湊町・新潟を支えた商家の佇まい〜明治の豪商が暮らした町家『旧小澤家住宅』
〈新潟県新潟市〉

いまでこそ物流の要は陸路にとって代わられたが、江戸時代、新潟は日本海を航行する北前船などの回船や川舟が集まる寄港地であった。数々の商家が興っては没落する時代のなかで、小澤家は回船問屋などを営み順調に経営を拡大し続け、ついに新潟を代表する豪商となった。

『旧小澤家住宅』は、その小澤家の店舗兼住宅として建てられた町家形式の家。屋敷の一角には、明治13年以前の建築と見られる「道具蔵」がある。母屋部分は明治13年の新潟大火直後に再建されている。全体にかつての新潟町における町家の典型をよく残した造りとされる。

江戸時代後期に米穀商を営んでいた小澤家は、明治初期には何艘もの北前船を所有し、やがて回船問屋として財をなした。以降も、運送・倉庫業、回米問屋、地主経営と時代に沿った事業転換を成し、ついに大正期には県内で産出した石油を運ぶタンカー保有会社を有するほどの下越地方を代表する商家となった。

商家が立ち並ぶ一角にあっても、その凜とした佇まいと荘厳な面持ちから一線を画す風情がたちのぼる。

庭園は、明治末期に家財蔵・新座敷などの増築とあわせて築造されたと考えられている。古くからの伝統的な作庭技術を用いる一方、当時としてはまだ新しい“芝を張った”庭園は、社交や生活の場としても意図され、モダンな試みと見られている。

二階の窓まわりに残る焦げ跡などから、明治13年(1880)8月の大火以前の建築と推定される「道具蔵」。内部には小澤家伝来の道具類などが展示されている。

玄関から「道具蔵」へとL字型に配された「通り土間」。ふすまや千本格子から透かした陽がはいる風情はまた格別だ。

「道具蔵」の先から庭園へ。「百合の間」の軒下には藤棚が設けられ、4〜5月の開花期には見事な藤が行楽客の目を愉しませる。

次ノ間には、江戸時代後期の漢詩人・書家である館柳湾(たちりゅうわん)の漢詩が書かれた屏風が飾られていた。巻菱湖(まきりょうこ)、亀田鵬斎(かめだぼうさい)とともに江戸の三筆と言われた柳湾は、同じ新潟の出身である。

仏間に置かれた仏壇は、金箔や漆が贅沢に使われ、その豪華絢爛さには思わず目を見張った。

屋敷の中で最も眺望に配慮された「百合の間」は、来賓用の座敷。庭と反対側の側廊・戸板に嵌められた優美なアンティークガラスも美しい。

「百合の間」の正面に、景勝地「松島」を模した築山が配された庭。石や名木、石灯籠で「シマ」や「ヤマ」を表現した、伝統的な枯山水と言われる作庭法だ。

四国や紀州から取り寄せた青緑色の石、佐渡の赤玉石、佐渡の金銀山で使われた石臼、須弥山を表した立石群、京都の陶工による灯籠など、庭園のなかには趣向を凝らした石が多く配置されている。
 
写真:乃梨花

INFORMATION

地図

レポーター

乃梨花(「町旅」女子部)

ひとり暮らしの猫飼い人ゆえ、
長らくショートトリップ派・・でしたが、
最近は、猫を預けて遠くまで足をのばすこともしてます⭐️
(親戚の多い東北へ、行くことが多いです。➕日本酒党❤️)

関連タグ

関連記事

エリア

(Categories)

タグ

(Keywords)

すべてのタグを見る

おすすめ記事