近代日本のシルクロードを辿る②


もっとも美しい村のひとつに数えられる
昭和村と田圃の中の美しい家
〈群馬県利根郡〉

群馬県の北部、新潟県との県境に近い、やや標高の高い場所に位置する昭和村は、日本百名山と謳われる武尊山や谷川連峰、榛名山などがそびえる隣接地に立地するため、眺望に優れ、日本でもっとも美しい村のひとつと言われています。また集落部では大型の養蚕民家が美しく保存されたまま点在し、歴史を残す家並みと自然とが見事に融和した景観をかたちづくっています。
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昭和村の中でも、ひときわ美しい養蚕民家です。切妻造り、高窓のついた屋根とせりだした外の渡し廊下、出梁(でばり)を持つ群馬県北部に特有の養蚕に適した建屋構造です。これら養蚕農家に共通する住まいの構造は、おもに1階が住居用、2階以上が蚕室用で、蚕室は蚕の生育に適した仕切りのない広々として風通しのよい板敷きの部屋になっているものが多いようです。
027この家の高窓。はっきり向こう側まで透けてみえます。地域によっては「気抜け」とも呼びます。スースーしていかにも風通しがよさそうですね。もちろん蚕の生育にとって何より大切なのがこの通気なのです。もともと野生の蚕は病虫害に弱く、飼育環境に左右されやすい生き物でした。それを製糸業が明治の国策(殖産興業)となり、質の高い蚕糸を安定的に供給することが求められた結果、蚕の生育に配慮された環境と設計がすみやかに整えられていったわけです。
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こちらもかなり大きな家。家というより、工場のようです。間口だけで十間くらいはあるでしょうか。家の規模から「豪農」と言っても良いと思います。とうぜんこんな住居を所有できるくらいですから、やはり当時、多くの人々が養蚕業によって富の恩恵に授かったのでしょう。歴史的にも国の掲げる殖産興業は蚕糸業によってほぼ成功し、明治初期の日本の国富を支え、生糸と蚕種の輸出によってもう一方の国策であった富国強兵までも実現させました。
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先で紹介した民家に劣らない大きな2階建の邸宅です。しかもなんともユニークなこの植木。右端のニュ~ッと筆のように太くカーブして伸びているのはコウヤマキでしょうか。屋根の上に通気孔となる高窓(越屋根または櫓とも呼ぶ)が3つ見えているのと、2階の外に張り出した「出梁(でばり)」の様子から養蚕農家の建物だとすぐわかります。
 
写真:米山淳一

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