山手西洋館めぐり#06 外交官の家
〈神奈川県横浜市〉

山手地区にある洋館の中で、唯一国の重要文化財に指定されているのが、山手イタリア山庭園にある「外交官の家」です。ご覧のように庭園のアプローチから目にする館は、まるで「丘の上の館」のイメージそのもの。この丘の上に建つモニュメンタルな館は、すでに山手地区のランドマークにもなっています。
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この家は、ニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などをつとめた明治政府の外交官・内田定槌(さだつち)の邸宅として、明治43(1910)年に東京の渋谷区南平台に建てられました。当時の渋谷は谷が入り組んだ坂や斜面の多いまちで、旧内田邸をはじめ明治末期の日本人邸宅は、こうした土地の形状をうまく利用して屋敷をつくっていました。この頃はまだ、江戸時代の大名下屋敷の作り方が土台になっていました。
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現在ここにあるのは、平成9(1997)年に内田定槌氏の孫にあたる宮入氏から同館の寄贈を受けた横浜市が、この場所に移築復元したものです。アメリカン・ヴィクトリアン様式を取りいれた華やかな装飾が特徴で、室内はアール・ヌーボー調の家具や調度などが可能な限り再現され、当時の外交官の暮らしの雰囲気をいまにつたえています。
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設計者はジェームズ・マクドナルド・ガーディナー。アメリカ人で明治13年に米国ミッションから派遣され、立教学校(現在の立教大学)の初代校長まで務める一方で、建築家としても才能を発揮しました。設計した40棟ほどの建物のうち、現存している建物はわずか10棟ほどですが、その多くは文化財などに指定されています。代表作には京都聖ヨハネ教会堂などがあり、建物に淡麗な表情を与える才に優れていたそうです。
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移築前に住居として使用していた頃には、こちらの正面玄関を使用していました。この建物の特色は和館が並置されていたことです。日本の洋館はもとは接客用で、日常生活は日本家屋で行うのが中心でしたが、明治末期より洋館を日常の場とするスタイルが一般の住宅にも普及していきます。旧内田邸も洋館が生活の中心で、日本家屋は使用人部屋や台所からなる付属屋的なものでした。令嬢の部屋が日本家屋にあった理由は、あくまで親心で、洋式生活がまだ一般的ではない当時、嫁ぎ先で困らないようにという優しい心遣いだったそうです。
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建物からは、遠くにみなとみらいの町と美しく手入れされた西洋庭園がのぞめます。
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邸内です。わかりやすく、家の玄関扉から順番に見ていきます。玄関と玄関ホールを仕切るのは、アール・ヌーボー風ステンドグラスの両扉です。この洋館の優美なステンドグラスはすべて100年前のものだそうです。
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家の玄関ドアには、すりガラスに内田家の家紋「丸に剣三つ柏」があしらわれています。
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正面玄関を入ってすぐ左手には、賓客の供の人が主人の用事が終わるのを待つための小部屋(供待室)があります。現在この部屋の暖炉上に掛かっているのは、設計者であるガーディナー氏の写真です。京都にある「長楽館」の設計も同氏によるものです。
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ステンドグラスの両開きドアから玄関ホールに入ると、左側に階段、右側に大客間、そのまままっすぐ進んだ突き当たりには食堂室があります。
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大客間です。大切なお客を通した応接空間で、ピアノが置かれていた時期もあったそうです。
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小客間です。晩餐会の際、ここで食事の用意を待ったり、食後のお茶を楽しんだりしていたそうです。家族でいる時は、食後の団欒や憩いのひと時に用いられ、そのほか気軽な応接間兼居間として使用されていたということです。IMG_1191r
小客間の造り付けの暖炉型ストーブの横にはアールヌーヴォー調のペイズリー模様があしらわれたチェアが控え目に置かれていました。逸品の持つ上質さがじわっと伝わってきます。
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サンルームです。この建物は、南平台から移築するさいに、南平台と同様に「地形に対応した配置」を軸に移築されました。そのさい、塔屋と谷との地形の関係で元の建物と方位が90度変わってしまっています。その影響で各部屋と日照の関係が変化し、本来の日照ではないものの、開放感のある明るいサンルームという印象を受けました。当時は家族の憩いの場だったそうです。
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玄関ホールと小客間から通じる食堂は、家族の日常的な食事のほか、賓客を招いての晩餐会も行われていました。定槌(さだつち)の日記によれば、たとえば、彼がスウェーデン在勤の時は、毎週のように自邸で晩餐会が開かれており、来賓は外務大臣や各国公使を混じえ、主従併せて20人近く。宴は夕方から深夜にまで及んだようです。
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食堂にある英国製のマジョリカタイルでしつらえた暖炉型ストーブは、蒔型のブロックにガスの火が映り込んで、蒔が燃えているように見えるしかけです。
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階段の中段にある段違いに3つ続く窓は、ユーモラスで楽しく感じられます。
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2階の書斎です。2階はおもに内田家の人々のプライベートな空間でした。この書斎は、外交官らしく書棚に囲まれた部屋で、定槌がひとりの時間を過ごしたといいます。造りつけ書棚の中に納められているのは、定槌の和洋の蔵書の一部です。上部の磨りガラスの窓は隣接するクローゼットの明かり取りと空気抜きになっています。また、部屋のつくりは、アーチ型の入り口や柱など、随所にさりげない装飾がみられます。
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書斎のデスクです。この外交官の家は、当時の住空間の再現をテーマとしているため、洋館の室内では出来る限り家具と調度を再現し、濃厚な生活空間の復元を試みているそうです。この書斎のデスクとチェアもそのような趣旨でなければ、ふだんなかなか目にすることがないような上質のものでした。
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邸内の照明も、他と等しく型や意匠はできるだけ当時のものに復元されています。また照度(明るさ)についても、“すぐそこで生活が営まれているような臨場感”を見学者が体感できるように住宅本来の照度に設定されているため、公共施設としては暗めの室内となっています。
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主寝室です。夫妻の寝室だったこの部屋は、広々として開口部が多く、1階に比べて色調も明るめ。かつて広い芝が広がっていた方角にはベランダがついており、広いクローゼットもついています。
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窓際にはくつろぎのスペースが。夫妻の仲むつまじい姿が今にも見えてきそうです。
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寝室から続く八角形の小部屋(サンルーム)は、陽子夫人がプライベートルームとして使っており、特に晩年はこの部屋を好んで使用していたといいます。白い暖炉型ストーブのあとがあり、壁には呼び出し鈴の押しボタンが取り付けられています。
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建物の接続部などには、まだ和館の名残りが残っています。和館の再現も見たかった、と思うのはやはり欲張りでしょうね?
 
写真:乃梨花
 

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乃梨花(「町旅」女子部)

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