風待ち、潮待ち、江戸の風情を伝える瀬戸内の港街「御手洗」
〈広島県・呉市〉

江戸時代より「風待ち、潮待ち」の天然の良港とされ、人と情報が集まる海上交通の要衝地として十八世紀に急速に発展した町。最盛期には、4軒の「茶屋」をはじめ花街が栄えたという。
御手洗01
「御手洗」という地名の由来としては、神功皇后が三韓侵攻の時、この地で手を洗われたという伝説、また菅原道真公が大宰府に向う途中で、この地に船を着け手を洗われたという伝承がある。
江戸、明治、大正、昭和初期までに建てられた貴重な歴史的建造物が残っており、平成6年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。
御手洗02
乙女座」(おとめざ)
昭和12年、当時の建築技術の粋を集めて建てられた、花道や奈落そして二階桟敷も備えたモダンな劇場。戦後は映写設備を備え昭和30年代まで映画館としてにぎわった。その後、みかんの選果場となったが、2002年に復元され、現在は劇場としても使用される一方、普段は一般に公開されている。
御手洗03
船宿カフェ「若長」(わかちょう)
かつての船宿で営業するカフェ。二階の座敷から、瀬戸内の海を眺めていると、時の経つのを忘れてしまう。
御手洗04
若胡子屋」 わかえびすや
悲しい逸話「お歯黒事件※」の伝説も残る遊郭跡。江戸時代には広島藩公認の御茶屋で、屋久杉など上質な建材で作られた佇まいからは、花街・御手洗の隆盛が偲ばれる。一時は百人からの女郎がいて、たいへん繁盛したらしい。
幕末、広島藩と長州藩の倒幕協力の密約「御手洗条約」が結ばれた金子邸の向かいにあるので、坂本竜馬や中岡慎太郎もここで遊んだかもしれないといわれている。
御手洗05
伊能忠敬が大崎島の測量時に宿舎にしたといわれる「旧柴屋」周辺。ひっそりとした町の佇まいがすばらしい。
御手洗06
・・・かつて、こんな風景を確かに見た・・・そんな町並み。
モダンな造りの洋館で、いまも営業する理髪店(上)と医院(下)
御手洗07
※「お歯黒事件」
当時は、花魁にカネをつぎ込み、お歯黒を付けさせて一夜を契ることが男の甲斐性であった。あるとき、ふんだんにカネを積まれた花魁に、ひとりのカムロ(遊女の世話をする小女)が、 「もーし、おいらんえ、おはぐろつけなんせ」とお歯黒を差し出した。が、どうしてもお歯黒がうまく着かない。苛立った花魁は、煮えたぎったお歯黒をカムロの口に押し込んだ。カムロは、口から黒血を吐き、壁に黒血に染まった手の跡を残して死んでしまった。その手の跡がいまも残っている。花魁は、それから罪を悔い、四国巡礼の旅に出たという。
 
写真/岡崎聡

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岡崎聡

「町旅」編集部

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