武田と上杉もここで戦った?江戸・甲州街道きっての名勝!そして日本三奇矯の「猿橋」
〈山梨県大月市①〉

日本三奇矯の一つとして知られる「猿橋」。山梨県大月市の桂川に架かるこの橋一帯は、江戸の頃から景勝地としても知られ、昔から多くの旅人が訪れています。
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猿橋がいつごろ造られたのか?は、はっきりしませんが、『旧事大成経』には、推古天皇の頃(西暦612年)百済から志羅呼(シラコ)という人が来て橋の築造を頼まれ、猿が藤蔓をよじ登り伝って向こう岸に渡った、のを見て架橋の着想を得たという話が残されています。橋脚をもたずに高い峡谷の両岸から「肘(ひじ)木けた式」と呼ばれる特殊な構造で支えられている珍しい橋です。
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「猿橋」が出てくる文献では、今から約500年前の文明十九年(1486)、聖護院の門跡道興の旅日記『廻国雑記』に、猿橋を表した詩文が記されています。また、応永三十三年(1426)には武田信長と足利持氏が、大永四年(1524)には武田信虎と上杉憲房が、ここ猿橋を合戦の場としたといいます。
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四季の美しさに彩られた渓谷と猿橋とが織りなす風景は、江戸幕府が五街道の一つとして整備した甲州街道の中でも随一とうたわれました。そのため多くの文人・墨客が訪れ、なかでも歌川(安藤)広重は、強く心を打たれ『甲陽猿橋之図』を描きます。「甲斐の山々遠近連なり、山高くして谷深く、桂川の流れ清麗なり、十歩二十歩歩く間に変わる絶景、言語に絶えたり、拙筆に写し難し・・」は広重の「甲州道中記」の中、この地を表した文章です。
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猿橋からはもう1つ貴重な遺構が望めます。「八ツ沢発電所一号水路橋(国指定重要文化財)」は、明治45年に建設された八ツ沢発電所に送水するために作られた鉄筋コンクリート製の水路橋で、建造には高度な建設技術が発揮され、土木技術史上においても価値が高いと認められています。
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橋のたもとには小さなお宮があり、広場をはさんだ向かいには、江戸時代からこの地で続く(元旅館、現在はそば屋を営む)大黒屋(だいこくや)があります。名物の「忠治そば」は、当時まだ旅館だった頃に『赤城の山も今宵かぎり・・』の名セリフで知られる国定忠治が逗留していたことに所縁があります。
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桂川の方へ降りていくには、お宮と大黒屋のある広場の脇から峡谷へ降りる坂と階段を利用します。
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深い緑碧の川面は神秘的で、まるで吸い込まれそうな水の色です。
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途中に岩でできた天然のテラスのような踊り場があり、そこでひと息つくことができます。下から峡谷を眺めるちょっとした見晴らし台の役目も。ちょうどここからは「八ツ沢発電所一号水路橋」を仰ぎ見るかたちです。
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峡谷を抜けると、川辺の景色は一変。岩肌の露出した険しい峡谷のイメージとは対照的にそこには小春日和のなごやかな風景が広がっていました。
 
写真:乃梨花

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乃梨花(「町旅」女子部)

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