地域の近代史を記憶する八幡山公園
<神奈川県平塚市>

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前回紹介した平塚八幡宮には立ち入りが禁止されている御山があります。入るなと書かれると気になるのですが、もちろん立ち入るわけにはいきません。ただ、御山と言っても町のなか。いったん神社の外に出てなかをうかがえるところがないか歩いてみました。
 
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塀沿いに歩くこと約3分。平塚八幡宮の裏側は「八幡山公園」になっており、八幡宮の御山と接しています。公園内から境内をのぞくと、本当に山中のような木々ばかりが見えました。商業が発展した町のなかなのに鎮守の森が大切に残されているのは、地域の人々の意識が高いからなのでしょうか。時間や歴史・人々の想いといった価値が大切にされていると感じました。
 
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平塚八景のひとつに数えられる八幡山公園は、昔から景勝地として有名だった八幡山が戦後になって公園として整備された場所です。八幡宮の森とともに町中に緑豊かな空間をもたらし、憩いの場になっています。また、広域避難場所としても指定され、都市機能の役割も担っているそうです。
 
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園内にある洋館は「旧横浜ゴム平塚製造所記念館」、通称「八幡山の洋館」といわれる国登録の有形文化財です。1905(明治38)年に日本海軍と英国三社による合弁会社として「日本火薬製造株式会社」が設立され、その英国人支配人の執務室として1907(明治40)年末ごろに建てられたといわれています。第二次世界大戦後は米軍により接収。1950(昭和25)年になって横浜ゴム株式会社に払い下げられたあとは、応接室や会議室として使われています。平塚市へ無償贈与されたのは2004(平成16)年で、その際に八幡山公園に移築されました。時代によって所有者や使われ方が変遷していく、なかなかドラマチックな歴史を刻んでいるのです。
 
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現在は平塚市内では唯一、神奈川県内でも数少ない明治時代の洋風建造物として保存されつつ、市民が使用できるパブリックスペースとしても活用され人々に愛されているよう。当時の雰囲気のまま美しく整備されている館内へも無料入ることができます。
 
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八幡山の洋館から少し離れた所には、「コンクリート井桁積み」という少し変わった構造の塔があります。なんだろうと思って近寄ってみると、塔のふもとには「平和慰霊塔」と刻まれた石板とともにいくつかの石碑が置かれており、これが戦没者の慰霊のためのものだと分かりました。塔内には、明治以降の戦争において平塚市で亡くなった2365柱の戦争犠牲者の名簿と千羽鶴2組が収められています。犠牲者のなかには、平塚空襲の市民被害者も含まれているそうです。
 
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八幡山公園のすぐ北側にある横浜ゴム平塚工場の正門付近には「海軍火薬廠の跡」と刻まれた石碑もあります。1919(大正8)年に発足した「海軍火薬廠」は、この地域に約40万坪の敷地を持ち1945(昭和20)年まで稼働していたそうです。第二次世界大戦後は進駐軍により接収され、1950(昭和25)年になって横浜ゴムに払い下げられています。軍事拠点として地域に繁栄をもたらした一方、平塚が空襲された理由になったという話もある「火薬廠」。現在の跡地は工場や公共施設が集中し、市の繁栄と憩いを支える場になっていました。
 
 
今回紹介した施設はすべてどこかでつながっているので、歴史・文化好きな方にはぜひまとめて見てはいかかでしょう。約100年ほど前から現在に直結する歴史を感じることができるはずです。

INFORMATION

地図

レポーター

恩田 正恒 (町旅編集部)

横浜ゴム工場の北側にある平塚市総合公園は、とても広いうえ設備も充実していて驚きました!
立派な体育館にプール、湘南ベルマーレのホームスタジアムにもなる競技場や野球場・テニスコートなどの運動施設もさることながら、
様々な木々や花のある遊歩道に子供もあそべるはらっぱや動物園、さらには日本庭園まで内包されています。
広すぎて一周するのは大変でしたが、近くにこの公園があるのは羨ましいです。

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