戦国の城下町から近江商人の町へ
<滋賀県日野町>

名神高速を名古屋方面へ向かって走ると、野洲川を越えるあたりで、左手に見えるのが三上山。高い山ではないが、近江富士と呼ばれるだけあって、美しいプロポーションが湖東のランドマークになっている。この姿を見ると、「ああ~近江だなあ~」と、故国を想う人も多いのではないだろうか。竜王で高速を降り、のどかな田園地帯を30分ほど走ると、蒲生郡日野町へ至る。
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日野を城下町として拓いた蒲生氏郷(がもううじさと)は、いまも郷土の歴史的ヒーローである。そして秀吉による領地替えで蒲生氏が日野を去ったあとこの町は、日野椀や薬の行商などはじめ、商人の町として栄えた。いまも町の随所に古い商家の町並みが残り、また通りに面して建てられた家並がのこぎり歯の形をしているのは、戦国時代の城下町の面影をしのばせる。
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近江商人という呼び名は全国的にも有名だが、なかでも日野地方出身の商人は日野商人と呼ばれる。その特徴は、大店は少ないが、店の数において群を抜いていたことだ。千両もたまれば新しい店を出すというくらい、小型の出店をかさねて商売を拡張したので、日野の千両店という呼び方もあったらしい。
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2月中旬から3月初旬にかけて行われる日野ひなまつり紀行は、日野独特の桟敷窓がならぶ町並み一帯で、江戸期の由緒ある雛人形から、現在の創作人形まで、たくさんの雛人形が飾られる。日野の歴史ある町並みでゆったりした時間を楽しむなら、この時期も見逃せない。
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毎年5月の2日・3日に行われる馬見岡綿向神社(うまみおかわたむきじんじゃ)の春の例祭「日野祭」は、800年以上の歴史を持つ盛大なお祭り。2日の夕暮れより曳山が引き出され、提灯の灯りとお囃子が祭気分を盛り上げる。翌日本祭の朝は、祭を取り仕切る神調社(シンチョウシャ)・神子(カミコ)らの渡御よりはじまり、昼頃には十数基の曳山が神社境内にあつまり、御輿3基も繰り出して祭りは最高潮となる。
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「近江日野商人館」は、日野商人の名家である山中兵右衛門(やまなかひょうえもん)の旧宅で、建物は昭和11年に新築されたものだが、典型的な日野商人本宅の特徴がよく残っている。館内には、行商品や道中具、店頭品をはじめ、家訓なども展示され、日野商人の歴史がわかる資料館になっている。
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西大路にある日野城址は、蒲生氏の居城であった戦国時代の城跡。本能寺の変で殺害された織田信長の妻子が、安土城からこの城へ逃れたと伝えられる。現在、城の遺構はあまり残っていないが、日野川ダム北畔に本丸跡石垣が見られる。石垣の一部のみが残る状態なので、城ファンの人にはかえって想像が広がって面白いのかも。ちなみに西大路を、祖祖母は「にしょうじ」と発音していた。西大路の表記は幕末まで仁正寺であったので、音だけは残ったものらしい。
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私事で恐縮だが、この西大路にある清源寺という寺が、私の家の菩提寺である。ここまでくれば、もう日野の町はずれである。このすぐ近くにあるのが、滋賀農業公園「ブルーメの丘」。「ブルーメ」はドイツ語で「花」。中世ドイツの農村をイメージした花いっぱいの公園である。広い園内には、牛、馬、羊、山羊などが放牧されているほか、パンやソーセージ作り、クラフト教室などたくさんの体験メニューもあり、のびのびとした解放感を味わうことができる。
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さて、最後に、土産はどうしようか? もちろんメジャーなのは近江牛だが、あえてここは丁稚羊羹(でっちようかん)はどうでしょう? これは滋賀から京都にかけてのお菓子で、子どもの頃によく食べたのでこの味は忘れられない。一言でいえば、竹皮に包まれた蒸羊羹である。名前の由来は、丁稚でも買える手軽な羊羹という説もあり、高級菓子ではない。普通の羊羹のように濃い味ではないので現代人でもとっつきやすい、水ようかんのような味。冷蔵庫でよく冷やすと美味しい。
いろんな店で売ってはいるが、オススメは「かぎや菓子舗」。嘉永元年(1848年)創業の和菓子屋さん、日野を代表する老舗である。
 
写真提供:(公社)びわこビジターズビューロー

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レポーター

岡崎聡

「町旅」編集部

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