敵から逃げるための細工とは!?
大河ドラマのロケも行われた武家屋敷
<鹿児島県出水市>

新幹線の駅から歩いて行ける歴史的町並みのひとつが鹿児島県出水の武家屋敷街である。歩いて行けるいっても徒歩で約15分はかかるが、懐かしい商店街を通りながらの町歩きは楽しい。町家筋が連なるのは台地の裾に当たり、商店と商店の間にある細い坂道が台地の上にある武家屋敷への近道だ。

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両側に玉石積みと生け垣が続くようになると武家屋敷街である。すぐに幅の広い通りに出た。右も左も真っ直ぐに道が貫いている堅馬場である。やはり玉石積みに刈り込まれたイヌマキやユスの生け垣が整然と連なり、見事な武家屋敷の景観が展開している。

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出水の武家屋敷は東西路四本、南北路五本の街路を骨格として、碁盤の目のように街が形成されている。御仮屋に接する仮屋馬場はもっとも幅が広く、堅馬場がこれに準じている。「仮屋馬場には薩摩藩主が参勤交代時などにお泊まりになり、朝の旅立ちにはずらりと一行が並ぶことができるように幅広に造られている」と「税所家住宅」の案内の方からご教示いただいた。

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公開されている武家屋敷は現在三棟、NHK大河ドラマ「篤姫」のロケにも使用された「竹添家住宅」と「税所家住宅」は、家の内部にも上がることができ、案内の方が常駐され丁寧に解説してくれる。いずれの武家屋敷も格の高い役人の住居で、「税所家住宅」は麓集落の筆頭にあたる地頭の次の位である「曖役(あつかいやく)」である。

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主屋は、来客用の座敷と家人が暮らす日常の空間とが明確に分けられた二つ屋造りになっているのが特徴である。日常空間の囲炉裏付近には、外敵から縁の下に逃げるための細工がしてあるのもおもしろい。公開は無料である点にも注目したい。「一度来たら二度三度と見える方が多い」と案内の方が胸を張るほど、出水の武家屋敷は清楚で美しいのである。

 

写真:米山淳一

新幹線でグンっと近くなった高岡。北陸屈指の歴史遺産の町である。
<富山県高岡市>

耐火煉瓦で囲われた「菅野家住宅」の玄関。重厚であり、また不思議な空間でもある。

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北陸新幹線に乗れば東京から約3時間、かつて加賀前田藩の城下町であった高岡は、明治以降商業都市として発展した町である。国宝「瑞龍寺」をはじめ歴史遺産の宝庫であり、保存・整備されている歴史的町並みは、重伝建地区に選定されている「山町筋」と「金屋町」の二地区がある。両地区ともJR高岡駅の北側に位置しており、合わせて町歩きを決めこむにはうってつけのロケーションである。

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「山町筋」は、旧北陸街道沿いの両側に面した商業地区で、明治33(1900)年の大火で大半が消失したあと、この大火を教訓に再建された。四つ角にある瀟洒な土蔵造りの塩崎家住宅がランドマークだ。店先にかつては秤を商っていたことを物語る展示がなされている。振り向けば黒漆喰で塗り籠めた「棚田薬局」の店蔵を筆頭に、土蔵造りが延々と連なる景観は壮観である。

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山町筋観光案内所前の「菅野家住宅」(国重要文化財)は、やはり防火壁をそなえた黒漆喰の豪壮な商家である。一階の格子、下屋を支える鋳鉄の柱、二階部分の土蔵を思わせる扉、棟瓦の細工、源氏香の文様をかたどった庭の土塀など、意匠はなかなか凝っている。御座敷の四方柾の柱、紅殻の塗り壁など贅を尽くした造りも見事。現在も住居として使用されているが、御当主のご理解のもと、ミセノマ、 ホンザシキ、ブツマなどを一般に公開している。

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西側の御馬出町方面は、白漆喰を塗り籠めた町家が連なる町並みに、富山銀行本店の洋風赤レンガがアクセントを与えている。手入れの行き届いた建物で、高岡の商業都市として栄えた当時の模様を今に伝えている。この歴史的景観に配慮して、道を挟んだ反対側のスーパーマーケットがファサードをそれらしく修景していて興味深い。

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さて、加賀前田藩の収入源のひとつが高岡の鋳造業であり、その鋳造業の拠点が「金屋町」である。山町筋とは違い商家は木造が中心で、道路は景観に配慮した石畳となっている。格子や袖壁をそなえた、北陸地方の特徴を色濃く残す品格ある建物が連なっている。現在でも鋳造は行われており、建物の前面は店の間、奥に作業場が設えられている。

 

写真/米山淳一

日本三大車窓から望む! 棚田と名月の里「姨捨(おばすて)」
〈長野県千曲市〉

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1347枚の水田からなる姨捨の棚田です。姨捨(おばすて)は姨捨山で有名な棄老伝説からくる地名。映画の題材にもなりました。地名とは裏腹に国の名勝で重要文化的景観にも選ばれています。棚田近くの長楽寺から眺めると水を張った棚田ごとに月が映りこむことから「田毎(たごと)の月」と呼ばれ、国内有数の名月観賞スポットとしても有名です。写真の季節は夏。田んぼに水をたたえた春先とは、また違う趣きがあります。

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根室本線の狩勝峠(北海道)、肥薩線の矢岳越え(九州)と並んで、日本三大車窓に数えられる姨捨へは、長野県の篠ノ井駅から塩尻駅までを結ぶ篠ノ井線を利用します。姨捨駅を通過する列車の車窓からは、棚田を介して善光寺平を一望する、スケールの大きな風景が見られます。

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姨捨棚田に行く途中の山のふもとのところに重要伝統的建造物群保存地区にも指定された稲荷山地区があります。江戸期には、善光寺西街道(北国西街道)の最大の宿場町として栄えてきた歴史があり、そのあと明治期になると、繭や生糸の集散地として重要な役割を担うようになりました。

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明治以降は、絹織物と生糸の商いでも財を蓄え、多くの織物商人たちがこのような立派な土蔵を築きました。写真は、このあたりで最も立派な土蔵を持っている山丹という店。現代の「社長の家(豪華な家の喩え)」は当時はおそらくこのような家を指したのでしょうね。土蔵造りになる以前、江戸時代には、ここは全部まだ茅葺きの家でした。

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昔、料亭だった建物もまだ残っています。料亭跡です。土蔵もあります。この町の建物の屋根の勾配がきついのは、1847年に善光寺地震があった際に稲荷山でも大火が起こり、その時に全部耐火性の強い土蔵造りに変えたためです。観光資源として、また美的景観として、現代の多くの日本人や外国人観光客を魅了する美しい茅葺きの家は、残念ながら「火事に弱い」というのが弱点のようです。

 

写真:米山淳一

大正・昭和のモダンな風情を残す町並みと4000年の時を超える縄文集落跡
<岩手県一戸町>

一戸の町並みは、かつて国道であった道沿いに看板建築や木造の商家、旅館などが並んでいる。往時はそうとう大きな町であったことを連想させる町並みは見事である。

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懐かしい店構えが多く目につくが、中でも「平孝商店」はユニークだ。荒物屋なのか雑貨屋なのか?箒やスコップほか、日用品がところ狭しと並べられている。

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向町辺りには、平入りで木造二階建ての間口の広い商家が並ぶ。プロポーションが美しい。店いっぱいに本が並ぶ一守書店の看板には、色あせたドラえもんがほほ笑んでいる。どこか大正から昭和の香りが漂う映画のシーンを思い起こさせる町並みである。

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駅前からの道が萬代橋を渡ったところから左に直角に曲がって続いているが、ちょうど突き当たりの位置に古めかしい映画館が建っている。それが「萬代館」だ。スクラッチタイルを腰に巻いた鉄筋コンクリート造りの建物はモダンで、ロケーションといい存在感といい、一戸のシンボルである。現在もカシオペア映画祭などを開催していて、有名な映画スターも招かれている。特筆すべきは映写機で、1956(昭和31)年のフジセントラル製、カーボンアーク方式というのだそうだ。

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いまはただの路地のように見えるが、町中を貫く旧奥州街道である。

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古き良き時代がそのまま保存されているような駅前の蕎麦屋。1968(昭和43)年10月の東北本線全線電化まで、急こう配や急カーブの連続する峠越えの難所を越えるため、補助のD51形蒸気機関車の基地として栄えたという。往時は、機関区の国鉄職員御用達だったらしい。

 

そして、駅からタクシーで5分ほどのところに、御所野遺跡はある。現在は公園として整備されているが、縄文時代中期後半(4000~4500年前)の集落跡だ。土屋根住居や樹皮葺き住居、掘立柱建物などが復元されており、配石遺構はそのまま展示されている。大正・昭和の町並み、そして縄文の遺跡、悠久の時間の流れについて考えさせられる町である。

 

写真:米山淳一

津軽じょんがら節が響く美しい北の町
<青森県弘前市>

りんご、ねぷた、武家屋敷、弘前城・・・・魅力満載の津軽地方の中心都市。

地元の人たちが集う居酒屋で、津軽三味線の生演奏が聞ける。地元で人気の酒「じょんがら」を呑みながら、迫力満点の津軽三味線のライブを堪能する。いわゆる三味線とは、まるで音がちがう。腹の底へ響くような情念を感じる音だ。

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「ほや」は、新鮮さが命。やや癖があるので、はじめて食べる人が皆美味しいというのもではない。とはいえ、食べてみると、ちょっとしびれるような渋味が病みつきになる。「ほや刺し」「ほや酢」「ばくらい」など、料理の仕方で微妙に味が異なり奥が深い。弘前では「ほやは塩水で食べる」のが一般的なのだそうだ。

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町を歩くなら、重伝建地区に指定されている仲町の武家屋敷群がおすすめ。かつては中・下級武士の居住地だったそうだ。江戸期の津軽地方では武家・農家・社寺でサワラの生垣を設けるのが一般的だったそうだが、サワラの生垣が延々と続く風景は格別である。

仲町では4棟の武家屋敷が保存・公開されており、当時の武士の住まいの様子を見ることができる。冠木門や薬医門をそなえ、主屋は茅葺屋根の建物が主流だ。

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仲町の武家屋敷のみならず、弘前は歴史的建造物の宝庫である。石場家住宅は商家で、土間やお座敷に生活感があふれている。

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他にも、教会や銀行など、洋風建築も多く、町全体に歴史的風土が残っている。

北の町で味わう、美味しい酒と肴、そして趣のある町の風情、そして津軽三味線、何度でも訪れてみたい町である。

 

写真/米山淳一

霊峰「大山」の麓にひっそりと息づく農村集落「所子(ところご)」
〈鳥取県大山町〉

古くからの景観が残っている農村といえば、山間の村落がおおいのだが、こんなに開けた土地で伝統的な集落が残っているのは珍しい。広い水田に囲まれた集落の風景は、まさに日本の原風景といえるだろう。

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中世には京都の下鴨社領であったという所子集落。近世初頭頃には現在の集落の祖形が形成されたそうだ。集落内を通る大山参詣道(坊領道)沿いには、門脇家住宅(重要文化財)、南門脇家住宅(県指定保護文化財)、東門脇家住宅・美甘家住宅(国登録有形文化財)など、近世から昭和初期に建てられた貴重な建築物が残っている。また、大山から日本海へ流れる阿弥陀川から引いた水路には、きれいな水が豊富に流れ、かつての農村集落の景観がよく保存されている。

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江戸時代には大庄屋を勤めた門脇家住宅の主屋は、明和6年(1769)の建築になる寄棟造茅葺の大型民家である。土間の上手には三列九室からなる広い居室部を設け、巨大な梁が交錯しているとても豪壮な建築である。山陰地方の民家建築を代表するものといっていい。

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出雲地方で産出される「来待石(きまちいし)」を加工した棟石。端部が反り上がったハナイシと端部以外のヒライシを棟に乗せてある。強風や積雪に対応した山陰地方独特の素材である。

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旧所子郵便局。大正7年に門脇家が自宅の一角で開設したが、その後駅前へ移転され、いまは看板とポストが残っている。

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賀茂神社は、所子に残る唯一の神社で、明治以降に周辺の神社を合祀している。本殿は、大正初期頃は千木を付け檜皮葺の社殿であったが、現在の社殿は大正3 年(1914)に造営されたもの。

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「サイノカミさん」は、疫病や災厄が村に入るのを防ぐとともに良縁をもたらす神。現在も12月14日の深夜に、しめ縄を張り替え藁馬を供え、近くの木に大草鞋を吊るして祀りをするのだという。貴重な古い習俗が息づいている。

所子は、阿弥陀川の水利を利用した田畑を生産基盤として発展した農村集落で、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。伝統的な建築物はもちろんだが、古い地割や集落の構造、集落内や農地をめぐる水路など、伯耆地方の伝統的な農村集落としての歴史的風致を形成しているところがすばらしい。

 

写真/岡崎聡

巨大なアーケード商店街の先は江戸時代から煙草の生産地
〈徳島県三好市〉

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「うだつが上がる」とは、昔から出世した証に使われることでよく知られた表現だ。 吉野川沿いに発展した町には、「うだつ」をそなえた町家が多く見られる。この町が発展した理由は刻みたばこの製造だ。江戸後期から1979(昭和5)年頃までの長きにわたって、近隣の農村で栽培された葉タバコの加工をしていたのである。

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阿波池田駅に降り立って驚くのは、大きな屋根を架けたアーケードの商店街が駅前から真っ直ぐに伸びていることだ。人、車、バスまで通るアーケードはなかなかお目にかかれない。アーケードを抜けた突き当たりを右に折れた本町通りに、通称「うだつ通り」はある。

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通りの目玉は「阿波池田たばこ資料館」だ。かつて特産の「阿波刻みたばこ」を製造していた明治期の町家で、立派なうだつが目を引く。現在は三好市が所有しており、「阿波池田うだつの家」と銘打って、資料館のほか市民の交流施設として活用されている。

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資料館ではかつての作業場である土蔵造りの建物を使い、製造工程や製品の輸送、作業機械など、一連のさまざまな展示がなされている。胸をはだけた女が煙管で刻みたばこを吹かす歌麿の浮世絵の写しまで展示され、古くからたばこが生活文化として根付いていたようすを実感できる。

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もうひとつの注目は品物の輸送に用いられた吉野川の舟運である。平田船と呼ばれる帆船で川を下り徳島に向かい、大阪方面や北前船に乗せ換えて各地へ運ばれていった。平田船は独特の形をした帆船で、民家の棟瓦の装飾にその姿を今でも見ることができる。町に富をもたらす吉野川舟運のシンボル的存在なのかもしれない。

 

写真:米山淳一

急勾配の難所に突貫工事で鉄道敷設~明治日本の切迫した事情とは
〈群馬県安中市〉

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通称「めがね橋」でも知られる旧信越線の碓氷第三橋梁(うすいだいさんきょうりょう)。ここでもやはり絹が大きく関係してきます。この66.7%という日本一の急勾配に鉄道を運行させるのは当時でも至難のわざでした。その解決には、わざわざイギリス人技師ポーナル氏を招聘して「アプト式」というドイツの山岳列車ですでに実用化されていた方法がとられました。

この難事業が明治中期という比較的早い時期に行われたのは、これが太平洋側と日本海側を結ぶ重要な交通路であり、さらに言えば繭と生糸の輸送という日本の近代化の礎を支える外貨獲得のための重要な鍵を握っていたからで、横須賀製鉄所や富岡製糸場の建設と並び、国家の命運を左右するほどの重要事業であったからです。

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碓氷峠のアプト式鉄道路線は、新線ができて現在は廃線となっていますが、この廃線敷を利用した「アプトの道」は現在は遊歩道として人気を集め、鉄道ファン以外にも訪れる人が増えています。

この横川〜熊ノ平間の6kmの行程(遊歩道)中、めがね橋を渡り終えたところにあるのが上の写真の第6号トンネルです。第10まであるトンネルの中で、550mと沿線最長であり、トンネル内部の中ほどに横坑があるのが特徴です。

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松井田と軽井沢の間にある旧信越本線の鉄道施設群の1つとして、碓氷第三橋梁(めがね橋)などと共に国の重要文化財に登録された旧丸山変電所。重要文化財に登録される以前は、昭和38年に使用を中止して以来、廃墟同然に放置されてたのが、現在では美しく修復を施され鉄道遺産として観光スポットになっています。

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碓氷峠鉄道文化むらには、30車両以上もの現役を退いた往年の名選手ならぬ鉄道車両たちが展示されています。写真のアプト式電気機関車ED42 1は、鉄道文化むらの資料によれば、66.7パーミルの信越本線 横川~軽井沢間(平成9年9月廃線)を上下するために昭和9年から28両が製造された機関車で昭和38年に、アプト式ではない通常のEF63形に譲るまで活躍していた車両。この車両には昭和初期の紳士ファッション「フロックコートに山折帽・ステッキ」がよく似合いそうですね。

 

写真:米山淳一

すべては絹のため〜ノコギリ屋根が絹糸づくりに欠かせない理由とは
〈群馬県桐生市〉

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古くは奈良時代から続く織物の産地として有名なのが桐生です。「西の西陣、東の桐生」と言われてきました。織物工場に特徴的なのがこの「のこぎり屋根」です。桐生だけで約200あります。北側に明かり採りをつくって採光することで、1日を通して均一の柔らかい光が入り、織物の色合いを見るのにちょうどいい光具合になるそうです。この現存するノコギリ屋根の工場のうち、レンガ造りのこの建物は貴重で、桐生では最後の1つ。現在はベーカリーに利用され観光スポットになっています。

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商工会保有のゲストハウス「桐生倶楽部」です。モダンで贅沢な洋館が人目を引きます。絹織物や反物で潤ったぶん、こうした建物にも十分なお金がかけられたのでしょう。使い道は迎賓館として商談に利用したり、講演会や会議にも利用されてきたようです。桐生明治館や桐生織物記念館とともに近代化遺産に認定されました。

写真:米山淳一