不思議な魅力を放つ町…石積みで築かれた石塀小路
〈京都府京都市〉

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不思議な魅力を持つ町、京都。その吸引力にからだは定期的に引き込まれてしまう。町家、竹垣、路地、格子、石畳、水路、町じゅうに京都らしさが溢れている。身を置くだけで心が安らぐ。中でも東山界隈の歴史的風致にからだが馴染む。

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石塀小路はその名のとおり、玉石で築いた石塀が地域の景観を特徴付けている。粋な門構えに竹垣や生け垣をめぐらせた品格ある住宅は、大正期の木造建築である。石畳の路地が地域をクランク状にめぐる。住宅は石塀の上の一段高い位置に建てられている。おまけに竹垣や生け垣で囲むことで、通行人から見えなくする工夫がなされているのだ。

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素晴らしい町並みに身を投じたら、一食入魂に決まっている。旨い肴と酒を求めるのはごく自然だ。門をくぐると二坪ほどの小さな空間に内玄関、勝手口が面している建物も多い。この空間は外部とは別世界。すでに家の中なのである。

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ただ、どこのお店も「はいそうですか」とはいかない。紹介が必要だからだ。良くも悪くも一見さんなんとか? なのである。文化と割り切っていなせば、これはこれでむしろありがたい。節度を忘れがちな現代、分不相応の言葉は大事だ。とそんな能書きをいってみたってしょうがない。女将から紹介してもらい、精いっぱいかっこうをつけて出かけるのも良いだろう。

 

写真:米山淳一

都会の中に突然あらわれる船運で栄えた土蔵と町屋群
〈愛知県名古屋市〉

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高層建築が建ち並ぶ名古屋駅から歩いて約15分の距離に、大都会の喧騒を忘れてしまうほど閑静な住宅街が存在する。堀川沿いの四間道界隈である。

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堀川は名古屋城の築城の物資を運搬するために1610(慶長15)年に開削されたという。その後、舟運に利用され川岸には商家が軒を連ねることとなった。四間道の商人は、味噌、醤油、海苔などの商いで富を築いた。その富の蓄積は、豪壮な商家の建築や土蔵を見れば理解できるであろう。中橋や五条橋付近には今も石畳の荷揚げ場が残され、かつての舟運華やかなりしころの繁栄をしのぶことができる。

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四間道の町並みは堀川の西側に位置し、1700(元禄13)年の大火後、防火の目的で四間(約七メートル)の幅をもった道を設けたことにその名は由来する。四間道に立って通りを見渡すと、堀川方の右側は石積みを築いて一段高く設計され、重厚な土蔵が連なっている。県指定文化財の伊藤家住宅などは、商家のちょうど裏手に当たる。

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堀川から四間道を越えた側は、町家が軒を寄せ合うように連なる地区が集中している。出格子、中二階をそなえた桟瓦葺の瀟洒な町家が、今も住居として使用され興味深い。なかには軒に屋根神様を祀っている町家もある。屋根神様は愛知県や岐阜県の古い町でよく見かける。秋葉社の場合が多く、町会でお世話されていると聞く。コミュニティが健全である証のようにも思えてほほえましい。

 

写真:米山淳一

雪国ならではの内蔵が残る増田町。荘厳な蔵の空間に圧倒される。
〈秋田県横手市〉

主屋の覆いの下に、内蔵が建つという豪雪地帯ならではの特殊な構造。蔵ごと建物に守られているので、豪勢な造りの蔵が、すばらしい状態で保存されている。

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簡素な造りの「覆屋」に包まれた内蔵は、外観からは全容がわかりにくいが、商家の通り庭のような細い通路を抜けて内蔵を目の当たりにすると、その存在感に圧倒される。白や黒の漆喰をてかてかに磨き上げた外観は、輝いている。重々しい内蔵の扉を開けて一歩中に入れば、もうそこは別世界。時代物の家財道具がずらりと並び、その奥は主人専用の蔵座敷になっている。盗賊からの守りを考慮して四寸柱を人の頭が入らない間隔で並べ、その間を漆喰で塗り籠めている。梁は二尺もあろうか、とにかく太い。柱も漆喰もピカピカに磨き上げられ、まさに工芸品の品格を感じさせる。

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造り酒屋の内蔵では、柱、梁、建具が春慶塗で仕上げてあり、また肥料店の内蔵では、扉や腰まわりの防護建具が漆塗りの繊細な建具で覆われており、たいへん印象的。どの商家も敷地はウナギの寝床のように奥に深い。そして通り沿いの主屋よりも、奥に位置する内蔵が贅を尽くした造りになっている。増田町の商家街は、蛍のように後部が光り輝いていて、明治の中頃まで「蛍町」と呼ばれたそうだ。

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増田町は横手盆地の南東部に位置する商業都市である。舟運や山形からの街道の拠点でもあり、交通の要衝として発展した。商いの主流は、葉タバコと養蚕である。明治38(1905)年に奥羽本線が全通して十文字駅ができると、より効率的な輸送によりさらに発展した。十文字駅構内は意外と広く、懐かしい跨線橋、引き込み線の跡、そして駅前の倉庫などが残っている。

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また、明治期には水力発電所や増田銀行(現・北都銀行)が成功をおさめ、この地方の産業、経済の中心地となった。さらに大正期には鉱床が発見され、銅の産出によっても経済発展を続けた。それら蓄積された富の証が、今日も商業活動の中心になっている中七日町通りにずらりと並んだ商家群である。多くは二階建ての豪壮な木造建築で、豪雪地帯らしく見た目にもしっかりした構造である。重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。

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写真/米山淳一

【出版案内】鉄道、町並み、ときどきお酒。
「続・歴史鉄道 酔余の町並み」

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「町旅」にも多く寄稿していただいている米山淳一さんの著書「続・歴史鉄道 酔余の町並み」がこの2月いよいよ発売されました。
前回の「歴史鉄道 酔余の町並み」に続く“鉄道、町並み、ときどきお酒”シリーズの第2弾です。今回も全国各地に息づく歴史的町並みはもちろん、鉄道愛好家も納得の鉄道写真や地域遺産プロデューサーならでは深く踏み込んだ視点から綴ります。歴史の町並みに、時を重ねた鉄道に、より深くコミットしたいそんな旅に携えたい一冊です。

続・酔余の町並み 中扉の写真続・酔余の町並み 中扉

 

※「歴史鉄道 酔余の町並み」も絶賛発売中!

約280年・14代続いた
伊藤藩が残した最前線の町
〈宮崎県日南市〉


薩摩藩が設けていた、領内に武士を分散させる外城制度による麓集落に対し、江戸幕府が最前線のひとつとして力を入れていたのが飫肥の城下町である。長くつづいた薩摩藩との攻防の末、豊臣秀吉の命を受けた伊東藩が、明治維新に至る約280年のあいだ14代にわたって飫肥城下を治めることになった。また、ポーツマス条約の締結など、近代日本の外交の礎を築いた小村寿太郎の出身地でもある。

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飫肥駅を降りて旧城下へ歩き、外堀の役目を果たす酒谷川を渡ると本町商人通りである。この通りは狭い旧道を拡幅しており、歴史的建造物も沿道に見られる。

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旧高橋源次郎家住宅(国登録有形文化財)は、道路拡幅で一部削られたものの、残された主屋などが公開されている。見事な近代和風住宅なので、武家屋敷を訪ねる前にぜひ訪ねたい。ここで公開施設をめぐるチケット(600円)を購入すると、格安で城下の施設を見学できて便利だ。

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拡幅された通りを右に折れると大手門通りだ。道は大手門に向かって緩やかに上り坂になっている。両側には歴史的建造物が並び、いかにも城下町といった景観がそこには展開している。武家屋敷は大手門右手の通称「武家屋敷通り」によく残っている。切り石積みにイヌマキの生け垣や門が並ぶ。旧伊東伝左衛門家住宅は公開されており、上級武士の生活をかいま見ることができる。

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武家屋敷もよいが、感動的なのは当時の藩校「振徳堂」の一部が保存されていることであろう。飫肥藩の子息がここで学んだのである。読み書き、算術、武術などを習得していたのだ。すり減った門の敷石、玄関の階段。当時のざわめきが聞こえてきそうであった。

 

写真:米山淳一

京都の美食をささえた鯖街道の起点、
若狭の魅力を満喫する!
〈福井県若狭町〉

絶景を楽しむなら、まずは国定公園に指定されている三方五湖。

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五つの湖は、海水、淡水、汽水とそれぞれ水質・水深が異なり、水の色が四季折々で五彩の変化をみせるため「五色の湖」ともいわれる。朝、昼、夕、一日を通じても、さまざまに表情を変える。

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三方湖畔にある舟小屋は、農作業用の小舟を格納する小屋。今は10棟が保存され、この地の独特の風景をつくっている。

若狭といえば、環境省の日本名水百選に選定された「水」も見逃せない。奈良・東大寺二月堂の行事「お水取り 」の水を送る「鵜の瀬 」、そしてもうひとつは雨乞いの霊地でもあった「瓜割の滝 」。どちらも口に含むと、やや甘みを感じる極上の天然水。

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とくに「瓜割の滝 」は、苔むした森の息吹に包まれ、しばらく佇んでいると、体の奥が浄化されていくような癒しスポット。「瓜割」という名前は、瓜を浸けておくと自然と瓜が割れるほど水が冷たいということに由来するそうだ。

リアス式海岸が続く若狭地方は、海産物の宝庫。古代より「御食国(みけつくに)」として、塩や海産物などを朝廷へ届けてきた。京へと続く街道沿いには、古い町並みや伝統的な食文化、祭礼などが残り、今も往時の面影が残っている。

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宇波西神社「王の舞」は、春を告げる伝統行事。豊作・豊漁、国の平安を祈る意味があり、中世頃より始まったと伝えられる。国の無形文化財に指定されている。

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「寒晒熊川くず」は、若狭湾へそそぐ北川の上流で自生する葛の根を原料とし、清流でくり返し晒し、寒風で乾燥する。まばゆい白さと、きめ細やかなとろみ、本葛粉ならではの風味豊かな逸品。海産物だけではない豊かな食文化がある。

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「熊川宿」は、若狭から京都へ至る「鯖街道」の宿場町で、重要伝統的建造物群保存地区にもなっている。奉行所や番所、お蔵屋敷の跡などが残り、街道に沿って昔ながらの用水路も流れ、美しい歴史的景観がすばらしい。豊臣時代から藩政末期におよぶ古文書・御用日記なども保存されている。

若狭・小浜は、飛鳥・奈良時代から朝廷に塩漬けした魚介類を献上してきた。小浜から京までは十八里、およそ70キロ、深い山中を抜ける険しい道である。若狭から運ばれた鯖は、京へ到着する頃には、ちょうど良い塩梅になったことから、その道はいつしか「鯖街道」と呼ばれるように。鯖は、鯖寿司や京懐石など、京料理に姿をかえ、海のない京都盆地の人々にとって貴重な御馳走となった。

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さて、さらに時代を遡るなら、三方湖畔にある縄文ロマンパークもおすすめ。若狭三方縄文博物館には、縄文遺跡から出土した丸木舟や縄文土器、鳥浜貝塚の出土物などが展示されている。竪穴式住居が再現されている縄文広場に立つと、悠久の時間の流れに身を浸すことができる。

美しい海と山、はるか都まで人と人をつないだ街道、そしてまた縄文遺跡などをめぐり、有史以来の大いなる物語に想いを馳せるのも、大人ならではの旅の楽しみだろう。

写真:福井県観光連盟「ふくいドットコム」素材集より

現存するわが国最古の機関車庫。小樽の魅力は、運河と海鮮だけじゃない
〈北海道小樽市〉

旧手宮鉄道施設にある木骨レンガ造りの機関車庫三号(国重要文化財)は、1885(明治18)年に製造された現存最古の機関車庫である。豪雪と経年のため梁に損傷が生じていたが、近年補強に鉄骨を組み込んで見事に復元された。

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1872(明治5)年、新橋~横浜間に日本初の鉄道が敷設されてから遅れること8年、幌内鉄道の手宮~札幌間が開業したのは1880(明治13)年11月のこと。幌内鉄道の敷設工事は新橋・横浜間とは異なり、英国の技術によるのではなく、米国から技術者を招き敷設している。幌内地区の豊富な石炭を、鉄道によって小樽(手宮)港まで運ぶことが最たる目的だった。蒸気機関車は米国H・K・ポーター社などから輸入されている。

庫内には日清戦争の勝利を記念して1895(明治28)年に手宮工場で製造された現存最古の国産蒸気機関車「大勝」号と、レールバスキハ03形1号が静態保存されている。車庫の中で機関車の修理ができたのもこの建物の特徴である。同館は幌内鉄道時代の手宮機関車庫を核に、北海道ゆかりの国鉄特急形キハ82系気動車をはじめ、多数の車両を保存展示して人気を博している。中でも幌内鉄道時代の貴重な蒸気機関車である1884(明治17)年米国製の7100形「しづか」号は保存車両の目玉、アメリカの西部開拓期を思わせるようなスタイルがおもしろい。

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札幌から小樽の町を訪ねるには函館本線が最適だ。銭函駅を過ぎた辺りからは、電車は石狩湾に沿って、右に左に身をくねらせながら走ってゆく。ひなびた漁村や岩礁をかすめ車窓風景はまさに絶景。進むにつれて美しい海のかなたに、小樽の町が見え始める。

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小樽駅から歩いて10分もすれば小樽運河に出る。1923(大正12)年に開削された運河は、港町小樽の発展の生き証人である。ヘドロがたまって汚い、時代遅れなどの理由から、埋め立ての動きが活発になるのに対抗して、「運河は小樽の顔」として小樽運河を守る市民運動がはじまった。1975(昭和50年頃のことである。結局、運河は半分埋め立てられ今日に至っているが、半分になっても運河を訪れる観光客は多く、北海道の人気スポットのひとつだ。

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運河近くに昔からの問屋街の町並みが残っている。歴史的建造物の大部分はお土産店、寿司、海鮮のお食事処などに変身し、観光客やカップル、修学旅行生が出入りするハニーポット化していて京都の産寧を思わせる。一歩裏へ入ると、石造りの商家や倉庫が並ぶようすが、いかにも港町の風情が漂う通りである。この地区の多くの歴史的な商家は意匠を凝らした石造りだ。商家の路地を入れば倉庫が林立、古い民家まで混在している。

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外国人坂」というエキゾチックな名前の坂道を上ると、小樽の港が一望できる高台に通じる。上がり終えたところにあるのが、1925(大正14)年建造の洋館付き近代和風住宅。海運業などで財をなした実業家、板谷氏の旧宅である。

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外国人坂の上から眺めると、眼下には港の町並みが広がり、沖合いには、わが国初のコンクリート製の防波堤が一直線に海を仕切っている。明治41(1908)年竣工、港湾土木の父と呼ばれた広井勇博士の力作である。もしこの防波堤がなかったら、小樽港の発展はなかったであろう。

 

写真/米山淳一

昭和の香り漂う食堂で中華そばを喰えば、幸せに出会う街「七日町通り」を歩く
〈福島県会津若松市〉

昭和の映画に出てくる駅前食堂を彷彿とさせる店構え、中華そばをすすりながら女将さんの話を聞けば、この土地がどんなところかがほんとうに実感できる。

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会津若松といえば、まずは鶴ヶ城だが、町歩きを楽しむなら七日町通りである。古くから越後・出羽に至る街道へとつづく、会津若松を代表する商店街である。そのため、近代に入って明治、大正、昭和を通じ会津若松の繁栄を象徴するような立派な商家や銀行など、意匠を凝らした建物が軒を連ねている。緩やかに傾斜した通り沿いには現在も、海産物などを商った渋川問屋をはじめ、擬洋風の豪壮な木造三階建ての白木屋漆器店や元郡山橋本銀行若松支店(現滝谷建設工業)、旧郡山商業銀行若松支店ほか、多くの特徴的な建物が訪れる人を楽しませてくれる。

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1992(平成4)年から会津若松市では「美しい会津若松景観賞」制度を設け、ことのほか都市景観の保全に熱心である。地域活性化をにらんだ施策に、市民団体、行政、専門家が一丸となって取り組んでいる。「街を歩けば幸せに出会う」をキャッチフレーズに、町歩きをアピールしていて、中でも優れた都市景観を形成する歴史的建造物が多いのが七日町通りである。

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七日町をめぐるなら、駅のすぐそばにある「御三階」もおすすめ。阿弥陀寺にある古い建物で、鶴ヶ城本丸から移築している。名前は三階だが、内部は密議用の部屋をそなえた四階建てになっているという不思議な建物。

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東北新幹線経由で、郡山から会津へ向かう磐越西線の車窓の楽しみは、何といっても雄大な磐梯山の姿である。猪苗代駅を過ぎたころから電車は何度も右に左に急カーブをきって、会津盆地めがけてこう配を下ってゆく。それにつれてさまざまに姿を変える磐梯山の眺めは趣深い。

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そして会津からの人気のローカル線といえば会津鉄道である。ネコ駅長の「ばす」が勤務する芦ノ牧温泉駅、大内宿、会津高原、猿楽台地など、沿線には魅力あるスポットもいっぱい。喜多方から会津若松を経て、鬼怒川温泉まで直通運転する快速列車「AIZUマウントエクスプレス」号はじめ、お座トロ展望列車などのイベント列車もあり、ローカル線ならではの魅力を満喫できる。

 

写真:米山淳一

知っていますか?「甘露醤油に柳井縞」
〈山口県柳井市〉

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海まわりの山陽本線で中心的な町が柳井である。「甘露醤油柳井縞」に代表される地場産業で、大いに繁栄した港町だ。商業の中心地であった古市・金屋地区には、現在も豪壮な白壁土蔵造りの商家がずらりと軒を連ね、かつての町の繁栄を物語っている。

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関西方面で人気の甘露醤油は、今も柳井の地場産品として健在で、醸造元は三軒を数える。約200メートル続く町並みの中ほど奥に、「甘露醤油資料館・佐川醤油蔵」が公開されている。プーンと甘露醤油の香りが漂う歴史的醸造蔵の大きな空間に身を置けば、醸造のようすを体感できる。ずらりと並ぶ大きな醸造樽は現役だ。

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道路の反対側には「しらかべ学遊館」がある。ここでは伝統的な柳井縞の実演や販売、さらに体験もできる。たくさんの手動の機織り機が並んでいる。地元の研究グループによって、伝統的な柄の伝承ばかりか新柳井縞も生まれている。 かつて柳井縞の原料は、甘露醤油を大阪に運んだ帰りに仕入れた木綿糸であった。切っても切れない関係にあった甘露醤油と柳井縞は、今も歴史的な町並みとともに柳井の輝く地域遺産である。

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ひと際目を引く重厚な国森家住宅(国重要文化財)は、かつて油商であった。白漆喰で塗り籠めた妻入本瓦葺の商家は、比較的間口が広い。土間、店の間、座敷など、江戸期の商家の形をよく留めている。

 

写真:米山淳一


国立大学唯一の繊維学部
が信州大にある理由
〈長野県上田市〉

1911(明治44)年に設立された上田蚕糸専門学校が前身になって今日続いているのが、信州大学繊維学部です。上田蚕糸専門学校は、養蚕業・製糸業の近代化のために日本で初めて設置された蚕糸専門学校で、東京蚕業講習所(東京農工大の前身)、京都蚕業講習所(京都工芸繊維大学の前身)とともに蚕糸の御三家と言われました。

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蚕都上田の冠をもつ上田には、養蚕業の隆盛を今に伝える歴史的建造物も多く遺されています。信州大学の構内敷地にも上田蚕糸専門学校時代に建てられた講堂(写真上)や、現在は資料館として利用されている貯繭子など、国の登録有形文化財となった施設があります。

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上の講堂の内部です。昭和初期の木造建築で様式はゴシック建築に分類されます。全体的にクラシカルでモダンな雰囲気の中にも学びの場にふさわしい落ち着きのある造りです。この講堂の特徴は、入口の天井、ステージの柱、アーチの縁飾り、演台などのそこかしこに蚕糸のシンボルである桑・繭・蛾のマークがあしらわれている点で、ひと目で養蚕時代の遺構とわかります。

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おなじく国の登録有形文化財となっている旧・上田蚕糸専門学校の貯繭庫として利用されていた施設で、現在は繊維学部の資料館として利用されています。二階建の赤レンガ造りで寄棟屋根に炭色の和瓦を浅く葺いた和洋折中がバランスよく調和したモダンな建築です。

 

写真:米山淳一