馬込文士村ガイドの会さんと行く起伏の激しい文士村②
<東京都大田区>


大田区立尾崎士郎記念館。尾崎士郎は、文士村の放送局と言われ「人生劇場」などの作品で知られる作家。この地に初めての家を持ち、以後、10年余りを過ごした。馬込文士村散策の拠点として多くの人々に活用されている。お隣りには、ご子息が住まれている。

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屋内には写真や所縁の品が展示されている。中には長嶋茂雄双葉山と一緒に写っている写真が飾られていた。特に相撲を愛していたそうで、大森源蔵ヶ原へ転居した際には大森相撲協会を結成したり、横綱審議委員会を務めたりもした。
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庭へ入ると大きなケヤキの木があった。尾崎士郎はふんどしを締め、この木に向かって鉄砲(相撲稽古)をしたらしい。決して珍しい光景ではなかったとのこと。試しにやってみたが、軽くやっただけで手が痺れてしまった。
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お次は「大田区立山王草堂記念館」へ。「カタルパの小径(こみち)」の開通により足を運びやすくなったとのこと。記念館は蘇峰公園内にあるので、緑豊かな園内の景色を楽しむこともできる。
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こちらが「大田区立山王草堂記念館」。徳富蘇峰は、明治から昭和にかけて活躍した日本のジャーナリスト、評論家。大正13年にこの地に居宅を建て山王草堂と称し、昭和18年まで起居。記念館内には、山王草堂の一部(2階部分など)と資料が公開されている。

交流のあった人物との手紙や書簡、山王草堂の2階部分が展示されている。徳富蘇峰が使用していた机は馬蹄型だったそうだ。おそらく、膨大な資料を置くのに重宝したのだろう。
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記念館の入口に植えられているカタルパの木は、明治10年代に同志社の創立者新島襄から譲りうけたものの三代目。アメリカ原産の落葉樹で、国内では数が少なく珍しいとのこと。これを目当てに散策する人もいるほどだ。
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山王草堂を出て、北原白秋が住んでいた高台へ。これは少し離れたところに立てられていた解説板。現在、居宅は存在しないが、周辺の風景だけでもと思い、向かった。
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さすが九十九谷(苦重苦)と言われる馬込文士村。階段や坂がかなり急である。散策コースの中盤にもなってくると一段一段がきつい。階段の横にあった滑り台もかなり急だ。60度くらいはあるのでは。滑るというよりは落ちる感じだ。
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北原白秋が住んでいた高台に到着。閑静な住宅街である。高台ということもあり、かなり見晴らしがよい。近所の方も散策に気づいたらしく、居宅の場所、庭や建物の位置などを教えてくれた。
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ここが北原白秋が居宅を建てた場所だ。現在は複数の住宅が並んでいる。大まかではあるが、この位置から突き当りまでが居宅だったらしい。道路の左側が庭で、右側が住居だったとか。かなり広い居宅だったことがわかる。昔の文士は広い庭を持つことがステータスだったのだろうか。
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馬込文士村の散策も終盤に差し掛かり、日も暮れてきた。時間も迫ってきたので、解散場所の西馬込駅に向かう。その途中にあった馬込自然林。地域に残された貴重な自然林として保存されている。ケヤキやクヌギなど様々な樹木が育成している。
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慈眼山 萬福寺」は曹洞宗のお寺だ。この山門は、屋根は茅葺、門はケヤキで作られている。扁額には「慈眼山 勅賜永平卍海書」と書かれている。この山門は、文政年間以前に建造されたものと伝えられている。
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萬福寺には、室生犀星の作品が刻まれている石碑が複数立てれていた。室生犀星はこの寺の近隣に住み、数多くの著作を生み、小学校の校歌作成にも携わった。室生犀星の作品「春の寺」に何度も出てくる「うつくしきみ寺」というのは萬福寺のことだ。
 
 
 
 
 
 

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レポーター

森 順一郎

約3Km、3時間の散策でしたが、予想以上にハードでした。
急な坂道でもスイスイと上っていく、ガイドの方の体力にはかなわかった。

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