わが町への愛情が止まらない「古川町」~前篇~<岐阜県飛騨市>

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美しく整備された落ち着きある町家が続く古川町。この町は天正年間に増島城の城下町として整えられ、当時の名残が町並みに残されている。武家屋敷があった町は殿街、商人町は壱之町、弐之町、三之町と名付けられ、今もその町名が使われている。
 
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この地域は住民の地域愛が強く感じられる町である。もちろん、自治体などの協力も得ているが、住民が主体となって町並みづくりを進めている。こちらは商店街であるが、以前、建てられていたアーチ型の看板を「景観が損なわれる」との理由で撤去してしまった。美しい町並みづくりへの強い拘りが感じられる一面だ。
 
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古川町の顔ともいえる「瀬戸川」。約400年前、新田開発の用水として作られ、町民の生活にも重宝されていたが、高度経済成長期に著しく汚染されたようだ。当時の瀬戸川を取り戻そうと一部の住民たちは募金を募り鯉が放流された。これにより住民全体の意識に変化が現れ、瀬戸川は美しさを取り戻した。2006年には「疎水百選」にも選ばれ、飛騨古川を代表する人気スポットとなっている。
 
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瀬戸川を悠々と泳ぐ鯉たち。現在は約1,000匹もの鯉が放流されている。冬季は越冬池に移動され、春に瀬戸川へ戻ってくる。なかには体長80㎝、体重10㎏を超える大物もいるようで、引っ越し作業は相当な体力を要するとのことだ。
 
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こちらも町並みづくりに拘りが感じられる一面。以前は、歩道橋が建てられていたが、商店街に建てられていたアーチ型の看板同様に景観を考慮して撤去したそうだ。信号もなく、横断歩道もない・・・。
 
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なんと、地下道を作ってしまった!しかも景観を意識した古い町並みとの相性が良いデザインである。ここまで来ると頭が下がる思いで一杯である。
 
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飛騨地方では昔から、酒を常温で飲むことは行儀が悪いとされたそうだ。そんな人々に好まれたのが燗につけると優しい甘みが楽しめる「やんちゃ酒」。「蒲酒造場」は宝永元年(1704)に商いを行い、宝永地震やその後の飢饉を乗り越えたのちに酒造りを始めた。現在も古川の人々に愛される酒を造り続けている。「やんちゃ酒」のみならず「銘酒 白真弓」も蒲酒造場を代表する逸品である。
 
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吉城の郷」にあるイタリアンカフェで地元の方と夕食。この施設は、かつての吉城郡古川町で活躍した名士「旧佐藤家」を改築し活用している。明治3年(1870)に建てられた邸宅は敷地が約800坪もある。市街地から離れていたことが幸いし、火事や都市計画の影響を受けなかったため当時の姿を今に残している。一時は無人となり老朽化が進んでいたが、地元住民の懸命な普及作業により復活を遂げた。

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レポーター

森順一郎

団結力、決断力、行動力が備わった古川町。やはり町づくりの主役は市民なのだなと痛感しました。

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