日本遺産の物語

北総四都市江戸紀行・江戸を感じる北総の町並〜伊能忠敬を育んだ「小江戸」さわらの町並み散歩
〈千葉県香取市①〉

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「北総の小江戸」と呼ばれ、小野川沿いに江戸情緒をそのまま残す懐かしい町並みが連なる佐原(さわら)は、江戸時代には舟運による商都として栄えました。平成8年には、関東でもっとも早く重要伝統的建造物群保存地区に指定されたことでも知られています。
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江戸時代には「お江戸見たけりゃ佐原へござれ、佐原本町江戸優り」と歌われたように北総随一の繁栄を極めた過去を持つ佐原は、“江戸優り(まさり)”と呼ばれました。
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舟運により江戸の物流を支えた小野川沿いには商家ごとに荷物の荷揚げ場として「だし」が設けられており、現在それらはサッパ舟の船着き場として利用されています。
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川をはさむ小江戸の町並みには柳並木がしっくりと馴染みます。
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両岸には木造や蔵造りの商家が並び、まるで時代劇のセットの中にいるよう。
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小野川沿いの舟めぐりも人気。女性の船頭さんが巧みにサッパ舟を操ります。
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伊能忠敬(いのうただたか)旧宅前の樋橋(とよはし)では30分ごとに樋からの落水が見られ、町並みに似合う心地よい落水音が情緒をいっそう引き立てます。
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この樋(とよ)というのは、昔、小野川をまたいで農業用水を通すために作られた木枠の用水路のこと。(現在のものは観光用に作られた新しいものです)。その樋の上に板を渡して「樋橋」となり、樋橋の両側からあふれた水が川に落ちる「じゃーじゃー」という音から「ジャージャー橋」とも呼ばれています。
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小野川と落水が名物の樋橋が交差するところにある伊能忠敬旧宅。“日本地図の父”と呼ばれる伊能忠敬は佐原が生んだ偉人と言われています。
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九十九里で生まれた忠敬が伊能家に婿入りしたのは宝暦12(1762)年、17歳の時のことでした。
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当時の伊能家は米の売買や酒造りを営む大きな商家で、地元の名主と言われる家柄でした。そして商家の主人として49歳まで実直に家業に邁進し、大きな財も蓄えます。測量は幕府の「委託事業」でしたが、忠敬の『測量日記』を読むと、享和1年(1801)6月時の測量では全体の費用のうちの6割もが「自腹」だったとあり、忠敬のように財がなければ成しえなかった事業だということがわかります。(上は店舗だった建屋の内部)。
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忠敬は49歳で隠居してから天文学を学び、55歳から日本全国を廻って測量を始めたといいます。
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55歳から始めた忠敬の全国測量は合計10回にもわたり、歩行距離3万5千キロ、なんと地球1周分に匹敵するそうです。
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始めたのは1801年。すべての測量が終わったのは1816年。15年にもわたる歳月でした。その2年後に73歳で亡くなっています。忠敬の残った弟子たちによって『大日本沿海輿地全図』が完成したのは、それから3年後となる1821年のことでした。(写真は書院の居室)。
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忠敬と伊能家の質実剛健さが伝わってくるような居室の佇まい。(写真は書院の居室)。
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障子を開け放つと涼しい風が建屋を通り抜けていきます。和の家の素晴らしさを体感!(写真は書院)。
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伊能家の土蔵。佐原でも古いほうの土蔵で忠敬が婿入りする前からここにあったものです。
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伊能家旧宅の炊事場。昔の炊事は現代と違って、土間でおこないました。
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伊能家旧宅を通る農業用水路。江戸時代には、上流から下流の田に水を送る農業用の水路として使われました。
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伊能家旧宅の正面。白壁とひさしが特徴的です。この店舗用の建屋は土蔵造りです。
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伊能家を出て、小野川沿いの町並みへふたたび。存在感のある黒壁の土蔵が目を引きます。IMG_7323
厚い木の両開き扉が趣ある土蔵の隣には千本格子の切妻の家。
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小野川沿いには洋館も。和の町並みにもよく馴染んでいます。手前の町家の窓の格子は、よく見ると長短2本ずつが交互に組み込まれたもので、海野宿ではこれを「海野格子」と呼んでいました。佐原の町家には格子の種類もいろいろあるので、見比べて歩くのも面白いかもしれません。
 
写真:乃梨花

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乃梨花(「町旅」女子部)

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