近代日本のシルクロードを辿る④


すべては絹のため〜なぜ高崎は
北関東最大のハブ駅となったのか?
〈群馬県高崎市〉

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長野と並んで関東圏のシルクの一大産地である群馬で、その生産されたシルクを運ぶために欠かせなかったのが鉄道の敷設です。群馬や長野で生産された「生糸」や「絹織物」などを横浜まで運ぶため、明治14年に日本鉄道株式会社が創設され、翌年の明治15年にはこの区間でもっとも重要な高崎線の工事にかかり、明治17年には上野~高崎間がぶじ開通しました。
 
すでに現在では7本もの路線が交わる北関東最大のターミナルとなった高崎ですが、今日このような鉄道網が形成されるに至った経緯にも「すべては絹のため」と言えるほどの深いつながりがじつはあったのです。
 
また高崎をハブ駅にして国を挙げての絹(生糸・織物など)輸送のための整備を急いだ理由にも、同じ群馬で世界遺産に認定された富岡製糸場の成立過程とほぼ同様の背景が・・。
 
ペリーの黒船艦隊による来航をきっかけにして江戸期・徳川幕府とともに長く続いた鎖国に終わりを告げた日本は、横浜港を始めとする全国5か所の港を開港します。同時に欧米列強の脅威を背景に「富国強兵」を急ぎました。その富国のための「殖産興業」として当時もっとも外貨を稼ぐ輸出品目だったのが生糸であり、それこそ国を挙げて全力でこれを推進したわけです。
 
写真:photolibrary
 

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