熱い想いの“まちづくり”がすすむ北国街道・今庄宿
<福井県南越前町>

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(↑右側写真提供:福井県観光連盟)
今庄宿は、越前の南境、北陸から京や江戸へと続く街道が集約される地点にあたる。ここから中山峠、木の芽峠、栃ノ木峠などの峠道をいずれか選んで南条山地を越えなければ、近江側へは出られない。峠越えの難所を前にした宿場として、越前ではもっとも栄えたといわれている。江戸時代の後期には、戸数約290軒、うち旅籠屋55軒、茶屋15軒など、約1kmにわたってつづく町並は多くの旅人で賑わったという。
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いまも古い家屋が軒を連ね、往時の地割がほとんど変わっていないため、昔日の宿場の面影を色濃く残している。敵からの防御のため宿場の入口から全体を見通せないようにした、矩折(かねおり)または桝形(ますがた)といわれるカギ型に屈曲した道の構造、そして宿場の中も道がゆるやかに湾曲しており、それらが背景の山並みとあいまって独特の景観を形作っているのが見事である。ここの町並は、今庄駅からすぐ歩ける距離だというのも魅力だ。
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もちろん参勤交代のために大名もここを通った。残念ながら建物は残っていないが、本陣跡が整備保存されており、往時の繁栄ぶりを伝えている。
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「鳴り瓢(なりひさご)」と称される、いかにも酒好きの心をくすぐる銘柄を造る堀口酒造は、創業1619年というから約400年続いていることになる。
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これは御札場跡(おふだばあと)旧西尾茂左衛門家。銀と兌換できる藩札の発行を幕府から初めて許された福井藩が、藩内では藩札の使用を強制したため設けられた藩札と金銀の両替所である。
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すこし脇道へ入ると、古い家屋のつづく露地の向こうに、すぐそこに山並みが迫り、懐かしくも美しい光景を造りだしている。
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本陣近くの「若狭屋」は、1840年頃の建築という旧旅籠で、町の景観を大切にしようという地元有志の努力で、解体をまぬがれ保存・修復された建物。いまは今庄の町並および文化の保存・継承をする「NPO法人今庄旅籠塾」が管理・運営しており、観光拠点としても、まちづくりの交流拠点としても、今庄宿の中心的存在となっている。
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その若狭屋にあるカフェ木の芽の2号店「coffee&bread木の芽」が近くに新しくオープン。もちろんこれも古い建物を改修したもので、懐かしい雰囲気の店内で、美味しい焼き立てパンや珈琲をいただくことができる。
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昭和6年棟上げというカフェの建物(右側)は、袖うだつのある今庄らしい建築様式。
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現在は使用していない2階の座敷へ上がらせてもらった。
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富士の風景をあしらった磨りガラスの向こうに、懐かしい風景がひろがっている。先人たちのこだわりと、お洒落感覚が、こんなところにも表れているのを見ると、なんとも贅沢な時間だなと実感した。

さて、ここからは余談だが、福井県は北部を嶺北地方、南部を嶺南地方と呼ぶ。その境が、ここ今庄と敦賀の間に立ちふさがる山地である。関西圏の天気予報では、福井嶺南は近畿である。子供のころ、福井県は嶺南だけ天気予報に入っているのを不思議に思ったものだ。もちろん天気予報のことだけではなく、一般的な認識としても、福井嶺南(若狭)エリアは近畿あるいは関西圏だが、福井嶺北は北陸つまり中部地方という認識になる。まず明治の廃藩置県で当初は敦賀県と福井県に別れていたものが、10年ほどで現在の福井県に統一された事情がある。古くは若狭と越前は別の国であったという事情もある。なにより木の芽峠を境として、そもそも気候も風土も違うのだが、これは日本各地で見られる行政区域と文化エリアの不一致という典型例だろうと思う。TV「秘密のケンミンSHOW」は確かにおもしろいが、地域独自の文化エリアは旧藩(あるいは旧国)エリアと重なることが多く、現在の県民(ケンミン)という概念とは重ならないように思える。本気で地方創生をやろうと思うなら、このへんのことも考え直したほうがいいのではないか、そう思うがいかがだろうか。
※クレジット以外の写真は町旅編集部

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レポーター

岡崎 聡

「町旅」編集部

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