近代日本のシルクロードを辿る⑰

藁葺屋根の観音堂と山間に残る「オール“突き上げ屋根”集落」
〈山梨県甲州市〉

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江戸時代から養蚕が盛んだった甲州市の塩山(えんざん)地域では、今でも養蚕の歴史を色濃く残す風景に出会います。日本では明治期に富国強兵政策を支える殖産興業として、飛躍的な増産を成し得た養蚕ですが、そのためにここ山梨では養蚕に適さなかった山間地にまで桑が植えられ、多くの伝統的な茅葺切妻造(かやぶききりづまづくり)民家や屋敷構えにも影響しました。蚕を育成する場である屋根裏の日当たりや風通しを良くするために屋根の中央部分をせり上げた「突き上げ屋根」の特徴がほぼすべての民家にみられます。この景観を保全するため、重要伝統的建造物群保存地区になりました。
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金剛山と呼ばれる舌状台地の付け根に位置する観音堂は、村の中心にあり、この観音堂の前に立って集落全体を眺めると、堂を囲むように集落が形成されているのがわかります。現在は集落の集会所として利用されていますが、本来は宗教施設として利用されていました。この金剛山には他にも金井加里神社、真言宗福蔵院と、宗教施設が多く見られます。古来から日本では、特異な地形そのものが信仰の対象になる風習(山岳信仰やアニミズムなど)がありました。
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観音堂の内部に設置されている子安観音。修行僧の木食白道が1781年(天明元年)27歳の時に掘ったもの。「木食」とは「木食戒」と言って五穀と塩を絶ち、火を使った料理をせず、草の根や木の実などを主食として修行を行う僧侶のこと。そんな過酷な修行を何年も続けた後に郷里へ戻ってきて作ったのがこの像と言われています。開眼?もしくは一種の悟りのような境地に至った末に、彫られた像かもしれません。じっさいに多い時にはこの僧侶のご託宣を目当てに1,000人もの人がこの小さな観音堂に集まったという言い伝えもあります。仏師としてもなかなかの腕と言われ、裏表に合わせて100体もの観音が掘られています。
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八代将軍吉宗の時代に薬用植物の甘草(カンゾウ)を栽培して幕府に納めていたことから甘草屋敷の通名で有名な旧・高野家住宅は、江戸時代後期の民家と屋敷のあつらえを歴史に残す重要文化財であると同時に、甲州地方の「突き上げ屋根」養蚕民家の代表格とも言える家です。また11月半ばから、この甘草屋敷の軒下にいっせいに柿を並べて寒風にさらし、ころ柿(干し柿)を作る風景は、いまや関東の冬の風物詩としてもよく知られています。
 
写真:町旅編集部

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