近代日本のシルクロードを辿る⑪


実は一番儲かった!?
蚕種で栄えた風穴のまち〈長野県上田市〉

西上田は独特の駅です。ここは昔は上塩尻といって蚕種で栄えた町です。いまは駅前が広くがらんとしていますが、昔はサンシュの倉庫がいっぱいあったんですね。サンシュというのは蚕の種と書きますが、蚕の卵のことです。なんでかというと見た目が種にそっくりなんですね。実は養蚕業のなかでも蚕種をつくるのが当時はいちばん儲かったんです。真田氏の城下町として知られるこの上田市周辺が蚕種の町としても栄えたことがあるのは、案外知られていません。
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なぜ、上塩尻で蚕種が栄えたかというと、この地区は千曲川に沿って谷になっていて、風がものすごい勢いで吹くからなんです。蚕のエサとなる桑は、玉石を積んだ段々畑で育てていました。そこへも強風が吹きつけるので害虫が付きづらく、微粒子病やきょうそ病を始めとする蚕病の心配のない良質で安心な桑が作れたんですね。
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蚕種で儲かった、と言っても儲かるようになったのは、じつは近年になってからで、それまでは春蚕(はるご)といって年に一度、春にしか取れなかったのが春以外にも取れるようになったのが大きな理由です。それを可能にしたのは「低温保存」。そう「天然の冷蔵庫」を利用することで実現したんですね。それが、真夏でも内部に入るとひんやりする風穴です。
この地区では村単位でも上のような風穴を持っていました。共同の風穴で蚕種を保管しておき、蚕種の価格が上がった頃合いを見計らって売る。そのように上手に商売を実践してきたんですね。そうして、この地区は莫大な利益をあげるとともに、日本の養蚕業の発展にも大きく寄与してきたわけです。
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ほかにも蚕種生産で栄えた、北国街道沿いの上塩尻地区には、いまも養蚕の特徴を残す農家が50軒近くも残っています。空気抜きの櫓(やぐら)の形状を比べてみると、群馬県の養蚕農家よりやや低くなっているのが特徴です。また外壁が白い漆喰で塗られている建物が目立ちます。ここは蚕種の生産が行われていた昭和20年代までが繁栄のピークだったと言われています。
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上の写真は蚕種業の家の写真ですが、気づきますか?ここには実は財の証が写っています。屋根の上を見ると棟瓦が透けているんです。こんなふうな透かし彫りの細工はふつうはなかなかできませんから、この家にどれだけ財力があったかは推して知るべし、でしょう。またこの家は村の共同の風穴とは別に、独自の風穴まで持っていました。なんともすごい話ですね。
 
写真:米山淳一

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