上杉の城下町として発展した米沢、素晴らしい文化の魅力
<山形県米沢市>

イザベラ・バードが「日本奥地紀行」で、“アジアのアルカディア”と絶賛した豊かで美しい平野、その南の中心が米沢である。
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長井・伊達・蒲生・直江と城主がかわり、その後は上杉の城下町として発展してきた。城址は、いまは松が岬公園として開放されている。
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春には約200本の桜が咲き乱れる花の名所として市民に親しまれている。
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その公園の中央にあるのが、上杉謙信・鷹山を祭神として明治9年に建立された上杉神社。境内に上杉氏ゆかりの文化財を収蔵する稽照殿があり、隣には上杉博物館もある。
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財政の逼迫していた米沢藩を救った名君といえば上杉鷹山。鷹山は、まず「大検約令」によりムダを省くことから藩政改革を進めるが、それだけなら誰でも思いつくことで、その後の目覚ましい産業振興が歴史に名を残した理由だ。とくに「養蚕手引」を発行して、養蚕・絹織物を産業化した手腕は特筆に値する。
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濠を挟んで元二の丸跡にあるのが「旧上杉伯爵邸」。明治29年に建てられ、その後火災で焼失して、大正14年に再建された邸宅。その豪壮なつくりは一見価値がある。見学だけでなく、「かてもの」を受け継いだという当地の郷土料理がいただけるのがうれしい。「かてもの」とは、凶作の備えとして鷹山がつくった食のガイドブック。山野の草木・果実約80種の食法や栽培方法などが詳しく書かれており、飢饉の際に大きく役立ったという。
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市内に見られるこの「うこぎの生垣」も、その鷹山の知恵が生んだといわれる。うこぎは、春から初夏にかけての新芽を、おしたしや天ぷらにして食べることができる。いざという時の備えとして、生垣にも食材をという、鷹山の周到な発想力に脱帽!
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城址を背にして東へ向かうと、瀟洒な洋風の建物が見えてくる。「九里(くのり)学園高等学校」の校舎で、昭和10年の建造、いまも現役だそうだ。学園の創設者は、九里とみ。裁縫を教える塾が評判となり、明治34年県内でもっとも古い私立学校として開校された。「校舎はただの箱ではない、こういう教育をしたいというメッセージ」そう語る現校長の言葉に、米沢の深い文化を感じる。
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さらに東へ向かうと、「米沢織物歴史資料館」や「米澤民藝館」などがあり、その先にあるのが「東光の酒蔵」。銘柄「東光」を造る小嶋総本店は、慶長2年(1597年)創業、“禁酒令”が出されても酒造りが許された数少ない造り酒屋のひとつだったそうだ。東北一といわれる140坪の大きな土蔵に展示された、昔ながらの酒造りの道具などを見ることができる。
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さてこんどは少し西へ行くが、国史跡の上杉家廟所はぜひ見ておきたい場所。森閑とした杉木立のなかに、越後より移されたという謙信公から十二代藩主までの廟屋が整然と並んでいる。
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廟所の近くにある「染織工房わくわく舘」では、米沢織と紅花染めの体験ができる。
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直江兼続がはじめ、その後上杉鷹山が本格的な産業として確立した「米沢織」。養蚕や紅花栽培を奨励し、京都から織物師を招いて研究するなど、養蚕から染色・機織まで当地で一貫生産する伝統が培われた。ちなみに“日本で初めて”人工絹糸(レーヨン)を開発した帝人株式会社は、ここ米沢で産声を上げた会社。米沢は、古いものを大事にし、同時に新しいものをも生む、伝統文化の厚みが蓄積されたまちである。

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レポーター

岡崎 聡

「町旅」編集部

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