明治維新に大きな影響を与えた英国外交官“サトウさん“【英国大使館別荘記念公園①】
〈栃木県日光市〉

アーネスト・サトウ(1843-1929)をご存知ですか?幕末から明治にかけて日本と深く関わり、明治維新にも大きな影響を与えた人物と言われています。サトウは、英国外交官として通算25年間に渡り日本に滞在し、日本に関する多くの著述を残しました。その一方で伊藤博文や西郷隆盛ら幕末政局の鍵を握った人びととも交流し、倒幕派・佐幕派の別なく人脈を広げて英国の(今で言うところの)対日情報戦略のキーパーソンとなる働きをして活躍します。
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また、サトウの才能は並外れた語学の能力にとどまりませんでした。22歳の時に無署名で寄稿した「英国策論」では日本の政治体制の転換を提起し、倒幕派の志士たちの思想にも大きな影響を与えています。ちなみにサトウは和名ではなくsatow。音が和名で一般的な佐藤と似ているため、人柄に加え、日本人にとっては親しみやすさを感じさせたようです。IMG_0846r
そのサトウがはじめて日本に赴任したのは、1862年のまだ19歳の時。横浜に英国駐日公使館の通訳生(通訳ではなく通訳となるための見習い)として着任します。ところが、翌年に日本の歴史を揺るがす「生麦事件」に遭遇。その後、薩英戦争、下関攻撃の現場に身を置き、西郷隆盛、小松帯刀、伊藤博文、井上馨、後藤象二郎、勝海舟らと交流し、人脈を広げます。外交官としての情報収集活動のかたわら「明治時代の代表的な日本学者」と評されるほど、多くの著作を残しました。
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そのサトウが愛した奥日光の白根山を望む中禅寺湖のほとりに1896年(明治29)に建てた別荘が、のちに英国大使館別荘として利用され、現在は「英国大使館別荘記念公園」として公開されているのをご存知ですか。この奥日光の中禅寺湖畔は、明治20年代から戦前にかけて国際的避暑地として賑わいました。英国湖水地方やヨーロッパアルプスを思わせる中禅寺湖の美しい風景は、国内外を問わず人々を魅了して止まないようです。
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また、この別荘を建てる時にサトウが相談したのは、明治期に活躍し鹿鳴館の設計でも有名で「日本建築界の父」と呼ばれるジョサイア・コンドル。1896年5月29日のサトウの公使日記には、ボートハウスの位置決めや三段テラスの設置など、コンドルを伴って建築現場に赴いた時のことが記されています。ちなみにこの別荘を建てる前年の1895年には、サトウは本国イギリスでヴィクトリア女王から名誉あるSirの称号を授与されています。
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この建物の面白いのは、たとえば平面構成はベランダコロニアル様式なのに対し、意匠と構造は明治期の和風住宅そのもので、外観からは洋館らしさがあまり感じられない和洋折中住宅になっているところ。これは、建設場所、職人の技術や知識、材料手配、工期などを総合的に判断した結果、地元の日光の大工たちに任せたのだろうと推測されています。日光の大工は、宮大工の流れを汲んで技術が優れているために、当時も全国で引っ張りだこの人気だったようです。
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この平面構成にベランダコロニアル様式の特徴を見ることのできる西洋住宅は、当時では他に長崎のグラバー邸がありました。サトウは長崎湾を一望するグラバー邸を2度訪れており、おそらく感銘を受けて自身の別荘にも同様のスタイルを取り入れたのでは?と言われています。
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開園(2016年7月)からまだ間もないため、週末には多くの観光客が訪れます。1階では「幕末維新の英国外交官アーネスト・サトウ」「サトウが愛した奥日光」をテーマごとに各室で展示しています。
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写真左のライティングデスクと本棚はサトウが、英国留学していた次男の武田久吉博士にプレゼントしたものです。(サトウの二男である武田久吉博士は、著名な植物学者で登山家です。彼は、幼少の頃から父サトウに連れられて自然に親しんだことや毎年日光で過ごしたことをきっかけに植物学の世界に進み、植物学者として多大な功績を残しました。)博士は父に贈られたこれらの品を終生大切にし、太平洋戦争で自宅が空襲に遭ったさいも、池の水で火の粉を消しながら燃えてしまわないように必死で守ったという逸話が久吉の娘の林静枝さんより伝わっています。
 
②へつづく
 
写真:乃梨花

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