江戸時代に“誰もが一生に一度は行く“と言われた場所は?
〈長野県長野市〉

「牛に引かれて善光寺参り」という諺でも知られる長野県・善光寺は、年間700万人が参詣する日本の一大霊場。中世初期の縁起によれば、創建は642(皇極元)年と伝えられているが、最新の発掘調査では同じ7世紀の〈後半〉という説もある。いずれにしろ日本に仏教が伝来したのが欽明天皇の六世紀中頃と言われているので、善光寺が興るまで、そこからわずか1世紀。日本がまだ宗派に分かれる以前から存在した寺として知られる。
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最初は地方(信濃国)の小寺院にすぎなかった善光寺も、信仰を集め、今日では日本を代表する大寺院となった。現在もどの宗派にも属していないが、住職は、天台宗の「大勧進貫主」と浄土宗の「大本願上人」の両名が務めている。また、絶対秘仏の本尊(一光三尊阿弥陀如来)は日本最古とされている。
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山号は定額山(じょうがくさん)。山内にある天台宗の「大勧進」と25院、浄土宗の「大本願」と14坊によって護持・運営がされている。
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二度の焼失を経て大正7年に再建された仁王門の左右には、彫刻家・高村光雲とその弟子・米原雲海の合作による阿形(あぎょう)と吽形(うんぎょう)の気迫に満ちた仁王像が仏法護持にあたっている。
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『濡れ仏(延命地蔵)』は、享保7年(1722)に六十六部(日本全国を行脚する巡礼者)の供養のため、法誉円信が広く施主を募って増立された。江戸の大火の火元となった罪で処刑された「八百屋お七」の冥福を祈って恋人の吉三郎が建てたという言い伝えもある。
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『六地蔵』は、仏教の六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)に対応した6体の地蔵菩薩のこと。この6つの世界でそれぞれ衆生を苦しみから救ってくれるという慈悲深いお地蔵様たちだ。
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善光寺は、京都や奈良の寺院ではまだ戒律から「女人禁制」を唱えて女性の境内立ち入りを拒むことが多かった時代において、女性の救済も男女の別なく受け入れた点で、斬新だった。
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天台宗の本坊「大勧進」の大門は、寛政元年(1789)建立。境内には、善光寺に関する貴重な史料が集まる宝物館などがあり、必見!
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放生池は、天明の大飢饉のさい、大勧進が衆生の救済のために蔵米を放出し、その返礼(奉仕)で築造されたという。この日は気温が低く池は凍っていたが、初夏には大賀蓮というハスの花が池面を美しく彩るのが見られる。
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寛延三年(1750)に建立された二層入母屋造りの山門(三門)は重文指定。元文年間の出開帳で得た浄財により、建立された。大正年間に檜皮葺(ひわだぶ)きの屋根に葺き替えられ、平成に入って建立当時のサワラの板を用いた栩(とち)葺きに復元された。
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川越の『時の鐘』と同じく「残したい日本の音風景100選」に選ばれている善光寺の鐘楼は音だけではなく姿も美しい。
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山門をくぐると目の前に現れる巨大な伽藍が本堂だ。江戸時代に再建された国宝建造物で、正面に比較して奥行が長い特徴(のためT字に見える)から「撞木造(しゅもくづくり)」と呼ばれる。全国一の面積を誇る総檜皮葺きの屋根は迫力のスケールで圧巻。東大寺大仏殿、京都の三十三間堂に次いで3番目となる敷地面積は、かつて全国から集まった宿泊参拝者が寝泊まりすることを前提としたものだった。(最大で148畳の大広間を有する時期もあった)。
 
写真:乃梨花

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