不定期連載 -歴史・文化・芸術の堆積「上野の山」を歩く③-

大寺院なのに“ひっそり”と感じる「東叡山 寛永寺」
<東京都台東区>

ueno_03a前回紹介した「国立国会図書館 国際子ども図書館」を、通りすぎると写真の三叉路にでる。ココを左に曲がって少し歩くと「東叡山寛永寺 根本中堂」。
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寛永寺の歴史は徳川二代将軍秀忠が天台宗の僧天海に上野の山を与えた1622(元和8)年に始まっている。根本中堂は1698(元禄11)年に現在の上野公園噴水広場あたりに建てられたが、1868(慶応4)年の上野戦争で炎上。その後1879(明治12)年になって川越喜多院の本地堂を移築して再建された。
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最澄作といわれる薬師瑠璃光如来像(国指定重要文化財)を祀っている堂内は、公開されていて誰でも入ることができるが撮影は禁止。中に入ると回廊の一辺が歩けるようになっていて、畳数枚分離れた場所に思いのほかきらびやかな本尊が見られる。また、入ってすぐ左には、御朱印を書いてくれる僧侶がお座りになっていた。
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根本中堂の境内には国指定重要文化財の旧本坊表門に据えられていた鬼瓦や、根本中堂に据えられていた鬼瓦、
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虫類写生図譜「虫豸帖(ちゅうちじょう)」を描いた伊勢長嶋藩5代藩主・増山正賢の意志により、虫類の霊をなぐさめるため建てられたという都指定有形文化財の虫塚碑、
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四代将軍・家綱公ご霊廟の梵鐘などの文化財とともに、明治7年に刻まれた上野戦争碑記が展示されている。
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「慶応四年戊辰正月」で始まる文では上野戦争の経緯が漢文で記されており、すべての文字を解読できなくても生々しく感じることができる描写である。文末に「明治七年甲戌五月幕府遺臣阿部弘臧撰 清蘇州費廷桂書」とあるように、書いたのは上野戦争に参戦した幕臣であるから、まさに生きた証言といえるだろう。ここで日本人同士が戦っていたということが、急に現実のものとして感じられた。
ちなみに、文章は明治7年に書かれたが、石碑になったのは明治45年。40年近く時間がかかったのは、明治政府が許可を出さなかったためだ。
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本堂の左側を通ると立派な寺務所があるが、こちらは非公開。根本中堂とつながったわたり廊下をくぐり抜けると第3霊園になる。
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園内は山の手内とは思えない広さ。不思議なことに車や人ごみの喧騒はあまり聞こえず、虫のなく声がやたら聞こえてくる。遠くを見るとビルなども見えるのだが、なぜか懐かしさを感じてしまう場所だ。
 
 
次回も寛永寺つづきます。

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レポーター

恩田 正恒

国際子ども図書館のカフェで昼を食べようとしたら休館日でした。

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