズが想起されます。「伊東=ハトヤ」を完全に刷りこまれていますね。しかし、ハトヤさんにも負けない魅力を放つ温泉を駅前で発見!

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なんと! ビルの地下に続く階段の先に温泉があるんです。年季の入った看板や入口をみると、怪しさ満点ですが、実は伊東市観光協会のサイトでも紹介されている公共浴場! 正式名は「子持湯(湯川第一浴場)」。本当に駅のすぐ前にありますので、気になる方は探してみてください。

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観光番近くの駐車場に車を停めたので駅からUターン。戻りは駅前から出ている「駅前中丸通り」です。この通りを含め縦横に走る商店街ごとに、魅力的な居酒屋が多数ありました。「ちょっと一杯」やる場所を探すのも、旅の楽しみのひとつ。伊東へ行くなら泊まりか電車がおすすめです。

泊まってつかれる文化財! お座敷芸も体験できる日本の伝統的温泉宿
〈静岡県伊東市〉

数年前から観光立国を推進する我が国ですが、今をさかのぼること66年、1950(昭和25)年に「国際的な観光・温泉等の文化・親善を促進する地域」として国際観光温泉文化都市に指定されている伊東市。海・山・高原などの豊かな自然と旨い海産物に温泉、当時から観光地として人気だったのでしょう。夏は特に混雑しているイメージがありますが、冬は意外とアクセスも良好。落ち着いた町歩きも楽しめるんです。

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そんな伊東の魅力のひとつが釣り。のんびりするなら、宇佐美港なんていかがでしょう。2000円くらいの竿・リールのセットに、仕掛け・エサを付けて落とせば、10㎝前後の魚がポチポチ釣れたり釣れなかったりします。お隣の伊東港は広くて人気がある釣り場ですが、宇佐美港は地元の方が数人いる程度。初心者には親切に釣り方を教えてくれるアットホームな感じ、大物狙いなら釣り船も出ています。堤防の上からは伊東の町、その向こうには伊東のシンボルともいえる大室山も見えます。自然の造形のなかで続けられる人々の営み、その連続が歴史や文化を生み出していることを感じられます。

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町を効率よく散策するなら、まずは市内中心部の角地に建つ「伊東観光番」に行ってみては? この建物は1958(昭和33)年に建てられた登録有形文化財で、静岡県最古の交番建築。ずいぶん愛嬌がある見た目ですが、以前は旧伊東警察署松原交番として実際に使われていた歴史的建造物なんです。現在は観光案内所になっていて、伊東自然歴史案内人の方たちが町を詳しく案内してくれます。ただし、開所時間は10:00~16:00ですので注意してください。

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観光番の正面にある橋からは、威容を誇る木造建築が見られます。部屋からこぼれるオレンジ色の灯が、なんだか郷愁を誘います。

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橋を渡って左折すると、歩いてみたくなる路地がでてくるので、迷わずに進みましょう。先ほど橋から見た木造建築が実は2棟だったことが分かります。

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IMGP6129手前は築100年の木造建築を改装してホステルとして営業している「ケイズハウス伊東温泉」。もともと純和風の老舗旅館だった建物は、国の登録有形文化財。そう、ここは宿泊できる文化財なんです。ドミトリースタイルもあり費用を抑えることもできるため、海外からのゲストにも人気だとか。また、日帰り温泉や喫茶店も営業しているので、泊まりじゃなくても中に入るコトができます。ちなみに見学のみも有料で受け付けています。

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IMGP6143ケイズハウスのお隣は「東海館」。1928(昭和3)年に温泉旅館として建設された建物は、当時の職人たちが持てる技術を奢った素晴らしい造形。内外とも趣向を凝らした装飾があちらこちらに施されまるで美術館のよう。1999(昭和11)年には伊東市の指定文化財に選定されています。残念ながら旅館としては1997(平成9)年に幕を下ろしてしまったのですが、2001(平成13)年から伊東温泉観光・文化施設「東海館」として復活。内部の見学のほか、日帰り温泉や和風喫茶として観光名所になっています。また、東海館は芸者姿やお座敷芸体験ができる「お座敷文化大學」の校舎としても使われているので、昭和の雰囲気・古き良き日本の「粋」にどっぷり浸りたい方は、事前に入学案内に目を通しておくと良いでしょう。

長き時を刻む「野良時計」と厳かな静けさを湛える「土居廓中」
〈高知県安芸市〉

04 aki 安芸と言ってすぐに連想するのは宮島だが、高知県の安芸市には憧れの宝がある。それは「野良時計」。1970(昭和45)年秋からスタートした国鉄の旅行キャンペーンをご記憶だろうか?「美しい日本と私」をテーマとした″DISCOVER JAPAN〟である。駅に掲出された大判の写真ポスターは旅心をそそる見事なアングルの絵柄。合わせて国鉄提供TV番組「遠くへ行きたい」がスタート。「安芸の野良時計」を知ったのもこの番組だった。蓮華が咲き乱れる田園と、農家の屋根に鎮座する野良時計の映像を見て感動した。野良時計の前を農道が走り、様々な人がその前を通り抜ける。のどかな日常がそこにあった。

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野良時計のすぐ北側には武家屋敷がある。安芸駅構内にある「安芸駅ぢばさん市場」で自転車を借りて行けば、野良時計も含めていろいろ見てまわりやすい。

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土居廓中と呼ばれる重要伝統的建造物群保存地区は、戦国期の安芸氏の拠点。江戸期に土佐藩主山内一豊の命を受けた家老五藤為重が入り、かつての町割りを基本に町を再整備。土居に屋敷を構えるとともに、土居の東、西、南側に武家屋敷を設け土佐藩東部の拠点とした。

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05 aki土居廓中とは、明治期になって土居と周辺の武家屋敷を合わせた地区の総称である。武家屋敷は、今も住居として使われ、門、土蔵、主屋が保存されている他、江戸期のままの道幅、玉石を用いた水路や四ツ辻の他、土用竹(ホウライチク)、ウバメガシの生垣、河原石と瓦を用いた塀などの特徴的な遺産が多く見られ、歴史的風致を実感できる。

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09akiしかも、武家屋敷地内は静寂そのものだ。一般公開されている野村家住宅(国登録有形文化財)は、五藤家の重鎮で財政、人事を担った惣役であった。桟瓦葺、木造平屋建の主屋、門、別棟風呂、便所棟、納屋、井戸等から江戸後期の武士の暮らしを偲ぶことができる貴重な存在だ。

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昼飯は、自転車を借りたぢばさん市場で購入した「鯖寿司」。鯖寿司と言っても見慣れた形とはほど遠く、まるで鯖の姿寿司。〆具合が絶妙で実に旨い。秘密は、酢。米酢ではなく土佐のゆず酢を使用している。姿も味も別物の鯖寿司の隠し味は、特産のゆず酢だったのだ。お土産にゆず酢を購入し、家で〆鯖を作った。それなりの味になったが何か物足りない。違いの決め手は、何を隠そう歴史的風土に他ならない。

 

写真:米山淳一