名曲「荒城の月」を生みだす廉太郎が遊んだ広大な城
<大分県竹田市>

311-01
1185年に「源頼朝」と仲違いをしていた「源義経」を迎えるため、つくられた山城が始まりであると伝わっている「岡城」。現在残されている城郭は戦国末期から明治に至るまで地域を統治した岡藩・中川家により整備されたもの。四方を険しい谷に囲まれた海抜325mの台地にたつ巨大な城は難攻不落と言われていたそうだ。
 
311-02
歴代の改築により山城的殿舎・平山城的殿舎・平城的殿舎が一体化した非常に珍しい構成となった城はその規模も大きく、敷地面積は東京ドーム22個分に及ぶ。明治期の版籍奉還により払い下げられ城館ほか多くの施設が取り壊されてしまったが、残された石垣からその大きさと複雑さがしのばれる。
 
311-03
現在は「国指定史跡 岡城阯」として、多くの見どころがある観光スポットでもある。九重(くじゅう)連山や阿蘇山まで望めるすばらしい眺望や、数々の言い伝えがのこる施設跡など、散策するだけでも十分に楽しめる。ただし、城内は高低差があるので、歩きやすいスタイルで行くのがオススメ。
 
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二の丸跡に置かれているのは「瀧廉太郎像」。「春高楼(こうろう)の花の宴」で始まる名曲「荒城の月」の作曲者「瀧廉太郎」は、その少年期を大分県竹田市で過ごし、身近にあった岡城はかっこうの遊び場であったと言われている。すでに荒廃がすすんでいたであろう岡城が、後の廉太郎にインスピレーションを与えたと考えてもおかしくはないだろう。城下には車が通ると廉太郎の曲が奏でられる「名曲を奏でる道路」が作られ、耳をすませば城内にいても曲が聞こえる。
 
311-05
311-05bかっての城下町には、廉太郎が12歳から14歳まで暮らした屋敷がのこっており「瀧廉太郎記念館」として一般公開されている。早逝してしまった有名作曲家・瀧廉太郎に興味を持ったなら、ぜひこちらにも足を運んでみるべき。いままで何気なく聞いていた曲も、さらに味わい深く感じることができるだろう。
 
 
画像提供:公益社団法人ツーリズムおおいた

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レポーター

恩田 正恒(町旅編集部)

戦略拠点でもあった城は明治に入って多くが壊されてしまいましたが、それでも人々ひきつける魅力があります。僕自身も城が視界に入ったら、とりあえず行ってしまうタイプです。

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