近代日本のシルクロードを辿る⑯

近代日本の礎。生糸貿易を支えた横浜の汽車道と倉庫群〈神奈川県横浜市〉

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ランドマークタワーから見えるみなとみらいの風景です。安政6(1859)年の開港以来、横浜は日本最大の生糸の輸出港として発展してきました。開港を機に一気呵成(いっきかせい)に国をあげて敷設された鉄道網によって、関東各地から集められた生糸や蚕種、絹織物などがここから船に積まれ、つぎつぎと海外へ輸出されていったのです。結果として、生糸貿易は国に多くの外貨をもたらしました。その外貨によって日本は近代化を成しとげた、と言われています。
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みなとみらいにある象の鼻パークです。横浜でいちばん最初に港ができた場所がこの「象の鼻」に当たる部分で、形が象の鼻に似ていることから、のちにこの名前が付きました。ここから日本の命運を握る生糸貿易が横浜でスタートしたわけです。象の鼻・・名前に似合わず、歴史の上で担ってきた役割は侮れません。
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象の鼻の“すこしくるんと折れ曲がった”先端部分に近づくとこのように見えます。今では横浜港を象徴する名所の1つでもあるため、休日などには多くの人で賑わっています。横浜開港資料館所蔵のペリー横浜上陸図や当時の象の鼻が描かれた浮世絵を見ると、いまと昔でこの辺りの風景が驚くほど変化したことがわかります。
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みなとみらいから少し行った先には汽車道と呼ばれる道があります。じつはこれ、むかし汽車が通っていた廃線跡をそのまま利用して、横浜市が遊歩道として整備したものなんです。そもそも横浜市は、まちづくりのコンセプトの1つに「健康増進や外出意欲の向上に資する歩行空間を整備すること(平成27年度横浜市道路局)」や「歩いて楽しい街」のようなグランドデザインを掲げながら、これまでの都市デザインを行ってきました。ですからこの汽車道も横浜市のグランドデザインの一環とも言えます。
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この汽車道は赤レンガ倉庫の前を通って、さらにその先へと通じています。横浜のシンボルと言われる有名な赤レンガ倉庫は、そもそもは明治後期から大正初期の国の模範倉庫として建てられました。その後、大正12(1923)年に関東大震災で被災するまでは、輸入されて関税をかけられる前の貨物を保管しておく倉庫として、桜木町(横浜)駅とこの「汽車道」を運行する貨物専用線で結ばれ、国の玄関口を支える門番のような倉庫として、大切な役割を果たしてきたのです。2001年に横浜市認定歴史的建造物、2007年には近代化産業遺産(経済産業省)に認定されています。
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赤レンガ倉庫を裏から眺めると特徴的な躯体(くたい)構造に目がいきます。このように背面から見た方が、倉庫であった雰囲気が色濃く伝わってきます。表の鉄道が走る側に対して、こちらの道では馬車が通っていたそうです。当時は、関内に外国人居留地があり、港との間を馬車で往復していたそうです。
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横浜市の市庁舎であり、横浜市認定歴史的建造物でもある横浜第二合同庁舎(よこはまだいにごうどうちょうしゃ)は、以前は旧・生糸検査所だったところです。日本から輸出される生糸の品質向上を目指して、1896年に建てられました。関東大震災で損壊したため、1926年に遠藤於菟(おと)の設計で再建され、特徴ある建物の外観をそのまま引き継いで現在に至っています。元は生糸検査所であったため、長野県上田市の信州大学繊維学部講堂(旧上田蚕糸専門学校)にも見られるような養蚕のモチーフ(蚕の成虫と桑の葉)が、こちらでも柱の上や正面ファサード最上部などにレリーフされています。
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ファサードのメイン部分と、各レンガ柱上部のレリーフが当時のこの建物のシンボルでした。
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こちらは旧横浜生糸検査所附属生糸絹物専用倉庫(通称「旧帝蚕倉庫」)C号です。名前の通り生糸と絹物の専用の倉庫として利用されていました。しかし現在は、A〜Dあった4棟のうちの3棟がすでに取り壊され、写真のC号だけとなっています。このC号ですが、2014年にようやく横浜市認定歴史的建造物になったことで正式に保存が決まり、いったん解体されたあと、事務所棟(旧横浜生糸検査所附属倉庫事務所)の隣に移築されることになりました。この事務所棟と倉庫棟の2棟は、横浜第二合同庁舎や旧三井物産横浜支店倉庫と同じく、遠藤於菟(おと)の設計によるもので、横浜の生糸貿易の歴史を象徴する代表建築群の一角を形成しています。
 
写真:米山淳一

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