歴史と文化が交差する、キリシタン大名が治めた城下町
〈大分県臼杵市〉

03 臼杵城址は町のシンボル
臼杵と言えば歴史の町。戦国時代に、キリシタン大名・大友宗麟が丹生島に臼杵城(当時は丹生島城)を築城し、江戸期には稲葉氏が統治した城下町である。
04 城下町らしい鍵の手状の道に擬洋風建築の医院と旧後藤家長屋門がコラボ交流拠点として設けられた臼杵市観光交流プラザが町歩きの起点だ。見事な石積みや大門櫓などが保存されている臼杵城址を見上げながら、辻界隈から歩き始めた。鍵の手状の道や路地が続く道がいかにも城下町らしい。十分に修復整備された旧稲葉家長屋門や土蔵は休憩施設を兼ねており、この地区のランドマーク的存在である。
05 旧稲葉家長屋門から二王座を見るこの先は寺院が続く寺町で二王座界隈である。「二王座歴史の道」と名づけられた道沿いには、寺院の山門、本堂、町屋、白壁土蔵が並ぶ。少し先は石畳の坂道で、一段と道幅が狭く、緩やかに弧を描きながら迫った切通しの陰に消えて行く。折しも雨上がり、しっとりと潤いを感じさせる空間がなんとも心地よい。
06 切通しが生む味わい深い二王座の景観
臼杵の城下町ここにありといった光景が展開している。ヒューマンスケールのこの切通しが気に入って何度も行ったり来たりした。
07 二王座の坂道の途中に立派な石段と門出現。旧片切家武家屋敷である坂道の中ごろに位置する急な石段がまた渋い味を出している。まさに歴史に裏打ちされた景観こそが本物であることを教えられた思いである。09 二王座から甚吉坂へ。坂の途中に井戸を発見「金毘羅水」だ
坂道だから当然サミットはある。越えて下ってわかったのであるが、この地点での坂の名は、「甚吉坂」とあった。近くに「金毘羅水」と称する水場があり少し難所的な感じを得た。大友宗麟の時代から使われていた街道の名残のようにも思えてくる。なお、切通しは他所にもあり、この辺りの地盤は阿蘇山噴火による火山灰が溶結した凝灰岩質である。
11 堂々たる龍原寺の三重塔
九州では2例しかない木造の三重塔(安政5年)がある龍原寺や臼杵川沿いの大橋寺に参拝し、町屋筋に向かう。
12 江戸期からの町家筋、「八町大通」と南蛮貿易ゆかりの石敢塔鍵の手状のクランクを抜けると八町大路である。真っ直ぐな町屋筋で中央商店街と呼ばれ地域で親しまれている。活気のある通りの商家や町屋は修理が進み、伝統的意匠を大切にしながら商いを行っているため、町並み景観はすこぶる整っている。地域の皆さまや観光客も買い物が楽しくなること請け合いである。
15 ヤリイカとカマス焼きが酒の伴16 カマス焼きゆるりと町歩きをしていたらいつしか辺りは、薄暮に包まれた。そうなると足が自ずと酒処に向く。臼杵は海産物が旨い。6人ほどのカウンターだけの店は、まさに願ってもない空間だ。「旬はヤリイカ」のとおり、透明感のある奴が出てきた。酒器がまたふるっている。昭和30年代のガラス製の徳利と猪口だ。薄手の華奢な出来がなんとも美しいから酒が進む。
 
写真:米山淳一

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レポーター

米山 淳一

獨協大学外国学部英語学科卒業。岸信介事務所を経て、75 年(財)観光資源保護財団(現(財)日本ナショナルトラスト)入所。事業課長、事務局長を経て、06 年退職。現在は母校の獨協大学等で講義を行うほか、地域遺産プロデューサーとして全国で歴史を活かしたまちづくりプロジェクトを推進。現在、公益社団法人横浜歴史資産調査会(ヨコハマヘリテイジ)常務理事・事務局長

一般社団法人 日本茅葺文化協会理事
一般財団法人 茶道宗偏流不審庵理事
日本鉄道保存協会事務局長
東映株式会社「大鉄道博覧会」企画プロデューサー
一般財団法人 東武博物館アドバイザー ほか


【著書】
●酔余の町並み(駒草出版)
●続・酔余の町並み(駒草出版)
●写真集「光り輝く特急「とき」の時代」(駒草出版)
◎「地域遺産みんなと奮戦記」(学芸出版)
◎「歩きたい歴史の町並」 文 米山淳一 写真 森田隆敏(JTBパブリッシング)

http://www.j-yoneyama.jp/

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