約280年・14代続いた
伊藤藩が残した最前線の町
〈宮崎県日南市〉


薩摩藩が設けていた、領内に武士を分散させる外城制度による麓集落に対し、江戸幕府が最前線のひとつとして力を入れていたのが飫肥の城下町である。長くつづいた薩摩藩との攻防の末、豊臣秀吉の命を受けた伊東藩が、明治維新に至る約280年のあいだ14代にわたって飫肥城下を治めることになった。また、ポーツマス条約の締結など、近代日本の外交の礎を築いた小村寿太郎の出身地でもある。
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飫肥駅を降りて旧城下へ歩き、外堀の役目を果たす酒谷川を渡ると本町商人通りである。この通りは狭い旧道を拡幅しており、歴史的建造物も沿道に見られる。
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旧高橋源次郎家住宅(国登録有形文化財)は、道路拡幅で一部削られたものの、残された主屋などが公開されている。見事な近代和風住宅なので、武家屋敷を訪ねる前にぜひ訪ねたい。ここで公開施設をめぐるチケット(600円)を購入すると、格安で城下の施設を見学できて便利だ。
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拡幅された通りを右に折れると大手門通りだ。道は大手門に向かって緩やかに上り坂になっている。両側には歴史的建造物が並び、いかにも城下町といった景観がそこには展開している。武家屋敷は大手門右手の通称「武家屋敷通り」によく残っている。切り石積みにイヌマキの生け垣や門が並ぶ。旧伊東伝左衛門家住宅は公開されており、上級武士の生活をかいま見ることができる。
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武家屋敷もよいが、感動的なのは当時の藩校「振徳堂」の一部が保存されていることであろう。飫肥藩の子息がここで学んだのである。読み書き、算術、武術などを習得していたのだ。すり減った門の敷石、玄関の階段。当時のざわめきが聞こえてきそうであった。
 
写真:米山淳一

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レポーター

米山 淳一〔よねやま じゅんいち〕

獨協大学外国学部英語学科卒業。岸信介事務所を経て、75 年(財)観光資源保護財団(現(財)日本ナショナルトラスト)入所。事業課長、事務局長を経て、06 年退職。現在は母校の獨協大学等で講義を行うほか、地域遺産プロデューサーとして全国で歴史を活かしたまちづくりプロジェクトを推進。現在、公益社団法人横浜歴史資産調査会(ヨコハマヘリテイジ)常務理事・事務局長

一般社団法人 日本茅葺文化協会理事
一般財団法人 茶道宗偏流不審庵理事
日本鉄道保存協会事務局長
東映株式会社「大鉄道博覧会」企画プロデューサー
一般財団法人 東武博物館アドバイザー ほか


【著書】
●歴史鉄道 酔余の町並み(駒草出版)
  http://komakusa-pub.shop-pro.jp/?pid=61024099
●続・歴史鉄道 酔余の町並み〈2016年2月1日発売〉(駒草出版)
●写真集「光り輝く特急「とき」の時代」(駒草出版)
◎「地域遺産みんなと奮戦記」(学芸出版)
◎「歩きたい歴史の町並」 文 米山淳一 写真 森田隆敏(JTBパブリッシング)

http://www.j-yoneyama.jp/

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