日本遺産の物語

江戸庶民の信仰と行楽の地
~巨大な木太刀を担いで「大山詣り」~
<神奈川県伊勢原市>

iseharasi001古くからその山容の美しさが人々を惹きつけた大山(おおやま)は、奈良時代以降、霊山寺大山寺阿夫利神社などの寺社が開かれ、信仰の地としての姿が整えられていった。戦国時代末期に多くの修験者や僧侶が徳川家康により追放されてしまうのだが、追放された人々は大山中腹で神殿を備えた宿坊を営む御師(おし)となり、年間100日以上も関東一円を廻り熱心に布教。その結果、他に例を見ない庶民参拝「大山詣り」が江戸を中心に普及していった。
iseharasi002
参拝者たちは、源頼朝に由来するという納め太刀を担ぎ、要所にたてられた石造りの道標をたどりながら大山を目指し、中腹で滝垢離(たきごり)をしてから登拝するという小旅行を楽しんだのである。厳しい修行や戒律を伴わない気軽な信仰に加え、行楽の要素を兼ね備えた大山詣りは、江戸の人口が100万人であった頃、年間20万人もの参拝者が訪れたという。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
歌舞伎や浄瑠璃、落語、川柳などにも取り上げられた「大山詣り」は今も脈々と引き継がれ、行衣(ぎょうい)という白装束に身を包んだ大山講の一行や様々な祭事を目の当たりにすることができる。豊かな自然とふれあいながら歴史を巡り、大山にあこがれた先人たちの思いと体験をぜひ再現してほしい。
 
大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)
iseharasi006
平安時代にまとめられた「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」にも掲載されている「阿夫利神社」は、山頂に石尊大権現を祀る神社で、大山参りの目的のひとつでもあった。写真の下社は明治に入ってから大山寺の跡地に建立されたもの。下社近くまではケーブルカーで行けるが、大山山頂にある本社まではいまでも山を歩いて(コースタイム約90分)向かう。どちらの境内からも素晴らしい眺望が望め、ミシュラン・グリーンガイドでも「阿夫利神社からの眺望」に二つ星がつけられるなど、古今の日本人だけでなく外国からの評価も高い行楽地でもある。
 
日向山 霊山寺(ひなたさん りょうぜんじ)  (国指定重要文化財〈本堂・建造物〉)
iseharasi007
716(霊亀2)年に行基により創建されたと伝わる1300年の歴史を持つ寺。もともとは多数の坊からなる寺であったが、明治3年の神仏分離を機に宝城坊(ほうじょうぼう)だけが寺として残り、日向薬師(ひなたやくし)と称するようになった。ご本尊の鉈彫薬師三尊像をはじめ、等身大の寄木造り十二神将像など、数多くの国指定重要文化財が収蔵されている。単層茅葺屋根(かやぶきやね)で創られた薬師堂(本堂)は、7年にわたる修復を経て今年(2016年)落慶。ふたたび重厚で美しい姿が拝めるようになった。
 
水垢離の滝
iseharasi009
歌舞伎や浮世絵の題材にもなり、江戸時代の人々の興味を喚起した滝垢離は、大山詣りのならわしのひとつ。登拝前に身を清めたという数箇所の滝は今でも山内で臨むことができる。写真は左上が良弁滝(ろうべんだき)、右上が元滝(もとだき)、下が愛宕滝(あたごだき)。
 
参道沿いに建てられた宿坊
iseharasi003
江戸時代に「大山詣り」を普及させた御師(現在の先導師)の自宅を兼ねた宿屋で、屋内に阿夫利神社の分霊を祀る神殿が設けられているのが特徴。脈々と引き継がれている大山講の講中の宿泊はもちろん、一般の来訪者にも食事や宿泊サービスを提供している宿坊も多い。
 
豆腐料理
iseharasi004
もともとは大山講中から寄進された大豆を利用した精進料理だったが、現在では現代風な調理を取り入れた地元の名物として定着。「大山といえば豆腐」と言われ、毎年3月の中ごろには「大山とうふまつり」なる祭りも開催されている。参道にも美味しい豆腐料理をだすお店が多数あるので、大山参りに訪れた際にも食べることができる。
 
画像提供ならびに記事作成協力:伊勢原市教育委員会文化財課

INFORMATION

地図

レポーター

恩田 正恒

町旅編集部

社内で原稿を用意していたら、行きたくなったので「大山詣り」してきました。
数日中にそちらの記事もアップしますので、あわせてご覧ください。

関連タグ

関連記事

エリア

(Categories)

タグ

(Keywords)

すべてのタグを見る

おすすめ記事