信仰の山・比叡山麓で、神と仏の出逢いを想像する
<滋賀県大津市②>

安土桃山時代から江戸時代にかけて、比叡山で修行をする僧が高齢となると、天台座主から山麓に隠居所として里坊を賜った。それらが「日吉大社」の参道を中心に、いまも50以上あり、昔日を偲ばせる伝統的景観をつくりだしている。「坂本」というのは、比叡山の坂の下という意味だそうだが、古くから延暦寺・日吉大社の門前町として栄えた町だ。京阪坂本駅を降り左手へ、大きな看板のある日吉そばをすぎると、日吉大社の二の鳥居をくぐる。そこから両側に里房が並ぶ広い参道がつづき、やがて日吉大社の赤い鳥居が見える。

この鳥居をくぐると森閑とした空気が漂いはじめ、清水が流れる大宮川に架かる石橋を渡ると山王鳥居が見えてくる。この鳥居、すこし変わった形をしている。ふつうの鳥居の上に三角形の合掌組と束がついている。神道と仏教が結びついて生まれた、山王神道の教義を形にしたものなのだそうだ。ここ日吉大社は、全国各地に3,800余りある山王権現の総本宮。平安時代に本地垂迹説によって、神には権現という称号が与えられ、天台宗の寺院には鎮守として必ず山王社が建てられたため、山王信仰は天台宗の興隆とともに全国に広まったのだという。延暦寺と日吉大社の結びつきは、まさに神仏習合思想の歴史に裏打ちされている。日本古来の神が外来の仏教思想によって根拠を与えられたというのは、日本の神にとっては忸怩たる想いだったのだろうか、あるいは仏教とうまく融和した神のしたたかさと見るべきだろうか、双方向に考えられるのが歴史のおもしろさだ。いずれにせよ、神も仏も排除し合うことがないこの思想風土は、もっと世界に誇っていいものではないかと思う。

日吉大社の歴史は、およそ2100年遡ることができるのだとされている。境内には、国宝に指定されている東本宮・西本宮の本殿はじめ、重要文化財である大宮川に架かる三つの石橋、猿の彫刻がある西本宮楼門、7基の神輿など貴重な歴史遺産が多数ある。傾斜地にある境内には山からの湧水だろうか、いたるところにきれいな水が流れており、点在する建造物はいずれも見事である。

また、この地は平安京の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除け・災難除けを祈る社であり、その象徴となったのが神様のお使いである「神猿(まさる)」さん。比叡山に猿がたくさん生息していたことと関係していたのか、何時頃からか「まさる」は、“魔が去る”“勝る”に通じる縁起の良いものとして大切にされてきたのだという。境内の神猿舎にはケージのなかにお猿さんがいる。

さて日吉大社の参道を戻って、日吉そばを右へ折れると、旧街道の風情がたっぷりの町筋へ入る。すぐ右手に見えてくるのが「鶴喜そば」本店。すこしお腹も減ったので、昼食をとることに。店に入って、とろろそばを注文した。と、「今年は創業三百周年なので、記念にそばつゆをプレゼントしています」とおっしゃる。へえ~、三百周年!ですか。なるほど京都あたりで百年やそこらで老舗というと冷笑されるともいうが、時間のスケールがちょっと違う。享保初年(1716年)に開業し、いまは八代目と九代目が切り盛りされているのだそう。蕎麦が美味しいことはもちろんだが、ただの味覚としては表現できない何ものかがある、そう感じた。

「鶴喜そば」さんを出て右手へ向かうと、古い商家の連なる見事な町並みが続いている。虫籠窓(むしこまど)のある大きな瓦屋根が、昔日の面影を色濃く残している。このあたり一帯は、重伝建地区に指定されている。

石畳はおそらく近年整備されたものと思われるが、側溝の蓋にも石材が施され、景観に配慮しているのがよくわかる。

下り坂を眺めると、手前に京阪の踏切、遠くにJR湖西線、その向こうに広大な琵琶湖が見える。道を右へ入ると上りになり、左へ入ると下りになる。坂本の町というのが、比叡山麓が琵琶湖へ落ち込む際の傾斜地にあることがよくわかる。

傾斜地にある坂本はまた、石積みの町でもある。建物を造るには必ず盛土が必要なので、神社や寺院などはもちろん、町中のいたるところに石垣が積まれている。写真(右下)のものは、道沿いに百メートル以上も続いているだろうか。京阪電車の坂本から二つ目に穴太(あのう)という駅があるが、このあたり“穴太衆”と呼ばれる石工集団を生んだ土地である。彼らが積んだ石積みは「穴太積み」と呼ばれ、いわゆる野面積みの一種で、自然石を組み合わせてつくる石垣である。一見粗野にも見えるのだが、積石の比重の設計が巧みで、小石を上手く利用した排水の工夫など、穴太衆秘伝の技法が駆使されており、その堅牢さには定評がある。なんでも織田信長が安土城を建てたとき、穴太衆が石垣の造営にかかわり、その技術の素晴らしさが各地へ伝わった、そういう伝説も残っている。

地蔵堂の前に「坂本一丁目」の表示、「庄之辻」ともある。この庄ノ辻から山手に向かい、裳立山の中腹を巻いて無動寺へ行く道は、回峯行の道なのだという。

「公人(くにん)屋敷」は、延暦寺の諸事運営などをする公人が住んでいた住居。数多く残るこのような屋敷も、ほとんどは内部が大幅に改装されているが、この旧岡本邸は原型をよくとどめているため、大津市指定文化財として保存されている。主屋の奥に、米蔵と馬屋があり、主屋は江戸末期の建築とされ、往時の公人の生活がうかがえる貴重な遺産となっている。

樹齢200年ともいう大きな楠がある「日吉御田神社」ほか、町を歩いているといくつもの鳥居があり小さな祠があり、あるいは地蔵や御堂などもたくさん目につく。古来より信仰に培われてきた土地だということだろう。

紅葉の名所である日吉大社は、秋にはかなりの観光客でにぎわうが、普段はそれほど人出は多くない。シーズンともなれば人ごみを見に行くかのような京都とちがって、ゆったりと歴史空間を味わうことができる。もし比叡山へ上る機会があるなら、ぜひ坂本へ立ち寄ってみることをおすすめする。

INFORMATION

地図

レポーター

岡崎 聡

「町旅」編集部

関連タグ

関連記事

エリア

(Categories)

タグ

(Keywords)

すべてのタグを見る

おすすめ記事