『佐倉の秋祭り』で知られる県内最大級の大神輿を奉納する麻賀多神社
〈千葉県佐倉市〉

印旛沼の東側から西にかけての地域に分布する全18社の『麻賀多神社(まかたじんじゃ)』は、全国でも名前の珍しい神社です。約1050年前の政令集『延喜式(えんぎしき)』に社の名前が記載されていることから、古くから中央にまで名が知られていたことがわかります。
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ここ佐倉の『麻賀多神社』は、先代宮司家による伝承では、鎮座は約2000年前に遡るとも言われており『佐倉城天守』よりも本殿の標高が高いのが特徴。もともとが「鎮守の森」であったからです。(脚注:日本では古来から“高い山や森には神が宿り”そうした神様がときどき降る場所として、人里の小高い場所に神社や御神木を囲む森を育て「鎮守の森」として奉じてきた歴史があります。)

やがて徳川家康が江戸に幕府を開くと、老中の土井利勝が佐倉に移封され、家康の命により約7年の歳月をかけて千葉氏の一族鹿島氏が築いた未完の中世城郭(鹿島城)を整備拡張し、佐倉城を建設します。城の改築と同時に東の馬の背に鉤の手の道をひらき、商人や職人を住まわせ、城下町を形成しました。

以来、佐倉城大手門のすぐそばにある『麻賀多神社』は、佐倉藩の総鎮守となり、江戸時代にもっとも長く藩主を務めた堀田氏をはじめ、歴代藩主の加護の下に祭禮(さいれい)を行ってきました。

今回そんなお話をして下さったのは、『麻賀多神社』宮司の宮本さん。10月13〜15日に開催された『佐倉の秋まつり』の大役を無事に終えた直後でホッとひと息というところ。祭祀用の着物がクリーニング中のため、逆にふだんは滅多に拝見できないカジュアルウエアで(笑)お忙しい中、取材に応じてくださいました。

きれいに掃き清められた境内と大イチョウの紅葉をバックに凛とした佇まいの本殿は、さすが神様がおわす御殿、霊気さえ漂います。ところが宮本さんが約20年前にこちらに来られるまでは、ひと気もなくさびれた雰囲気だったというから驚きです。

詳しく事情を伺うと、宮本さんのご実家は“佐原”で老舗のおせんべい屋で、神職の道は自らの志望。しかし神社の跡継ぎではないため、学校を卒業後は県内の別の神社で職員をされていたそうです。その時に出会ったのがこちら『麻賀多神社』の先代宮司さんというお話。偶然ではなく神様が取り持った“ご縁”かも?

先代宮司さんは当時80代。お子さんはおらず、引き継ぐ宮本さん(当時26歳)とはまるで曽祖父とひ孫のような年齢差。それでもなんとか間に合って、この由緒ある麻賀多神社を無事に引き継ぎ守った、というお話だけでもドラマティックですが、老朽化した建物や境内に手を入れて、ひと気のなかった神社を再び多くの参拝客でにぎわうまでに復活させたのは、ひとえに宮本さんのたゆまぬ努力の賜物と言えます。

そんな宮本さんに、今回特別に見せていただいた大神輿は、いまから296年前の江戸時代に360両で作られたお神輿で、千葉県内では最大級のもの。2天棒で担ぐタイプなのは、クランクと狭い道からなる佐倉の城下町を、ひっかからず通り抜けするための知恵なのだそうです。また、このお神輿は代々の伝統により『鏑木青年会』の人しか担げません。

宮司さんと鏑木青年会以外では、近づくことが許されないお神輿さんの至近距離撮影は、宮司さま特別のおはからい。この距離から見ると、お神輿の表面に施された精緻な象嵌や彫刻、漆による彩色など、一分の隙もない見事な職人技がよく伝わります。

この日は『麻賀多神社』facebookで人気の高い(?)母ニャンにも境内で遭遇。コチラによく遊びに来る可愛い三毛の野良ちゃんだそうです。(写真には写ってませんが、相棒のスルメちゃんも近くにいました。)

そしてこちらは『イチョウ三姉妹』のなかの孫イチョウ。植物学者の沼田眞さんの調査によって、これらのイチョウが母・娘・孫の関係であることが判明したとか。ちなみに母イチョウは当神社のご神木を言います。

摂社の三峯神社は、麻賀多神社の御祭神ワカムスビノミコトの祖父母神(イザナギ・イザナミの両命)が御祭神というつながり。小さな境内には『佐倉・七福神めぐり』の神様の一つ「福禄寿」も顔を覗かせています。
 
写真:乃梨花

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乃梨花(「町旅」女子部)

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