カッパ、ザシキワラシ、オシラサマ・・・不思議の地「遠野」へ
<岩手県遠野市>

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神隠し、山姥、狐憑き、死者との遭遇・・・非現実的で不思議なのだが、あながちフィクションとは言い切れない話が満載されている「遠野物語」。その書き出しに『この話はすべて遠野の人佐々木鏡石君より聞きたり。』とあるように、この地の伝承を書き留めた書である。
早池峰山4
『附馬牛(つくもうし)の谷へ越ゆれば早池峯の山は淡く霞み山の形は菅笠(すげがさ)のごとくまた片仮名のへの字に似たり。』古くから信仰の山でもある北上山地の最高峰を、柳田國男はこう描写している。遠野は、この早池峰山をはじめとする北上山系に囲まれた盆地である。大昔は湖であったという言い伝えもあり、遠野のトーはアイヌ語の沼という意味だともいう。三陸沿岸と内陸を結ぶ交通の要衝でもあったので、さまざまな人や情報がここへ集まったのだろう。
カッパ淵4
『川には川童(かっぱ)多く住めり。』『外の地にては川童の顔は青しというようなれど、遠野の川童は面の色赭きなり。』現在カッパ淵と呼ばれているところは、小川の淀みのような場所で、いかにもカッパがいそう・・・だとは思えないのだが、淵には番人のオジサンがいて、カッパを釣る竿を貸してくれる。ちょっと洒落ているのが「カッパ捕獲許可証」。近くの「伝承園」で販売しているので、カッパ釣りをする人は事前に用意したい。「伝承園」には、重要文化財の曲り家「菊池家住宅」や「佐々木喜善記念館」などがあり、「御蚕神堂」には、部屋中埋め尽くすように千体ものオシラサマが展示されており圧巻である。
オシラ様
「遠野物語」の六九に、オシラサマの起源譚が語られている。昔、貧しい百姓の美しい一人娘が、馬を愛し馬と夫婦になってしまった。これを知った父が桑の木に吊り下げて馬を殺してしまう。そして、『その夜娘は馬のおらぬより父に尋ねてこの事を知り、驚き悲しみて桑の木の下に行き、死したる馬の首に縋(すが)りて泣きいたりしを、父はこれを悪(にく)みて斧をもって後より馬の首を切り落せしに、たちまち娘はその首に乗りたるまま天に昇り去れり。オシラサマというはこの時より成りたる神なり。』とある。さて、この話の馬というのは、ほんとうに馬なのか?あるいは異人のようなものの寓意なのか?、詮索をすればキリがないが、悲しくもあり、凄惨でもあり、やや滑稽でもあり、また美しくもある話である。
遠野ふるさと村8
古い茅葺屋根の曲り家を移築して、昔ながらの山里を再現しているのが「遠野ふるさと村」。畑では「まぶりっと(守り人)」と呼ばれる方々が農作業をしており、事前予約をすれば、さまざまな農村作業を体験することができる。茅葺、小川、水車、畑・・・まさに百年前の里山にいるように、東北の原風景をゆったりと楽しむことができる。また「ビジターセンター風樹舎」にはショップ、ライブラリーのほかにレストランがあり、伝統的な遠野の郷土料理も味わえる。おすすめは、ふるさと村自家製の「どぶろく」である。当地では「どべっこ」とも呼ばれる。「どべっこ」とは、どぶろくや甘酒など濁り酒のことを指すようだが、酸味のある濃い味わいは素朴ではあるが力強い風土そのものを呑むかのようだ。
遠野どべっこ祭り4
遠野ジンギスカン1
もちろんレストランでは、遠野名物のジンギスカンも楽しめる。なぜ遠野でジンギスカン?なのだが、なんでも、いまも遠野で営業する安部商店の初代・梅吉さんが旧満州で羊肉料理の美味しさを知って、昭和30年代ころからはじめたのが起源らしい。なんといっても遠野ジンギスカンの特徴は、このバケツ。ジンギスカンは野外イベントの定番だが、当初は七輪を使っていたのが、それだと悪路の輸送で割れてしまうので、ブリキのバケツを使う方法を考案したのだという。いまでは祭りともなれば、遠野の町いたるところで、このバケツジンギスカンをする人たちの姿が見られるそうである。
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『旧家にはザシキワラシという神の住みたもう家少なからず。この神は多くは十二三ばかりの童児なり。』ザシキワラシは、家の守護神のようである。あるときザシキワラシの出て行った豪農の家は、その後、一家中が毒キノコにあたって死に絶えたという話が語られている。馬と共に暮らすための大きな曲り屋、馬との恋愛や、ザシキワラシの話なども、こういう建物に住んでいたことを想えば、なんとなく想像できる気もする。
遠野鹿踊り1
『天神の山には祭ありて獅子踊(ししおどり)あり。獅子踊というは鹿の舞なり。鹿の角をつけたる面を被り童子五六人剣を抜きてこれとともに舞うなり。笛の調子高く歌は低くして側にあれども聞きがたし。』獅子踊または鹿踊は、東北各地に残っている民俗芸能だ。その起源ははっきりしないようだが、関東などに多く残る獅子舞とはまったくちがう。土地に根付いたオリジナルな文化の多様性と奥深さを感じさせられる。
銀河鉄道SLのイメージ
遠野市郊外にあるJR釜石線の宮守川橋梁、通称「めがね橋」。春から秋にかけて主に休日のみ花巻~釜石を走る「SL銀河」は、遠野で1時間以上の停車時間がある観光列車である。列車内には、宮沢賢治ギャラリーやプラネタリウムがあり、一日をかけてゆったり鉄道の旅を楽しむことができる。このJR釜石線は、旧国鉄に買い取られるまでは「岩手軽便鉄道」、賢治が「銀河鉄道の夜」を着想したといわれている鉄道である。
 
さて、「銀河鉄道の夜」の結末はこうだった。カムパネルラはザネリを救うために川へ飛び込み、自分は溺れて死んでしまう。つまりジョバンニは死者とともに天空を旅していたことが明かされるのだが、生者と死者は交感することができるが、けっきょくはそれぞれ一人で行かなければならない、そういう物語でもあった。
浄土ヶ浜
(写真は浄土ヶ浜)
「遠野物語」の九九に、他の伝承とはやや異質な話が引かれている。「遠野から三陸沿岸のほうへ婿に行った北川福二という人が、大津波によって妻を失った。生き残った福二は子とともに小屋掛けで暮らしていたところ、ちょうど初夏の夜に海岸の霧の中に、亡くなった妻がだれか男と一緒にいるのを見る。福二が名を呼ぶと、妻は振り返って笑った。男はと見ると、自分と結婚する前に妻と恋仲だったと聞く人で、これも津波で死んでいた。妻は、今はこの人と夫婦だという。子供は可愛くないのかと福二が問うと、妻は顔色を変えて泣いた。福二は死者と話していることを忘れ、情けない気持ちになったが、二人は足早に立ち去って見えなくなってしまった。」そして福二は、『追いかけて見たりしがふと死したる者なりしと心づき、夜明けまで道中に立ちて考え、朝になりて帰りたり。その後久しく煩いたりといえり。』明治29年6月15日の三陸大津波のときの話とおもわれる。とても印象的な話である。
 
※『 』印の引用は、青空文庫「遠野物語」より

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レポーター

岡崎 聡

「町旅」編集部

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