大坂夏の陣、真田幸村終焉の地をめぐる
<大阪府大阪市>

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これぞ大阪!といえば新世界、そして通天閣。最近は新世界も観光名所になって、昔とはずいぶん雰囲気が変わってしまったけれど、まあこの賑やかな看板に埋もれるように見える通天閣は“やっぱし大阪でんなぁ”。
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繁華街を抜けると、天王寺動物園。大正4年開園、日本で3番目に古いのだそうだ。朝から飲める店が並ぶジャンジャン横丁と家族連れが憩う動物園が共存している。町の成り立ちは浅草とよく似ている。
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さて、通天閣の見える松屋町筋の歩道橋を渡って25号線を東へ、四天王寺のほうへと向かう。すると道はかなりの上り坂になる。ここから、いわゆる上町台地へと登るのだ。多くの古い大阪の史跡は、古代から葦原の広がる低湿地帯だった「難波潟」を南北に背骨のように貫くこの台地の上にある。
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坂の途中、左手に安居天満宮(安居神社)という看板を発見した。真田幸村戦死の地と書かれている。通りから細い路地を通って奥へ行くと、森閑とした神社の境内に至る。真田幸村戦死跡という石碑と幸村の座像がある。徳川へ寝返るよう再三誘われたが、豊臣への“義”を貫いた幸村は、享年49才の最期をここで迎えたのだという。
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神社の裏手は、こんな急な下り階段になっている。神社のある場所は、ちょうど上町台地の縁に当たっているのだ。こういう地形的な境界線上には、古来より霊的な力があったのだろう。
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石段を下りきると、台地へ登ってゆく石畳の上り坂。「天神坂」という石柱がある。なかなか良い坂道である。かつては神社境内の井戸から「安居の清水」といわれる名水が湧いたのだそうだ。江戸期には上町台地の縁から湧き出る水を、各所で汲んで売り歩いたのだともいう。
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では今度は25号線を渡って、天王寺公園内にある「茶臼山」へ。標高は26mで、前方後円墳だといわれているが、古墳ではないという説もあり決着はついていないようだ。それはともかく、真田幸村が最後にここに布陣し、徳川方の軍勢と激戦を繰り広げた場所として歴史に残る地である。南側の「河底池」から見る「茶臼山」は、静謐のなかに霊気のようなものを感じる。右手の朱塗りの「和気橋」を渡って茶臼山へ登る。
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山頂に登ると、大坂夏の陣の配陣図や幸村の名言がパネル展示されている。“恩義を忘れ、私欲を貪り人と呼べるか”・・・講和と称して堀を埋められ城を丸裸にされて、それでも家康に伏することなく、最後まで戦った幸村らしい言葉。日和見で損得勘定ばかり考える現代人には耳が痛いか。
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ここまで来たら、やはり四天王寺だろう。593年聖徳太子(厩戸皇子)によって建立されたといわれる。残念ながら建物はほぼ戦災で焼けたのちの再建だが、鎌倉時代などの建築と比べると、大陸の建築様式を取り入れた飛鳥時代の伽藍の雰囲気がよくわかる。
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そしてまた京都や奈良の寺院と違うところは、たいへん庶民に親しまれていることだろう。地元では四天王寺とはまず呼ばない、「天王寺さん」である。鶴瓶の師匠である六代目笑福亭松鶴が得意とした落語「天王寺詣り」では、境内の様子が面白おかしく語られて、庶民と寺院の親しみある関係がよく描かれていた。中門の両側にある赤と青の巨大な仁王像もなぜかユーモラスに見える?そして池のカメたち。このカメたち、上記の落語はもとより、大阪では漫才やら新喜劇やらによく登場する。現物を見たことがなくても、“天王寺のカメ”といえば、大阪人なら“あ~知ってるでぇ”というハズ。そういう屈託のなさが上方の文化なのだろう。

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レポーター

岡崎 聡

「町旅」編集部

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