不定期連載 -歴史・文化・芸術の堆積「上野の山」を歩く⑥-

急がば回れ。黒門に近づく秘密は両大師にアリ!
<東京都台東区>

IMGP0503JR鶯谷駅の方から東京国立博物館塀沿いに歩いていくと、大きく黒々とした門がそびえたっている。
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これは国指定重要文化財の寛永寺旧本坊表門(通称:黒門)で、1625(寛永2)年が初建。1866(慶応4)年の上野戦争や大正の関東大震災、昭和の東京大空襲でも大きな被害を免れ、400年近く刻んできた歴史とともに重厚で威厳のある佇まいを見せる。
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黒漆で塗られた落ち着いた黒は、自身の巨大な切妻屋根が作る影で、昼でも門の上部は暗く闇に溶けてしまうほど。江戸時代から人々に「黒門」と呼ばれ親しまれてきたそうだ。2010~2013年にかけて大規模な保存修理がおこなわれ創建当初の姿に復原されたが、上野戦争時の弾痕は歴史の痕跡としてそのまま残されている。近くによれば見ることがきるので、訪れた際は確認してみてはいかがだろう。
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黒門のとなりは、東叡山を開いた慈眼天海僧正をお祀りしている開山堂。幟や看板にある「両大師」の呼び名は、天海僧正が尊崇していたという比叡山延暦寺の中興の祖・慈恵大師良源大僧正もお祀りされているためである。
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境内はまっすぐ本堂へ向かう石畳を中心に、庭園を散策できるようにもなっている。すぐそばで山手線が走っているにも関わらず、静かで落ち着いた空間が心地よい。
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ueno06_07入り口から入って右側に設けられた「阿弥陀堂」では、迫力ある仏像が間近でみることができる。ポーズがそれぞれ異なるうえ、奥行きを利用した配置がなされた三仏は、デザイン的な美しさとともに不思議な世界観を感じさせる。
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また、阿弥陀堂の扉には「厄除角大師」の説明が貼られており、そこに描かれた慈恵大師は角の長い魔物の姿になっている。高僧を魔物の姿で表現しているのも面白いのだが、その絵が平安時代に描かれたことにさらに驚愕。慈恵大師のお弟子が描いたそうだが、平安時代にこのような表現がされていたとは、思いもよらなかった。
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両大師と輪王寺の間の生垣に、幸田露伴旧宅から移築した門がある。この門を抜けると寛永寺輪王殿前の駐車スペースへでる。
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ココは黒門の裏手にあたり、実はコチラからなら黒門まで歩いて行くことができる。門の表側には柵があるので、近くへ行くことは推奨していないと思われるが、真摯な気持ちで向き合いたい方にはこんな行き方もある。

INFORMATION

地図

レポーター

恩田 正恒

最近、テレビでも上野の山が頻繁にとりあげられているような気がします。
取材で訪れることが増えたから、気にして見ているだけかもしれませんが…。
先週末にも遊びにいったところ、オリンピック関連のイベントなどもやっていたり大賑わい!
多くの人がいてビックリしました。

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