不定期連載 -歴史・文化・芸術の堆積「上野の山」を歩く⑤-

上野の狸に化かされる? 民家のような寺院が集中するトーハクの東
<東京都台東区>

ueno05_02前回紹介した徳川将軍霊廟勅額門を過ぎても霊園は続く。
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ueno05_01トーハクの北門は殺風景だが、柵の中を見ると庭園になっていて、遊歩道も整えられている。ここは、桜や紅葉の時期のみ一般開放される庭園で、綱吉が法隆寺に献納した五重塔など主に江戸時代の建造物や、茶室が配されている。5棟ある茶室はすべて歴史ある建物。1日数万円で借りることができるので、一般開放以外で中に入りたいという方はお試しあれ。茶会や句会のほか、会議やコンサートにも使えるそうなので、イメージより敷居は低そうだ。
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トーハク北側を端まで歩くと、小さいロータリー(タクシーのパーキング?)にでる。左に曲がり忍岡中学校前の坂を少し下ればJR鶯谷駅、右へ曲がりトーハクの塀沿いを歩くと上野公園に戻る。
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この上野公園に戻る道沿いのトーハクと反対側は、おどろくほどたくさんの寺院が集まっている区画。「お寺かな?」と思って近寄ってみると立派な民家のように見え、「民家か」と思ったら寺名の書かれた札がかかっていて「やっぱり寺だった」とわかる。そういう類の寺院が集中している。
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ueno05_09そのうちの一つ、トーハクの柵と並行した道沿いにある「寒松院」は、戦国武将・藤堂高虎が開基。高虎の法名をそのまま寺名にした寺院で、法名を授けたのは寛永寺の初代住職である天海大僧正とのこと。家康の死に際の言葉を受けて天台宗に改宗したという高虎は、かなり徳川家に信用されていたようだ。さらに、屋敷が上野動物園から東照宮にかけた場所にあったり、上野公園に今でも墓所があるなど、藤堂高虎は上野の山とのつながりも深い。
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門内に入ると美しく整えられた庭の向こうに立派な家屋があるのだが、どうも住居のようだ。造りが昔風で粋をこらしているので寺社風に見えるが、ここへ参拝するとは思えない。はて? と思い右手をみると、寺院らしい建物。
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ueno05_09.3賽銭箱などはないのだが、おそらくコチラが「寒松院」なのだろう。よくみると下がり藤のなかに堂の字が入った紋が掲げられていた。
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寒松院の隣は1651(慶安4)年から続く由緒をもつ「林光院」。立派な表門は徳島藩の大名が所有していた中屋敷御庭仕切門を移築したもので、仕様は総欅造、銅板葺、平唐門。
ueno05_13.1門構えは歴史を感じさせるが、門内は和洋折衷で建築会社の広告にでてきてもおかしくないオシャレ感あふれる建物。鉄筋コンクリート総2階建てのご本堂は1989(平成元)年に完成されたそうだ。
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門前にはロシア人作家チェーホフの名言を毛筆で書いて掲示していたりと、かなりユニークなご住職のようである。
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その他にも立派な門、美しい庭、歴史ある建物がズラリならんでいるこのあたりは、実は寛永寺の子院が集中している区画とのこと。中心を貫く小道の入り口には、寛永寺の私有地であることを示す看板が立てられていた。
gousei0729b.inddどの寺院も住居を兼ねているようなので、公開はしていないようだが、外からでも日本家屋の美しさを伺うことができる。この区画の回りを一周すると、思わぬ発見があって楽しい。
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そういえば、東側に子院のひとつ「現龍院」の墓地があった。そこには1651(慶安4)年に3代将軍家光の後を追って殉死した侍の墓や、東京大空襲の慰霊碑があり、身近な場所で思わぬ歴史上の出来事を思い返すことになったのだが、さらに驚いたのは、門に貼られていた注意書き。
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東京の山の手の内側に、いまでも狸(タヌキ)が住み着いているとは…誰かが離してしまったのか、代々住み着いているのかは分からない。しかし、豊かな緑や歴史的建造物に囲まれた上野の山の奥であるなら、なんとなく昔から住み続ける狸がいてもおかしくないような気がした。

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レポーター

恩田 正恒

最近、SNSで刀剣が好きな方からのアクセスが増えているようですが、僕の名前は刀からとられています。気がついた方いますかね?

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