きらっせ、みらっせ、ちょっとディープな銚子旅
<千葉県銚子市>

今となっては「しおさい」から見える風力発電も見慣れた光景となったが、まだまだ銚子通とは言えない。今回はちょっとディープな銚子を知るべく足を運ぶこととなった。
 

まずは、銚子プラザホテルの「廣半」へ。こちらでは年間を通して新鮮な鯖料理を提供している。この日は現地の方がイチオシである「鯖の漬け丼」を注文。ほどよく脂がのった鯖は文句なしの美味しさ。適度な歯応えもあり新鮮さが感じられ、酢飯との相性も良い。また、茶わん蒸し、シラスおろしなどの副菜も充実しており大満足であった。鯖寿司も数人でシェアしたが、関西の有名店にも引けを取らない逸品であった。
 


西廣家は紀州から移住した人物であり、江戸時代末以降の銚子漁業を支えた船主の一人とされる。西廣家住宅は日本遺産~北総四都市江戸紀行~の構成文化財のひとつで、現在は、母屋、江戸末期の建築と伝わる納屋2棟、昭和初期に建築された缶詰工場が残されている。当時は足が早い(腐りやすい)と言われた銚子沖の鰹を加工し、鰹節を生産した事でも知られる。色あせた家屋や工場からは銚子の漁業を支えた歴史と重みが伝わってきた。
 

明治時代のレンガ造り塀が敷地の一部に残されていた。江戸末期の漁家屋敷の面影を今日に伝えている。
 

銚子電鉄外川駅に保管されている「デハ800形801」。駅舎と共に外川駅のシンボルと言える車両だ。昭和25年、帝国車両で生産され、伊予鉄道で活躍。銚子電鉄に入線後も主力車両として使用されていたが、2010年、車両代替によりその役目を終えた。2017年、銚子商業高等学校の生徒たち、株式会社BAN-ZI、株式会社REPROUDを中心に車体の腐食や錆の修復作業が行われ、当時の姿を取り戻した。現在は、一般向けに無料公開されており、多くの銚子電鉄ファンがここを訪れている。
 

今日に至るまで修復が繰り返し行われた外川駅舎。大正時代に建設された木造建築で、開業時の雰囲気を醸し出している。木製のベンチに地元住民の手作りによる座布団が置かれているのは、多くの人々に愛されている証拠だ。ネーミングライツよる駅名は「ありがとう」。この駅名にちなんで「ありがとう」グッズが販売されていた。赤と白のシンプルな色使いが気に入り、缶バッジ、ハンドタオルを購入した。非常にリーズナブルなのでオススメだ。
 

外川ミニ郷土資料館に展示されている「万祝」。万祝とは、大漁祝いの引き出物として網元などから漁師へ配られた晴れ着である。江戸時代の房総半島の漁村が発祥と伝わっている。こちらは、かなり手が込んだ上等品で上部に描かれている鶴は「魚を多く釣る」を意味しており、下部には縁起物の鶴と亀が描かれている。このように鮮やかな状態で残っていることはとても珍しいそうだ。
 


斜面に碁盤の目状に整った区割りがされている「外川の町並み」。遠くに見える海を目指して歩くと、何とも言えない期待感が湧いてくる。この町の歴史は1656(明暦2)年、紀州より崎山次郎右衛門が移住したことが始まりだ。当初は飯沼村に住居を構えたが、2年後に外川へ移住し築港を開始、1661(寛文元年)年に外川漁港を完成させた。そして、町づくりを行い、紀州より人々を呼び寄せたそうだ。外川の建設に用いた土木技術は、戦国時代に発達した築城技術が活用されているのではないかと言われている。
 

一見緩く感じるが、下りきってから見上げるとかなり急であることに驚いた。また、どの家屋からも海が見えるように建てられている。これは、家族の船が無事に帰ってきたことを瞬時に確認できるためとのことだ。漁師町として繁栄した地域ならではの町づくりである。
 

外川の猫。この地域の猫たちは人馴れしているためか、近寄っても逃げることなく非常にマイペースだ。観光客の扱いには慣れているようで、なかには我々と共に歩き、立ち止まると足元に寝転がる強者も。外川の猫探しと称した散策も悪くない。

地図

レポーター

森 順一郎

外川の町並みに溶け込む猫たちは、ふっくらした体形が多かったように思えます。漁師町の猫たちは良いものを食べているのでしょうか。

関連タグ

関連記事

エリア

(Categories)

タグ

(Keywords)

すべてのタグを見る

おすすめ記事