日本遺産の物語

北総四都市江戸紀行・江戸を感じる北総の町並み〜『城下町佐倉』の武家屋敷群
〈千葉県佐倉市②〉

JR佐倉駅から歩いていける『武家屋敷通り』は、鏑木小路(かぶらぎこうじ)にある。慶長15年(1610)に土井利勝が佐倉に入封し鹿島山城(佐倉城)を築城。そのさい城下町の一部に取り込まれたのが鏑木村。鏑木の地名は『かぶら(傾)+き(処)=傾斜地』が由来だ。
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ここで、現在公開されているのは旧河原家、旧但馬(たじま)家、旧武居家の3棟。江戸時代の武家屋敷は、その大半を藩が所有し、藩士に家を貸し与えると言う、いわば官舎のかたちをとっていた。ここ佐倉では旧河原家(写真)が【大】、旧但馬家が【中】、旧武居家が【小】と「天保御制(てんぽうぎょせい)」で定められた「大・中・小」それぞれの基準の家が見られる。
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この3つの家の中で、いちばん上格は旧河原家。条件は、禄高三百石以上(から千石未満)。弘化2年(1845)に記されたこの屋敷に関する古文書と建築様式(構造・部材・風蝕)から、佐倉に残る武家屋敷の中で、最古のものとされる。室内の調度品も当時のものを配してあり、じっくり見ても飽きのこない風情が宿る。
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奥は座敷(客間)。武家屋敷のなかで、なにより重視されたのが接客用の部屋だった。この屋敷の中でも客間がもっとも広く(10畳)、位置取りも正面と横から庭の景色が眺められる南東の角の1番良い所。また客間には専用の玄関(上がり框)とトイレ(雪隠)もしつらえてある。
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その隣りの禄高百石以上の藩士の家である旧但馬家住宅は、坪数27~33坪くらいにあたる【中屋敷】。3棟のうち、ここだけがもとからあった場所に復元整備された。庭の植栽や敷地の形状も江戸時代からこの屋敷とともにあったものだと知ると、感慨深さもいっそう増す。
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河原家と同様、ここも裏庭には畑をもつ。武士の生活は質素で、米以外の作物は自給自足が基本だった。
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2体の甲冑が飾られた接客用の座敷。広さは12畳半あり、客室を比べれば大屋敷の河原家より広い。居間も7畳に床の間がつき、全体でも河原家と同等かもしくは広い家という印象さえするが、全体の格式などから「天保御制」の中屋敷に当たるという。
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3つの屋敷の中でもっとも小さい(23坪)旧武居家住宅は、百石未満の藩士に割り当てられた。ここ鏑木小路は上級武士のための居住区域だったので、武居家は本来はこの場所には該当しない。現在は鉄板葺きに復元されている屋根も、はじめは茅葺だったという。
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座敷の床の間に飾られた佐倉藩士の肖像写真。居住まいを正したくなるような凛とした気配が写真からも伝わってくる。
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この家では土間と台所と湯殿が一箇所に集められている。狭い家の場合は、その設計において「どこを削ったか?」を見れば、「なにを優先したか?」がわかるしくみ。このたった23坪の家のなかで「玄関が3畳もある」のは、現代では考えにくい。
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庭先の寒菊も藩士の住まい同様に、素朴な和の美をみせていた。
 
写真:乃梨花

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乃梨花(「町旅」女子部)

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